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自由を夢見た吸血鬼  作者: もみじ
北の帝国
72/136

それぞれの戦い

アイティラの姿は、コーラル伯爵たちにも良く見えた。

魔物たちの群れに単身で突っ込み、いくつかの血しぶきを上げてから音沙汰のない魔物の海を見ながら、伯爵は大きな槍を握りしめた。


アイティラが魔物の群れに突っ込むと言い出したのは、早朝のエブロストスを発つ前のことだ。突然の宣言に伯爵は動きを止め、呆然としたことを覚えている。もちろん伯爵は止めた。この少女が強い事は知っているが、一人で魔物の群れに突っ込むなど自殺行為としか思えなかった。

しかし、何度止めてもその意思を変えることはできずに、ついには少女がたった一人ですべてを相手にすると言って城から飛び出そうとしたことで、伯爵は苦悩の末にそれを許したのだ。

後から事の全てを聞いたアレクに伯爵は罵られたが、あれほど小さな少女を戦いに巻き込むことに伯爵自身も常に負い目を感じていたため、アレクの言葉は真っ当だと思っている。


そして、魔物の群れの中に姿を消したアイティラを見て、伯爵は酷く後悔をしていた。


「伯爵様、お気持ちは分かりますが、今はこちらに集中してください」


兵士長が気づかわしげに見ていることに気づき、伯爵は息を吸い込むと、心中に蔓延る暗澹たる思いを吐き出した。


「そうだな。いずれ罰を受けるとしても、今は目の前の戦いに勝つことを考えるべきだな」


伯爵は前方に視線を投じる。

平野の向こうには、重厚な鎧に盾と剣を持った兵士たちが大きく横に広がっている。

その列が後ろに何列続いているのかは予測がつかないが、前日に見た兵士たちの数を考えると、あそこには少なくとも三千以上はいるだろう。もしかしたら、それ以上になるかもしれない。


伯爵はその光景を眺めながら自陣を見た。

こちらにいる三千近くの人員たちは、重たい鎧をぶつけ合わせながら、身を包むほどの大きな盾を心のよりどころにするかのように大事そうに抱えている。その様子は、不慣れな恰好と場所に戸惑う子供のようであった。

それに対して伯爵は、心に鋭い痛みを感じて目をつむった。


三千の隊列からわずかに離れた後方で、馬に騎乗した伯爵含む二百騎ばかりの騎兵たちは、何らかの動きが起きるのをひたすらに待っていた。


待って、待って、待ち続けていた伯爵らだったが、ここで一つの困惑が彼らに広がった。


正面に構えている帝国の重装歩兵の隊列が全く動きを見せないのである。

魔物たちが動き始めてから、すでに半刻が過ぎていた。自陣の槍と盾を持った兵らも、なぜか行動を起こさない帝国兵たちに不気味なものを感じて不安の波が広がっている。


この事態に、伯爵は嫌なものを感じて、左手に見える暗い木々の密集する林を睨みつけた。


そして、その事態にいち早く気付くことが出来たのである。


「盾を構えろ!」


伯爵が叫びを上げた。それと同時に、正方形に近い隊列を形成していた兵たちは、事前に教えられていた通りに盾を構えた。一列目の兵は前方に、両端の兵は外側に、そして最後尾の列は背後にまで盾を構え、それらに囲まれた兵たちは頭上に蓋をするように盾を掲げた。これにより、人ひとり入る隙間もない隊形が即座に形成された。


「射て!」


その直後、林の中から声とともに一斉に矢の雨が降り注いだ。

矢は兵たちが掲げた盾に防がれ、本来であればいくつもの命を奪ったその攻撃は、効力を発揮せずに終わった。


「なんだとッ!」


その声は、暗い林の中から軽装歩兵らに矢を射るように命令した帝国指揮官のドミニク中佐の叫び声だった。


ドミニク中佐が率いる二千あまりの軽装歩兵集団は、エブロストス軍に気づかれぬように慎重に移動していたつもりであった。それは、装備の色を黒に統一し、光沢を消した装備を身に纏っている姿を見れば一目瞭然である。

しかし、林の中から弓矢による奇襲を考えていたドミニク中佐は、まさかの一射目から防がれたことに動揺せずにはいられなかった。


そして、見事に攻撃を防いだ伯爵は、全方位に盾を構え停止している隊列から距離を置いた場所で、配下の二百騎の騎兵たちとともに待機していた。


「あの中から出てきますかね?」


大柄な兵士長がこぼした。


「出てくるだろう。こちらの弱点を見破れる指揮官ならな」


伯爵が暗い木々の先を真剣に見つめながら答えた。


その時、再び掛け声とともに矢が飛来した。二度目も防いだところで、三度目、四度目と続けて矢が飛来する。しかし、盾で塞いだ隊列は要塞のような硬さを誇り、損害は軽微に過ぎない。

盾を構える兵たちも、敵の攻撃を防げていることに緊張が緩み始めていた。


しかし、幸運は長くは続かないものである。


その時、帝国軍の指揮官はある行動に出た。

軽装歩兵らが林から出てきて、距離を縮めて来たのである。一定間隔で矢を放ちながら、隊列を組んでいる兵たちに近づいてくる。


帝国の指揮官は、エブロストス兵の隊列にとある弱点があることに気づいたのだ。

「あれだけ盾を隙間なく構えていたら、まともに動けないはずだ!」

そう言ってドミニク中佐は、渋る兵たちを前に進めた。


そしてその考え通り、矢を寄せ付けない盾の要塞は、要塞の名にふさわしく動けなかった。

やがて、彼らの距離がある一定に達したときに、弓兵の集団の中から槍を持った軽装歩兵が駆け出し槍を投げた。槍は天をめがけて勢いよく駆けだすと、今度はその鋭い切っ先を盾の要塞へと向け、風を切りながら落下した。

投げ槍は盾を貫通し、隊列の中の兵士を殺した。


隊列を組んでいた三千のエブロストス兵たちに動揺が走った。

攻撃を通さない要塞だと思っていたものが、破られたのだ。その瞬間、次に死ぬのは自分ではないかと恐怖に囚われた。そして、隊列に動揺が走ったところに再び矢の雨を降らされれば、いくつかの穴から矢が入り込み被害は拡大する。


帝国の指揮官ドミニク中佐はこの光景に満足した。

そして、再び矢を放つ号令をかけようとしたとき、崩壊しかかっている要塞の後ろから騎兵が飛び出してくるのを見て、命令を変えた。


「後退しろ!林の中に戻れ!」


弓と投槍を持った兵たちが林に向かって駆けだし、それと入れ替わりに林の中から剣を手にした軽装歩兵が飛び出して来る。

それにより、伯爵たちが弓兵と投槍兵の背中に迫った時には、すでに剣を持った歩兵が迎撃に出てきていた。


伯爵らの騎兵はわずか二百、もしこの二百がやられでもすれば、動けない要塞である兵たちは一方的にやられてしまう。そのため、騎兵を失いたくない伯爵は、剣を手にした軽装歩兵らが相手になった瞬間、転進して自陣まで戻るしかない。もし、帝国兵を林から出さないようにその場に立ち止まりでもしたら、その瞬間、矢の雨が彼らを襲っていただろう。


そして、帝国の指揮官ドミニク中佐としても、このまま持久戦に持ち込めば、一方的に相手の戦力を削れると判断し、逃げる騎兵らを追うことはしなかった。

その代わりに、再び弓兵を進めさせると、先ほどの再現でもするかのように矢を浴びせかけてから接近を試みた。


「老将様は、危険な相手だから気を抜くなとおっしゃったが、このままいけば面白味もなく勝てそうだ」


ドミニク中佐はそう言って笑うと、帝国軍の総指揮官である老将のいる自陣を見やった。

そこには、まだ一歩も動いていない重装歩兵の隊列が控えている。そう、帝国軍の主力はまだ動いてすらいないのだ。


「少しづつ消耗して壊滅するのが先か、突破をはかって無謀に走るのが先か。どちらに転んでも、勝利できそうだ」


老将率いる帝国軍と、伯爵率いるエブロストス軍ーーー

帝国軍損害なし。エブロストス軍損害軽微なれど、兵は恐慌に陥りつつあり。


***


「チィッ!次から次へと、一体どれだけの数が居やがる!」


そう叫んだのは、赤剣隊の副隊長である。

副隊長の眼前には、背を低くして唸りを上げながら、飛び掛かるタイミングを待っている狡猾な獣がいた。獣は前足を沈めると、牙をむき出しにして副隊長めがけて飛び掛かってきた。

副隊長は獣に向けて槍を構えたが、その瞬間、隣から槍が突き出されたことにより、獣は苦悶の叫びを上げて力尽きた。


「大丈夫ですかい!」


槍を突き出した赤剣隊の一人は、魔物たちから視線をそらさずに聞いて来た。

それに続いて、反対側からも続けて若い女の声が聞こえて来た。


「大丈夫ですか!」


両隣から発せられる声に副隊長は苦笑すると、声を張り上げて答えた。


「心配せずとも、問題ない!」


その言葉に、声をかけた赤剣隊の一人と赤剣隊の隊長レイラは気休めの安堵に胸を撫で下ろした。


赤剣隊は現在、魔物の群れと交戦中だった。

大地を塗りつぶすように駆けて来た魔物の群れに対し、赤剣隊も集団で対抗していた。

魔物に内側に入られないようにと、赤剣隊は魔物の攻撃を防ぎ、それを魔物が食い破ろうと攻勢を仕掛ける争いが各所で起こる。現状は、魔物の群れがやや押してはいるが、赤剣隊も魔物を押しとどめることに成功していた。


戦闘の素人である赤剣隊が持ちこたえられているのは、戦い方にあった。

赤剣隊は、三人一組で魔物に対峙し、一人が注意を惹きつけると同時に、両側の二人が魔物を攻撃するという戦法をとっていた。この戦い方は、パーティーを組んで複数人で魔物を討伐する冒険者を参考にしたものだった。


そして、それはうまく機能し、赤剣隊は少数の犠牲を出しつつも、魔物の攻勢を防いでいた。


「隊長!あんたは少し下がれ!」


そして、赤剣隊の先頭集団の一つが、レイラと副隊長ともう一人の三人組だった。

副隊長は、自分と同じくらい前に出てしまっているレイラを見て注意した。


「す、すみません!」


レイラが副隊長より少し後ろに下がったところで、副隊長は前を見た。

目の前には、四つの目を持った狼のような獣と、棍棒を手にした醜悪な人型の魔物がいる。

副隊長は槍を前に構え、接近させないように牽制しながら独り言ちた。


「それにしても、操られた魔物だからか動きが単調だな」


副隊長はそう言ったが、だからといって侮れるわけではない。

魔物の真の恐ろしさは、俊敏な動きや殺戮衝動といったもの以前にーー


「ぐッ!まずい!」


ーー人間離れした力にある。


副隊長は、飛び掛かってきた四ツ目狼を槍で突き刺したが、その際に小柄な人型の魔物が槍の柄を掴んだのだ。そして、身の丈に合わない強大な力によって、副隊長は魔物たちの渦に引っ張られるように足を浮かした。


「副隊長さん!」


左隣のレイラが声を上げ、副隊長にしがみついた。それでもまだ引っ張られ続けていたが、右隣の隊員が魔物の頭に槍を突き刺したおかげでどうにか助かった。副隊長は、いましがた感じた死への恐怖を吐き出してから、再び次の魔物に目を光らせた。


先ほどの魔物を倒して空いた穴は、即座に後続の魔物によって塞がれていた。仲間の死体によって足をとられているため、その動きは鈍重だったが、先ほど倒した魔物よりもさらに巨大になっていた。


そのことに副隊長は苦々しく顔をしかめていると、その時、彼らに近い各所からから焦りを含んだ悲鳴が聞こえて来た。


「ひッ、一人欠けた!誰かこっちに、早く来てくれ!」

「腕に噛みつかれたんだ!気絶してるから急いで後ろへ運んでくれ!」

「引っ張られる!引っ張られる!助けッ...」


最後の者の声は、そこで途切れた。

聞こえてきた声に、三人は顔を強張らせた。他の集団が、今どのような状態にあるかが、その必死な叫びから理解してしまったからだ。次に同じ目に合うのは自分かもしれないと思うとゾッとした。

そして、副隊長だけはさらに最悪の事態を想像し喉を鳴らした。

人数が減ればその分、魔物が入り込める穴が出来てしまい、下手したら一気に壊滅してしまう。


「全員聞け!ゆっくりと後退して、互いの距離を密にしろ!魔物を絶対に内側に入れるな!」


副隊長は叫んだが、この喧騒の中で聞き取れた者がどれだけいたか怪しい。そして、聞こえていたとしても、後退する余裕があるのかすら覚束なかった。

副隊長が歯噛みしていると、隣から呆然自失とした声が聞こえて来た。

それは、若い女隊長レイラの震えた声だった。


「副隊長さん...。あっ、あれって、何ですか?あの遠くに見える、大きな蛇みたいな!」


その声に、魔物の壁の奥を見ると、遠くでちらりと緑がかったうろこで覆われた何かが蠢いたのが見えた。副隊長は、魔物に関しての知識は薄い。それでも、あの魔物が一介の冒険者では倒すことのできない化け物であることは知っていた。


そして、その時ふと気づいた。


その巨大な蛇のような魔物のほかにも、奥には巨大な魔物が多くいた。

そして、目の前の魔物と見比べてみたとき、副隊長は恐ろしい事に気が付き叫びそうになった。


この魔物の群れは、奥に行くほど魔物が強く巨大になっている。

つまり、たった今苦戦している小型の魔物たちは、あくまで序章を飾るに過ぎない。

魔物たちの中核は、あの後ろに控える化け物共なのだ。


「ひっ!うああっ!助けて、助けて!」


また一人、魔物の群れに引きづりこまれて消えて行った。


副隊長は震えそうになる手を押さえつけ、この事実を誰にも伝えることなく魔物の群れを見据えた。

そして声を張り上げた。


「怯むな!恐怖に陥れば、即座にあの世行きだ!」


しかし、その言葉を発した当の本人が、一番この状況に絶望していたことには、誰も気づかなかった。

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