血の流れない平穏を
薄暗い部屋に光をもたらす小さな窓を睨みながら、青年は壁掛けランプに手を添えて光を灯す。
埃っぽさに顔をしかめると手近にあった木の椅子に腰を下ろし、足を組んで扉の先にいる己が従者に声をかけた。
「シン。どうだ、見張りはいるか?」
声をかけられた従者は扉の先で入念に左右を確認すると、何事もなく部屋に入り扉を閉めた。
「いえ、いません」
「そうか」
そう答えて一息ついたのか、その青年アレク・レイド・フェルタインは力を抜いて背もたれに身体を預けた。
「とりあえず潜入は成功だな。王都からは馬を乗り継いで、誰にも気づかれずに来れた自信がある。たとえ僕が居なくなったとしても、父上はきっと気にもしないだろう。問題はここでのことだが...あの伯爵には警戒されてそうだな」
「......」
アレクは悩まし気に腕を組むと、これまでの出来事を頭の中に思い浮かべていく。この都市に入るまでは考える余裕がなかったため、ここで一度考えを整理するべきだと思ってのことだ。
ここ最近で見たものと言えば、コーラル伯爵の様子、国王に敵意を抱いている民衆、赤剣隊という組織...。そこまで考えたところで、アレクはふと思い出したことがあった。
「...シン。紅の騎士団を全滅させたのは誰だと思うか?」
アレクのつぶやきに片目が隠れた従者は考えるそぶりを見せたものの、返答までにかなりの間があった。
「...コーラル伯爵が兵を率いて全滅させたのでしょうか」
答えた従者は自分でもその答えに納得していないのか、声には疑念が混じっていた。
「確かに、そう考えるのが一番納得できる。だがーーー」
アレクは椅子から立ち上がると、部屋にある小さな窓から下を見下ろした。ここからでは見えずらいが、遠くの方に槍を持った集団が訓練している様子が見える。
「兵士の質は良いみたいだが、あまりに数が少なすぎる。紅の騎士団三千に対して、あそこにいるのは七百程度だろう。戦術どうこうで覆せる差ではない。赤剣隊が活躍したのも考えられるが......訓練もしていない民兵がまともに戦えたとは思えない」
アレクは眉間にしわを寄せながら、口元を手で覆った。
「唯一勝てるとすれば籠城戦だが、焼け焦げた跡を見る限り紅の騎士団は都市の中に入ってきてるだろう。僕たちが見てきたものだけで考えると、紅の騎士団には絶対に勝てなかったはずだ」
アレクは一種の確信を得たように、きっぱりと断言した。深緑色の瞳は正体の分からない何かに対して、そらすことなく向けられていた。
「それでは、自分が詳しく調べてきます」
アレクの背後から感情の乏しい声が掛けられ、アレクは振り返った。
「ああ、頼んだ。くれぐれもバレるんじゃないぞ。探っていると思われたら、追い出されてしまうかもしれないからな」
従者が頷くと、アレクは深くため息をついて窓際から離れた。
そして再び椅子に座ったが、なぜか微動だにせずじっと片目で見つめてくる従者の姿を不思議に思った。
「アレク様、あの女ですが...」
「どの女だ?」
「失礼しました。黒髪の小柄な少女のことです」
「あぁ、あいつか。あれがどうかしたのか?」
アレクが問いかけるも、シンは不思議と言いよどんでいる様子だった。この従者に限っては、今までに見せたことがない反応だ。
「言葉で表現しずらいのですが、何か嫌なものを感じました。敵意や悪意と言った類のものです。出来れば、あの女には近づかないでください」
アレクはその少女のことを思い浮かべたが、敵意を抱かれているとは感じなかった。だが、敵意を持たれても仕方ないとは思う。王都から来た王族など、そう簡単に信用されるとも思えない。
しかし、それは少女に限った話ではないし、なにより無力そうなあの少女がそこまで危険とは思えなかった。アレクは心の中で、己の従者も王城を離れて気が立っているのだろうと思い、深く考えずに返事をした。
「分かった、注意するさ」
そう口にしたものの、少女については警戒する必要もないだろうとアレクは思っていた。
***
「それじゃ、始めるとしよう。<民衆派>代表のラファイエットだ。よろしく頼むよ」
暗い路地裏の扉の先、そこにあった広間での怪しげな集会に参加したアイティラとレイラは、円卓の周りに集まっている人々の後ろからその様子を眺めていた。
初めに声を発したのは、青みがかった髪をしている男だった。その男は髪がぼさぼさではあったが、妙に気品を感じさせる佇まいをしており、不快感は微塵も抱かせなかった。
「今回も初めてこの場所に来た人がいるようだから、簡単に紹介しよう。ここ<民衆派>は、貴族たちの争いに巻き込まれないように、民衆が団結することを目指す集会だ。創設メンバーおよび代表は、ぼくとダルソンとケープの三人」
ラファイエットと名乗ったその人物は、自身の両脇に控えていた、大柄で顎に肉がついているダルソンと小柄で目の細いケープという男を紹介した。二人はラファイエットから一歩引いたところにいて、軽く頭を下げた。
「紹介はこれくらいにして、あとは会話の流れから<民衆派>がどんなことをしているのか知ってもらいたい。それじゃ、まずは活動報告から始めようか」
ラファイエットは円卓の上にある紙を一枚掴んで、話し始めた。
「まずは、<民衆派>の人数からだ。皆の宣伝活動のおかげで、<民衆派>の数は五十を超えた。まだまだ少ないが、いずれ皆も気づくだろう。反乱で血をながしても何の解決にもならないことが」
ラファイエットの後ろにいるダルソンとケープが深く頷き、アイティラたち観客側の何人かも同じく頷いていた。アイティラはその様子に、不気味なものでも見たかのような表情をした。
「それでは、次に以前から話を進めていた反乱の終息についてだ。この反乱は、きわめて悪質なものだ。この都市の皆は、この反乱を正当な怒りだと言っている。自分たちを守るどころか、攻撃してきた騎士団と王に対する、正しい反抗だと。だが、よく考えてみてほしい。そもそも、この都市が攻撃されたのは反乱が起こったからだ。武力によって抵抗したから、武力によって鎮圧されそうになっただけ。今回はどうにかなったが、伯爵はきっと次の戦いを望んでいる。そうなる前に、なんとしてでも伯爵を止めなきゃいけない」
淀みなくすらすらと流れる口上が終わったところで、ラファイエットはダルソンに目配せした。ダルソンは一歩進み出てから、大きな咳ばらいをしてから話し始めた。
「反乱を伯爵に思いとどまらせるために、まずは<民衆派>の人数を増やす!そして、人数が増えたら城の周りを取り囲み抗議するのだ!もしこの声を無視するようなら、伯爵を王国側に差し出すことも視野に入れている!」
円卓に集まった人たちから、かすかな感嘆の声が聞こえた。アイティラは、自分たちをここまで連れて来た男も同じように感嘆していているのを見て、嫌悪に目を細めた。
「伯爵を王国に差し出すのは最終手段だ。あくまでぼくらは、血を流さない解決を目指している。誰もが安心して暮らせるために。...それじゃあ次は、ここにいる皆の意見を聞いていこうか。提案でも、反対意見でも何でもいい。何か意見のあるものは挙手をしてくれ」
その声に合わせて、まばらにちらほらと手が上がり始める。ラファイエットは顔を巡らせて、その中の一人を指名した。指名された人物は、アイティラとレイラをこの場所に誘った男であった。
男は感激した様子で、皆に注目される中、得意げな様子で話し始めた。
「血を流すことなくこの都市の平和を目指すことは素晴らしく思います。しかし、もし伯爵様が私たちを弾圧しようとしたらどうされるのですか?最近は、あの忌々しい赤剣隊もずいぶん増えてきました。この居場所がばれるのも時間の問題かもしれません」
男の話を聞いた周りの人々は、皆難しい顔をした。そして、自分たちの代表のラファイエットがどんな答えを返すのかに注目した。この時、注意がラファイエットに向いたおかげで、レイラが一人蒼白になって震えていたのに気づいたものは誰もいなかった。
ラファイエットは机を二回指でたたくと、安心させるように小さく笑った。
「安心してほしい。その時はぼくら三人が話をつけるつもりだ。彼らだって、同じエブロストスの仲間じゃないか。話し合えば、きっと理解しあえるさ」
代表の頼もしい言葉に、聞いていた人々の表情にわずかな安心が戻ってくる。その様子にラファイエットは満足すると、「次の意見は...」と話を先に進めようとした。再び手が上がり始める中、ラファイエットはある一点に目が行った。
「おや、ずいぶんと小さなお客さんだ。何か意見があるなら言ってごらん。安心して、何でも言っていいからね」
ラファイエットは優しげな声を出すと、大人たちの間で小さな手を挙げている少女を指名した。小さな少女の参加によって、わずかばかり場が和んだ。
しかし、その少女が口にした言葉によって、一気に空気は張り詰めたものになる。
「私は反乱を進めるべきだと思う」
ラファイエットは驚きながらも、「どうしてそう思うんだい」と慎重に問いかけた。
「だって、初めから降伏してたから悪い子爵に苦しめられてたんでしょ。だったら、戦って自分たちの都市を守るほうがいいと思う」
この言葉に、ダルソンとケープの二人が敵意をあらわにして少女を睨みつけた。ラファイエットはそんな二人を戒めると、周りに注意を払いながら少女に言葉を返した。
「...じゃあ、戦う選択をしたとして、その後どうするんだい。王国は敵になり、外部からの支援もないまま攻撃にさらされることになる。都合よく助かって皆が幸せに暮らせるのは、小さい子向けの絵本の中だけだよ」
その言葉を言った瞬間、少女は勢いよく顔を上げて何かを言おうとした。だがそれよりも早く、横にいた栗色髪の女が少女の口を覆ったため、少女の言葉は遮られてしまった。
栗色髪の女の顔は、やけに血の気が引いているように見えた。
「え、えっと...」
口を塞がれた少女からの下から向けられた非難の目と、ここにいる全ての人から視線を向けられたことで、レイラは委縮して言いよどんだ。
しかし、アイティラが口を塞ぐ手を退かそうともがき始めたので、レイラはさらに強く抑えると、何も考えられぬまま口任せに言葉を連ねた。
「えっと、この子が言ったことは、その...ちがうんです!」
ラファイエットは何も言わずに様子をうかがっている。
「その、この子は...家族が...戦いで亡くなってしまって...だ、だから...」
張り詰めた空気の中レイラがたどたどしく言葉をつないでいると、ラファイエットは小さく息を吐いて、レイラを安心させるように笑みを浮かべた。
「なるほど、そういうことか。恐がらせてしまったね」
そしてラファイエットは、いまだに少女たちに怖い顔を向けている仲間たちの注意を引くために大声を出した。
「という訳だ!家族が居なくなった辛さは、君たちも理解できるだろう。だからこの少女を責めないでくれ。ただ、この子が言ったことには一つだけ間違いがある。憎しみを武力で解決することだけが正しい道じゃない。時には、血に頼らない解決も必要なんだ」
その場に居た者たちは、その言葉に深く頷いた。少女の言葉への非難も、いつの間にか同情に変わっていた。
その様子にレイラは胸を撫で下ろすと、アイティラの口を押えていた手を離した。
アイティラは、不満そうにレイラをじっと見上げると、何も話すことなく大人しく隣に並んだ。
「さて、それじゃあ次に移ろうか」
ラファイエットの声が響く中、話し合いは平穏に続いていく。
ダルソンとケープの表情だけが、嫌に苦々しく歪められていたことを除けば。




