小さな欠片
小さな窓から差し込む光が、露わになった肌を照らす。
汚れのない真っ白な服が、柔らかく少女を包み込んだ。
少女はそれに満足そうな表情を浮かべると、今日も一番の宝物を胸のあたりに飾り付ける。
アイティラは、最近城の外に出ることが増えてきた。
何をしているのかと言えば、レイラの隊長としての活躍を後ろで見届けるのだ。
外出するときは伯爵からもらった真っ白の服を着ているため、ローブ姿に見慣れた赤剣隊のメンバーに気づかれずに追い返されそうになることもあったが、それ以外の点では不便が無いためアイティラはいつもその姿だった。今日もアイティラは身支度を整えると、早速城の外に出た。
今日も普段と変わらない日になるだろう。そう思っていたアイティラだったが、今日は少し違ったようだ。
アイティラが城の外に出ると、前方から何者かがこちらに向かってくることに気づいた。人数は十人ほどで、そのほとんどは腰に剣を差しているようだった。アイティラは警戒して立ち止まったが、彼らの中にレイラの姿があったのを見てアイティラは警戒を解いた。
レイラがいるということは、彼らは赤剣隊の隊員なのだろう。そう納得したところで、アイティラは彼らの中心に居るそれを見て訝しがった。
彼らの中心に居たのは二人の人物だった。薄茶の外套で頭からすっぽりと覆っており、その顔を見ることはできない。その二人が、両腕を赤剣隊の屈強な男たちに取り押さえられて歩かされているのだ。二人のうちの一人は、激しく抵抗しており何やら喚いている。レイラたちがアイティラに近づくにつれて、喚いている方の言葉がアイティラのもとまで聞こえて来た。
「おい!僕にこんなことをして、無礼だとは思わないのか!さっさとコーラル伯爵に会わせろ!」
アイティラが目を細めてその人物を見ると、向こうもアイティラに気づいたようで「誰だ、あれは?」と腕を掴んでいる赤剣隊の男に聞いている。だが、男から返答はなかったようで苛立っている様子だ。
「あ、あの、アイティラさん」
するとレイラが遠慮がちに声をかけて来た。
「怪しい人物を捕まえたのですが、ど、どうします?」
どうすると言われても、アイティラは彼らが誰なのか知らない。
アイティラが難しい顔をしていると、レイラは彼らの方を気にしながら話し始めた。
「えっと、城門での取り調べを無視してこの都市に入ろうとしたので追い返そうとしたのですが、伯爵様の知り合いだと言っていたので連れてきました」
「それでこの人たちは誰なの?」
「そ、それが、頑なに名乗ろうとしないんです」
話を聞いているとますます怪しく思えてくる。だが、一応伯爵に確認を取ってからの方がいいと思い、伯爵を呼んでこようと頭の中で考えた。しかし、ぼそりと聞こえて来た言葉によってその考えも霧散した。
「賭けに乗って来てみたが、なんだこれは。反乱集団の隊長が弱気な女の時点でありえない。コーラル伯は一体何を考えている...」
その呟きは、その人物を捕らえていた赤剣隊の面々にも聞こえたのだろう。彼らの顔が一斉に険しくなった。唯一レイラだけは聞こえてなかったのか、相変わらずの不安そうな表情のままだ。
アイティラはその人物に冷めた視線を送ると、普段と変わらない声のトーンで赤剣隊の隊員たちに言った。
「そっか。名乗らないのは怪しいね。じゃあ、この都市の外に捨ててきてよ」
「え、え!?一応、伯爵様が知っているかだけでも確認を...」
「伯爵にこんなにうるさい知り合いは居ないと思うから大丈夫。じゃあ、あとは頼んだよ」
アイティラが答えると、先ほどまで騒いでいた人物は一瞬呆けた後、思い出したように暴れ始めた。
「おい、何勝手に決めている!僕が誰だが....おい、腕を引っ張るな!やめろ!」
レイラはまだ戸惑っているが、付いて来ていた赤剣隊の面々は二人の怪しい人物を引っ張って、元来た道を引き返そうてしていた。扱いも来た時より乱暴な手つきになっていた。
すると怪しい人物は、赤剣隊が本気で都市の外へ連れ出そうとしていることに気づいたようで急に暴れるのをやめると、「分かった。名乗ることにする!」と叫んだ。
その人物は先ほどまでの慌てようはどこへやら、突然いやに落ち着いた態度に変わった。そして、頭を振って顔を覆っていた外套を外した。
薄く輝く美しい金髪が零れ落ちる中、その人物は名を名乗る。
「僕の名はアレク・レイド・フェルタイン。フェルタイン王家の正当なる血統にして、この国の第二王子だ!」
その人物が名乗った後、その場には静寂が落ちた。周りを取り囲んでいた赤剣隊の隊員たちは、その口を呆けたように開き、困惑したまま互いの顔を見あっている。レイラに至っては、さらに混乱した様子で「不敬罪、不敬罪...」と何度も唱えている。
そんな中、腕を離してもらったアレクは赤く跡が残った腕をさすりながら、赤剣隊から距離を取った。
「力加減というのが分からないのか。こいつらは...」
アレクが不機嫌に呟いていると、アレクは近づいてくる足音に気づいて顔を向けた。そこにはアイティラが、アレクに向けてゆっくりと進み出ていた。
「どうした。というか、お前は誰だ?先ほどの会話を聞く限り、それなりに敬われているようだったが...」
不思議そうに聞いてくるアレクとアイティラの距離があとわずかになった時、アレクの後方から突然誰かが飛び込んできた。それは、アレクと一緒に捕らえていたもう一人の人物だ。その人物は咄嗟にアレクの前に出ると、腰に差していたダガーを引き抜こうとしーーー
「騒がしいが、何をしている?」
離れた所から声が聞こえて、皆の意識が一斉にそこへ向かう。
「な...殿下...」
そこには城から出て来た伯爵の姿があった。
***
「ふう、ここの紅茶は微妙だな。まあ、別に僕は紅茶が好きなわけではないからどうでもいいが」
そうこぼしたのは、この国の第二王子を自称する男だった。アレクと名乗ったこの人物は、かなり若い見た目で少年と青年の狭間くらいの年齢に見える。淡く透き通る様な金髪が特徴的なこの男は、通された城の一室で、まるで城主であるかのように振舞っていた。
そして、そのアレクの前に相対しているのは本来の城主のコーラル伯爵だ。
「...それで、どうして殿下がこちらに?」
コーラル伯爵はアレクを真っすぐに見つめ、慎重に問いかけた。
今の伯爵は王家に楯突いた反逆者という立ち位置だ。その伯爵の所に第二王子が来るなど、何かしらの意図があるはずだ。王都からの使者として取引に来たか、はたまた脅しに来たか、いずれにしろ慎重にならざるを得なかった。
しかし、そんなコーラル伯爵とは裏腹に、アレクは出された紅茶のカップをまじまじと眺めながら言った。
「そう警戒しないでくれ。僕は協力しに来たんだ」
「協力...ですか」
険しい表情の伯爵を見てアレクは一つため息をつくと、カップを受け皿に静かに置いた。
「お前たちが反旗を翻したことは知っている。あの性悪宰相に一矢報いようとしているんだろう?奇遇なことに、僕もあいつが嫌いだ。だから力を貸してやろうと思ってな」
そう言うとアレクは、その深緑の瞳で伯爵を捉えた。その瞳は、どこか支配者然とした有無を言わさぬ力が宿っているように思われた。
しかし伯爵も負けておらず、疑っている様子を隠そうともせずに第二王子に向けて質問を重ねていく。
「協力していただけるのはありがたいですが、殿下にとっては釣り合わないほどに危険に思われます。本当に、協力が目的なのですか?」
「ああ、そう言っただろう?確かに危険だが、あの城に居続けるよりはずっと良い。いつ殺されてもおかしくないからな」
伯爵の慎重に発した言葉に対し、アレクはそれにすぐ言葉を返していく。まるで、初めから質問される内容が分かっているかのように、その返答には淀みがなかった。
その後もそんなやり取りが二、三続けられ、二人の間にわずかばかりの沈黙が落ちると、アレクがおもむろにため息をついて言った。
「はぁ、こんなやり取り時間の無駄だと思わないか?僕はお前たちに協力すると初めに言っただろう。もっと直接的な物言いをしたらどうだ?」
「...では殿下、貴方は協力すると言ったが、貴方にはそれほどの力があるのか?この反乱は、王への不満によって成り立っている。王の子である殿下を抱える危険よりも、こちらの利になる事があると?」
伯爵は先ほどまでしていた慎重な言葉遣いをやめ、睨みつけるような鋭い目でアレクを見た。その様子にアレクは小さく口角を上げると、おもむろに手を広げて言い放った。
「コーラル伯爵。お前はあまり社交場には顔を出していないだろう?だから、この国についての知識が足りない。そんなことで国をひっくり返せるわけがない。その点、僕なら役に立てる。いや、僕たちならな」
そう言うと、アレクはちらりと後ろを見た。アレクの後ろには、ともに捕まっていた黒髪の男が立っていた。男はアレクと同年代に見え、紫がかった眼が片方髪に隠されている影の薄い男だ。
「では、次はこちらの質問だ。そこにいる女は一体誰なんだ伯爵。こんな大事な話にその女を同席させる必要はあるのか?」
途端に機嫌が良くなった様子のアレクは、伯爵の後方でずっと静かにしていたアイティラを指さした。
「この子は...」
伯爵は答えようとしたが、そこで言葉に詰まった。伯爵としては、アイティラをどういう立ち位置と言えばいいのか迷ったのだ。恩人、協力者、冒険者、はたまた...。
伯爵が答えられないでいると、アレクは疑惑の目でアイティラと伯爵を交互に見た。
しばらくして、何かに納得したらしいアレクは「答えられないならいい」と言って席を立ちあがった。
そして、退席の許可などもらう必要は無いとばかりに、影の薄い男を引き連れて部屋の扉へと勝手に進んでいく。
そしてアレクは扉を出る前に伯爵の方を振り向いて、最後にこの言葉を残した。
「ああ、そうだ。僕を人質にしようなんて考えるなよ。僕に人質としての価値はない。父上は僕のことを嫌っているからね」
アイティラと伯爵は、互いの顔を見合わせた。




