反乱は白日の下に
輝くような白の壁に、落ち着いた調度品で飾られた部屋の中、その人物が紙をめくる音だけが静かに響く。
深い黒の机に広げられた書類を手に取ったのは、眼鏡をかけた陰険そうな男だ。
その男は眉間にしわを寄せながら、苛立ちを多分に宿したため息をついた。
「ここまで探して見つからないとなると、もはや過去の記録など存在しないのでは。蒼の騎士団が遭遇した例の吸血鬼は、初めて姿を現した新種の魔物と考えるべきか」
その男はこの国で宰相と呼ばれている男だった。
現在宰相がいる場所は、王城の中にある宰相に与えられた執務室で、当然この部屋には宰相一人しかいない。その為、宰相の独白は、誰に聞かれるでもなく消えて行った。
宰相は各地の貴族の屋敷から集めた、吸血鬼についての薄っぺらな報告書を閉じて次の書類を手に取った。
次の書類は厳重な封がされており、そこに書かれていた紋章を見て、宰相は顔を歪めた。
封を開けて中の書状を見てみると、何度目になるかも分からない、莫大な金を要求する文言が目に入ってきた。
「つい先日送ってやったばかりだというのに、金に溺れることしか考えられない低能どもめ」
宰相は吐き捨てるように言うとその書状に了承のサインをし、次の書類に移ろうとした。
するとその時、扉の向こうから早足でこちらに向かって来る足音が聞こえ、宰相は頭を上げて身なりを整えた。
しばらくして足音が扉の前で止まると、若い男の声が聞こえた。
「宰相閣下。いらっしゃいますか!」
「入れ」
宰相の声に反応して部屋に入ってきたのは、白のサーコートを纏った若い騎士だった。
宰相はその姿を一瞥すると、この騎士が何の目的でここに来たのか得心がいった。
実は、しばらく前に王都を出発した紅の騎士団がいつまでも王都へ戻ってこないため、白の騎士団の数名に調査を依頼していたのだ。
宰相は騎士に向けて「報告を」と短く告げた。
「ハッ。まず、紅の騎士団についてですが、現在行方不明となっております」
「...行方不明?」
宰相はもたらされた言葉に眉をひそめた。紅の騎士団が行方不明とは、この報告にきた騎士は一体何を調査してきたのかと、宰相は騎士の顔を疑うように見た。しかし、その疑いも次の騎士の言葉でどこかへ飛んでいくことになる。
「それと合わせて重要な報告がございます。北の城塞都市エブロストスにて、反乱が発生しました」
「反乱とは面倒な。それで、その反乱を起こしたのは誰だ」
「コーラル伯爵とのことです」
「なッ!」
宰相は勢いよく立ち上がり、その衝撃で椅子が後ろに音を立てて倒れる。宰相の顔には先ほどまでの陰険な表情とは打って変わって、強い怒りが宿っていた。
「奴め、また私の邪魔をする気か!すぐに騎士を送って鎮圧することにしよう。紅の騎士団を...いや、まて」
激高しかけた宰相だったが、はたと何かに気づいた様子で言葉を途切れさせた。そして聞き取れないほどの小ささで、「紅が行方不明...」、「あの男が反乱...」と口に出してから、騎士の方に顔を向けた。
「もう一度聞きたい。紅の騎士団は本当に行方不明なのか?」
「より詳しく説明いたしますと、調べた情報があまりにも信憑性に欠けるため行方不明と報告しました。商人の間では、紅の騎士団は城塞都市エブロストスで交戦して敗北したとの噂が立っております。詳しく調べようとエブロストスへと向かいましたが、検問が厳しく中に入ることはできませんでした」
宰相は深く考え込む。
商人の間で流布している噂と言えど、それをただの噂と切って捨てるのは危険なことだと知っている。
しかし、もしその噂を信じるのだとしたら、紅の騎士団が反乱軍に負けて、いまだ戻っていないことになる。三千もいた騎士たちが、一人も戻ってこないことなどあり得るのだろうか。
それと宰相にはもう一つ予想外なことがある。
コーラル伯爵は、反乱を起こす力など残っていなかったはずだ。なにせ、反抗する力も残らないように徐々に力を奪っていったのは宰相自身だからだ。
あの伯爵は、勝ち目のない反乱を起こして領民を道ずれにするような性格はしていないはずだ。領地に引きこもっている間に考えが変わったのか、それとも......反乱を成功させうる何かを見つけたのか。
「あともう少しだというのに」
宰相が漏らした呟きに騎士が不思議がっていると、宰相は咳ばらいをして騎士に退出するように告げた。
再び一人になった部屋で、宰相は衣服を整え背筋を伸ばして扉の方に足を進めた。
「まったく面倒なことをしてくれる。あの男が、陛下くらい愚鈍であれば楽なのですが」
宰相は自らの主君に会いに行くために、執務室の扉を開けた。
***
コツ、コツ、コツと規則的で心地よい足音が廊下に響き渡る。
右手にある大きな窓から差し込む光が、青年の透き通るような金髪を照らして輝いた。
青年は片手に本を持ったまま、広い廊下を歩いていく。
しばらくすると前方から聞こえてくる足音に顔を上げた。
目線の先には、いつも通りの不健康そうな顔をしている宰相が足早に廊下を歩いてきていた。
宰相は青年を一瞥すると、特に気にすることもなくその横を通り過ぎていく。青年も宰相を気にすることなくすぐに視線を外した。
廊下の突き当りに近づくと、聞きなれたやかましい笑い声が聞こえて来た。青年は嫌な出来事が起きたとでもいうように顔を歪めて立ち止まる。しかし、こんなところで時間を無駄にするのも馬鹿馬鹿しいと思いなおし、廊下の角を曲がった。
そこには無駄に着飾った、高貴なる賤民共がいた。
賤民の一人が青年に気づき、にやけた顔を隠そうともせずに声をかける。
「よお、アレク。また書庫に行っていたのか?お前はいつも暇そうで羨ましいよ」
その声とともに、周りにいた男たちが声を押さえて笑った。
青年アレクはその様子をつまらなそうに見て、返答することもなく横を通り過ぎようとする。
すると、声をかけて来た男がアレクの肩を掴み、苛立った様子で引き留めた。
「待てよ、アレク。無視は酷いじゃないか。俺たちは兄弟なんだからよ」
後ろから再び品のない笑い声が聞こえて来た。アレクはそのことを煩わしく思いながら、肩に乗せられた手を払った。
「僕は兄上が次の王になる事に賛成しております。だから放っておいてください」
それだけ言い残すと、アレクは引き留める声と笑い声を後ろに残して、また廊下を進み始める。
しばらくして、たくさんの扉が等間隔で並んでいる廊下の一番端の扉の前に立ち止まると、ゆっくりと扉に手をかけて中に入った。
その途端、アレクは鬱憤を晴らすかのように苛立たし気にため息をついた。
「まったく気分が悪い。誰があんなのを王に認めるっていうんだ。もうこの国はどうしようもないな」
「それはお気の毒に」
アレクが声のした方に視線を向けると、そこには気配の薄い己の従者の姿があった。
「ああ、居たのか。お前はどこに行ってたんだ?」
「王城内が騒がしくなってきたので、盗み聞きにいってきました」
「お前も飽きないな。それで収穫はあったのか?」
アレクは疲れたように椅子にどかっと腰を下ろすと、本のページを開きながら従者に声をかけた。すると従者から、「今回はかなりの収穫がありました」と聞こえて来たので、本から目を離して従者に続きを促した。
「どうやら反乱が起きたみたいです」
「...反乱か」
「驚かないのですか?」
「まあ、そりゃいつか起きると思ってたからな」
アレクは再び本に視線を戻しながら、つまらなそうに答えた。
「どうせ、その反乱も騎士団が鎮圧しましたってオチだろ?そんなの、面白くもない」
「いえ、反乱勢力が勝ったみたいですよ。紅の騎士団が戻ってきてませんし」
「......はぁ?」
アレクは本を閉じて傍らに置くと、信じられないとばかりの表情で従者を見る。
そして、疑うような視線を向けると、慎重に質問し始めた。
「派遣された騎士の人数が少なかったのか?」
「いえ、紅の騎士団の三千騎に加え、あの魔術の使える団長も向かいました」
「じゃあ、あの宰相が利用するためにあえて反乱を起こさせた?」
「宰相も驚いてましたよ」
いつもの感情の起伏が乏しい顔で答えられるせいで分かりずらいが、どうやら本当に反乱が成功したらしいことに、アレクは少なからず驚いていた。
そして、好奇心に突き動かされるままに、誰が反乱を起こしたのかを聞いた。
「反乱を起こしたのはコーラル伯爵だそうです」
「...コーラル?ああ、少し前にその息子が処刑されてたな。だからか」
アレクは浮かせた腰を再び落ち着けると、手に持った本に目を落とした。
「そうか、コーラル伯爵が...そうか」
アレクは顔を上げると、面白そうに目を細めて言った。
「このまま動かずにいても、どうせ何もできないからな。賭けてみるのもありか」
主人の小さなつぶやきを、従者はその無感情な瞳で眺めていた。




