紅の騎士団長
折り重なるように粗末な服を着た死体が転がっている城門前にて、イグリス・フォティアは死体を避けるようにして馬の足を進めていた。それに合わせて、後ろで結んだ自慢の赤髪が小さく揺れる。
この場に残っている騎士は五十名ほどで、民衆が外に逃げないように城門を封鎖しているのだ。
「紅の騎士団の団長様。あの、子爵様の救出は...」
そこに、恐る恐るといった様子で鎧姿の男が声をかける。
この男はザビノス子爵が王都に助けを求めるために送り出した兵士だった。この兵士は王都へと向かっている最中、偶然にも紅の騎士団と遭遇しその場で助けを求めたのだ。どうやら紅の騎士団も別の任務があった為この近くに来ていたらしく、五百騎をその任務へと送り出し、残りの二千五百騎はザビノス子爵を救出するためにこうしてエブロストスまで来たのだった。
声をかけられたイグリスは、兵士を横目に見て口を開いた。
「ん?もちろん助けるぞ。だがその前に、貴族に反乱を起こそうなどと思い上がった連中を潰しておくのが先だ。子爵は城に籠っているなら、急ぐ必要もないだろう」
イグリスはそれだけ言うと、さらに先へと馬を進めた。そこには騎士たちの報告を聞いて唸っている、イグリスの最も信頼している男の姿があった。
「ハインリヒ。状況はどんな感じだ?」
「イグリス様...」
声をかけられたハインリヒは、イグリスの方を振り返った。しかし、その顔は難しく顰められており、声にも覇気がなかった。
「どうしたハインリヒ?問題でもあったのか」
「ええ。報告に戻っていない小隊があるのです」
その言葉に、イグリスの眉が寄せられた。
「規定時刻に状況を報告する奴を送れと言ったはずだが。いったいどこの隊だ?」
この反乱の鎮圧に対して、紅の騎士団では騎士たちをいくつかの小隊に分けて突撃させることにしていた。
都市へはエブロストスの南門から侵入し、そこから東側と西側にそれぞれ二十個の小隊が分かれて、反乱を起こした民衆を制圧する手筈になっている。そして、突入から一定時間ごとにそれぞれの小隊から一人を送り出し、進捗を報告させるように決めていたのだ。
それなのに報告に来ない隊があると聞いて、イグリスの声は苛立ちを含んだものになっていた。
しかし、ハインリヒはどこか困惑している様子で口を引き結んでいたので、イグリスの苛立ちは疑念に変わる。いつものこの男なら「後で自分が叱っておきましょう」などと笑って答えただろうからだ。
「まずは東側へ行った者たちですが、その中の四つの小隊が報告に戻っていません」
「なに?四つもだと?」
「それと西側へ行った者たちなのですが......」
ハインリヒはわずかに言いよどむように口にする。
「一人も帰ってきてはおりません」
「...は?」
イグリスは間の抜けた声を漏らした。
しかし、徐々に言葉の意味を理解し始めると、驚愕の声を上げた。
「どういうことだ!?報告の時間を間違えて伝えていたのか?」
「いえ。全小隊に同じように伝えております」
「だったら、報告がないのはどう説明するつもりだ!」
ハインリヒは顎に手を当てて、エブロストスの西側の区画に目を向けた。背の高い民家が立ち並ぶその通りは驚くほど静まり返っており、それが不気味さを感じさせる。
「何か予期せぬ事態が起こったのかもしれません。イグリス様、調べに行った方が良いかと」
その進言に、イグリスは苦く顔を歪める。
反乱を起こしているのはただの民衆であり、幾たびの戦闘を経験してきた騎士たちが負けることなどありえない。だが、報告が一つもないこの状況を黙って見ているわけにもいかなかった。
イグリスは頷いた。
「お前たち、これより西区画へと行く!半分は私と共に来い!」
声をかけられた紅の騎士たちは急いで馬に飛び乗り、すぐに準備を整えた。
ハインリヒも乗馬すると、イグリスと視線を合わせて頷いた。
***
エブロストスの西側に向けて馬を進めていたイグリスたちは、静まり返った都市の中を見回した。あたりに転がっているのはこの都市の住民の死体だ。それがまばらに落ちている。
それをやったのは騎士たちだろう。身体についている剣の刺し傷がそれを証明している。
「それにしても、静かすぎだ」
イグリスはそう呟いた。聞こえてくるのは、鎧がこすれる音と馬の蹄の音のみ。
自分たち以外の音はまったく聞こえてこなかった。
たしかに、生き残った民衆たちは各々の家に隠れて息を殺しているのかもしれないし、騎士たちが通ったのはずっと前のことだから喧騒が聞こえてこないのも当然かもしれない。それでも、この静寂にはどこか嫌な感じがする。
しばらく静寂が続いていると、前方にとあるものが見えてイグリスたちは馬を止めた。それは、紅のサーコートを身に付けた騎士の死体だった。
「なんだ...これは...」
だが、その死体は普通ではなかった。
その騎士は、民家の壁に縫い付けられるようにして空中に浮いていた。身体を縫い留めているのは、不気味に輝く赤の槍だ。それが騎士の腹を貫き、持ち手から血を滴らせていた。
イグリスが驚愕してその死体を見上げていると、一人の騎士が悲鳴を上げた。その騎士が指をさしている方を見てみると、そこにはこの死体と同じように槍の刺さった死体が道に沿って続いていた。
イギリスは背筋に冷たいものを感じて、叫ぶような声を出した。
「ハインリヒ!これはッ、これはッ、いったい何なんだ!どうやったら、こんな死体が出来上がる!?」
ハインリヒは額に冷や汗を流しながらこの光景を呆然と眺めて言った。
「...分かりません。ただ、分かることは、これを成した人物がこの先にいるということくらいです」
イグリスは口を閉じて、前を見据えた。そして静かに言った。
「進むぞ」
イグリスたちは呼吸も忘れて、声も出さずに前へ進んだ。もはやエブロストスの住民の死体は一つもなく、あるのは紅の騎士のものばかりだ。
そして、前方にそれが見えたことで、イグリスは再び馬の足を止めた。
そこにいたのは、真っ黒な背中をした小柄な人物だ。それが道の真ん中に静かに立っていた。
「そこにいる貴様ッ、何者だ!こちらを向け!」
イグリスが怒鳴りつけるようにして声を上げた。
「聞こえないのか!こちらを向けと言ったのだ!」
背の高い民家の影と照らし出された道の境にいた人物は、声に気づいたのか頭を上げた。
そして、背を向けていた黒を纏った人物がゆっくりとこちらを振り返る。
その姿を見たイグリスはーーー絶句した。
「なぜ...お前が...ここにいる」
その人物は、かつてカナンの町で出会ったことのある少女だった。生意気にもこちらを睨んできたため、吸血鬼の疑いをかけ殺そうとしていた少女だった。
フードの奥の赤い瞳が、顔を引きつらせたイグリスの方に向けられる。
誰もが動けずにいる中、その少女だけが平然とした口調で話し始めた。
「私はね、あなた達に恨みはないの」
その少女は、透き通る様にきれいな声でそう言った。それがイグリスには不気味に映る。
「あなた達に何か奪われたわけでもないし、殺す必要は無いのかもしれない」
イグリスには少女が何を言っているのか分からなかった。だが、少女は答えなど求めていないかのように手元に視線を落とす。そこには、いつから持っていたのか中央に赤い石がはめ込まれたブローチのようなものが握られていた。
「でも、そうやって動かずにいたらまた奪われるかもしれない。私と違って、人はすぐに死んじゃうから。だから、私は決めたんだ」
少女は手に持ったブローチを優しく握りしめる。
そして、少女の背後の空間が光を食いつぶすような黒に染まっていった。
「私の邪魔をするやつは全員殺す。誰かに幸せを奪われるんだとしたら、そうなる前にその誰かを殺せばいい。だから、私はあなた達の前にいるの」
そこでその少女は顔を上げ、その姿にイグリスたちは硬直した。少女の赤の瞳は縦に割れ、歪められた口からは尖った牙が見え隠れしていた。さらに、少女の背後あった黒い靄のようなものが集まりだし、それが不気味な翼の形を成していたからだ。
その人ではない姿に騎士たちが凍り付いていると、少女の姿をした化け物は口元を歪めた。
「前に私に言ったよね、私が吸血鬼だって。...正解、私は化け物だからッ」
「くッ!」
少女は話が終わった途端、イグリスの方へ飛び掛かるようにして向かってきた。イグリスは咄嗟に剣を抜いて受け止めると、金属の硬質な音が響いた。少女の手には、先ほどまではなかったはずなのに、いつの間にか赤い剣が握られていたのだ。
イグリスは少女の剣を力任せに振り払おうと力を込める。しかし、イグリスは驚愕に目を見開くことになった。小柄な少女の剣は、まったく振り払えなかったからだ。それどころか徐々にイグリスを押し込んでいた。
「イグリス様ッ!こいつッ!」
すぐ傍にいたハインリヒが、横から少女を攻撃しようとする。しかし、少女はハインリヒを一目見ると、その翼をはためかせてイグリスの傍から飛びのいた。
少女は初めにいた位置まで戻り、無言のままこちらを見据えている。
「イグリス様!大丈夫ですか!」
「力で、私が押し負けただと。くそッ!」
ハインリヒが近づいて来てイグリスの身を案じるが、イグリスはそれどころではなかった。
自信の手を呆然と見下ろし、身体を震わせて唇を噛んだ。
「...ハインリヒ、しばらくあいつを私に近づかせないでくれ」
「はッ!」
ハインリヒと騎士たちがイグリスを守るように前に出た。そして、目の前にいる少女の姿をした化け物に向けて剣を抜いて突撃する。勢いのままに迫りその身を切り裂いてやろうというわけだ。
ハインリヒは、段々距離が近づいてくる少女を睨んで剣を握りしめた。それでも少女は、その場を一歩も動かなかった。
ハインリヒはわずかの間に逡巡する。
(何を考えている?なぜ動かない?この化け物は何を狙っているッ!)
しかし、考えを巡らせても分からない。その間にも両者の距離は一瞬にして近づいていく。
ついに両者が激突するときになって、ようやくハインリヒが相手の首めがけて剣を力一杯振るった。少女は赤い剣でそれを受け止める。
だが、騎士たちの攻撃はそれで終わりではない。ハインリヒの後ろには、まだ騎士が続いているのだ。騎士たちは横に避けるようにして、剣を封じられた少女へ一太刀浴びせようとする。
しかし、そこに少女はいなかった。
少女はハインリヒの剣を受け止めるのと同時に、背中の翼をはためかせたのだ。その瞬間、少女の身体は風に吹かれた羽のように空に浮かび上がった。
騎士たちは空を見上げて目を閉じた。天中には、地上の全てを燃やし尽くそうとするような太陽が光を放っており、その光に隠れるようにして黒いローブが翻っていた。
そして背後で石畳が二回なったと思うと、最後尾にいた騎士たちが悲鳴を上げた。
急いで振り返ったハインリヒが見たのは、首から血を噴き出した騎士が馬から滑り落ちた姿と、その先にある大きな翼がはためいている背中だ。
余りにも人間離れした動きにハインリヒが息を呑んでいると、少女はとある方向に視線を向けた。
その先を見て、ハインリヒはぞっとして我を忘れて叫んだ。
そこには、目を閉じたまま詠唱している彼らの団長の姿があった。
その無防備な姿を、化け物は見ていたのだ。
「イグリス様!危ないッ!」
ハインリヒはイグリスの方に手を伸ばそうとして、馬上から落ちそうになる。しかし、この距離では間に合わない。一番近くにいるのが、その化け物なのだ。
化け物は、初めの時のようにイグリスへ飛び掛かっていった。
「イグリス様ッ!」
赤い剣がイグリスへ届こうとした瞬間、炎が二人を包み込んだ。
誰もが息を呑み、その光景を凝視する。
その炎の中から、覇気に満ちた女の声が聞こえた。
「今はっきりした。この国にとっての敵はお前だッ!」
ハインリヒは、そして騎士たちは、その姿に歓喜の悲鳴を上げた。
「紅の騎士団団長、イグリス・フォティア!陛下に忠誠を誓うものとしてッ、貴様を燃やし尽くしてくれる!」
そこには炎を纏った剣を掲げた、彼らの騎士団長の姿があった。




