深夜の祝宴
帝国とエブロストスの戦いは、帝国軍の引き連れていた魔物の暴走によって終結した。突然動きを変えた魔物たちは、広大な平野の方々に散らばり近くの帝国軍に向けて襲い掛かった。不思議なことだが、魔物はエブロストスの人間を無視して、帝国兵だけを執拗に狙い続けた。帝国軍は互いに集まり魔物たちを押さえていたが、徐々に帝国の方へ押し戻されるように後退していき、ついにはその姿は見えなくなってしまった。それを遠くに眺めて、初めより数を減らしたエブロストス陣営の者たちは、泥で身体を汚したまま生き残れたことを互いに喜び合っていた。
老将を討ったあと伯爵たちはすぐにその場を離れ、魔物を背後に残して戦前に布陣していた場所まで帰ってきていた。その時にはすでに、赤剣隊は戦場を離脱しており、その場所で伯爵たちを迎え入れる形となった。伯爵が到着した後には、なぜか第二王子アレクが負傷した従者を支えながら合流し、アレクが後方の安全な位置にいるものだと思っていた伯爵を驚かせることになった。
帝国軍という強大な敵相手にこうして生き残ったことは、十分に喜べるもので、実際戦った者は皆疲れているはずなのに歓声をあげて喜んでいた。しかし、コーラル伯爵やレイラ、それと一部の人間はある人物の姿が欠けていることに気づき、喜ぶどころではなかった。
「もう日が暮れている。ここまで待って来ないということは...。いや、戻ってくるはずだ。あの子なら帰ってくるはずだ」
伯爵がどんなものでも見逃すまいと広い平野を眺めるが、そこには魔物の残党がうろついているだけだ。伯爵の良く知っている姿は見つからなかった。それでも伯爵は必死にその小さな影を探していた。もうあたりが暗くなり、そうなればその姿を探し出すことなどできなくなるだろう。伯爵は心に冷たい風が吹きすさぶような焦りを浮かべながら、どうか姿を見せてくれと願い続けた。
その願いが届いたのかは分からないが、突然魔物たちが逃げるように左右に分かれた。そして、はっきりと視線が通るようになったその場所に、小柄な人影が歩いてくるのが見えた。
「あ、あれ!指導者様じゃないか!?」
「生きているぞ!奇跡だ!あの魔物の中にいて、生きてるぞ!」
「奇跡の少女だ!奇跡の少女が帰ってきた!」
生き残ったことを喜び合っていた人々が一斉に、遠くに見える人影を指さして声を上げた。
伯爵は深い深い息を吐き、響き渡る合唱に耳を傾けた。
***
その後、帰還した伯爵たちをエブロストスの民たちは喜びとともに迎え入れた。都市に残った彼らだが、彼らの夫、息子が赤剣隊に加わっているものも多く、そうでなくてもエブロストスを守ってくれる伯爵のことが心配で、彼らの帰りを不安とともに待ち焦がれていた。だからこそ、城門の前で待っていた彼らは、先頭を馬に乗って凱旋する伯爵の姿が見えるなりこらえきれないように城門の外へ飛び出した。人の波で城門をくぐれなくなった伯爵は、その出迎えを喜びながらも困った様な表情を浮かべていた。
そんなこんなで、常であれば誰もが寝静まる深夜にも関わらず、エブロストスの民たちは各家からランプと食料を手にして道端に飛び出した。そして、帝国軍と戦ってきた勇士たちを手厚くもてなすことになった。それは、エブロストスの都市のどの場所でも起こったことであり、特に中央にある城の前は一番賑やかだった。
赤剣隊の隊長という立場になっているレイラは、城の前で地べたに座ってくつろいでいる赤剣隊たちに交じって、同じように地面に腰を下ろしていた。赤剣隊の者たちの大半は、各所から集まってきた大量の酒を飲み、勝利を祝う言葉を赤い顔で叫んでいる。酒を飲んでいなくても、戦いの興奮がまだ抜けていないのか、疲れを全く見せない様子で騒ぎまわっていた。そんな姿を眺めていたレイラに、木の器とスプーンが差し出され、レイラはそれを差し出した人物を見あげた。それは赤剣隊の副隊長だった。
「せっかく善意で作ってくれてるんだ。食べなきゃ勿体ないだろう」
差し出されたのは、具材が沢山はいったスープだった。副隊長の視線の先を見ると、大きな鍋の前にいる年取った女性たちが鍋をかき混ぜ、それを近くの赤剣隊たちに手渡している。
「あ、ありがとうございます」
レイラは器を受け取ると、一口含んだ。空腹を忘れていたお腹に熱いスープが流し込まれ、レイラはそのスープに目を輝かせた。隣に副隊長が腰を下ろす気配がした。
「まさか、こうして生きて帰れるなんて不思議なものだ。魔物どもと対峙してた時、帰ったら祝宴を上げようと言ったが本当になるなんて」
「...きっと、まぐれじゃないですよ。これからも幸運は続いてくれます。たとえ、相手がこの国のお偉いさんでも」
この時、レイラは自身でも気づくことなく吃りをせずに話せていた。副隊長はわずかに驚きレイラを見たが、レイラはスープに視線を落としていた。
しばらく、二人の間には会話はなかったが、レイラがスープの器を空にし終わったタイミングで、副隊長が器を取りあげた。
レイラが何か言うよりも早く、副隊長は鍋の周りにいる赤剣隊を押しのけて進み、再び戻ってきた。
戻ってきたときには、器が二つに増えていたのでレイラは不思議がった。
「指導者様...あー、あのお嬢ちゃんと一緒に食べてくるといい。きっと喜ぶだろうよ」
レイラは両手に器を受け取とると、副隊長を見た。
エブロストスに戻ってから、レイラはアイティラの姿を探したが見つからなかった。そのため、アイティラのことを気にかけていたのを副隊長には気付かれたのかもしれない。
「は、はい。ありがとうございます!」
レイラはそう言うと早速駆け出そうとしてスープがこぼれそうになり、その姿を副隊長は楽しそうに見送った。
レイラが器を両手に向かったのは、隅の方にできていた人だかりだった。アイティラは、たった一人で魔物に挑み、そして生きて帰ってきたということで、奇跡の少女だといった声が高まった。そして、その声は現在この都市に残っていた者たちにも伝わっていることだろう。だから、アイティラがいるところには、きっと人が集まっているだろうと思ったのだ。
人々の壁を越え、どうにか前に出たレイラが視線を向けると、そこにいたのはアイティラではなかった。眩い金色の髪がランプの光に照らされていて、不思議と綺麗だという感想がこぼれるその人物は、第二王子アレク・レイド・フェルタインだった。アレクは一人で壊れかけの椅子に腰かけており、そのそばには血の滲んだ布が巻かれているが、表情は一切変わっていない従者の姿があった。彼の周りにいるのは、ほとんどが赤剣隊の一員で、それが少し離れた場所からアレクを気にするようにちらちらとみている。だが、話しかける勇気がないのか周りにいるだけであり、アレクもそれを無視しているようであった。
レイラもついその姿を眺めてしまっていたようで、アレクと目が合うと向こうから話しかけられた。
「おい、何をじろじろ見ている。話したいことがあるならさっさと言え」
突然かけられた言葉にレイラは動揺し、その返答にも動揺が現れてしまった。
「あ、えッ、いえ、わ、私は人を探してて...。あ、アイティラさんの場所知りませんか?」
アイティラの名前が出た瞬間、アレクは眉を寄せたような気がした。
「知らないな。まったく、戦勝の祝いだというのに活躍した者が姿を現さなくてどうする。コーラル伯爵も城の裏手に消えてからずっと戻ってこないし、あの二人は上に立つものとしての心得がまったくないのか!」
レイラはどう言葉を返せばいいのか分からず、その場を離れようとした。だが、背を向けたレイラにアレクは不機嫌さを滲ませたままの声で言った。
「あそこにいる執事に聞けば分かるんじゃないか?あいつはあの執事と仲が良さそうだったからな」
アレクの言った執事というのは、お城で何度も見たことのある優しそうな老紳士だ。確か名前はパラードといった気がする。レイラはアレクの場所を離れ、パラードに声をかけた。
「あ、あの、すみません」
「おや、どうされましたか?」
「えと、アイティラさんの居場所を知りませんか?」
「お嬢様でしたら、お城の中に戻られましたよ。どうやら一人がお好きなようで。もしお会いになるのでしたら、扉は空いているのでお探しに行かれてはいかがでしょう」
レイラはパラードに感謝を伝えると、お城の中入った。
城の中は真っ暗で、明かりがない。小さな窓から入り込む月明かりも、ごく限られた場所だけを照らしている。レイラは戻ってランプでも借りてこようと思ったが、そもそも両手がふさがっているので持てないだろうと思い、このまま進むことにした。何度か入った記憶を頼りに進んでいく。
階段を苦労して上りながら、真っ暗闇の音のない空間が不意に恐ろしく感じた。
人は暗闇の中で生きているのではなく、光の下で生きている。だからこそ、闇による恐怖は防ぎようがない。それにしても、アイティラは城の中にいるはずなのに、なんで明かりをつけていないのかとレイラは思ったが、一人しかいないのに明かりをつけるのはもったいのだろうと勝手に解釈した。
そして、以前教えてもらったアイティラの部屋の前に来ると、レイラは呼びかけた。
「アイティラさん、い、居ますかー? 居るなら開けてもらえませんかー?」
しかし返事はなく、何度か呼びかけた後に部屋の扉を開けると、中は真っ暗でだれもいないようだった。レイラは仕方なくほかの場所を探すことにした。そして、広い城内を恐る恐る進み続け、ついには最上層まで上がってきてしまった。この階段の先は、城の屋上へと続いているようだった。
一歩一歩ゆっくりと階段を上っていくと、ついには外側に開いた扉が現れた。
その扉から顔を出したレイラは、思わず言葉を失った。
その先に広がっていたのは、天を覆う星々の輝きと欠けた月の淡い光だった。その光は地上へと降り注ぎ、城の屋上を照らしている。
その輝きの先には、凹凸の胸壁の上に座っている黒の背中が見えた。その黒い衣装はまるで闇と溶け合うような黒だったが、しかし光がその輪郭を浮き上がらせている。その姿が幻想的に見えて、レイラはおもわず声を忘れていた。
「きれいだね。やっぱり安心して月を眺められるのはいい事だよ。あなたにも見せてあげたかった」
突然声が聞こえてきて、レイラはつい扉の陰に隠れてしまった。
盗み聞きなんてするつもりはなくても、ひとたびこの先に自分が出て行けば、目の前の美しい世界を壊してしまうような気がして、このまま出て行くのを躊躇ってしまった。
「復讐も簡単に終わっちゃった。あとは伯爵の手助けをするだけだけど、それが終わったらどうしよう。その時には、私も安心していられるのかな」
レイラはその独白を聞いていたが、その言葉にどこか不安定なものを感じて思わずアイティラに近づこうとした。その時、扉にぶつかってしまい、小さな音に気づいたアイティラとレイラの目が合った。
「あ、あと、アイティラさん。その、これは盗み聞きしてたんじゃなくて、その...」
「...こっち来て」
レイラは恐る恐るアイティラの傍に来ると、アイティラは隣の胸壁の上を指さした。座れと言う意味だろう。だが、胸壁の先にはなにもなく、足を滑らせでもしたら下まで落ちてしまう。その為、レイラは躊躇った末に、まず先に手に持っていたスープの片方をアイティラに渡した。アイティラはきょとんとしたままスープとレイラを交互に見た。
「その、アイティラさん食べてないかと思ったので、持ってきました」
レイラはそう言うと、胸壁の上に危なっかしく乗った。乗るときに冷たい風が吹き、レイラは肝を冷やしたが、座ってからは落ち着いた。隣を見ると、アイティラは宙に足をぶらぶらさせながら、どこか機嫌よさそうにしている。
「そんなに嬉しかったですか?」
「うん、来てくれるとは思わなかったから」
アイティラそう言うと、レイラがここまで運んできたスープをすくって口に運んだ。レイラは喜ぶ反応を期待して、息を止めて静かにしていた。
「...冷たい」
「あっ」
冷たい風が吹く城の屋上で、二人は月が雲に隠されるまでそこにいた。
アイティラとレイラのはるか下には、深夜の祝宴を表すランプの明かりが、天の星々に劣らず地上を賑やかに照らしていた。




