掲げられた旗
ダリエルの町で起こった一連の騒動について、その全容を把握している人間はいない。なぜならそれは、それを引き起こした当事者も、巻き込まれた人々も、見えていたのは複雑に絡み合った糸の一つでしかないからだ。複数の勢力の思惑が絡み合ったこの騒動だが、その始まりがどこかと言われれば、この日の出来事から始まったと言えるだろう。
ダリエルの町で活動を始めた赤剣隊だったが、その反応はあまりにも悪かった。
紅の騎士団によって実際に家族や友人を失ったエブロストス出身者と違い、ダリエルの町の人間は王や貴族に対する憎しみを持っていなかった。また、領地の端に位置する関係上、エブロストスで殺されたザビノス子爵の横暴の手が届くこともなかった。その為、赤剣隊の呼びかけは、この町の人間の心を虚しく通り過ぎるだけだった。
「えっ、か、カナンの町とミヘーヌの町が、反乱軍に味方することを宣言した...ですか?」
その報告は、上手くいかない状況に悩んでいたレイラのもとに届けられた。
報告を届けた赤剣隊は目を丸くする隊長に向けて、言葉を補うように付け足した。
「ええ、行商人によって伝えられた噂なのでどこまで本当かは分かりませんが、もし本当ならすごい事ですよ!」
報告に来た隊員の一人は興奮したように言った。
レイラはその勢いに押されながらも、その二つの町に行った人物を記憶を頼りに思い出していた。
「えっと、カナンの町は伯爵様が直接行って、えと、ミヘーヌはたしか...あの大きな兵士長さんだったかな? も、もう味方につけちゃうなんて、すごいなぁ」
「こうなったら、ダリエルも勢いに続くしかありません!」
「え、でも、どうすれば...」
「派手に宣伝するんです! 大きな旗を振り回しながら、皆で町の端から端までッ」
その隊員は、明らかに熱に浮かれていた。二つの町が味方に付いた知らせによって、自分が大きな時代の変遷の只中にいることを自覚して。それでも、上手くいかず暗鬱になっていた赤剣隊に、そういった熱はありがたかった。
それに、この時レイラはわずかに焦ってもいた。二つの町が味方に付いたことは喜ばしい事でも、自分たちの方は全くうまくいっていないため、こちらも役に立つことを証明したかったのだ。
「...やって、みましょう!」
***
この日は風が強かった。
家々の隙間を縫うようにして駆け抜けていく冷たい風が、人を数人纏めて包み込めるような大きな旗をたなびかせていた。白地の中に誇らしく鎮座する真っ赤な剣は、この反乱の炎を、最初の勇気を与えてくれた彼らのシンボルであった。
その旗に続くように勇ましく行進する彼らは、戦いなれた大男の戦士とは全く違う。まだ少年と言える年齢から死神に愛される年齢まで、戦ったことのある者から剣を振るったことが無い人間まで、その姿も経歴もまちまちだ。だがそれでも、その心には共通の理想が映っていた。
『悪い領主をやっつけよう』
それは彼らがエブロストスで領主の専横に苦しんでいたころのこと。
『武器を手に取り、立ち上がろう』
赤き瞳の少女によって書かれた紙にあった言葉。
『自由を求める人たちは、赤き剣のもとに集まれ』
それが、百を超える人数によって、町中に響き渡るのだ。
道に面した家々が窓を開け放ち、通りを歩く赤の行進を見ている。
正面から向かって来る赤の群れを目にして道の端に寄り、目の前を通り過ぎて行く彼らを、その言葉が聞こえなくなるまで見送っていく。
この日、この時、ダリエルの視線は、赤剣隊のみに向けられていた。
多くの視線を集めながら、彼らの先頭を行くレイラは顔を赤くしながら震えた声を出した。
「こ、こんなことして、よかったのでしょうか?」
それは自分に向けた言葉だったはずだが、当然横にも後ろにも赤剣隊の人間がいるわけで、彼らにも聞こえた。
「いいじゃないですか。昨日までのように机に座ってうじうじしてるより、こっちの方がずっと楽しい」
「誰に怒られるって言うんです? 王様やお貴族様の反感を買うってなら、もうとっくに買ってますよ。それも顔を真っ赤にして怒らせるほどに」
「...えぇ」
何とも楽観的な隊員たちに、レイラは困惑と共に弱々しい声を出したが、この雰囲気はレイラにとっても確かに好ましいものだった。これまで孤独で怯えていたのとは全く違う、解放された気分であった。
「よ、よし、このまま端っこまで行きましょう」
「おっ、我らが隊長が乗り気になった! おい、もっと旗を上げろ! 後ろに続く奴らにも良く見えるようになぁ!」
この日の行進で収穫があったとすれば、それは新たな賛同者を得られたことではなく、彼らの団結が深まったことだったと、疲れて戻った後のレイラは思ったという。
大きな旗は良く見えた。
それと同時に、楽しそうな彼らの重なり合った呼び声も。
それを店の二階の手すりに身体を預けながら見ていたゼルフォンスは、赤い羽根飾りのついた帽子を上げて、横にいる片腕の男に声をかけた。
「ずいぶん賑やかな連中だな。 あれも、この前会いに行った奴と同じ陣営に属してるわけだ」
片腕の男は下を通っていく赤剣隊を見下ろしながら、苦々し気な声を出した。
「あの化け物の味方だと思うと、途端に憎く見えてきやがる」
「そうか? 楽しそうで見てて面白いと思うが」
そう答えるゼルフォンスに、片腕の男はわずかな苛立ちを感じた。
片腕の男は、これまで仲間と共に盗賊行為をしていたが、この男の依頼によってダリエルにつながる街道でおかしな条件の元で略奪をしていた。今となってはそのおかしな条件がどんな意味を持っていたのかを知ったのだが、その当時は何も知らずに街道を通る人間を仲間と共に襲っていた。
その時に、黒ローブの女に出会って片腕と仲間を奪われて、一人逃げた果てにこの男を頼って生きているわけだが、今もこの男のもとにいるのは、あの化け物への復讐を成し遂げてくれそうだからであった。
そのため、この男が化け物を悪く言うのはいいものの、化け物やその仲間に向けて敵意の無い言葉を放つことが、片腕の男にとっては気に食わなかった。
だからこそ、片腕の男は嫌味のつもりでその言葉を口にした。
「なあ、このままここにいて、ほんとにあの化け物どもがあんたの取引に応じてやってくると思ってんのか? 」
だが、言われた当人は帽子の赤い羽根飾りを触りながら、何のことかすぐに分からなかったようにとぼけた声を出した。
「取引? ああ、あの取引か。 乗ってこなかったのは残念だが、あれはついでの目的だ。 あの様子なら金に釣られることはないだろうから、そっちは諦めることにする」
「そっち? あの取引以外に何か目的があったのか?」
片腕の男の疑問に満ちた問いかけに、ゼルフォンスは意味深な笑いだけを残した。
ゼルフォンスは、まだこの片腕の男に言うつもりはなかったからだ。本当の依頼のことを。
聞きたそうにしている片腕の男に気づかないふりをして、通りを歩く赤剣隊を眺め続ける。
丁度最後尾が通り過ぎて行ったところで、赤剣隊の列に隠されていた道の反対側が見えるようになり、そこに立ち尽くしていた一人の男の姿を目にして、ゼルフォンスは帽子の下で笑みを深めた。
「いいのかねぇ、王様に忠義を誓った騎士様が反逆者たちを見過ごして。 だから余計な恨みを買うのさ」
「何の話だ?」
「いや、この小さな町でこれから何が起こるのか楽しみだって話だ」
「起こすのは俺たちだろう」
片腕の男はそう言ったが、ゼルフォンスはその言葉を肯定はしなかった。
「俺たちかもしれないし、他の奴らかもしれない」
「他の奴ら? それは誰の事だ」
ゼルフォンスは、赤剣隊が通って行ったのと反対側に去っていく男を、目元にしわを作りながら見送った。
「知らないな。ただ、思ったよりもこの町に入り込んでるかもしれないぞ。 何せ今は、反乱軍とこの国の王様が対立してる大事件真っ只中なんだ。 何もない方がおかしいだろ」




