雷光は一瞬に
シュペルの槍が、地面から伸びた血のような赤の槍によって阻まれた。
手に伝わる硬質な感覚に目を見開くと、シュペルは即座に背後を振り返る。
すでに警戒心は最大限まで高まり、背後の敵に対して一分の隙もない構えを展開した。
「なぜ、君がここにいる?」
シュペルの鋭い声に晒されていたのは、彼より幾つも年齢が下であろう少女の姿だった。
少女の目は大きく開かれ揺れていた。扉に手をかけたまま、なにも出来ずに立ち止まっているだけだ。
シュペルは少女と対峙したまま、背後に存在する槍の壁をちらりと見た。
「これは君の仕業か?」
少女は答えることが出来なかったが、シュペルはこの少女の仕業であると確信していた。
だからこそ、シュペルは強く少女に言い放った。
「そこで何もせず待っていてくれ。すぐに終わらせる」
その言葉に反応して、少女の顔が勢いよく上げられた。
「どうして? なんで伯爵を殺そうとするの?」
「...君も覚えているだろう? カナンの町の悪魔騒動のことを。この男があの事件と関りがあることが分かったんだ。もうあのようなことを起こさないためにも、ここで終わらせておく必要がある」
シュペルはアイティラを説得するためにこれまで調べたことを明かした。
当初は、伯爵を葬った後にすべての顛末を話すつもりでいたが、この城にアイティラがいるという予想外に対して隠している必要がなくなったからだ。
しかし、話したシュペルはもう一つの予想外に出会うことになる。事件の真相を聞いたアイティラは、驚いた様子を微塵も見せなかったのだ。それにより、一つの推測がシュペルの中で大きくなっていく。
「まさか、知っていたのか。知っていて、庇ったのか?」
「......」
バツが悪い顔で視線をそらす姿は、シュペルの言葉をはっきりと肯定するものだった。だからシュペルは、一言「そうか」と呟いたのち、伯爵に再び向き合うことになる。
「待って!」
「それは出来ない。これ以上決断を遅らせても、より悪い状況になるだけだ。もう少し早く決断しているべきだった」
アイティラの声にシュペルは振り向くことなく、伯爵だけを視界に入れた。
伯爵は口を閉ざしたまま、逃げようとせずに待っている。その目は、アイティラとシュペルの間で迷いに揺れていた。
「次こそ一撃で仕留める」
シュペルは決意のこもった言葉と共に鋭く伯爵の姿を見据えた。
わざわざ言葉に出したのは、アイティラに聞こえるようにするためだ。
反応が無いのを確認して、シュペルは再び伯爵を殺すつもりで一撃を放った。
だが、次に訪れたのは硬質な感触ではなく空を切り裂く音のみだった。
シュペルは自分の身体に飛び掛かってきたものと共に、壁際まで転がった。
一緒に転がった相手は、赤い瞳の少女だった。その目は今は揺れずにシュペルのみに向けられている。
「伯爵は殺させない」
その一言がシュペルの耳朶を打った。
シュペルは槍を使って起き上がると、アイティラの横を抜けて伯爵めがけて駆けた。
しかし、それを妨害するようにアイティラが前に飛び出し、赤い剣と白銀の槍によるぶつかり合いが始まった。互いの獲物が放つ硬質な音が、狭い室内に響き渡った。
「そこを退いてくれ」
「退かない!」
アイティラの鋭い声によって覚悟を決めたシュペルは、少女に傷をつけることになろうとも通り抜けようと、本気で相手することにした。長年にわたり魔物相手に研ぎ澄ました槍の技巧を、発揮しようと。
繰り出された赤い剣を槍を回してはじき返すと、即座に前の手を固定して鋭い突きを繰り出した。空気を唸らせて突き進む槍は、どんなに素早く動き回る魔物でも逃れることは出来なかったはずだった。
しかし、眼前の少女は決して防げるような態勢でないにもかかわらず、槍が迫る一瞬で剣を間に合わせて防ぎ切った。これにはシュペルも思わず目を見開く。どんなに歴戦の人物でも認識する前に受けているだろう一撃を、認識したうえで剣で防ぐなど信じられないことだった。だが現実に少女はそれを可能にしたのだから、シュペルとしては認めざるを得なかった。
この少女が戦闘においては、常人離れした能力を持っていることを。
突きを防がれたシュペルは、相手に攻撃の隙を与えないほど連続して攻撃を繰り出した。一撃一撃が、死ぬことはなくとも戦い続けるには致命的な箇所を狙って、攻撃のタイミングを掴ませないように繰り出したが、それでも全て防がれるか後ろに避けられるのだった。
一瞬のうちに戦いの場所は移り、狭い室内を縦横無尽に駆け回る。暗い色をした机は真ん中で二つに分かれ、照明は音を立てて地面に散らばった。しかし、肝心の二人は、互いの一撃をいまだに受けておらず、身動きの取れない伯爵が部屋の中心に取り残された。
いつまでも続くと思われた戦いだったが、その終わりは突然訪れた。シュペルの攻撃が鈍り、整ったその顔に苦悶の色が浮かんだのである。異変に気付き動きを止めたアイティラは、シュペルの服の上に広がる赤い染みに目を見開いた。それは、腹のあたりから侵食するように広がっていく。
血が流れ出ている場所は、エブロストスでシュペルと再会したときに大きな傷が出来ているのを見た部分だった。
「もうやめよう。このままだと、あなたの傷が...」
アイティラの言葉はシュペルに届いていたが、シュペルはそれが聞こえなかったかのように、再び槍を構えた。
「...強いな。ここまで自分を弱く感じたのは、子供の頃以来だ」
すると、シュペルの視線が鋭くアイティラに向けられ、呟くような小さな声が聞こえた。
「<雷光>、空を裂く」
次の瞬間、白銀の槍が今までに見たことが無いほど淡い白い輝きを発したと思うと、次の瞬間には姿が消えていた。硬質な音が響くと共に、アイティラの身体が後ろに押された。それに続き、二度目の音が響くと同時に、アイティラは壁に背をぶつけていた。
それは一瞬の出来事だった。先ほどまでの攻防と比べ物にならないほど、シュペルの攻撃が素早く繰り出されたのだった。
壁を背にして槍を真正面から防いでいるのは赤い槍の防壁だったが、それに守られるようにしているアイティラは驚いたようにはね飛ばされ壁に刺さった自身の剣を見ている。
「悪いが、邪魔はしないでくれ」
その言葉と同時に、見失いそうになるほどの速度で伯爵に向き直った。アイティラには、シュペルが何を成そうとしているのかがはっきりと分かっていた。
そして、その光景が頭の中をよぎり、アイティラはシュペル目掛けて剣を手に飛び掛かった。
再び槍と剣による攻防が始まったが、今度は先ほどまでのものとは全く違っていた。
シュペルの槍の速度は追うことが出来ないほどまで高まっていたが、それに対するアイティラは赤の剣と槍の全てを使って防いでいく。そして、反撃の隙をわずかでも見つければ、致命傷となるような攻撃を繰り出した。もはやアイティラには、躊躇というものが無くなっていた。室内に風が吹き、壁や床に傷が次々と生み出されていく。
アイティラが血の槍を防御ではなく攻撃の為に空中に生み出し射出すると、シュペルはそれをかいくぐるように進み出て、鋭い切っ先を突きの形で放つ。それを赤の剣が受け止めて弾くと、次の瞬間にはすでに白銀の槍の切っ先が向けられていて、素早く後ろに飛びのくことになる。このようなやり取りが、瞬き一回分の間に行われているのだった。
赤と白の二色が空中に残す線の交わりは、遠くから見れば美しく感じられたことだろう。
だが、その美しい光景は最後の輝きを残して終わることになる。
シュペルの槍の狙いがしだいにズレを起こすようになり、その分だけアイティラの攻撃が優勢になってきたのである。その不均衡が攻防の中で積み重なり、ついには決壊を起こした。
アイティラの放った槍の一つが、シュペルの傷の位置を正確に貫いて後ろに消えた。その瞬間、アイティラは声を漏らして止まり、無防備になったアイティラの前でシュペルも動きを止めたのだった。
シュペルはさらに大きくなった傷口に手をあて、力が抜けたように後ろに倒れた。
しかし、意識は残っているようで、二つの視線を順に見て大きく息を吐いた。
「どうやら、俺の負けのようだな。ここで貴方を殺しておいた方がいいと思ったから俺は動いたが、君はあの男を生かしたいと思ったのだろう。どちらの方が良かったかの判断は、予言者か後の時代の人にまかせることにしよう」
言い終わると同時に、シュペルの意識は途絶えた。
アイティラは呼吸を忘れてシュペルのもとに駆けよると、流れ出る血を止めようと傷口を小さな手で押さえた。
「おい、何があった!」
扉の方から駆けてくる音とともに声が聞こえたが、アイティラには聞こえていなかった。
部屋の中心から扉に向けて、伯爵の焦った声が響いた。
「パラード、すぐに止血を頼む!殿下、少し離れていて下さい」
少女の小さな手の間からは、何度も見たことのある真っ赤な血が染み出すようにあふれ出ていた。
その後、シュペルは城の中の部屋で寝かされた。
アイティラはシュペルの様子を見に何度か部屋を出入りしたが、その間シュペルが目を覚ますことはなかった。しかし、二日目の朝、アイティラがシュペルの部屋に入るとそこには、意識を失っていたはずのシュペルの姿はなく、代わりに書置きだけがベッドの上に残されていた。
『敗れたからには、これ以上伯爵の命を狙うことはない。俺は他の所に目を向けることにする。もし再び出会うことがあれば、その時こそ君の話を聞かせてほしい』
 




