目指す者二人
その日、城塞都市エブロストスへ向かう影は二つあった。
一つは紅の騎士団。彼らはエブロストス内に入り込むと、その都市に住む住民を次々と殺戮していった。
そしてもう一つは...。
馬に乗った彼らは、重厚な鎧を身に付けながら進軍を続けていた。槍の穂先を天へと向けて行軍する八百人あまりの集団は、統率はとれていながらも荒々しく大地を蹴飛ばして進んでいる。
先頭を進む男は初老に差し掛かろうとしている男で、顔にはいくつもの皺が浮かんできている。
しかし、前を見据えて進むその瞳には確かな力が宿っていた。
その男、コーラル伯爵は視線の先で上がっていく跳ね橋を苦々し気に顔をしかめて睨みつけている。
「ここに来るまで蹄の跡があったからもしやと思ったが、先に入られているとはな」
跳ね橋の先、高くそびえた城門の前に見えるのは紅のサーコートを着た騎士たちの姿だ。
「紅の騎士団...」
伯爵はぽつりと呟いた。
「伯爵様、どうされます!?あそこに籠られてしまえば、どうしようもありません!」
そこに、すぐ隣を並走していた男が馬を近づけて話しかけてくる。その男は、兵士たちを纏める兵士長の役割を持つ男だ。
兵士長は、風を切る音にかき消されないように大声で言った。
「ここは一度離れましょう!奴らが警戒を解かない限り、我々が都市に入るチャンスはありません」
兵士長はあくまで提案のように言っているものの、その選択が正しいと疑う余地もない様子だ。
しかし伯爵は馬の速度を全く落とすことなく進み続ける。そして、ゆっくりと目を閉じるとここにいない誰かに向けて謝った。
伯爵が再び目を開けたとき、そこには決意が宿っていた。
「兵士長。このまま進んで跳ね橋の前まで行くぞ」
その言葉を聞いた兵士長は、困惑と驚愕が入り混じった表情を浮かべた。
「なぜです?そこへ行って何ができるというのですか!」
兵士長には、跳ね橋の前まで行ったところでそこからの展開は思い描けなかった。出来ることとしては跳ね橋の前で陣取って、騎士たちが出て来れないようにすることくらいだ。
だから、兵士長は伯爵に驚きの声を上げた。
伯爵はそんな兵士長を見て、静かに喉を鳴らして笑った。兵士長は、伯爵が笑ったところを見るのは実に十年ぶりだったので、さらに驚愕をあらわにする。
「安心しろ。あの都市の中には私たちの心強い味方がいる。きっとどうにでもなるはずだ」
「...都市の中には紅の騎士が入り込んでいます。もし協力者がいるとしても、すでに...」
兵士長は、穏やかに笑う伯爵の気分を沈めることはしたくないと思いながらも、伯爵の目を真っすぐ見て言った。しかし、伯爵は全く動じることもなしに、どこまでも落ち着いた様子だった。
「その時は潔くあきらめるしかない。どのみち、反逆とは希望の糸が細いものだ。失敗したからと言って恨むでないぞ?」
その言葉に兵士長は目を見開き、次いでその顔に挑戦的な笑みを浮かべた。
「恨みませんよ。むしろ我々は死んでもついていきますよ。今ここに残っているのは、そういった連中ばかりですから」
兵士長の視線につられて伯爵が後ろを振り向くと、そこには後を付いてきている八百騎の姿があった。顔の上半分を覆い隠す兜のせいで分かりずらいが、その口元には笑みが浮かんでいる。
「そうか。ならば付いて来てもらおう」
伯爵たちはさらに速度を上げて跳ね橋へと、その先に広がるエブロストスへと進んでいった。何の策も持たないまま、奇妙な確信に身を委ねて。
「ん?」
太陽からの眩しい光が天から降り注ぐ中、伯爵は突如起こったそれに目を細めた。
城門の前の大きな跳ね橋が、音を立てて降りてきたのだ。
土煙とともに地面に降りきった跳ね橋の先には、少数の騎士たちが控えていた。
その先頭にいたのは、紅の騎士団の若き団長だった。
赤髪をたなびかせるその騎士は、伯爵のことを真っすぐと睨みつけている。
伯爵たちに警戒の念が走る。
わざわざ出て来たという事は、勝てる自信があってのことだろう。
この後に起きるのは分かり切っている。避けようのない衝突だ。
伯爵たちは、手に持った槍を前に構えながら横へ横へと広がっていった。
紅の騎士たちもそれに呼応するように、跳ね橋を勢いよく踏みしめながら進んでくる。
伯爵が力強い声で叫んだ。
「突撃ッ!怯む必要は無い、進め!」
『ハッ!』
突出してきた騎士たちを迎え撃つように、兵士たちは一斉に声を上げて突撃を遂行した。
対する紅の騎士たちはわずか五十ほどで進み出てーーー突如横に大きく逸れて行った。
その先には何もない。あるのは深く広がる森だけだ。
「なに?」
紅の騎士たちの意図の読めない行動に、伯爵は不審がる。
罠に誘い込もうとしているのではと一瞬頭をよぎったが、わざわざ堅牢な城塞都市を捨ててまでするとも思えずその考えを振り切った。
しかし、その行動が何を目的としているのかは考えても分からなかったとしても、敵の頭が少数しか伴わずに眼前に出て来たのだ。
この好機を逃すつもりは、伯爵には無かった。
「追え!後ろを槍で突くのだ!」
その声とともに、兵士長を先頭にした兵士たちの一部が突出し、紅の騎士へと接近していく。
こちらを振り返った紅の騎士団の団長は、張り詰めた表情でこちらを睨み続けていた。
このままいけばいずれ追いつくだろう。なぜだか分からないが、紅の騎士たちの馬は疲弊しているようだった。
紅の騎士たちは徐々に距離を縮められていく。しかし、それでもなお紅の騎士たちは横にそれながら進んでいく。その先には、馬では進むのが困難な森が広がっているというのに。
「どういうことだ?まさか、逃げようとしているのか?」
伯爵が眉を寄せて騎士たちの集団を見ていると、突然五十ほどいた騎士の半数が馬首をかえしてこちらに向かってきた。遠くて何を言っているのかは分からなかったが、騎士団長の怒号に似た悲痛な叫び声が嫌に響いた。
逃げるような動きをしていたのに突如向かってきた騎士に対し、兵士長と兵士たちの戦列がわずかに乱れる。しかしそこは戦場を経験した兵士達、すぐに動揺は収まり長槍の先端がいくつも前へと向けられた。
衝突は一瞬だった。
鮮血が光を反射しながら舞い、地面を黒い染みを作った。紅の騎士たちは、その体を槍で貫かれながら馬の上からずり落ちた。主を失った馬はそれでも止まらず、後に続く兵士たちに衝突していく。
しかし、やられたのは騎士だけではなかった。
身体を貫かれながらも騎士たちは己の得物を振るい、兵士と相打ちになったものもいたのだ。
死を恐れずの特攻。紅の騎士たちが見せた行動に、兵士達にも動揺と恐れが走る。
命を惜しまないも戦士の恐ろしさを、彼らは知っているからだ。
速度を緩めていく兵士達の先で、なおも全速力で紅の騎士たちは駆けていく。それに追いすがろうとした兵士長だったが、そこに制止の声がかかった。
「これ以上深追いはしなくてよい!もう戻れ!」
伯爵からの言葉に兵士長は馬の速度を緩め、再び伯爵の元へと近づいてくる。突出しすぎていた兵士たちも、後方へと戻っていった。
「伯爵様、取り逃してしまい申し訳ありません!」
「謝る必要は無い。それよりも...だ」
伯爵様は森の中に姿を消していく騎士たちから目を離し、城塞都市エブロストスへと目を向けた。
城壁の向こうには、黒い煙が立ち上っている。
「急いだほうがいいだろう」




