帝国の使者
その日、執務室で書類とにらめっこしていた伯爵のもとに予想外の報告がもたらされた。
報告をもたらしたのは、エブロストスの門前を警備している伯爵の兵士の一人だ。その兵士は駆け込むような勢いで伯爵のもとまでたどり着くと、入室の許可が下りた瞬間執務室の扉を開いた。
本来であれば無礼ともいえるその行動を諫めるものかもしれないが、伯爵は不快に思うこともなく、むしろ緊急事態だと判断し何も言わなかった。
兵士は息を整えるのも惜しいとばかりに、伯爵に伝えるべきことを報告した。
「伯爵様、帝国の使者を名乗る集団が伯爵様に面会を求めております!」
「帝国...?」
伯爵は予想していなかった報告に、けげんな表情で聞き返した。
帝国と言われれば、この都市を北進した先にある帝国以外にない。そして、その帝国はここ十年ほど小競り合いを除いては王国に干渉して来きていなかった。もちろん、裏の世界ではいろいろあるかもしれないが、表の世界では王国と帝国は不気味な不干渉状態が続いていた。
その帝国から使者が訪れるとは、一体何事か。
「分かった。歓待の用意をしよう。それまでは帝国の方々を待たせておいてくれ」
不審な点はあるものの、まずは会ってみるべきだろうと伯爵はそう口にした。すると、兵士はどこか報告しずらそうに眉を下げた。
「それなのですが帝国の方々は時間がないとのことで、いますぐに面会が通らなければそのまま王都へ向けて出発すると言っております」
「なに?」
あまりにも勝手な言い分に、伯爵は眉を寄せる。第一、帝国の人間を勝手に王国内に入れられるわけがない。いくら王に刃を向けたとしても、帝国の味方になったわけではないのだ。
「分かった、すぐに用意をしよう。それと、兵士長にはいくらか城に警備を置くようにも伝えてくれ」
「ハッ」
兵士は生気にあふれた返事をすると、執務室から出て行った。
残された伯爵は最近白髪が増えて来た淡い茶色の髪を押さえると、ため息を一つついてから立ち上がった。
***
城の中で自分用に割り当てられた部屋で、アイティラはひびの入ったブローチを眺めていた。
このブローチは真ん中に赤い色の石がはめ込まれており、その周りを縁取るように黄色の枠が周りを囲っている。ひびが入ったのはこの石の部分だ。
王子にブローチを落とされてからアイティラはブローチを直すためエブロストスの職人を当たったが、職人たちは口をそろえて「新しいものを買った方が早い」と言ったのだ。
それに怒ったアイティラは、結局直すこともしないままひびの入ったブローチを持っていた。
これの原因であるあの王子の顔を思い出して嫌な気分になったアイティラは、ブローチを胸に抱くと懐かしい少年の顔を思い出して悲し気に目を閉じた。
そうしてどれほどたったのだろうか。部屋の外から足音が聞こえ、ノックの音とともに聞きなれた老人の声が聞こえて来た。
「お嬢さま、いらっしゃいますか?」
それは、伯爵の執事のパラードだった。
アイティラが返事を返すと、パラードは安堵したような声になった。
「申し訳ありませんが、すぐに応接間に来ていただけますか?」
「なにかあったの?」
「ええ、少し。先に旦那様がお待ちしていると思いますので、準備ができ次第向かってください」
アイティラはとりあえず了承の返事を返した。するとパラードは感謝の言葉をのこした後に、足早に扉の前から去って行った。
その様子に忙しそうだと思いながらも、アイティラは特に準備することもないため扉を開けて早速向かうことにした。
廊下に出たアイティラは、すぐにいつもと違うところに気が付いた。城の中に兵士が何人も出歩いているのである。いつもは警備の兵士は城の中にいることはなく、あくまでも城外で警備をしていたはずだ。
それに不審に思いつつも、アイティラは兵士の前を通り過ぎて行く。
廊下を進んでいる途中、アイティラは不意に視線を感じた。誰かが警戒交じりの視線をアイティラに向けている。視線の主が誰か予想はつくものの、アイティラがそちらを一瞥すると王子の従者であるシンが扉に隠れるようにしてこちらを伺っていた。
「......」
あの従者はアイティラを殺そうとした前科はあるが、それはあの従者の勘違い...というよりも不幸なすれ違いによって起こったことだ。念のために殺すのもいいかもしれないが、伯爵にバレたら悲しませるかもしれないため敵にならない限りは放っておくことにする。
そしてアイティラは記憶を頼りに、応接間にたどり着いた。
応接間は無駄に広く、中央に格式高い机と向かい合わせになるように置かれた長椅子がある。
部屋の隅には、背の低い棚の上にどこかで見た覚えのある置時計が飾られていた。置時計は等間隔に並べられた緑の宝石を一つ失くしたまま、規則正しく動いていた。
「来てくれたか」
アイティラに声が掛けられてそちらを向くと、いつもよりも一段と質のよさそうな衣服を身に付けた伯爵の姿があった。
「時間がないので手短に話すが、これから帝国の使者殿をこの部屋に招く。アイティラ嬢にはその場に同席してもらいたい」
穏やかな声が耳に入ってくると同時に、アイティラは語られた言葉の中の一つの単語に気をとられた。
帝国。
この時代に来てからも、その単語はどこかで聞いたことがある。それは思い出すまでもない記憶にあった。アイティラの大切を奪った人間が、自分を『帝国十傑』と称していたことははっきりと覚えている。
帝国については知らないことばかりだが、きっとアイティラにとっては敵になるだろう。
「分かった。じゃあ後ろのほうで聞いてるよ」
「すまないな」
アイティラは、思い出した憎悪を伯爵に悟られないよう笑って見せると伯爵から距離をとった。
それからそう時間はかからずに、兵士の一人が扉を開けて帝国の使者の入室を告げた。一際体格のいい大柄な兵士(確か兵士長と呼ばれていた)が先導して、見慣れない恰好をした五人の人物が入ってきた。
その五人は統一された黒を基調とする服に身を包んでおり、頭にはこれまた黒と金が交じり合った帽子を乗せていた。その先頭を歩いていた長身の女性の使者は、帽子に収まらない長い銀髪をたなびかせながら室内を見渡すと伯爵に向かって一言告げた。
「貴方がコーラル伯爵とお見受けします。取り急ぎの面会を承諾していただき、感謝いたします」
銀髪の使者はそれだけ言うと、切れ長の瞳を伯爵に向けた。
「いえ、帝国の使者殿とあれば迎え入れるのは当然のことです。まずはお座りください」
伯爵は重々しい口調で帝国の使者に着席を促した。言葉こそ丁寧だが、その声色に疑念と警戒の色があるのにアイティラは気づいた。おそらくは帝国の彼女らも気づいただろう。
帝国の使者たちは伯爵の対面の席に進むと、銀髪の女だけが長椅子に座り残りの四人は長椅子の後ろで直立した。
そして、帝国の使者の一人が着席したのを見て、兵士長は伯爵の席の後ろに同じように直立する。すでにその場所に立っていたアイティラの横に並ぶことで、王国側と帝国側が部屋の半ばで二分された。
初めに口を開いたのは伯爵だった。
「帝国の使者殿...失礼。なんとお呼びすればよろしいか?」
伯爵の問いに、銀髪の女性は考え込むとその名を口にした。
「白銀とお呼びください。祖国で私はそう呼ばれていますので」
何やら二つ名らしきものが飛び出し伯爵は眉を顰めかけるも、結局は表情に出すことなく頷いた。
「それでは白銀殿。あなたがどのような理由で王国まで来たのかお伺いしても?」
「それはここでは言えません。ですが、私が貴方に望むことは我々を王都まで通していただくことです」
白銀と名乗る使者は、感情を感じさせない冷たい声で答えた。
伯爵はいよいよ眉をしかめて、警戒もあらわに問いかける。
「帝国が王国に何の用があるのか少しでも教えていただかねば、ここから先を通すわけにはいきません」
伯爵の語気を強めた言葉に、白銀はその切れ長な目を真っすぐに向けた。感情の乏しく見える冷たい瞳は、ナイフのような怜悧さを帯びている。
「皇帝陛下から貴国の王以外の人物に内容を話すことは禁じられています。もし我々の足を止めるというのなら、両国にとって望まないことになるでしょう」
「脅しかね?」
「いえ、私は事実をお伝えしただけです」
両者の間に不穏な雰囲気が漂い始めた。この空気に触発されてか、後ろで直立する帝国の使者四人の顔には分かりずらくも心配の色が漂っているように見える。兵士長もそれは同じで、唯一顔色が変わっていないのはアイティラくらいだった。
このまま互いの要求がとらなければ話は平行線になりそうだった。
しかし、それを防いだのは帽子の位置を直しながら放たれた白銀の言葉によってだった。
「コーラル伯爵。帝国とて争いを望んでいるわけではありません。多くはお伝え出来ませんが、皇帝陛下の意思は貴国の王にある要求を認めてもらうことにあります。その要求が果たされれば、またしばらくの平和が訪れるでしょう」
「......」
伯爵は沈黙した。アイティラからは伯爵の後ろ姿しか見えないが、それでも逡巡が伝わってくる。やがて心が決まったのか、伯爵は厳かに決定を告げた。
「このまま通さなければ、互いにとって望まぬ結末になると?」
「はい」
「王の判断次第で、つかの間の平和が維持されると?」
「はい」
「...なれば、認めるしかあるまい」
「感謝します」
伯爵の決定に、白銀は無感動に答えた。
それからしばらくして、帝国の使者たちは兵士長とともに応接間から退出した。
退出する際、白銀はなぜかアイティラに探る様な視線を向けてきたが、アイティラが何も反応を示さずにいると興味を失ったように視線を外して出て行った。
帝国の使者たちが去った後、疲れた様子の伯爵の顔を心配そうにアイティラが覗き込んでいると、扉が勢いよく開かれ煩わしい者たちが入ってきた。
「コーラル伯、今のは帝国の人間だな!なんで帝国の人間が出入りしているッ!まさかとは思うが、帝国に心を売り渡したのか!?」
どかどかと部屋に入り込んできたアレクは、勢いのままに伯爵に掴みかかろうとした。しかし、その手は横にいたアイティラに捕まれた。
アレクがアイティラを睨みつけるも、アイティラはさらなる睨みでもって返した。
その様子に慌てたシンは、必死にアレクを諫めようとする。
「アレク様、少し落ち着いてください」
「シン?なぜお前までそっち側に付く!?」
「城内に配置された兵士の数からみても、帝国に心を許しているようには見えません。その判断を下すのは早いかと思います」
自分の味方をするとばかりに思っていた従者の言葉に、思わずアレクの勢いもそがれた。そこに伯爵の声がかかることによって、アレクはそちらに意識を向ける。
「殿下、私は陛下に刃は向けましたが帝国に味方することはないと誓えます」
厳かに告げられた言葉に、アレクは冷静さを取り戻して嘆息した。
「...すまなかった、帝国の人間を見て少し冷静さを欠いた。それで、何があったんだ?」
アレクの問いに、伯爵は先ほどの内容をそのまま伝えた。帝国の使者が、王都へ向かおうとしていると。
「王都...。まあ、普通に考えれば国王に用があるんだろう。だが、帝国が王国に何を伝えることがある?」
首をひねるアレクだったが、そうしているうちに兵士長が再び室内に戻ってきた。
伯爵は兵士長に気が付くと、声をかけた。
「兵士長、すぐに全ての兵士を集めてくれ」
「ハッ」
一言返事を残して消えた兵士長の背を見ながら、アレクは不審そうに伯爵を見た。
「兵士を集めて何をするんだ?まさかとは思うが、帝国に喧嘩を吹っ掛けたりしないだろうな?」
その言葉に、伯爵は目を伏せると小さくも意思のある声で呟くように言った。
「帝国と戦争を起こすつもりはありません。それでも、万が一。万が一に備えて動く義務が、この都市と反乱の上に立つ私にはある」
アレクは伯爵のその言葉に端正な顔を曇らせた。




