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自由を夢見た吸血鬼  作者: もみじ
北の帝国
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帝国十傑 <老将>

「ふむ、何かあったのであろうか?」

「どうされたので?」


帝国の本陣辺りに魔物が殺到しているのを見ながら、老将は独り言ちる。その声にアレクシス参謀が反応したが、老将は何も答えずに自分たちの戦いに意識を向けた。


「出て来ぬな」


「無理もないでしょう。あの少数で密林に突撃など正気のこととは思えません」


二人は、数刻前に敵将のコーラル伯爵が魔術師を追って突撃していった密林を眺めていた。そこからは騎兵の一騎たりとも出ては来ず、代わりに帝国の兵士たちがちらちらと姿を現すだけになっている。あちらの状況は分からないが、おそらく帝国軍が勝ったことはその様子から十分に伝わってきた。


「閣下、もう頃合いでしょう。ベルンハルト大佐に進撃を命じ、残った槍兵共を掃討させるべきかと」


「...そうだな。もう終わらせるとしようか」


老将が答えると、アレクシス参謀はすぐに伝令を呼びに行った。

その背を見ながら老将は、どこか釈然としないまま黙り込む。

視線はつい、コーラル伯爵が消えて行った密林に吸い寄せられてしまう。そして、その場所から再びあの男が飛び出してきて、騎兵と共に果敢に挑んでくる光景を不思議と幻視してしまうのだ。


帝国の重装歩兵らが、整然と列をなして進撃を開始した。伝令が正確に仕事を果たしたからだろう。だが、それでも老将の意識はいまだ密林に向けられており、あの男が再び現れることを望んでいるようであった。...望んでいる?


「そうか、わしは期待していたのだな。かつてわしを負かしたあの男が、こんなに簡単に敗れるはずがないと」


老将は自身のこぼした言葉を聞いて、どこか納得したようだった。

そして、ついにその期待が果たされなかったことを感じ、老将は寂し気に残された三千のエブロストス兵を見た。密林から浴びせられていた矢を防ぎ続けていた彼らは、今では徐々に迫る重装歩兵の隊列を見て動揺している。コーラル伯爵がいた頃は隙間なく構えられていた盾も、今ではひび割れが入ったように粗末なものになっていた。意気揚々たる帝国軍に、彼らは震える子犬のように必死に盾で自分の身だけを守ろうとしているようだった。


己の宿敵の最後の置き土産がこうも情けない姿を見せていることに、老将は怒りとも失望ともいえないものを感じ、静かに彼らの最期を待った。


「...これで終わりだな。最期くらいは一矢報いようとするかもしれんがーーー」


しかし、老将がそういった瞬間には、ついに恐怖が限界に達した一人が盾と槍を投げ出すと、それにつられるように皆一様に武器を捨てて逃げ出し始めた。帝国兵に背を向けて、我先に逃げ出そうと互いを押し合い、醜いまでの逃走だった。

これには、意気揚々と進んでいた帝国兵らも鼻白んだ様子で進軍の足が止まっていた。


「ひどい有様ですね。反対側では、魔物どもと必死に戦っている仲間がいるというのに。それとも、指揮官が居なくなればこの結果は必然と言うべきなのでしょうか?」


アレクシス参謀は、逃げるエブロストス兵たちに白い目を向けながら言った。

そして、ちらりと老将の顔を伺うと、老将は顎に手を添えながら眉間にしわを寄せていた。

眉間のしわが徐々に険しくなってくる。


「アレクシス参謀、あれを見て何か気づかないか?」


「は?いえ、秩序も何もない敗走だとしか」


「...そうだな。はて、いくら危険が迫っているとしても、訓練されたものがあそこまでひどい逃げ方をするものだろうか?」


アレクシス参謀は、老将の疑問をいまいち掴みきれずに首をひねった。

敵の逃げ方がどうだろうと、こちらが勝って相手が負けたという事実は変わらない。

ならば、敵の逃げ方にこだわる必要があるのだろうか?


しかし、それでも老将はその疑問にこだわっているようで、長考ののちに一つの結論が出たようだった。


「アレクシス参謀。今この場には何人残っている?」


「予備歩兵二千に騎兵五百といったところです」


「ならば、彼らに警戒態勢をとらせるように」


「警戒?それは何に対する警戒なのでしょうか?」


アレクシス参謀は要領を得ないまま老将に尋ねたが、その答えを聞く前にあたりが騒がしくなったのに気づいてそちらを見た。

そこでは、兜を外した帝国兵が同じ方向を指さして騒いでいる。何かと思いアレクシス参謀もそちらに視線を巡らして、そして愕然とした。


「来たな。コーラル伯爵」


老将の弾んだ声が、アレクシス参謀の耳に届いた。


***


コーラル伯爵は大きな槍を振り回し、驚いた表情で立ち尽くしている帝国兵に向けて突き進む。

背後に付き従うのは、コーラル伯爵傘下の計七百の騎兵たちだ。それが、主人と同じように勇ましく馬を走らせている。


「進め!この戦いの勝敗が、この先にあるぞ!」


伯爵の声が騎兵たちの心を奮い起こす。


コーラル伯爵とその騎兵がなぜこの場所に現れたか、なぜ二百しかいなかった騎兵が七百もいるのか。

それは、帝国軍との戦いが始まる前日にさかのぼる。




『伯爵、帝国に勝てる方法は何かあるの?』


『...成功率は低いが、追い返せるかもしれない策はある。すまないが、少し協力してくれないか』


その日、アイティラに問われた伯爵はそう言葉を返すと、自分の考えを語った。


『帝国軍の数はこちらの倍以上はあった。正面から戦えば、敗れることは必然だろう。唯一こちらが勝てる可能性のある方法は、敵軍の将を討つことだけだ』


『でも、敵軍の将を倒すなんてできるの?だめなら私が...』


『いや、また君一人で突撃すると言わないでくれ。そんな危険を認めるわけにはいかない。策というのは、敵兵を手前に引き付けている隙に、私を含めた騎兵で帝国軍の後方を襲撃するというものだ。とうぜん、相手にそれを悟られてはいけない。そこで、騎兵の内の五百を密林を抜けた遥か奥に、夜の内に待機させておく。後は、不自然に思われないように戦場から離脱して彼らと合流し、一気に敵の後方へ移動するというものだ』


『じゃあ、帝国の兵士を引き付ける役は赤剣隊がやるってこと』


『それは難しいな。帝国にはあの魔物たちがいるから、魔物を食い止める戦力も必要になる。だからこそ、帝国兵を引き付けるだけの数をそろえるために、この都市から人手を集めてきてもらいたいんだ。...戦いに民を巻き込むことが、正しい事だとは思わない。だが、この都市を生き残らせるための方法は他には考え付かなかった』


『うん、わかった。だったら沢山集めてくるよ。絶対に成功するようにね』


そして、実際の戦闘では槍と盾を持った三千の "エブロストスの民たち" が見事に帝国の主力を引き付け、七百の騎兵が密林を迂回して後方に到達した。いくつもの犠牲を出したことに伯爵がどれだけ心を痛めたとしても、それがすべてだった。

ここまで成し遂げたならば、伯爵には敵軍の将を討ち、帝国を撤退させるという望みを果たす義務が残るのみであった。


「見えた、あれが敵将だ」


伯爵の視線の先、いくつもの帝国兵の頭上を越えた先に、老将の姿があった。

だが、その前には幾人もの帝国兵が立ちはだかっている。


「この程度乗り越えられねば、王に刃を届かせることなど夢のまた夢だろう!」


伯爵とその騎兵は、老将までの道に立ちふさがる帝国兵に向けて全力の突撃を開始した。


「閣下!」


「何を慌てている。慌てたところで何も変わりはしない。それより、シュナイダー少佐を呼んできてくれ。奴の騎兵隊に出番がある」


アレクシス参謀はその言葉で少しは落ち着いたのか、駆け足で去って行った。

老将は、自身めがけて迫ってくる伯爵たちに視線を戻した。騎兵たちは、まさしく勢いに乗ったまま、動揺した帝国兵たちを突破してきている。数の上では確かに帝国は優勢かもしれないが、兵士たちは予備役で主力の重装歩兵らに比べれば劣り、さらには奇襲によって精神的にも脆くなっている。それにくらべてコーラル伯爵の方は、まさしく死を顧みない突撃を遂行している。


「これはもしかしたら突破されるかもしれんな」


「閣下、お待たせした!」


老将の言葉のすぐ後に、近くから大きな声がした。見ればそこには大男が立っている。

この大男がシュナイダー少佐と呼ばれる人物であった。


「あれを見ればわかると思うが、このままだと突破される恐れがある。少佐の騎兵隊で対処できるか?」


「できますとも!まさかこの野戦で活躍の機会があるとは思っておりませんでした。俺の隊のやつらも皆勇んでおります」


「ならば、この場に集めて準備させておいてくれ。おそらくあの男は止まらないだろう」


老将はそういいながら、自分の心が妙に高揚していることに気づいた。

そうか、自分はこれを望んでいたのか。十年前のように、互いの命が失われる可能性がある戦いを望んでいたのだ。それが顔に出てしまっていたのか、アレクシス参謀は驚いたように目を丸くしていた。


その時、伯爵の騎兵はまた一つの戦列を突破した。


「そろそろだな。わしかあの男、どちらかが死ぬであろう」


老将は老いを感じさせない立ち姿で、顎を撫でながら呟いた。



しかし、そこに無粋な雄たけびが聞こえて来た。

それは人でない者の、血と暴力に支配された鳴き声だ。それが、一つ一つと重なっていき、戦場に不気味な音楽を響かせた。


何が起こったかと老将が振り向くと、本陣のあたりに集まっていた魔物たちが一斉に各方向へ散らばり、獰猛な牙を覗かせた幾匹かがこちらに向かって来ていた。こちらに魔物を送らないように<傀儡>には言っていたのだがどうしたことだろう。しかしその疑問は、暴れた魔物が進軍途中だった帝国の重装歩兵隊列に襲い掛かったことによって、帝国側の動揺に変わった。


「な、なにをしているのです!閣下、これはどういうことなのですか!まさか、傀儡が裏切ったということですか!?」


アレクシス参謀が、貫録を見せるためだと言ってよくやっている仏頂面を放棄して慌てた様子で言った。

しかし、老将にとってはそれどころではなかった。たった今から、己の宿敵と雌雄を決しようというところに冷や水をかけられたのだ。その不快感を抑えきれず表情が苦々しいものになる。

遠くからこちらに向かって来る魔物たちの姿に、騎兵と対峙していた帝国兵はすでに手を止めており、蒼白い顔で魔物たちの方を気にしている。

このまま戦うことは出来そうになかった。戦い続ければ、伯爵も老将も共倒れになる危険がある。

惜しい気持ちが多分にあったが、老将は仕方なく対応を決めることにした。


「傀儡に何があったのかは分からんが、このままではここも危険だろう。ベルンハルト大佐と合流してーーー」


「いまが好機だ!」


しかし、老将が魔物への対応を口にしている途中で、遠方からその声が聞こえて来た。老将が驚いて振り返ると、コーラル伯爵とその騎兵が放心した帝国兵を押しのけてこちらに向かって来ていた。


「この期に及んで戦い続けるとは...」


アレクシス参謀の呆れたような声がしたが、老将は黙り込んでいた。

そして、再び老将は口を開いたが、その時の老将の心境は先ほどとは全く変わったものになっていた。


「アレクシス参謀、お前はこの場の全兵を率いてベルンハルト大佐と合流し魔物に対抗してくれ」


「ええ。閣下はどうされるおつもりで?」


「無論、あの男が望んでいるのだ。わしがここを離れるわけにはいかないだろう」


アレクシス参謀は何を言われたのか一瞬分からなかったように固まり、次いで信じられぬと言わんばかりの目を老将に向けた。


「そこの若いの、その馬と槍をわしに貸してくれないか?」


声をかけられた伝令の一人が、驚いたふうに肩をはねさせて近づいて来た。そして、老将に馬と槍を渡すと、代わりに老将の腰についていた短刀を受け取った。


「閣下、正気ですか?なぜあなたがわざわざ戦う必要があるのですか」


アレクシス参謀の必死の説得の間も、老将は手を止めずに準備を進める。


「わしはあの男に敗れてから十年、ずっと決着をつけたいと思っていた。ついに訪れたこの機会を、魔物どもに汚されたくはない」


老将は槍を手に握ると、これまで口をつぐんで待っていたシュナイダー少佐の名を呼んだ。


「少佐、戦う意思はあるか?」


「ありますとも!いつ呼ばれるのかと思っておりました」


「ならば、わしをあの男のもとまで届けてくれ」


老将が慣れた動きで馬にまたがると、その横にシュナイダー少佐の騎兵隊が集まってきた。アレクシス参謀に後のことを頼むと、老将は帝国兵の中を突破してくる伯爵を正面に見た。


「わしの長き生は、敗れた記憶を持ったまま過ごすためにあるのか?戦いから身を引いて、故郷で平穏に過ごすためにあるのか?...否!否!三度(みたび)否!このわしの生は、戦いのためにあった!」


老将の声が聞こえたのか、伯爵の視線が老将を向いた。

それに老将は、ナイフのような鋭い姿勢を維持したまま、隣に並んだシュナイダー少佐に告げる。


「援護を頼んだ。進むぞ!」


勇猛に突撃してくる伯爵の騎兵に対して、老将とシュナイダー少佐の騎兵が正面から立ち向かう。すると、伯爵の騎兵たちは驚いたのか幾人かが慌ただしく伯爵より先に進み出て、主人を守ろうとした。その先頭を走るのは、兵士長と呼ばれる大きな男であった。


だが、それと同じように老将と並行していたシュナイダー少佐が前に出て、その大きな兵士長めがけて突っ込んでいった。


「武人同士の戦いを邪魔はさせん!」


「なにッ!」


その声を残してシュナイダー少佐は、伯爵を守ろうとした兵士長ともども横に流れて行った。そして、伯爵と老将のどちらの陣営も、故意か偶然か二人を残して互いにぶつかった。


老将の前には、十年間追いかけ続けていた自分を負かした男がいた。


「わしのことは覚えているか?」


問われた伯爵は、その瞳に深い懐古を浮かべて言った。


「覚えている。見事な兵の運用をする、厄介な敵だったとな」


その言葉に老将は口元を緩めて馬を進めると、伯爵も同じように馬を進めた。

そして、両者同時に互いへ向けて駆けだした。




シュナイダー少佐の攻撃により押され気味だった兵士長だったが、突如相手の重たい攻撃が途絶えたことで態勢を立て直すことができた。

兵士長よりもさらに巨漢なその男は、とある場所を見ると大きな声で「決着はついた!俺らの役は終わった!」と叫び、兵士長の前から去って行く。


巨漢の男が何を見たのか兵士長が視線を向けると、そこには地に伏せている老将とその前で佇む伯爵の姿があった。

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