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自由を夢見た吸血鬼  作者: もみじ
赤き剣の反逆者
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決着(裏)

静かな夜の森の中、冷たい風が背の低い草木を揺らしながら通り過ぎていく。

紅の騎士団のイグリス・フォティアは木の幹に背をもたれさせながら、蒼白い光を放っている月を眺めて目を閉じた。


いつからだったのだろう。目指した理想が妄執に変わってしまったのは。

思い返せば、初めからそんなものはなかったのかもしれない。


貴族令嬢として生を受けたイグリスは、普通の貴族令嬢として育てられた。綺麗なドレスに優美な礼節、他の令嬢の茶会に招かれ、他愛のない話で時間を使う。

どこのお菓子が美味しいだとか、どこの宝石が美しいだとか、どこの貴族の子弟が格好いいだとかそんな話を、他の令嬢たちが嬉々として話すのを聞いていた。


しかし、イグリスはそんな話に全く興味を持てなかった。


ある日、イグリスは父に連れられ王城に行ったことがあった。その時初めて王様の姿を見たが、特に何も感じなかった。父が話し込んでいる間、暇になってしまったイグリスは広い中庭に向かったがそこにも不思議と魅力を覚えず、裏庭の方に進んでいった。

そこでの出来事がすべての始まりだったのだ。


裏庭には、イグリスと同い年くらいの少年がいた。

青々とした芝生の上に座り込んでいたその少年は、本を顔の高さまで持ち上げていたため顔を見ることはできなかったが、薄く透き通る様な金色の髪をしていた。

その少年は、本に目を向けているはずなのにどうして気付いたのだろう、イグリスに声をかけてきた。


『お前は誰だ?』


イグリスが名乗ると、その少年はつまらなそうに言った。


『そうか、だったらここから出て行け。ここは僕の場所だからな』


それを聞いたイグリスは、猛烈な怒りを抱いた。王城の裏庭を自分の物であるかのように言うこの少年がひどく不愉快で、イグリスは言い返してやった。そしたらその少年は、不機嫌になってこう言ったのだ。


『与えられた責務すら理解していない、お前らのような馬鹿には言われたくない』


どういうことかと問い返すと、少年はイグリスにとって衝撃的なことを口にした。

この王国の貴族への侮辱を、現状を理解しない官僚たちへの軽蔑を、そして果てまでは王まで愚弄して見せたのだ。イグリスは驚いて言葉を失っていた。いまだかつて、こんなことを口に出して言うものなど居なかったからだ。立ち尽くすだけのイグリスに、少年は最後にこう言った。


『貴族も王も、今は高貴さを失ってるんだ。僕は、飾ることと見栄を張ることしか出来ないお前たちが嫌いだ』


イグリスはその場から逃げ出した。一刻も早く離れなくてはと思ったのだ。

しかし、屋敷に帰ってからもその言葉は頭から離れることはなく、思い返すごとに少年の言葉が正しい事のように思えてきた。そして、ついに家を飛び出して騎士団のもとに入ることにした。なぜ騎士団だったのかと言えば、国のために命を捧げて戦うその姿が、少年の言っていた高貴さだと感じたからだ。


所属した騎士団は、紅の騎士団だった。この騎士団は貴族の子弟が多く、ここならイグリスが入っても問題ないとのことだった。初めは剣を振るうことすら上手くできなかったが、それでも訓練を続けたことでしだいに扱えるようになってきた。女だからと見下す奴も中にはいたが、その言葉には耳を貸さずにただ剣を振るった。


だからこそ、その才能が与えられたのは祝福だったのかもしれない。

初の魔物との戦闘で窮地に陥った時、イグリスは魔術を無意識に発動した。炎が剣を包み込み、敵を燃やし尽くしたのだ。イグリスはその力に喜び、いつも前に出て敵と戦うことを望むようになった。


そして、気づけば紅の騎士団の誰もがイグリスを認めていて、老齢の騎士団長の引退と同時にイグリスが騎士団長になったのだ。


騎士団長になったばかりのころの会話は今でも鮮明に覚えている。


『紅の騎士団、団長になりました!イグリス・フォティアですッ!』

『蒼の騎士団、団長のヘルギだ。同じ騎士団長を任せられた者同士、よろしく頼む』


あの時までは、蒼の騎士団長との仲も悪くなかった。

悪くなかった。


初めに聞いたのはいつだったか、紅の騎士団が平民ばかりの蒼の騎士団に功績で勝てないのは情けない、そんな声を聞いた。やはり女が騎士団長になるのは良くないだとか、引退した騎士団長の方が頼もしかっただとか、新しく騎士団長になった黒と白の団長に比べて劣るだとか、そんな声が聞こえた。


『フォティア団長。次の任務はうちの騎士団と合同だな。よろしく頼む』


だからだろう。ヘルギから差し出された手を握り返せなかったのは。


『...ん?どうしたんだ、大丈夫ーー』


イグリスはその手を跳ね返した。


『お前に心配されるほど落ちぶれてはいない!次の任務で結果を残すのは紅だ!』


その日から、ヘルギとは衝突ばかりするようになった。そして、イグリスは功績を求めるようになった。

功績を得れば、紅の騎士団は実力を認められるはずだ。誰も文句は言わなくなる。

だからこそ常に活躍の機会を求め、蒼の騎士団よりも多くの栄誉を得るために戦った。


戦って、戦って、戦って......そしてーー


冷たい夜風にイグリスは意識を浮上させた。

夜だというのに明かりが無くても良く見える月光の元、照らし出されるのは疲弊した二十人ほどの騎士たちの姿だった。その顔には疲弊以上に、茫然自失といった様子が浮かび上がっていた。

間違いなく言える。紅の騎士団はもう終わってしまったのだと。

ともに過ごした仲間たちは、あの悍ましい都市の中に閉じ込められ、そこで死んでいった。

そして、そこから逃げて来ただけの自分たちに、栄光を目指す権利はもはやないだろう。


イグリスは疲れた顔で力なく笑った。


それに気づいた騎士たちが、顔を上げイグリスの方を向いた。


「紅の騎士団は終わりだ。ここにいる私らだけで騎士団を名乗るのは恥ずかしくてできないからな」


騎士たちは顔を俯けた。その言葉を直視したくないというように。


「このまま王都へ戻ってあの化け物のことを報告したら、すぐにでもほかの騎士団が討伐に向かうだろう。私たちが負けたことで、あの白の騎士団の天才も送り出されるはずだ。そして、私たちは多くの人たちに蔑まれながら、騎士の位を喪失する」


騎士たちの肩は震えていた。悔しさと無力感によって。

仲間を犠牲にして逃げてきたのは、報告という責務があるためだ。

だが、その責務を果たした途端、侮辱を受けるのは分かり切っている。

騎士たちはそれが我慢ならなかったが、そのあとに聞こえて来た団長の声があまりにも平静としていたので彼らは驚いた。それは、諦めきった者の声ではなかったからだ。


「そこでだ、私は一つ陛下に頼み込むことにする。白の騎士団長が吸血鬼を討つ前に、私たちが吸血鬼に挑むことを許してもらえるように。...いいだろう?たとえそこで死んだとしても、これ以上の屈辱を受けることなく仲間のもとに逝けるんだ」


そう語ったイグリスの顔には、獰猛で力にあふれたいつもの表情が戻っていた。

それまで力のない顔をしていた騎士たちもその言葉を聞いた瞬間、涙をこらえるように顔を歪め、不格好な笑顔を作った。

そして、彼らは頷いた。


「決まりだ!それでは朝日が昇ったらここを出発することにしよう!私たちの名誉を失墜させる王都に向けてだッ!」


一斉に頷いた騎士たちにイグリスは満足感を覚え、身体の力を抜いた。そして蒼白い光を投げかける月を見上げて、絶句した。


空に浮かぶは、燦然と輝く赤き星々。

夜の闇を纏った蝙蝠は、不気味な赤の二つの点を輝かせ、空からこちらを睥睨していた。


「きゅう...けつ...」


赤き星々が地上に降った。


***


黒い翼をはためかせたそれは、大きな城の敷地内に音もなく降り立った。顔を隠していたフードを持ち上げ、蒼白く輝く月を見て満足そうに微笑んだ。

少女は城の外壁に沿って、目的の場所まで進んでいく。

その場所を求めていたのは、正確にはこの少女ではない。

この少女に運命を任せた、一人の貴族が求めていたものだ。


少女はこの都市に来る前に、貴族であり協力者であるその男から聞いていたことがある。

その協力者が求めていたものが手に入ったであろうこと思って、少女は喜び声をかけようとその場所に向かっていた。

やがて少女が進んでいくと、その先から掠れた弱々しい声が聞こえて来た。

少女が足を緩めて外壁の角から顔を覗かせると、そこには一人の男の姿があった。


男は地面に膝をついて顔を俯け、肩を小さく震わせていた。

その男の前には、二つの墓石が佇んでいる。


「遅くなって...すまない。会いに来れず、すまなかった...」


あふれる思いをこらえるようにして吐き出された言葉に、少女は足を止めた。

少女は男に背を向けると、来た道を再び戻るように足を進める。

少女は冷たい夜風を感じながら、空を見上げて息を吐いた。


「良かったね伯爵。あなたの望みを叶えられて」


空には冷たい輝きを湛えた、無慈悲な月が輝いていた。

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