第二話
「ん? どうしかたか? 訊ねておるのだが」
「え、ああ! 違うよ、この町の近くにあるヴァジ村から来たんだ。君は? ここの子?」
ザイドが静止したままだったので、とっさにヴレイが答た。
珍しくザイドが黙っていた。
いつもなら我先にと、相手に立ちはだかる性分の持ち主なのだが、不思議な現象だ。
「私はジェムナス王都から詣った。近々この北東領地に越すので、下見も兼ねてじゃ」
じゃって、変わった言葉遣いだな、同じぐらいの年齢なのに。
「へぇ王都から来たんだ、俺はヴレイ、こっちはザイド。君は――」
「私は――」とその子が答えようとした時、劇場の舞台から花火が吹き上がった。
昼の空に高々と吹き上がった花火は光の粒となって、太陽光を乱反射させた。
花火に見とれている間に、いつの間にか舞台には純白のドレスを身に纏った女性が立っていた。女性は胸の前で手を合わせ、甲高い声色でのびやかに歌った。
話の元は、実際に存在した魔獣族の王が、強大な『妖源力』を秘めた石を作り、その石を巡って各国が戦争を繰り広げた時代があった。石を手に入れた勝者は魔獣化して、世界を焼き尽くした。自分を責める魔獣族の王に、手を差し伸べる姫が登場し、後はお決まりの如く、二人は恋に落ちる。おいおい魔獣化してヤツはどうすんだよと、ヴレイは心の中でツッコみながら、管弦音楽には迫力があって吸い込まれるように聴き入った。
最後に、また花火が舞台上から吹き上がり、喝采を浴びながら舞台は閉幕した。
「わぁ! すごかったの! また観られるのかの?」
隣に座っていたその子は、物凄い速さで拍手を送っていた。
「また来年かな、劇ばかりじゃないよ、サーカスだってやるし」
「サーカス! 是非観たい! また一緒に観よう」
キラキラ輝かせた碧眼で見つめられ、ヴレイは返事を飲み込んでしまった。
「#ルピナ様__・・・・__#! そんな所にいらしたのですかぁ!」
歓声の中から声がすると思ったら、屋根の下から一人の女性が、こちらに向かって声を張り上げていた。周りの歓声やら雑音やらで、掻き消されまいと必死そうだ。
「皆が心配しておられます、降りて来てくださいませ」
「はいはい、分かっておる、今行く。それではな、彼の者たち。またいつか」
ルピナと呼ばれたその子は、軽やかに屋根を駆けてゆくと、ふわっと長い髪を靡かせて、姿を消した。
しばらく呆然としていた二人だったが、「あんな子がいるんだ」とヴレイがまた先に口を開いた。
「ねえ、ザイドどうしたの、さっきから人形みたいに黙って」
いつまでも静止状態のザイドの腕を「ねえ」と肘で突いた。
「おおっ、何だよ、聞いてるよ。俺たちも帰るぞ」
よくよく見てみれば、ザイドの頬は風呂上りでもないのに火照っていた。
ハッと気付いたヴレイは真相に気付き、「ふーん、なるほどねぇ」と口端を釣り上げてわざとらしく呟いた。
「なにがなるほねだ、ヴレイのくせに生意気だぞ!」
瓦の上で胡坐を掻いていたザイドは腕を組んだまま、スッと立ち上がった。
「あの子のこと、気になってるんだろ。好きになっちゃったとかぁ」
「何言ってんだ! このチビ! よわっちいヴレイのくせに」
さっきまで固まっていたくせに、素早く動いた腕はヴレイの首を遠慮なく締め上げた。
「んぐぅ―ーとヴレイは声にならない声で叫んで、ザイドの腕をパシパシ叩いた。
気絶寸前のところで開放され、瓦の上にヴレイは腕を突いて咳き込んだ。
「ぐはあぁ! ヒドイよ! そんなに怒ることないだろ。ーーでもなんだか、身分が高そうな子だったね、言葉遣いも変わってたし」
残念だが、自分たちの身分であの子に手が届く日は、一生ないだろうとヴレイは悟る。
「身分がなんだよ、いつ何が起こるか分からねえだろ! 俺はまた会いに行く、お前も来い!」
「ええ! 俺も!」
ザイドがそう言うとは思っていたが、ヴレイの意思関係なく、付き合わされるとは思わなかった。
ルピナを初めて見たあの瞬間、ザイドが我も忘れて呆然とした気持ちは、ヴレイにも分かる気がした。
黄金色の髪に、紺碧の瞳は人工的に作られた彫刻のようで、触れば花のように散ってしまいそうで、怖いぐらいだった。それでいて、あの子の眼差しは力強く、その場の空気が一気に熱くなった。
「別にいいけど、どこの子かも分からないよ、あでも、もう直ぐ北東に越してくるって言ってたよね。でも北東領地のどこだろう」
「お偉いさんなら、総督府領のエルムかもな、あの口ぶりだし」
「そうだね、エルムならここからそんなに遠くないよ」
そうとなれば、直ぐにでも出かけたい気分だ。あの子に会えるというより、ザイドと旅に出られると思うと、ヴレイは楽しくなってきた。
「ルピナ様って呼ばれてたね、もしかして王族かもよ」
「ありえるな」
連なる褐色の瓦屋根とさらにその先に続く、山々の峰を眺望した。
薄紺色の山々の峰には薄っすらと雪が被っており、暮れようとしている西陽が稜線に掛かろうとしていた。
乾いた風が屋根の上を吹き抜け、ヴレイとザイドの黒髪を揺らした。
「もし行くとしても、俺の洗礼が終わってからだな。祭司継げるのは俺しかいねえし」
「そうだね。じゃあ先ずは村に帰ろっか、祭典の準備さぼっちゃったしなぁ」
「そうだな」とザイドは歯を見せて笑うと、来た道を駆け足で戻った。
来る時より、走る足がとんでもなく軽くなったような気がした。
自分たちの行く先には、まだまだ予想も付かない出来事が、眩しく待ち構えているんだろうなと、ヴレイは真っ直ぐそれだけを信じていた。