災いは帝国からの贈り物
広大な領土を持つ王国の中心に位置する王都フェルザーン。
そこにある王国の長い歴史を象徴するような巨大な城は、今より何代も前の王が建てたものだ。
その城の玉座の間にて、現国王と帝国の人間が不穏な雰囲気を漂わせながら相対していた。
「遠路はるばるよくぞ来られた、帝国の者よ。貴国のことはこちらの耳にはあまり入らぬのでな、こうして会えたことを嬉しく思うぞ」
第一声は、国王のそんな言葉だった。
言葉だけ見れば好意的だと捉えられる内容であったが、実際に国王がそう思っているかは怪しかった。
なぜなら、玉座に座る王と帝国の使者たちは過剰と思えるほど距離が離されている。それに加え、左右の壁際にずらりと並んだ白き騎士たちは、明らかに敵に向ける視線を帝国の彼女らに向けていた。
「広大な王国をその身一つで治めておられる国王陛下にそう言っていただき、感激です」
国王の言葉に返答したのは、帝国の使者たちの先頭にいる銀の長髪をたなびかせた女だった。
彼女が口にした賞賛の言葉はしかし、ただ文章をそらんじるかのように感情がこもっていなかった。
それどころか、国王に相対する彼女はここまで一度も国王に対して頭を下げていない。そのことに、王のそばに控える宰相は分かりやすいくらいその顔に怒りを浮かべている。
両者とも、言葉と内心が違っているのはここにいる誰の目にも明らかだった。
「して、そなたらが余に会いに来たのには目的があろう?」
「はい。皇帝陛下から書状を預かっております。こちらを」
黒い礼装の懐から使者は封のされた書状を取り出すと、それを差し出した。王が宰相に目配せすると、宰相は使者に歩み寄りその手から書状を受け取った。
宰相は元の位置まで戻ると、その封を開けて一枚の簡素な紙を取り出した。
宰相はわざとらしく咳ばらいをすると、その紙に書かれた内容を読み上げる。
「では僭越ながら私が、...『貴国は帝国の忠実なる僕を殺害し、帝国が保有する古代魔道具を不当に占有している。よって、奪った古代魔道具をひと月以内に帝国に返還するべし。もしこの約束が破られた場合、帝国は貴国に対し軍隊をもって攻め入る。王国の統治者が、正しき判断の出来る人間であることを私は願う。ーーー帝国皇帝 ヨーゼフ2世』」
宰相がすべてを読み上げたあと、一室に沈黙が落ちた。
しかし、その原因であるものを持ってきた帝国の人間は、涼しい顔で堂々と佇んでいる。
この沈黙を破れるのは、国王だけだ。そしてその国王は、玉座の上から帝国の人間を睥睨すると厳かに告げた。
「帝国の意思は分かった。帝国から宣戦布告があると前もって聞いてはいたが、ここまでとは思いもしなかった」
すると国王は宰相に目配せをした。
宰相はそれに黒い笑みを浮かべると、驚くべき行動に出る。
手に持ったその紙を、破いて見せたのだ。
これには、これまで動じていなかった帝国の使者も目を見開き、先頭の女は思わず一歩踏み出した。
その瞬間、壁際からひときわ強烈な敵意が放たれると同時に、白き騎士たちの幾人かが剣に手を添えていた。
一瞬にして、一触即発の空気になったその場に、国王の高らかな声が響き渡った。
「いくら戦争の理由がなかったからと言って、よくもこんなでたらめを書けたものだ」
「でたらめなどッ」
銀髪の使者は咄嗟にそう口に出してしまったが、それを遮るように王の言葉が続く。
「余の国が、古代魔道具を奪っただと?そんなことがあれば、余の耳に入っていないのはおかしいではないか。それとも、殺された帝国の人間は無名の者に倒されるほどに弱かったとでもいうのか?」
使者は口を閉じ、その鋭い目を国王に向けた。
もはや、ここから関係を修復するとなれば不可能だろう。もっとも、その必要があるかは疑わしいが。
黙り込んだ帝国の使者らに、最後とばかりに王は告げた。
「帝国の皇帝に伝えよ。奪っていないものは返せない。この返答に満足せぬようなら、勝手に攻めてくるが良いと」
こうして王都での対話は破局に至り、その結末は遠く離れたエブロストスに災いとしてもたらされることとなる。
***
その日、エブロストスの北に広がる地を馬に乗って偵察していた兵士は驚くべきものを見た。
視線の先は、帝国の領土が広がる方角だ。そのはるか遠くに、黒い小さな影が広がっている。
距離があまりにも離れているため、その影の正体が何かは正確につかめないものの、動いているように見えるそれはこちらに向かっているようだった。
兵士は相手に見つからないように、木々の傍に身を隠しながら近づいていき、ようやくその全容が見えたとき思わずぞっとして叫びだしそうになっていた。
それは、大地を埋め尽くすほどの人と魔物の群れであったからだ。
この兵士の報告を聞いた伯爵は、言葉を失っていた。
そして、伯爵は心の中で『ありえない』と呟く。それほどその報告は現実離れしていたからだ。
魔物は国の違いに関係になく人類の敵だ。魔物を懐柔しようとした馬鹿な人間が過去にも何人かいたと聞いたことはあったが、そんな人間はとうに魔物の胃袋の中に入っている。
魔物を決して手懐けられないのは、もはや一部の人間だけの認識ではなく常識だ。もし仮に、帝国がこの常識を破るすべを見つけたとしても、軍団規模の魔物の支配など到底できるとは思えない。
だからこそ、兵士の言葉を真と考えるよりも、兵士が錯乱して見間違えたと考える方がよっぽど現実味があった。
「本当に魔物が人間とともに進軍していたのか?それも大地を埋め尽くすほどの規模で」
だからこそ、伯爵は疑念交じりに報告した兵士にそう聞いたのだが、それに答えたのは兵士ではなかった。
「じゃあ、その魔物たちを操ってる奴がいるってことだよね」
横合いから声を出したのは、一緒に報告を聞いていたアイティラだった。
アイティラはその報告を微塵も疑うことなく、むしろ正しいと確信しているような響きがその表情と声色にはあった。
そのことに伯爵は違和感を覚え、アイティラに尋ねる。
「なぜそう言い切れるんだ。魔物を操る方法など聞いたことも...」
「いるよ」
アイティラは短く答えると、伯爵から顔を背けてつづけた。
「私は知ってるの。帝国の人間に、魔物を操れる奴がいるって」
続けられたその声は、いつもの可憐な少女の声。そのはずだったが、言葉では言い表せない違和感を伯爵は感じた。背けたその顔にどんな表情が浮かんでいたのか、見ることはできない。
「仇はとった思ってたけど、そっか。まだ、だったんだ。まだ、だったんだね」
独り言のように呟かれる声には、暗い響きがこもっていた。
伯爵にしてみれば、この少女がなぜ帝国の事情を知っているのか疑問は尽きない。
だが、そんなことを聞き出している時間などもはやないだろう。この少女は味方だ。そのことだけが分かっていれば、伯爵にとっては問題なかった。
伯爵は決意を固めると、配下の兵たちと赤剣隊に出陣を伝るべく動き出した。
エブロストスの北に広がるのは、地面の土色と草の緑が入り混じっている広い平野だ。そして、その平野を挟み込みように、エブロストスから見て左側には木々が密集した林、右側には小高い丘がある。
その自然が作り出した広大な地形が見える位置に、伯爵の兵士七百、赤剣隊二千五百が横陣を敷いて帝国の方角を睨みつけていた。
彼らの中に渦巻くのは緊張感。
今この瞬間に、誰かが身じろぎして金属のこすれる音を出しさえすれば、それがはっきりと聞こえるだろう。隣にいる人間の息づかいまで聞こえてきそうな静けさだった。
アイティラは、伯爵の兵士たちの隣に並び同じように広がる大地の先を見る。
まるで薄い霧でもかかっているようにぼんやりとした、寂しい平野の遥か先を。
その赤の瞳に映る激情を誰にも悟らせないとばかりに、一心に。
それが姿を見せるまでどれほどの時間がたっただろう。
豆粒のように小さな影が、彼らの視線の先に現れた。それを見た瞬間、誰かが息を呑む音が聞こえた。
「な、あ...」
隣の兵士が声にならない呻きを漏らす。彼らの前に現れたのは、本当に小さな影だった。
だが、それほど離れていても分かる。そのうごめく影は、あまりにも大量に居た。
地平全てを埋め尽くすように横に広がるそれは、端から端までの距離はどれほどか想像もできない。
そして、それらが近づき、影が大きくなっていくにつれ動揺が大きくなっていく。
やがて影の正体が何であるかが見えたとき、赤剣隊だけでなく勇敢と思われていた伯爵の兵士達までもが恐怖に震えた。
姿を現したのは、帝国の人間だ。たなびく大きな旗の下には、重厚な鎧をまとった兵士が数えきれないほどいる。そこまでは良かった。それは、赤剣隊も伯爵たちも予想できていた。
だが、もう一つの集団は異様だった。
それは魔物の群れだった。魔物の群れは統一された種族ではない。獣型の魔物、人型の魔物、異形の魔物、小さいものから大きいものまでが集まっている。姿かたちがバラバラなそれは、しかし明確な一つの意思に基づいているように一つにまとまっていた。
異形の軍勢を前に、赤剣隊も兵士たちも完全に気圧されていた。そんな彼らの眼前で、帝国の軍勢は歩みを止めると大きな旗を振り回し、ここまで離れていても聞こえてくる大音声で人間中心の叫びを上げた。
それだけでも効果は絶大だった。
意気込む帝国の軍勢に対し、こちら側の人員は一様に威勢をそがれている。特に民兵である赤剣隊の動揺は顕著だった。誰もがその顔を蒼白にし、恐怖に身体を震わせていた。
帝国側の人数は魔物と人間を足せば、こちらの倍は居るように見える。そんな彼らが、戦意をあらわに叫んでいるのだ。そうなればいくら戦いを経験した者でも、恐怖に駆られてしまう。
だが、そんな空気の中で一人だけ怯えていないものがいた。
眼前の光景を目にした少女は、押さえていた憎悪をついこらえきれずに呟いた。
その声は、その少女が発したとは思えないほど悍ましい響きを宿していた。
「また私の大切を奪おうとするんだ。でも、もう奪わせない。今度こそ、逃がさない」
その声が聞こえてしまった隣の兵士はぎょっとして少女に目を向けて、さらに驚くことになる。
少女は血のにじむような赤い瞳で、あの軍勢の中にいるであろう敵を睨みつけていた。




