密林への突撃
戦場の様相は刻一刻としてその姿を変える。
しかし、その変化が自分たちにとって良くないものであったとき、人はついやり場のない怒りを叫びとしてして発散してしまう。
「どうなってる!何をやってるんだあいつらは!」
そう叫びを上げたのは、実際に戦闘が行われている場所から離れた後方で、戦いの様子を眺めていたアレク・レイド・フェルタインだった。若き金髪の第二王子は、眼前で繰り広げられる醜態に思いっきり顔を歪めた。
「あの伯爵は、僕の忠告に逆らって戦うことを選んだ。だからてっきり、何か考えがあるものだと思っていた」
アレクの左前方では、盾を全方位に構えたまま微動だにしない三千もの兵たちと、それに矢を射かける帝国軍との争いが展開していた。帝国軍が矢を浴びせては、それに伯爵が率いる二百ばかりの騎兵が近づき、近づいたと思えば即座に退却し、再び帝国軍が近づいてくる。たしかに、盾で全方位を塞いでいるため弓矢を防げてはいるが、かといって帝国兵の一人すらいまだに倒せていない。
それを見て、アレクは声を荒げた。
「だが、あれは何だ!伯爵はなぜ攻勢に出ない!」
アレクは怒りに顔を赤く染め、一方的に攻撃されている伯爵を怒鳴りつける。
しかし、叫んだところでその声が伯爵に届くわけもなく、アレクは無力感に包まれた。
そうこうしている内に、今度は右前方で大きなうねりが起きた。
アレクがハッとして顔を上げると、赤剣隊の集団の一部が魔物に食い破られ、赤剣隊全体が一気に後退したのである。
一瞬できた凹みは赤剣隊全体の後退によって即座に塞がれたものの、赤剣隊に早くも綻びが出来始めているのは明らかだった。
アレクは悔し気にそれを眺めると、最後に魔物の群れを見て、一つの影が見えないものかと無意味を理解しつつも探し回った。しかし、蠢動している魔物の群れからその姿を見出すことはできず、その端麗な顔を曇らせた。
「...あいつは嫌な奴だったが、だからと言って死んでほしいなんて思ったことはない」
魔物の群れの中に突っ込んで生きている人間など、どこを探してもいないだろう。
たとえ、S級冒険者だろうと、アレクの知っている一番強い人物である白の騎士団長だろうと、それは明らかだった。
アレクは、二度と帰ってこないだろう生意気な少女の顔を思い出して、鋭く前を見据えた。
「ここまで犠牲を出したんだ。王国貴族を名乗るならば、せめて勝って見せろ。伯爵」
***
「勝たせはせんぞ。レイモンド」
帝国軍の陣営にて、鋭い視線を前方に向けながら老人は呟いた。
顔に年月の重みを感じさせる皺を作り、鋭いナイフのように真っすぐと立っているこの老人は、帝国が誇る帝国十傑の内の一人。<老将>と呼ばれている男であった。
老将ははるか遠くで騎兵を率いて移動している一人の人間に向けて、複雑な感情を綯い交ぜにした視線を向けた。
「......」
それは、昔を懐かしむと同時に、己の宿敵ともいえる相手への悲しいまでの落胆であった。
十年前、帝国と王国はひとたび刃を交えたことがあった。その時の戦場も、今回と同じこの平野だった。
帝国軍は、老将が率いる一万の兵。それに対する王国は、白と黒の騎士団と、あの男が率いる兵だった。
ほぼ同数の兵力での戦い、しかし戦いの結果は帝国軍の敗北と言える結果に終わった。
巧みな技により、丘上に陣取った帝国軍を白と黒の騎士団で撃破され、あの男の指揮する槍兵の隊列に引き付けられていた帝国軍は、重厚な槍衾と丘上からの騎兵突撃に挟まれて撤退したのだ。
もちろん、王国軍にも甚大な被害を出した。当時の白と黒の両騎士団の団長をともに討ち取り、黒の騎士団などその半数を永久に失った。
しかし、それでも帝国軍が敗北した事実は変わらない。たとえ、誰かに帝国軍は善戦したと言われても、老将自身が敗北だと認めているのだ。
そして、その敗北を突き付けた相手こそが、あの時槍兵を指揮して多数の帝国兵を死に追いやったコーラル伯レイモンドという男であった。
老将が過去の苦い敗北を思い浮かべながら戦局を眺めていると、すぐそばから声がかかった。見ればそこには、いつもの仏頂面を浮かべたアレクシス参謀がいた。
「閣下。ベルンハルト大佐から、重装歩兵部隊の進撃命令を求められております。許可をお出しになりますか?」
参謀の言葉に老将は顎を手でさすり、遠くで戦っている宿敵の姿を思い浮かべつつ慎重に答えた。
「無理に動かす必要は無い。現状、徐々に王国軍の数は減りつつある。このまま、減らせるだけ減らしてしまおう。無理に動かしたせいで逃げられてしまうのも事だ」
参謀はその言葉を吟味するように口の中で転がし、仏頂面のまま老将を見据えた。
「確かにそうではありますが、いずれにしても弓矢だけで全滅を狙うことはできないでしょう。動かすならば、今のタイミングが一番望ましいと私には思われますが」
老将はアレクシス参謀の言葉に心中で苦笑した。老将もその考えには同意だったからだ。
現在、老将の宿敵であるコーラル伯爵は、ドミニク中佐の指揮する軽装歩兵集団によって一方的に数を減らしつつある。ここで帝国軍の主力である重装歩兵集団を動かせば、即座に決着がつくのかもしれない。
しかし、この時なぜか老将は重装歩兵を進撃させることを躊躇っていた。
その理由が、過去に認めた宿敵との決着がこんなにもつまらない形で終わってしまうのを認めたくないからか、それともほかに理由があるのか、老将自身にも良くわかっていなかった。
「言う通りではあるな。だがどちらにせよ、そろそろあれが動くだろうよ。そうなれば、あの男も対応を決めるしかなかろう」
老将は、林の中から矢を浴びせかけている集団の中に潜ませた一つの駒について考える。決して派手ではないが、要塞のように同じ場所に留まり続けているあの隊列にはとてつもない脅威となるだろう。
それを見れば、いまだに攻勢に出ていないコーラル伯爵も、攻勢に出るなり撤退するなり必ず決断を下さなければならなくなる。
「それを見てから動くのでも遅くはない」
老将は十年前の敵手に向けて心中で呟いた。
どうか十年来の再開をつまらない戦いにしないでくれと。
そして、それと同時刻。
林の中に退却していく帝国軍を背後に自陣まで戻ってきた伯爵は、苦い表情で帝国軍の陣地に並んだ重装歩兵の隊列を見る。
「まだ動かないのか...」
そうこぼした伯爵に、兵士長が疲労のにじんだ声で答えた。
「伯爵様、こちらの隊列はそろそろ限界に近そうです。盾で矢を防げているので死者はほとんどありませんが、何より精神的に擦り切れる寸前です」
その言葉は伯爵にとって重い判断を下す条件となりえた。伯爵は帝国軍の重装歩兵隊列を惜しむように眺めた後、決断を口にしようとした。
「...仕方ない。このまま瓦解の一途を辿るわけにもいかないからな。次の攻撃の後、そのままーーー
しかし、伯爵の言葉は低く轟く爆音によって遮られた。
土煙が立ち上るのは、盾を構えた要塞の隊列のすぐ近くだ。そして、立ち昇る煙が晴れあがる前に二回目の爆発が起こった。今度は、盾を構えた隊列の一端に着弾し、一部の兵が吹き飛んだ。
盾を構えたエブロストス兵は半ば恐慌状態に陥り、盾の要塞は脆弱な穴をいくつものぞかせた。
「...何が起こった?」
伯爵はそう呟くと我に返り、反転して帝国軍のいる林の方に駆け出した。そして、土煙を抜けたときに見えたのは、鎧や武器といった類の金属を纏わず、大した装具をつけていないローブを纏った集団だった。
それを見た誰もが、その集団が何者であるかに思い至った。
「魔術師...!」
その集団は、魔術を行使する魔術師の集団だった。
通常、魔術師は人同士の戦いにおいてはあまり使われない。魔術は強大な技であるために、一度の術を発動するために時間のかかる詠唱が必要になる。さらに、魔術にも射程はあり、魔術を相手にぶつけるためにはある程度は敵に近づかなくてはいけない。それに加えて、魔術師一人あたりを使い物にするには数年単位の教育も必要になる。
そんな魔術師を人同士の戦いで出せば真っ先に狙われるし、もし殺されでもしたら普通の兵士数十人分以上の損失になるのだ。だから、王国と帝国の戦いでは魔術師が戦場に投入されることはこれまでなかった。
しかし、だからと言って魔術師が弱いわけではない。むしろこの場合、盾を持っても防ぎきれない魔術は最大の脅威となっていた。
たった二発。
それも命中したのは一発だというのに、矢の雨を防ぎ続けた盾の要塞は一部が崩れてしまっていた。
そのことに伯爵が気付いたとき、伯爵の中から選択肢はすでに消えており、配下の二百の騎兵に向けて号令を飛ばしていた。
「突撃!奴らが詠唱を終わらせる前に、その身を貫け!」
そして、騎兵が槍を構えて向かって来るのを見た帝国指揮官ドミニク中佐も同じく叫んだ。
「林まで退却だ!魔術師を決して失うなよ!」
その声とともに、剣を携えた軽装歩兵らが魔術師の前に立ちはだかる。
しかし、軽装歩兵の彼らにはわずかな油断があった。相手はたった二百騎。しかも、これまで何度も近づいては、牽制だけして逃げて行った奴らだ。
そのことが念頭にあった為、いつも騎兵が引き返していたラインを全力で馬が駆けて来た時、初めて帝国の軽装歩兵らは騎兵が突っ込んでくる気だと悟り慌てて剣を構えなおした。
しかし、騎兵は減速するどころかさらに速度を増して迫ってくる。馬に乗った兵士が、大きな槍を前に突き出した状態で全力疾走してくる姿は、あまりにも恐ろしいものがあった。
「進め!」
先頭を走るのはコーラル伯爵だ。
指揮官が先頭を走るのは相応のリスクがあるが、しかしその効果は絶大だ。
指揮官の勇猛な姿にその部下たちは感化され、誰もが恐怖を忘れたように怯えた帝国の軽装歩兵らを槍で貫いていく。
退却しながら後方を見たドミニク中佐は驚愕した。
二百の騎兵は、敵中の中をまっすぐ進み一直線に魔術師連中に向けて駆けていた。
帝国の兵士はそれを防ごうと騎兵の前に立ちはだかるが、騎兵は速度を落とすことはなく、帝国兵は勢いの乗った槍に貫かれて絶命するか、馬に踏みつぶされて肉塊になるかのどちらかだった。
焦ったドミニク中佐だったが、しかし次の瞬間には安堵していた。
魔術師らは林の中まで逃げ込むことに成功したのだ。
林の中は木々の間隔が狭く、馬ではまともに走れない。もし無理やり追いかけようものなら、槍を振り回すことも出来ず、速度が鈍ったところに帝国兵が襲い掛かることで簡単に討ち取られるだろう。だから、騎兵らはきっと退却するに違いないとドミニク中佐は考えた。
しかし、その考えはつぎの瞬間には破られた。騎兵は速度を落とすこともせずに、迷いなく林の中に突っ込んだのだ。
「はぁ!?」
ドミニク中佐は思わず年齢に似合わない素っ頓狂な声を上げた。
しかしその間にも、後続の騎兵らが先頭集団を追いかける形で密林に入っていくのだ。
しばらく呆然としてしまったドミニク中佐だったが、意識を取り戻すと全ての帝国兵に命じた。
「敵は逃げ場のない林の中に自ら入り込んだのだ!地の利はこちらにある!騎兵どもを打ち殺せ!」
こうして、全ての軽装歩兵は騎兵を追う形で林の中に突っ込んでいった。
それからしばらくして、ドミニク中佐のもとにもたらされた報告は以下のものであった。
『騎兵に追われた魔術師の集団は無事。帝国軍は王国の騎兵の数十名を討ち取ることに成功。王国の騎兵は完全に瓦解し、現在散り散りとなって潰走中』
ドミニク中佐は勝利を確信し、騎兵を一人残らず討伐するよう重ねて命じた。




