はるか遠くの農村にて
とある農村での出来事だった。
冷たい隙間風に震えながら、チクチクと肌をなでる粗末な布を手繰り寄せて、一人の少年は眠っていた。それはこれまで生きて来た中で、何度も繰り返してきたことであり、これからも死ぬ時まで繰り返すであろう行為だった。そんな少年の目を覚まさせたのは、遠くから聞こえてくる幾人もの話し声だった。
「んっ...なんだろう?」
少年が目擦って身体を起こすと、すでに両親の姿はなかった。寒さに身を震わせながら、木造の戸口をおずおずとあけると、真夜中だというのにかがり火を手にした幾人もの大人たちが集まっていた。村の大人たちが囲んでいるのは、見慣れない人たちだった。少年は好奇心と冒険心をくすぐられて、家を飛び出し大人たちの輪の中に入った。いつもであれば、子供は早く寝ろと大人たちに言われるのだが、この時の大人たちは誰も少年を気遣うことはしなかった。
「あんたらも早くここから離れろって言ってんだよ!」
少年が大人たちの間から顔を出すと、見慣れない顔の人たちは何やら必死に叫んでいる。少年が顔を知らないということは、この村の人間ではないのだろう。そこに禿げ頭の村長さんのしわがれた声が聞こえた。
「いいから、落ち着きなさい。いったい何があったんだ。それを聞かなくちゃ、わしらもどうすればいいのかわからん」
「だから、ここから逃げろって言ってるんだ!全員を今すぐたたき起こして、すぐにだ!」
大声で叫んでいる人の顔は、かがり火に照らし出されているだけだから分かりずらいが、ひどく汗をかいて恐ろしいくらい必死の形相だった。その様子が、少年の胸に不吉なものを感じさせた。
村長がその人の肩に手を置こうとすると、その人は指をとある方向に差して叫んだ。
「あいつらが来るんだ!闇に紛れてあいつらが来る!」
「だからそれは一体誰なんだ!」
「知るか!いきなり俺たちの村を襲ってきたんだ!皆死んだ!皆死んだ!追いかけまわされて切り殺されて、燃やされて死んだんだ!」
男が常軌を逸したように叫ぶと、村の大人たちが騒めいた。男の様子が冗談の類ではないとはっきり示していたからだろう。その顔は闇の中でもなお蒼白と分かるものに変化していく。
そんな中で、少年は男がずっと向けている指の方にくぎ付けになっていた。闇に満たされた大地の先で、明るい何かが見えたからだ。天へと上る黒い煙を、下から真っ赤な炎の光が照らしだしていた。少年は、そこに村があったことを知っている。おそらくこの男の村だった場所だ。
「なんてことだ、そいつらはこっちにも来るのか!どうなんだ!」
「俺が知るわけねえだろ!だが、来てもおかしくない!だから早く逃げろって言ってんだ!」
男の言葉を聞いた村の大人たちは、一斉に家の方へと走り出した。各所で声が上がり、混乱が目に見えるかのように村を満たした。少年は、一気に怒号が響き渡る空間になった場所で、ただただ突然告げられた話に呆然としていた。やがて、両親が少年を見つけ、手を引かれたことで初めて少年は恐怖が心に込みあげて来た。
いつも暮らしてきた場所なのに、まったく違う場所に見える村の様子を見て、少年は手を引かれながら遠くで燃えている村を気にして振り向いた。
そこには、遠くから列をなして向かってくるかがり火の赤の群れがあった。
***
エブロストスの城の一室で、主要なメンバーが顔をそろえていた。
一つの机を囲むように、アイティラの右から、レイラ、赤剣隊の副隊長、コーラル伯爵、兵士長、アレク、シンと続く。執事のパラードは部屋の扉の傍で控えていた。
「では、これからの私たちの各行動について示しておきたい」
伯爵の重々しい一言が始まりを告げた。
「まず、現状についてだが、帝国軍との戦いで彼らを追い返せたことは幸いだった。これでしばらくは、帝国方面についてはそこまで警戒しなくていいだろう」
大柄の兵士長が大きく頷いた。どうやらその結論は、伯爵と兵士長の間で話し合われて出たものらしい。
「しかし、こちらの目的は帝国ではない。目的は帝国ではなく、王国内にある。陛下と争う道を選んだ私たちには、これからどのような困難があるかは想像がつく。蒼、黒、白の三つの騎士団との戦いは、このままでは避けては通れぬだろう」
レイラは緊張したように喉をならし、その隣の副隊長は深刻な顔で聞いている。
「だが一つだけ、それを回避できる道がある。王国内の民衆を味方につけるということだ。アレク殿下の考えであるが、大勢を味方につけることで騎士団との戦いを躊躇わせることができるかもしれない。民なき国は、国ではない。いかに陛下といえども、国の形が崩れるまで自国の民を傷つけることはないはずだ。そこまで味方を増やせれば、いたずらに血を流すこともなくなる」
アレクは口の中で何かを呟いた後、視線をそらして小さく頷いた。シンは一歩下がった位置で、片目を伯爵に向けている。胸にはなぜか緑のブローチがついていた。
「そのための一歩として、エブロストスに近い四つの町を味方にするために、赤剣隊と私の兵を送り出すことに決めた」
伯爵は各人を見渡すと、落ち着いた声で順番に告げた。
ダリエルの町には、レイラを中心とした赤剣隊を。
ミヘーヌの町には、副隊長を中心とした赤剣隊を。
セントエルの町には、兵士長を中心とした伯爵の兵士たちを。
そして、カナンの町には伯爵自らが赴くことになった。
こうして、四つの町への戦力の派遣が決まった。
ここまででは、アイティラとアレクの二人の行き先についてはまだ言われていない。
これから言われるのかなとのんびり考えながらアイティラが聞いていると、ついに伯爵はアイティラの名を呼んだ。
「そして、アイティラ嬢なのだがーーー」
この言葉の後、本来であればアイティラの行き先が告げられたはずなのだが、それは聞くことが出来ずに終わることになった。なぜならば、扉が規則正しく叩かれる音が室内の全員の耳に入ったからだ。
パラードが扉を開けると、そこには鎧をまとった兵士の一人がいた。
「どうした?」
伯爵が問うと、兵士は背筋を正して言った。
「伯爵様に至急会っていただきたい者たちがおります」
「誰だね?」
「何者かに追われて逃げて来た村人たちのようです。詳しい話は、彼らからお聞きください」
「逃げて来た?」
伯爵は小さく呟いたが、そこには不審の色がわずかに含まれていた。伯爵は、この場に集まっている者たちの顔を見ると、扉の前の兵士に問いかけた。
「その者たちは今どこにいる」
「はッ、奥で待機させております」
「では、この場に連れてきてくれないか?」
伯爵の言葉に兵士はすぐ動き、しばらくして部屋の中に三人の人間が入ってきた。頭を低くして入ってきたのは、一人は日に焼けた老人、もう一人は自信の無さそうな働き盛りの男、そして最後の一人は少年といえる年齢の三人だった。あまり一緒にいることのない年齢差の三人組は、この都市の人間と比べても質の低い襤褸布を纏ったような身なりだった。
伯爵は一番年齢の高い男に視線を定めた。
「あなた方は?」
声をかけられた男は、身体をはねさせるようにした後、口をしばらく開閉してから話し始めた。
「わしらは、あ、いえ、わたしどもは、小さな村で暮らしてた農民です。ですが、村のみんなで逃げて来まして、そのぉ」
男は恐縮したように身を縮めて伯爵のことを上目で見た。言葉ははっきりとせず、あきらかに緊張しているようすだ。この城の奥に通されて、その先にいた人物に声をかけられれば、その人物が噂の伯爵であると誰もが気付くだろう。そして、声をかけた人物が伯爵であると気づいた男は、緊張で顔を蒼白くさせていた。農民にとって貴族というのは遠い世界の存在であり、直接言葉を交わすことがどれほどのことであるのか、この時この男の心情を正確に読み取ったのは意外にもアレクだった。
「そんなんじゃ分からないだろう。村と言うのはどこにある村だ。それに、お前たちは誰から逃げて来たんだ」
この村人は伯爵のことには思い至っても、金髪の青年が誰であるかは知らなかった。そのため、伯爵への恐縮した様子よりは、まだまともに受け答えすることができた。もっとも、その青年が第二王子アレク・レイド・フェルタインだと気づけばこうも行かなかっただろうが。
「わしらの村は、クルーガー侯爵様の領内にある村で、夜中で皆眠っていた時に襲撃があったんです」
「誰に襲撃された。数は?装備は何か身に付けていたか?」
「それは...分かりません。真夜中のことで、それに逃げるのに必死でして。ただ、剣を持っていることはたしかで、見えただけでも数十は...」
男は言葉尻を小さくさせながら、下を向いてしまった。
そのとき、伯爵の隣にいた大柄な兵士長が呟くように言葉をもらした。
「野盗の線はあるだろうか」
それは、本当に小さな呟きだったが、それに反応した声は怒りを感じさせる若々しい叫びだった。
「そんなはずはない!」
その場に居たものたちの視線が、一斉に声の主に向けられた。
それは、初めて言葉を発した村人の少年の声だった。
「お貴族様が兵を差し向けて来たんだ!侯爵様が、僕たちの村を襲わせたんだ!」
「これ!」
最年長の村人が少年の口を手で押さえると、必死に頭を下げた。
「申し訳ございません!この子は、逃げる途中で両親を失ってしまいまして、少し動揺しているだけなんです。これ、たしかでないことを大声で言うもんじゃないと言っているだろう!」
皺のある顔に焦りを浮かべて言われた少年は、口を塞いでいた手を剥がして、怒ったように叫んだ。
「だって、皆も言っていたじゃん!侯爵様の仕業だって!だから危険なこの場所に逃げて来たんでしょ!」
「静かにせい!」
高齢の村人は年の離れた少年に怒鳴りつけた。そして、周囲から向けられる視線に気づき、大きく頭を下げて謝りだした。
この面倒なやり取りにうんざりしてきたのか、アイティラはひとりそっぽを向いている。それに気づいたアレクはアイティラに冷たい視線を送ると、声に面倒を貼り付けて言った。
「それが誰の仕業であれ、お前たちはここまで逃げて来れたんだろう。だったらあとは、この都市にいればいいだけの話じゃないか。もしそいつらが攻めてきても、戦うのはこちら側だ。お前たちは、後のことを心配せずこの都市に残ればいい」
アレクはそう言ったが、村人たちの顔は晴れなかった。やがて、最年長の村人が頭を下げて言った。
「それが、ここまで来たのはわしら三人だけなのです。村からここまではあまりに遠く、大勢で動けばそれだけ見つかりやすくなります。そのため、残りの大勢は道中で隠れております。お願いです、どうかわしらを助けてください。お見捨てなさいますな」
年の離れた村人三人は、一斉に頭を下げた。
それを眺めた伯爵は顎に手をそえると、いつもの低い落ち着いた声色を発した。
「分かった。すぐに助けを送ろう。そうなると...」
伯爵の視線が、まず初めに隣の兵士長に向いた。助けるというなら、戦いが起きる可能性を考えて戦力はそろえた方がいい。そう考えると、長年の信頼のある兵士長あたりがいいだろうと思って視線を向けたのだ。しかしその時、少女の涼やかな声が伯爵の意識を引っ張った。
「だったら、私がいくよ。まだ私の行き先だけ言われてなかったし」
伯爵はアイティラに視線を向けながら考えた。
戦力としては十分だ。あれだけの魔物に囲まれて、それでも生き残ったというのは相当な実力だろう。それに、ここまで伯爵が生き残れているのもすべてはこの少女のおかげだった。信頼という点では、伯爵のアイティラに対するものは最高のものとなっていた。唯一気になるとすれば、それは...。
話を聞いていた村人たちは、驚いたような表情のままアイティラを見つめている。その目は完全に疑うもので、危急の時に冗談でもいっていると思われたのか、その視線はとてもではないが好意的ではなかった。
伯爵はそのことを憂慮したが、しかし結局のところ伯爵はアイティラを送ることに決めた。
伯爵にとってアイティラは、絶望的な状況を何度も救ってくれた存在であり、エブロストスの住民ほどではないが、アイティラのことを "奇跡" と "幸運" の二つとともに見ることもあった。
ならば、今回もこの少女を信じてみようと、伯爵はそう思ったのだ。
「それではアイティラ嬢。彼らのことをよろしく頼む。帰ってきたら美味しいものを用意するよう、パラードにも言っておこう」
その言葉にアイティラは嬉しそうな顔をした。
それを三人の村人たちは、不安の失望の表情で眺めるのだった。




