帝国十傑 <操弾>
アレクたちの前で<操弾>と名乗った男は、姿を晒したまま固まっているアレクたちを無視して、立ち上がったばかりの片目の従者に向けて矢を引き絞る。輝く青緑色の弓が自身に向けられていると気づいたシンは、即座に背後の樹木に回り込んだ。
「木を盾にするのは普通の弓なら通用する。だが、さっきのことを忘れてもらっちゃ困るぜ」
放たれた矢は、木を背に隠れたシンの右隣を通り過ぎて行くかに見えた。だが、ある程度まで進んだ矢はありえないような軌道を描き、反転してシンの方を向いた。光を遮る木々の中で、矢の先端が銀にきらめめくのが見えた。
シンは隠れていない片目でそれを認識すると、横に転がり込むようにして矢を避ける。それは危機を感じての反射的な行動であり、それだけにその動きは素早かった。
しかし、避けたことにより遮蔽物であった木からシンは身をさらすことになってしまった。飛び避けた態勢のシンが見たのは、すぐにでも矢を放てる状態で構えていた操弾の姿だった。
操弾はその顔に不敵な笑みを浮かべた。
背筋に冷たいものが走った。
シンは一瞬にして窮地に陥ったことを悟ると、避けた先にあった木の幹を足場にして、上を目指して飛び上がった。その後を追いかけるように、風を切り裂き放たれた矢が追従していく。
背後に聞こえた風切り音に、シンは訪れる痛みを覚悟した。しかし痛みは訪れなかった。木の枝を足場に振り返ると、そこには周囲を覆うように揺れている木の葉の壁の中に、小さな穴が開いていた。
シンを追いかけていた矢は、シンに当たることなく見当違いの方向へ抜けて行ったのだ。
自身の放った矢が、木の枝を隠すように広がる緑の中から飛び出したのを見て、操弾は手の中で矢をもてあそんだ。操弾の特技でもあり、二つ名のもとになっている操ることのできる矢は、遮るものさえなければどこまでも相手を追尾できる。しかし、操っているのはあくまで操弾という二つ名を持つ人間であり、その目で見えない場所に逃げ込まれれば、どうすることもできない。この時、シンという敵の姿を隠す緑の葉は操弾にとっては邪魔なものだった。
「適当に何本か射ってみるか?...いや、それよりも」
操弾はそう独語すると、ちらりと視線を横に向けた。そこには、先ほど姿を現したアレクたちがいる。彼らは木を盾にして隠れているが、それは操弾にとっては障害にならない。隠れてしまったシンより先に、そちらを倒してしまおうという考えが操弾の頭に浮かんだ。
だが、その考えがよぎった瞬間に、操弾は葉々に隠された中から投げられた刃物のようなものを知覚し、大きくよけることになった。操弾のすぐ近くの地面に突き刺さったそれは、黒のダガーだった。
投げたものが誰であるかは分かり切っている。操弾はそちらに弓を構えようとしたが、それは少し遅かった。シンはダガーを揺動として、高みから操弾のもとまで、飛ぶというよりは突っ込むという表現が相応しい勢いで向かって来ていた。
操弾の顔から不敵な色が消え去り、代わりに鋭いものが宿った。
操弾のもとに飛び込んだシンは、片手に持ったダガーを喉元に向けた。だが、それは操弾のもつ弓によって阻まれた。青緑の弓は、硬質な感触は返さなかったものの強度はあるようで、シンの初撃は防がれた。だが、シンの攻撃はむしろここからとなり、二撃目、三撃目と流れるように続いて行く。
絶え間なく浴びせられる攻勢に、操弾はどうにか攻撃を防ごうとするが、そのたびに大きく後退することになる。その表情にはさすがに焦りの色があった。
「近接戦は苦手なんだよ!」
ついに操弾はそう叫ぶと、なぜかシンの目の前で弓を構えた。無防備になった身体が、シンの前に差し出される。それはありえないほどの好機であるはずだった。だが、その不自然な好機はすぐに戦慄をともなって答えを教えてくれた。
「卑怯な手は使いたくなかったんだがな!」
操弾が狙っていたのは、シンではなくその背後だった。そこには、シンの護るべき主人がいる。
それに気づいたシンは、操弾が弓を射るより早く攻撃しようと身体が動いたが、それと同時に頭上から不気味な風の唸りを聞いていた。一瞬だけ、シンと操弾の視線が交錯した。操弾の瞳は、シンの行動を探るように動いていた。シンは、なおも唸りを上げる音が自身に迫るのを無視して、主人に向けられた害意に刃を突き出した。
「くっ!」
操弾の口から苦悶の声が漏れ、その腕に突き立った黒のダガーから赤い血が滴る。
アレクに向けられていた矢は、腕から流れる血の一滴が地面に落ちると同時に、地面を転がった。
それと同時に、操弾の腕にダガーを突き立てたシンは、突き立てた姿勢のまま動きを止めた。
「アレク...様...」
シンの口から弱々しい声がもれた。その声は、アレクに届くことはなく、操弾だけが聞き取れた。
片目の従者の左肩のあたりには、後ろから深々と矢が突き刺さっていた。
「シン!」
遠くから、鋭い怒気が操弾に向けられた。それと同時に、操弾の左右の茂みが音を立て、赤剣隊が飛び出してきた。操弾は左肩に矢を生やしたシンの頭を蹴飛ばして、素早く弓を構えた。その手には、矢が一度に三本握られており、それらが一斉に左右に現れた赤剣隊の喉元を正確に貫いていく。シンが地面に弾き飛ばされた後、三つの人が倒れる音が続いた。
操弾は手の中で矢をもて遊ぶと、血が流れる左腕を見て顔を歪めた。
「あんたはこいつと主従の関係ってやつか?ずいぶん優秀なやつを持ってるじゃねえか」
操弾の視線の先には、怒りを宿した目で睨みつけてくる金髪の若者がいた。
「お前なんかに言われなくても知っている!」
アレクは怒りの奔流にまかせたまま叫ぶと、その声に呼応するかのように操弾の左右から赤剣隊が姿を現した。操弾は包囲される形になっていたが、その顔には先ほどと変わって鬼気迫る様子はなかった。
「今なら見逃してやる。そこに転がってるのを持ってさっさと離れな。俺だって、無理に殺そうなんて思ってないからよ」
「っ!」
操弾から放たれた言葉に、アレクの動きが静止した。
操弾は確かに強かった。シンが深い傷を負い、味方の赤剣隊が一斉にかかっても勝てるかどうか分からない今の状況なら、勝てるかどうか不明な戦いを続けるよりも逃げた方がいいのかもしれない。だが、だからと言って戦うと決めた後にあっさりとその決意を捨て去ることは、アレクには到底できなかった。アレクは震える声で、精一杯の強がりをした。
「なんで僕がお前の言うことを聞かなくちゃならない。お前を倒して、そいつは僕が連れ帰るさ」
「そうか、ならしかたねえな」
操弾はアレクに向けて弓を構えた。
双方の視線が互いを静かに映していたが、そこで突然片方の瞳が見開かれ、それに伴ってもう片方の目もそちらに向けられた。見れば、矢の刺さった箇所から血を流したシンが、一度目の投擲で地面に突き刺さっていたダガーを引き抜き、よろめきつつも立ち上がっていた。
そして、ダガーの切っ先を操弾に向けた。
「...アレク様、ここから離れてください」
はっきりした声が聞こえ、呆然としていたアレクは反射的に言葉を返した。
「なに言ってるんだ!僕にお前を見捨てて逃げろと言うのか!」
「アレク様にいられると、戦闘に集中できません。ですから...」
シンは言葉を強めて、アレクに言った。
「どうか、安全な場所まで離れていてください」
アレクは苦々しく顔をしかめたが、しばらくすると赤剣隊たちに全員離れるように言った。
最後にシンに向けられた視線はどこか納得していない様子だっが、シンにとってはそれでもよかった。シンの目的は、戦いに勝つことではなくアレクを生き残らせることだから。
一部始終を見ていた操弾は、にやりと笑った。
「もういいか?じゃあ、こっから開始だな!」
そう言うなり、操弾は弓をシンに向けた。
操弾の左腕はダガーで深々と貫かれた跡があり、操弾は痛みに顔をしかめている。
シンは矢が放たれるより先に、直前と同じように木を足場にして、葉々の中に身を隠した。
操弾は弓を構えたまま、木の上部へと狙いを定めている。
姿が隠れてしまったらどうしようもできないかと言われればそうではない。
シンが木々の上を移動するとき、そこにはほんのわずかだが葉の揺れがある。枝を足場にするときに、体重によってわずかに沈み込むためだ。その揺れを操弾は追っていた。
右から左に移動。そこから、少し上に。そして、狙いを定めた個所が大きく揺れたとき、操弾は矢を放った。
「そこだろ!」
矢が緑に隠された中へと吸い込まれて行ったあと、一度大きな揺れが起きたことを操弾の目は確認した。狙った部分が、さらに大きく揺れ、そこから何かが力なく落ちてきて...。
そこで操弾は初めて驚いた表情を見せた。木の枝が大きく沈み込んだと思ったら、その木の枝に外套をロープのように巻き付けたシンが、勢いを込めて操弾に飛び掛かってきた。木の枝が大きく沈んだため、操弾は枝の上に乗っていると思っていたが、実際にシンは枝の下にいたのだ。
だが、そんなことを考える間もなく、操弾はシンの接近を許したことにより余裕がなくなっていた。
シンの動きは左肩を後ろから貫いた傷の為、やや精彩を欠いていたが、なぜか先ほどの近接戦時よりも攻撃的になっていた。操弾はそれを防ごうとするが、防ぐたびに左腕が焼けるような痛みを発し、動きはどんどん鈍っていく。
そしてついに、操弾の身体を浅くダガーが掠めるようになったところで、操弾は不意にシンに話しかけて来た。
「この弓は特殊でな!放つ際に、魔力を矢に移すんだ!そんで、俺はその矢の魔力を操ることで、曲がる矢を再現してるってわけだ!」
シンはその言葉に耳を貸すことなく、どんどん追いつめていく。
操弾の動きが鈍くなり、傷を作ることが増えて来た。
「動きを止めた矢はどうなると思う!魔力が抜けて、ただの矢に戻ると思うか!たしかに時間が立てばただの矢に戻るがな、俺がこれまで放った矢はまだ魔力が残ってるんだぜ!」
シンの刃が操弾の右腕を切り裂き、血が舞った。
だが、操弾の表情には焦りの色はない。
むしろそこにはーーー勝利を窺わせる色すらあった。
そのとき、これまで操弾が放ってきたすべての矢が浮き上がり、その先端がシンと操弾に向けられた。
鋭い矢の包囲は、隠れるものもない開けた場所で戦っていたシンたちにむけて、気づいたときにはすでに完成されてしまっていた。
もはや避けることはできないことをシンは感じ取った。出来るのは、せめて自分が倒れる前に、目の前の敵を道連れにすることだけ。
心の奥に冷たいものを感じるシンの目に、操弾のにやりとした笑みが映った。
「シン!避けろ!」
シンは、その声が聞こえた瞬間飛ぶように横へ回避していた。それと同時に、大量の矢が風を切りーーー
操弾の身体にいくつも突き刺さる。
操弾は信じられないと矢が飛来した方を見て目を見開き、そして覚束ない足取りで後ろに数歩下がった。
そして自身の身体を見下ろしたとき、操弾はその顔に再び軽薄そうな笑みを浮かべた。
「ああ、くそっ。帝都に帰ったら、久々の休暇を満喫しようって...」
それを最後に、操弾は背中から倒れこんだ。
何が起こったのか理解できていないシンだったが、現れたアレクと赤剣隊全員が弓を手にしているのを見て、彼らの矢が操弾を倒したことを悟った。
そこにアレクが誇らしげな顔で近づいて来た。
「帝国の弓兵の集団を倒しただろ?あいつらの所に戻って、弓矢を取ってきたんだ」
「安全な場所まで離れていてくださいって言いましたよね」
「死にかけてた奴が何を言ってる」
シンは口を閉ざし、しばらく地面を見つめていた。
アレクは倒れた操弾に近づくと、青緑の光を発する弓を手に取り弦を引っ張ってみた。
「この弓一つでここまで戦うとはな。もし遠距離から狙われでもしたら、太刀打ちできなかったに違いない」
アレクは次に、操弾が戦闘開始前まで目元につけていた大きなゴーグルを手に取った。それを目元に持ってきて、アレクは従者にも聞こえるように言った。
「なんだこれ、世界が歪んで見える?いや、遠くのものまで見えるという奴か。帝国の魔道具技術は王国よりはるかに高いな」
そして、アレクがそのゴーグルを持ったまま、丘の下に広がる戦場に視線を向けたとき、アレクの声が途端に途切れた。
「アレク様、どうされましたか」
「......」
不審に思ったシンが聞くと、長い沈黙が続いた後、アレクは放心したように言った。
「どういう、ことだ?」




