勝機を目指して
その時の赤剣隊はすでに崩壊しかかっていた。
矢と魔物の猛攻により赤剣隊は中央で分断され、先頭にいた半分が魔物によって包囲されていたからだ。
しかしこの時、本当に崩壊しかけていたのは、包囲されて絶望的な状況に陥った前半分ではなく、包囲されている味方を眺めることになってしまった、後続の方であった。
「このままだと、俺たちまで死んじまう...」
赤剣隊はあくまでも、戦闘に慣れていないエブロストスの民が寄り集まってできたものだ。
この戦場に彼らを引っ張り出してきたのは、横暴な貴族と王への反感と、それを先導する指導者たちへの信仰だった。
しかし、時間が進むにつれ悪化していく戦況は、いつしか彼らの高揚を冷やし、戦いにおびえる民の心を呼び覚ましてしまった。そんなところに、彼らの隊長と副隊長が魔物の群れに取り囲まれたことにより、ついに彼らは心のよりどころを失い、逃げ出す寸前になっていたのある。
もし、そこへ響いた覇気のある声が無かったら、彼らは瓦解し赤剣隊は魔物の群れに消えていただろう。
しかし、結果的にはそうならなかった。
「聞け!僕は、フェルタイン王国第二王子、アレク・レイド・フェルタイン!ここで終わりたくなければ、この僕に付き従え!」
その声は、叫びが飛び交うその戦場にあって、力強い響きを放った。
突然放たれたその言葉の意味を理解できた者は、半数もいなかっただろう。
ただ、恐怖心に駆られていた彼らは言葉の意味を理解しなくても、覇気のあるその声の人物に無意識のうちに救いを求めて振り返った。
失われた指導者を求めるような縋る瞳が、一人の若者を期待の光で照らしだした。
「お前たちの仲間の危機だろう!半分でいい、丘上にいる弓兵共を叩くぞ!」
語られた言葉は短かった。
この場には似合わないほど眩い金髪の青年は、言葉を終えると丘上に向けて駆けだした。
残された赤剣隊の彼らは互いの顔を見合わせたが、わずかな逡巡の後一人また一人と後を追うように駆けだした。
アレクは自分が第二王子だと名乗ったが、この鬼気迫る状況にあって、その言葉の意味をしっかりと理解していたものは少数だった。その為、大部分はこの若者が誰なのか理解していないままだったが、見ず知らずの若者であるにもかかわらず、この時その場に居た人々は迷いなく駆け出した。
のちに、この場にいた赤剣隊の一人は、
「あの時は誰なのか分からなかったが、自信に満ちていたその姿が俺たちを信じさせてくれた」
と生き残った仲間に語ったそうだ。
後日、自信に満ちた姿と称されるアレクは、丘の麓まで来たところで馬を下りた。
後ろに続いていたシンも馬を下り、後方から駆けてくる赤剣隊の人たちを眺めやった。
「帝国も馬鹿ではないですから、弓兵を守る兵を置いているでしょう。彼らでは心許ないと思いますが...」
「こちらは元々人数で劣ってるんだ。そんな贅沢をいえるわけもないだろう。それに、お前もいるじゃないか」
「......」
アレクは後ろから追いついて来た赤剣隊の集団と合流すると、彼らに向けて言った。
「いいか?こんな隠れやすそうな木々がある場所で、生真面目に隊列をつくっても意味はない。それに、時間がかかればその分、包囲されているお前たちの仲間が死ぬことになる。だったら、小細工を弄するよりも、勢いのまま駆け抜けた方がはるかにいい!」
そして、その言葉どおり、赤剣隊は丘上目指して駆けあがった。木々の間を縫うようにして、足をとられながらも樹木の隙間を余すことなく埋め尽くすように。彼らの心にも、もちろん不安があった。しかし、進むべき道が明確に示されたことにより、彼らの中の不安と迷いは一時的に忘れ去られていた。
勢いのまま駆けあがる赤剣隊だったが、そこに一度目の衝突が起きた。
「まっ、魔物だ!こっちにも魔物が潜んでいるぞ!」
丘を少し駆けあがったあたりで、木々と茂みの間に身を隠していた魔物が姿を現したのだ。突然の襲撃によって、赤剣隊の幾人かが抵抗する間もなく倒れた。
アレクは苦虫をかみつぶした表情で、その叫びを聞いた。
「こっちにも当然いるか。慢心してくれていれば、楽だったんだがな」
そう呟いたアレクの所にも、茂みが音を立てると同時に潜んでいた魔物が襲い掛かった。
しかし、アレクがそれに振り向くと同時に、シンがその魔物を仕留めていた。己の従者の優秀さを、アレクは良く知っている。
「足を止めるな!一度勢いを殺されてしまえば、ここを突破するのは困難になる!」
アレクの言葉に、ついて来た赤剣隊たちも従おうと、犠牲を出しながらも丘上を目指す。
しかし、それから間もないうちに彼らの足が鈍った。魔物の数が徐々に増えて来たからだ。
アレクは再び苦い表情をして考える。どうすればこの魔物の潜む場所を突破できるか。
だがこの時、不思議なことが起こった。
魔物たちが一斉に動きを止めたと思うと、赤剣隊を無視して木々の間をすり抜けて丘下まで駆けだしたのだ。これには、先ほどまで戦っていた赤剣隊たちだけでなく、アレクですら呆然としてしまった。
魔物がどうして逃げるように背を向けて駆けて行ったのかアレクは考えを巡らそうとしたが、そんなことを考えている時間はなかった。
アレクたちは再び上を目指して駆けあがる。
そして、二度目の衝突は、戦意を見せずに駆け降りるだけの魔物たちを抜けた先で起きた。
そこには、五十名ほどの弓矢を手にした人間が、驚いた表情をして立ち尽くしていた。
帝国の紋章を刻んだ彼らは、小さな陣営を作って、今まさに弓に矢をつがえようとしているところだった。彼らはアレクたちに気づくと、慌てたように弓をとり落とし腰に付けた短刀を引き抜いたが、初めから戦闘態勢にあった赤剣隊によって、あまりにもあっけなく制圧された。
地面でうめいている帝国兵を見やってから、アレクは周囲に視線を巡らせた。
「ここにいる奴らだけなのか?」
奇襲という形が成立したことにより、被害をほとんど出さずに目的を達したアレクは、いささか拍子抜けした様子でそうこぼした。
丁度その時、遠くの方で一つの風切り音がしたのをアレクの耳は捉えた。それは、木の葉のざわめきによってかき消されるほど小さいものだった。
「聞こえた...。だが、音が一つだけ?一人だけということはないだろうが...」
アレクは音のした方に顔を向けると、悩んだ末に決断を下した。
「三十人だけ僕らに付いて来い。その他の奴は下りろ!目的は達したし、魔物たちが下に逃げて行ったのも不気味だ。残された奴らの援護に行け!」
ここまでついて来た赤剣隊たちは、魔物が消え去っていった後を追うように今度は駆け降りて行った。
残された三十人の赤剣隊は、帝国の弓兵を倒して見せた金髪の若者に信頼を寄せた様子で落ち着かなさげに待機している。アレクはそれに構うでもなく、先ほど聞こえた音の原因を探るために、彼らと丘をさらに登ることにした。
音の出どころは予想以上に遠く、丘の頂上辺りからするようであった。近づくにつれて音がはっきりと聞こえるようになり、アレクの歩みも慎重なものへ変わっていった。そして、聞こえていた音がついに目先にまで至ったところで、アレクと三十人の赤剣隊は息を殺して、気づかれないであろうギリギリの場所まで近づくことに成功した。
アレクが樹木の幹に身体を張り付け、顔だけのぞかせた先には一人の人物が立っていた。
「なんだありゃあ...ほんとに人間か?俺の矢を剣でぶった叩きやがった。どうなってやがる」
不平を漏らすような口調のその人物は、こちらから背を向けていて顔は見えない。だが、金属のような光沢を発する青緑色をした大きな弓と、金色の後ろ髪がアレクの目に映った。
アレクの傍にいたシンが、小声で話しかける。
「アレク様、自分が後ろから仕留めます」
シンは、腰元に差したダガーを引き抜くと、灰色の瞳を鋭く前方の謎の男に向けた。
アレクは静かにうなずくと、顔を引っ込めて敵から姿を隠した。
一陣の風が吹き、静寂が彼らの空間を満たした。
シンは動かない。シンはタイミングを計っていた。直前で気づかれても対処できないタイミングを。
例えばそれは、弓に矢をつがえて放った瞬間の無防備だった。
弓の弦が引き絞られる音が風に乗って届いた。
そして、弦を張り詰める音が緊張感をもって最大になった瞬間に、シンは勢いよく飛び出して無防備に背中をさらした男へ駆けだした。
矢が放たれた。
矢は男の前方に勢いよく放たれた。
その瞬間にも、シンと男の距離はあっという間に詰められ、男が足音に気づいて振りかえった瞬間には、シンはすでに男から数歩離れた位置にまで迫っていた。
振り返った男は、その顔を奇妙なゴーグルのようなもので覆っていたため、その表情は分からなかったが、シンはこの時相手を確実に殺せると感じていた。気づかれたとしても、相手は弓を持っているだけ。近接武器の類もなしに、しかも奇襲された状態で対抗できるとは思わなかった。
そしてシンは予定通りにその首めがけてダガーの切っ先を向けたところで、ありえないものを見てしまい咄嗟に身体をひねって避けた。
シンはすぐそばの木に身体を強く打ちつけ、その頭のすぐ上に一本の矢が突き刺さる。
シンは目を見開き、男の顔を凝視した。
男はその視線に気づくと、ゆっくりとした動作で顔を覆っていた奇怪なゴーグルを持ち上げ、その下にあった軽薄そうな顔をさらした。
「驚いたか?曲がる矢を見たのは初めてだろ」
シンに暗殺されそうになっていたその男は、からかいを含んだ声をかけるとにやりと笑った。
「シン!」
鬼気迫った呼び声と共に、木の陰に隠れていたはずのアレクが飛び出した。
その後ろには、ここまでついていた赤剣隊たちも姿も見えた。
「お仲間かい?俺一人にずいぶんおおいじゃねえか。ここまでの道は<傀儡>が魔物を配置してくれてるはずだったんだが、まさかみんなやられちまったのか...」
男は何やら考えこんでいたが、やがてシンとアレクたちを交互に見渡すと、その顔に再び軽薄そうな表情を浮かべ、腰の後ろについた矢筒から一本の矢を引き抜いた。
シンが危機感を募らせて立ち上がると、男も一歩下がってから緊張感のない声を発した。
「こういった時、名乗った方が喜ばれるよな。帝都でこの二つ名名乗ると、結構な美人でも近づいて来てくれるんだぜ」
背の高い金髪の弓兵は、目を細めてにやりと笑うと、弓に矢をつがえ始めた。
「俺は帝国十傑の一人、<操弾>だ。他の奴よりは地味かもしれんが、それなりに腕に自信はあるんだよ」
帝国十傑の<操弾>が、アレクたちの前に立ちはだかった。




