新たな幕開け
コーラル伯爵が進攻してきた帝国軍を撃退。
この知らせは、王国のいたるところで大きな影響を与えた。
一つは民衆の反応だ。
時の人である伯爵が拠点としている城塞都市エブロストスの民は、強大な帝国に対して見事に勝利を納めたコーラル伯爵を熱烈に支持した。その背景には、今回の戦に多くのエブロストスの住民が参加したことがあげられる。実際に戦った者、そして彼らの帰還を待っていた者たち。そのほとんどは、エブロストスの人間なのだ。そのため、この都市に住む全員が今回の戦いにおいて、"ともに戦った仲間" としての意識を強くもっており、それがそのまま勝利をもたらした伯爵への支持へとつながった。
そして喜びに沸き立つエブロストスはどんどんその熱を増していき、血が流れることを嫌っていた者たちでさえも今では大声で伯爵への賞賛と他貴族への不満を並べ立てている。
『俺たちを苦しめ続けたお貴族さまがなんだっていうんだ。奴らに帝国を追い返すことができたっていうのか?』
この言葉は、かつて民衆派という集団に所属していた男が、路上で酒瓶を片手に放った言葉である。
もちろん、影響を受けたのはエブロストスだけではない。王国貴族が支配する他領地の町や村では、この知らせを聞いた人々が囁き声を交わしあっていた。
『もしかしたら、おれたちのことも助けてくれるんじゃないか?』
『それは無理だろう。王様がひとたび騎士を動かせばすぐに消えてしまう』
『だが、紅の騎士団が負けたって噂もある。本当かどうかは分からないが』
やせ細った姿で期待と諦めを交わしあう会話がいくつも流れたが、結局のところその会話だけで終わってしまうのがほとんどだった。しかし、伯爵の勝利の知らせに感化された若者が徒党を組んで貴族への反感を口に出し、家族ともども処刑される例もいくつかあった。それにより、しだいにコーラル伯爵の名前を出すことも人々はしないようになっていったが、その不満と恐怖は人々の間に徐々に蓄積していくことになる。
影響を受けた二つ目は、反乱勢力の敵対者である王とその周囲。
帝国との戦いの際、コーラル伯爵が敗れるだろうと予測して、エブロストスが陥落してもすぐに取り返せるように蒼の騎士団が派遣されていた。しかし、戻ってきた蒼の騎士団がもたらした報告は、深く王座に身を沈めていた王の腰を浮かせることになった。
『帝国軍に勝っただと?それはまことのことか』
報告をもたらした蒼の騎士団長ヘルギ・セアリアスは、深く頭を下げることで王の質問に答えた。
『奴らがそれほどまでに力をつけていたとは...。もはや放っておくわけにはいくまい、すぐに討伐せねば』
王の言葉にヘルギが覚悟を決めて顔を上げる。ヘルギはこの報告をもたらす際、王が反乱の武力鎮圧を決めることを予測していた。そしてその場合は、自分が止めるつもりだった。たとえ、反乱側に味方したと思われ処罰されることになろうとも、自国の民を殺すことだけはさせてはいけないと判断して。
しかし、王の考えにヘルギが異議を唱えるよりも早く、意外過ぎる人物が声を上げてヘルギは驚く。それは、王のそばに控える痩身の男で、宰相位をもつ男の毒を含んでいそうな声だったからだ。
『陛下、そう決断を早まられるものではありますまい。奴らの討伐は少しだけ遅らせてもよいと思いますな』
『なぜだ宰相。これまで奴らを滅ぼすべきだと言っていたのはそなたではないか。紅の騎士団を失ったのも、そなたの勧めに従ったからなのだぞ』
『だからこそです。紅の騎士団に続き、帝国軍まで敗れるとすれば奴らには隠された何かがあるに違いありません。ここは慎重になるべきでしょう。奴らへの対応を私にお任せいただければ、かの反逆者どもを必ず陛下の前に引きずり出してみせます』
宰相の流れるように出てくる言葉に、王はしばらく黙って考えていたが、ついに宰相に向けて王としての威厳を見せるように重々しく告げた。
『ならば、反逆者共のことはそなたに任せよう。そなたのこれまでの働きからすれば、何も問題はないであろう。期待しておるぞ』
恭しく頭を下げて見せる宰相の姿に、蒼の騎士団長ヘルギは俯けた顔に苦々しいものを作っていた。
このようにして、帝国への勝利は多くに影響を残したが、この結果に最も影響された個人は王が呼んでいた"反逆者共"に味方している、第二王子アレク・レイド・フェルタインであっただろう。
深夜の祝宴が終わり、日が昇り始めるころに戦いと宴の疲れで眠りについていたエブロストスの中で、アレクだけは短い睡眠をとるとすぐに起き、まだ疲れと眠気を残したままの伯爵に面会を求めていた。
「コーラル伯爵、今だ! 今しかないんだ!」
熱を宿した声でアレクは言ったが、伯爵の反応はやや鈍かった。
無理もない。伯爵はアレクほど若くはなく、老将との戦いの疲れが多分に残っていた。むしろ、たった数時間の睡眠だけで疲れを完全に回復させているアレクの方が、普通ではないであろう。
そして、アレクの勢いのある声に対応したのは伯爵ではなく、こちらも疲れていない元気なままのアイティラだった。
「伯爵はまだ疲れてるの。話なら後にして」
アイティラは、アレクに冷たく言い放つ。
伯爵は、アイティラがアレクに強くあたる理由をアイティラから聞いていた。なんでも、アイティラの大事にしていたブローチを壊したという話だが、どうやらそれをずっと根に持っている様子だ。
一度、アイティラを諭したこともあったが、結局効果が表れることはなかった。
アイティラの言葉にアレクは押し黙ったが、しばらくするとアイティラを無視して続けた。
「コーラル伯爵。反乱でも、暴動でも、クーデターでもいい。そういったものが成功するには何が必要だと思う」
「ふむ、隙の無い計画などですか?」
「それもあるだろうが、何よりも大事なのは味方を増やすことだ! これから戦おうとしている相手は、あの精強な騎士団なんだ。そんなのとまともに戦えば、武力で劣るこちらは負けるだろう。帝国に勝てたのは、奴らの魔物が暴走したという奇跡がおこっただけで、こちらの兵が強かったからじゃない」
アレクははっきりと断言する。
帝国に勝てたのは奇跡以外の何物でもなく、実力では劣っていたと。
「ならば、そんな騎士団に対抗するには数で勝るしかないんだ。奴らが向かって来ても、決して倒しきれないであろう数を。単純な武力による戦いをためらわせるほどの数をだ」
「それは理解できるのですが、何か方策があると?」
伯爵は落ちかかった瞼を上げて、顎に手を添えながらアレクを見据えた。
アレクはその言葉を待っていたかのように、勢いよく机に両手をついた。
「この国の全民衆を味方につけるんだ!今、こちらには帝国に勝ったという事実がある。その事実を喧伝すれば、こちらに味方してくれる奴もきっとでてくる。そうして、一つの村や町を味方にすれば後は簡単だ」
若者の光を透かした金色の髪が、彼の頬に落ちかかる。
「一つの町がこちらに付けば、それを見たもう一つの町もこちらに靡く。二つの町がこちらに付けば、四つの町が味方に付く。一度勢いに乗ってさえしまえば、それは騎士団でさえ手が付けられなくなるほどに膨れ上がるだろう。燃え広がる炎のようにだ。それこそが、僕たちの勝利の唯一の道であり、王国を一つにまとめることにもつながるんだ」
「ふむ」
「逆にそれ以外の手段でこの反乱を成功させた場合、それこそ国を立て直すことなど不可能になるだろう。民衆の支持を受けないものが新しい統治者になっても、それは別の反乱や暴動を呼び起こすだけだ。今の王国の中枢を破壊するだけでなく、壊したあと立て直せるように、民衆を味方に付けるよう立ち回るんだ」
伯爵はアレクの言葉を反芻しながら、その行きつくところを考えていた。
伯爵にとってこの反乱は、今の王国を悪化させている貴族の専横を止める目的を持っている。しかし、そこまでだった。悪辣な貴族が消えれば、少なくとも今の不正と不公平は消えるだろうが、そこから正しい秩序が生まれるとは限らない。今の王と貴族が消えても、その後に続くものが同じ腐敗した者であれば意味がない。たとえ反乱を成功させても、その後の王国を導くものが必要なのだ。
その点で、今のアレクの言葉に伯爵は感じ取ったものがあった。
この反乱はあくまで手段に過ぎない事をアレクはしっかりと認識している。反乱は、王国を正しい状態に戻すための荒療治にすぎず、反乱の先に国が崩壊しないようにする必要があることをしっかりと知っているのだ。
伯爵は、もしもと考えた。
もし、アレクが王であったならば、この国は今どうなっていたのだろうと。
「殿下、そのお考えは理解しました。とすると、エブロストスの近隣の町や農村から味方につけていくのがいいでしょう。いきなり遠くの町まで手を広げれば、その町を統治する貴族の襲撃があった場合、民を守れなくなります」
「なるほど、分かった。ではその町や村を決めるのは伯爵に任せる」
そう告げて机から両手を離し、落ち着いた様子で居住まいを正すアレクを見て伯爵は考える。
帝国との戦いから戻ってきたアレクは少し変わったように思う。どこが変わったと明確に答えられるわけではないが、この城に来た時よりも力が溢れているような印象を受ける。そこには、人々の上に立つもの特有の覇気のようなものも感じられるような気がした。
ふと、伯爵の脳裏にある光景が浮かんできた。
玉座に座り至尊の冠を頭上に戴いたアレクの姿である。
そしてその隣には、黒のローブに身を包んだ小さな...。
「ところで、ここの奴らは自らを反乱勢力だと言っているよな。それだと、味方を作るうえで相手に悪印象を与えないか。反乱だといった言葉はやめて、別の言葉を使うようにしよう。そうだな、王国再建軍と名乗るのはどうだ」
「別に反乱でもいいじゃん。王国再建軍はかっこよくない。反乱軍のほうがいい」
「かっこいいかどうかを言ってるんじゃない。相手にどういった印象を与えるかを言ってるんだ」
「反乱軍の方が強そうだし、気に入ってもらえる」
「それはお前だけの話だ!今まで静かにしてたんだから、どうせなら最後まで静かにしてろ!」
考え込んでいた伯爵の前に広がる子供の喧嘩のような応酬に、伯爵は小さく苦笑していた。
この反乱を成功させるには、この二人が協力せねばなしえないものだ。伯爵としては、二人に仲良くなってもらいたいものだったが、こういったやり取りを聞くのも気に入っていた。
そうして二人のやり取りを聞きながら、ぼんやりと眠気の残る頭の中で伯爵は考えた。
先ほど一瞬浮かんだ光景には、アレクとアイティラの姿があった。だが、そこには自分の姿は見えなかったな、と。
だが、その思考も長くは続かず、二人の騒がしい子守歌の中で伯爵は夢の世界へ思いを馳せた。




