忍び寄る影
薄暗い室内は喧騒で満たされていた。
広い部屋内に距離を置いていくつか設置されたテーブルでは、酒に酔った男たちが大声を上げて口論している。中には今にも取っ組み合いになりそうな様子を見せているテーブルもあるが、この酒場の店主はそれが日常であるかのように気にした様子を見せなかった。
騒いでる彼らから距離を置いたテーブルで酒を煽っているこの男も、この酒場の常連らしく顔色一つ変えなかったが、別の理由でその表情は内心の困惑を表していた。
「あぁ、場所を変えるか? 俺は慣れてるからいいんだが、始めてくる奴には少し騒がしいかもしれん」
「別にいいよ。このくらい全然平気だから」
この男の困惑の原因は、酒場に似合わない声で返事をした少女のせいだった。
少女は酒場の中を物珍し気に眺めた後、用意されたミルクを小さく飲んだ。
その様子が妙に子供らしく見え、久しぶりに会ったことによる困惑は薄らぎ、わずかにあった緊張はどこかへ消えてしまった。
「いつからこの町に帰ってきてたんだ」
「今日来たばかり」
「今日か。なら戻ってきたことを報告できなかったのも仕方ないな」
先ほどまで強張っていた男の表情が緩み、頷く声にも勢いがついてくる。
男の名はバルトと言い、ダリエルの町で活躍している冒険者だった。
バルトは対面に座る少女のことを知っていた。それは、この少女が少年とともに冒険者を始めてから、突然この町を去って行った間までの出来事だったが、その時のことは強く記憶に残っている。
そして、この少女の秘密とも言えることを知ってしまっていることも、バルトがこの少女を忘れられない理由となっていた。
バルトは以前と同じ風貌の少女を見て、改めて不思議な感覚を覚える。
「それにしても今までどこに行ってたんだ? 冒険者なんてとっくにやめて、どっかの町で落ち着いてるもんだとばかり思ってたんだがなぁ」
バルトは心にもない事を言った。
「それは...」
アイティラは口ごもった。どこまで話せばいいのか分からなかったからだ。
カナンの町で起きた悪魔騒動のこと。エブロストスの町で紅の騎士団と戦ったこと。帝国と戦ったこと。コーラル伯爵の反乱を手伝ってること。
これらのことの中には、あまり人に言えないこともあるし、アイティラの正体につながる出来事もある。
バルトはただの冒険者だ。だったら、余計なことはあまり話さない方が安全で、バルトにとってもそちらの方がいいはずだった。
だが、この時なぜかアイティラの中に欲が生まれてしまった。自分の正体を唯一知っている人に、全て話してしまいたい身勝手な欲が。
「ほんとに知りたい?」
赤の瞳が妖しい色に輝くのを見ながら、バルトはその言葉を疑う様子もなく頷いた。
「実はこの町を離れた後...」
そのことがアイティラを安心させた。だから話してしまいそうになった。
しかし、真剣な表情で聞いてくれているバルトの姿を見た瞬間、それは心に小さな痛みを伴って消えてしまった。ハッとしたアイティラは、真剣に聞いているバルトに言った。
「カナンの町で冒険者として生活してたんだ。それだけ」
アイティラが話し終わったこと示すようにミルクを飲むと、バルトは呆気にとられた表情になった後、笑いながら言った。
「それなら深刻な顔して言うもんじゃないぜ。どんな話が飛び出すのか期待して損した」
安心したように笑うバルトを見て、アイティラは話したいのをこらえたことを良かったと思った。
だからこそ、続いてバルトが話し始めたこの町のことも、不安を感じることなく聞くことが出来た。
「最近この町には急に人が増えたんだ。なんでも、町の周りにある村が野盗に次々と襲われてるらしくてな、逃げ込んでくる奴が沢山だ。こういう時、騎士団が動いてくれればいいんだが、相変わらず王都から動いちゃくれねぇ」
「野盗...?それってどんなの?」
「さあ、よく知らんがかなりの人数が居るらしい。冒険者ギルドの方で討伐しようとしてるんだが、まったく成果はでてねえな。一度戦ったやつの話では、やけに連携が取れていて追い返すだけで精一杯だったそうだ」
「そうなんだ」
「それと、最近この町に入ってきたのは逃げて来た奴ばかりでなく、反乱軍のやつらもだ。聞いたことあるか? 赤剣隊ってのを」
「...うん」
「奴らがこの町に来て、反乱勢力を集めてるんだ。そのせいで、赤剣隊ってのに入るやつが若いやつ中心に出て来てやがる。この町が争いに巻き込まれるのは、もう勘弁なんだがな」
「......」
バルトは赤剣隊のことをそう評した。
アイティラがその反乱勢力に大きくかかわっていると知ったら、どんな反応をされただろう。
そろそろ外が暗くなってきた。
先ほどまで騒がしかった隣のテーブルにいた人たちは、すでに消えている。
もう帰ろうということになり、バルトが席を立とうとした。
その時、丁度扉が開かれ新たな客が入ってきた。
アイティラの視線が扉に向けられ、興味がなさそうにすぐ外された。
バルトも新たに入ってきた人物に視線を向けたが、特に気にすることもなくテーブルに戻された。
だが、その客の足音が二人のもとに近づきそこで止まったことで、二人の視線はその人物に自然と向けられることになる。
それは若い男だった。背が高く、黒髪黒目。身体は細いが柔な印象は受けず、むしろしなやかな強さが見て取れた。その人物は流れるような動きで席に着くと、足を組んで二人の表情を楽しそうに眺め始めた。
アイティラは知らない人物だったため、バルトの知り合いかと考えてバルトの様子をうかがった。しかし、バルトも同じようにアイティラを見ていることに気づき、どちらも知らない人物であることが分かった。
「同席いいかい?」
すでに席についている男がそういった。
「あいにくとこっちは帰るところだったんだ」
席を立ちあがったバルトに、男はバルトの肩を掴み無理やり座らせた。
「まあ、そう言わなくてもいいじゃないか? 少しばかり聞きたいことがあるだけだ。こっちの要件が終わればすぐ帰るからさ」
男はそう言いながらもバルトのことを観察するように眺め、傍に立てかけられていた双剣に目を止めて「おっ」と声を漏らした。その双剣は、バルトが冒険者として使っている得物だった。
「いいじゃねえの。二刀流はあまり見かけないから、使ってる奴を見ると嬉しいもんだね」
言われた方のバルトは、男が特に武器を持っていないことを見ると、納得はしていないものの話を聞いてみる態度を見せた。
「それで、俺たちの帰りを邪魔して一体何を聞きたいんだ?」
バルトが面倒くさそうに男に聞くと、男は足を組み替えた後に鋭い笑みを浮かべた。
「実はこの町に最近来たんだが、気になる噂を聞いてこの町の人間に聞いてみたいと思ってたんだ」
「噂?」
バルトの眉間にしわが寄った。
「その噂は、以前この町で起きた暴動のことさ。この町の人間が正気を失って、周りにいる奴らを襲い始めたってやつ。あれは事実なのか」
バルトの表情が徐々に険しくなっていき、男を見る目が鋭いものになっていく。
「...事実だ。さあ、答えたんだから話は終わりだぜ。俺らは帰らせてもらう」
そして、ぶっきらぼうに答えた後、バルトは席を立ちあがりアイティラに目配せした。
アイティラも後に倣うように立ち上がった。
しかし、男の言葉はそこでは止まらなかった。
「だったらもう一つの噂も本当なのか? 吸血鬼ってやつが現れて、正気を失った人間たちを森の中で殺したってのも」
「は...」
バルトは思わず声を漏らして男の顔を凝視した。男の目元は楽しそうに歪んでいる。
「どこでそんな噂を...」
「どこだったかな? 旅の途中で誰かから聞いた噂だから、もう忘れたさ。それで、そっちも本当なのか?」
男の目が再びバルトを観察するように巡らされた。バルトは思わず息を呑み、傍にいる少女の様子を気にした。だが、それにつられるようにして男の視線も動いてしまったため、バルトは内心の焦りをごまかすように声を上げた。
「その噂は初めて聞いたな。だが、そっちはただの噂だぜ。だいたい、吸血鬼って名前も聞いたことがない」
男はバルトのことを無言で眺めていたが、特に何も言うことはなく席を立った。
「それならいいんだ。時間を使わせて悪かった。そちらの娘さんも、待たせて悪かったな」
男の視線がアイティラにも向けられたが、それは少しの間だけだった。
アイティラは言葉は発さず、男の言葉には頷くだけで返した。
男は最後まで名を名乗ることなく、そのまま店を出て行った。
注文も何もせずに、ただ噂を確かめるだけで満足したかのように。
男が完全に居なくなったことを確かめてから、バルトはアイティラに言った。
「俺はあんたのことを誰にも喋ってないぜ」
アイティラは自身の秘密を知っているこの冒険者に、ただ一言こう返した。
「うん、ありがとう」
***
酒場を出た男は行きかう人々の間を流れるように進んで行き、一つの家屋で足を止めた。
その家屋は少し前に起きた暴動で一家全員が死んでしまったため、空き家となっていたところだった。
前に進み出て扉を開けると、まず暗い空間が広がった。しかし、その奥にある閉じられた扉の下からは、室内の明かりが漏れだしている。
男はその部屋の扉まで慣れた歩みで進んで行き、扉を開いた。
鋭いいくつもの瞳が、扉を開けた男に集中した。
そのなかで、男は酷薄な笑みを浮かべ、楽し気に言った。
「さっそく見つけたかもしれないぞ。これは面白くなりそうだ」
室内に、男と同質の笑みがいくつも浮かんだ。




