都市を駆ける紅の鳥たち
それは突然にして起こった。
初めにそれを見つけた者は、城塞都市エブロストスの南側の城門で警護をしていた男だ。その男は赤剣隊に所属し、城壁の上の通路からカナンの方角をぼんやりと眺めていた。
「ん?」
日差しが強く照りつける中、遠くの方で土埃が舞っているのが見えた。しかし、その手前に木々がまばらに生えているため、それが何であるかはよく見えない。その男が目を凝らしていると、その土ぼこりを巻き上げていたものが木々をすり抜けて姿を現した。
離れていて分かりずらいが、どうやら馬に乗った人のようだ。それもかなりの人数のように見える。それがこちらへ向かって進んできていた。
男はそこで思い出した。
この反乱を率いている人物が、コーラル伯爵がこの都市の反乱を助けるために来ると言っていたことを。この都市で反乱が起きたことは、外にはまだバレていないはずだ。そして、もしザビノス子爵側の人間が王都に助けを求めに行った場合でも、これほど早く戦力を送り込むことはできない。
つまり、今この場所にあれだけの兵を率いて来れるのは伯爵だけだということだ。
「おい、あれを見ろ!こっちに近づいてくる集団がいるぞ!」
「きっと伯爵様だ!伯爵様が来てくださったんだ!」
そして、城門の近くにいた民衆たちもそのことに気づき始め、歓声が上がる。人々はその声に引き寄せられ、一人、また一人と集まり、こちらに向かって駆けている集団に手を振り始める。
男は城壁の上からそれを眺めて、小さくあくびをした。
「おい!ここじゃ狭いだろ!もっと前に行け!」
「ちょっと、良く見えないわ!」
そして、集まった人々はついに城門の下には収まりきらなくなり、彼らは跳ね橋を渡った先にまであふれ出していた。男はその様子をぼんやりと眺めながら、近づいてくる集団へ視線を向けて、そこで違和感を覚えた。
彼らの中に、赤い色が混じっている。
かつて伯爵の率いていた兵士は、赤の色は身に付けていなかった。
男は不審に思い、睨むように彼らを見据える。
そして男は目を見開いた。彼らが持っているのは剣だ。
伯爵様の兵士たちは槍を使っていたはずだ。つまり、あれは...。
男はすかさず声を上げた。
「おい!戻れッ!あれは伯爵様じゃねえ!早く戻れ!」
しかし、男の声は民衆の歓声にかき消されてしまい、彼らの耳に届かない。
「聞こえねえのか!あれは伯爵様じゃない!伯爵様じゃないぞ!」
今度の声は聞こえたのか、何人かがどよめき城門の方へ戻ろうとする。しかし、まだ気づかず歓声を上げている人が多すぎて戻れそうにない。
男は焦ってもう一度、近づいてきてるはずの集団を見て、そして背筋を凍らせた。
彼らが身に付けているのは真っ赤なサーコート。地を蹂躙するかのように突き進んできているその集団が何であるか、男は知っていた。
「紅の騎士団だ!あれは伯爵様じゃない、紅の騎士団だ!」
男の叫びは民衆のもとに届き、彼らに動揺が広がった。そして、紅の騎士団という言葉が彼らの中で繰り返されて、彼らの間に動揺が広がる。恐怖にかられた民衆が、我先にと跳ね橋を渡り城門へと逃げ帰る。
その間にも、紅の騎士団はどんどんこちらへと近づいてくる。
「急げ!奴らがもうそこまで来てるぞ!」
そして最後の民衆がついに橋を渡り切り、男は叫ぶように声を上げた。
「跳ね橋を上げろ!」
しかし、もう遅かった。
余りにも手間取りすぎたせいで、彼らはすぐそこまで近づいてきていた。
僅かに上がりかけていた跳ね橋を、馬の蹄が踏みしめた。先頭を走っていた騎士が、間に合ってしまったのだ。その騎士に続いて、続々と騎士がこちら側へ入ってくる。
剣が光に照らされて煌めいた。そして、悲鳴が轟いた。
男がいる城壁の下から、勇ましい女の声が聞こえた。
「王侯貴族に歯向かう逆賊どもめがッ!我らが打ち滅ぼしてやる!」
男は城壁の上の通路を駆けた。男には役目があったからだ。
それは緊急時のために備え付けられていた巨大な鐘を鳴らすことだ。
遠くの方で足音が聞こえた。騎士が城壁の上に登ってくるのも時間の問題だろう。
男は鐘へと繋がっている縄を力一杯引っ張った。
「こっちにもいたぞ、殺せ!」
「くッ」
鐘の音が響き渡った。
その音は反復する。
そして、そこにいた彼らにも聞こえた。
「え?」
レイラの耳に、鐘の音が聞こえた。それは赤剣隊の皆にも聞こえていた。
彼らがいたのは内側の城壁の傍。そこは、都市の内部よりも高い位置にあった為、城門から次々と侵入してくる紅い騎士たちの姿が見える位置だった。
余りにも突然の出来事に、赤剣隊のものはみな動揺していた。彼らは赤剣隊と名乗っているが、大半は戦ったこともないただの民兵だ。いきなり現れた脅威を前にして、怯えた表情で固まっている。
誰かが叫ぶような声で言った。
「た、助けに行かなくては!」
「助けるって言ったって、どうすればいいんだ!?あの中に突っ込んでも死ぬだけだろ!」
「ど、どうするんだ。騎士団が来るなんて聞いてないぞ」
叫ぶような声がいたるところで上がり、レイラはどうすればいいか分からず右往左往する。レイラとしても、紅の騎士団が来るなど予想していなかった。それどころか、伯爵と合流するまではザビノス子爵の兵士以外と戦うことなどないはずだった。
予想外の事態に、レイラにはどうすることも出来なかった。
「そうだッ!指導者様だ!指導者様なら、なんとかできるに違いない!」
そんな中、赤剣隊の一人が上げた声に、皆の顔にわずかな希望が宿った。ザビノス子爵が率いてきた兵士たちをほぼ一人で追い返した、この反乱の指導者アイティラの強さは、皆の中に広まっていた。
その為、アイティラと一緒にいることが多いレイラに、この場の視線が向けられる。それでも、レイラは彼らが望む答えを用意できなかった。
「そ、その。アイティラさんが今どこにいるのかは、あ、あたしにも分かりません」
皆の顔が絶望に染まる。その顔が、レイラには何よりも辛かった。
レイラは隊長になる決意をした。それでも、彼らが助けを求めるのはアイティラだ。
レイラには、アイティラのような戦う力がない。レイラには、人々の心を動かす様な言葉を言うことが出来ない。彼らを纏められるような信頼もない。
レイラは隣にいる副隊長の様子を見た。副隊長の額には玉のような汗が浮かんでおり、その顔は顰められていた。
おそらく何か手立てを考えているのだろう。もしかしたら、このまま待てば副隊長からいい考えが出てくるかもしれない。少なくとも、戦いなど経験したことがない自分よりはいい考えが。
「降伏すれば、許してもらえるだろうか」
「降伏だと!ふざけるな、臆病者が!」
「だったら、どうすればいいんだ!このまま死ぬなんて御免だ!」
それでも、レイラは隊長になる決意をしたのだ。
このまま逃げ続けるのは、もう嫌だった。
レイラは口を引き結ぶ。
「聞いてくださいッ!」
レイラの叫びのような声に、騒ぎの声が静まった。
「あ、あたしに、考えがあります。き、きっと、絶対、大丈夫です!」
***
城塞都市に侵入した紅の騎士団は、いくつかの小隊に分かれて都市の中を駆けていた。通りに出ていた住民には容赦なく刃が振り下ろされ、石畳の上に血だまりが作られていく。
「いいか?我らの任務は、この反乱を徹底的に潰すことだ!二度と反乱を起こそうなどと思わせないためにな!だから慈悲などかける必要はない」
「「はっ!」」
そして、その中の一隊である彼らもまた、馬を駆けさせながら逃げ惑う民衆の背中に剣を突き刺していく。苦痛に満ちた叫びが、家々に囲まれた通りに響き渡る。
しかし、彼らはその声に耳を傾かせることなく、次の獲物へと目を向ける。目の前には、腰を抜かした女とその手に抱かれた赤子がいる。
「お、お願いです!どうか、どうか、見逃してください!」
この小隊の指揮を任された男の視線が、その女へと向けられる。
「ダメだ」
男は、剣から血を滴らせながら馬を進めていく。その目には、一切の同情も宿してはいない。そこには、与えられた役目を果たそうとする意志のみが存在していた。男が剣を握りしめる。
すると、何かが男に飛来して、身に付けているサーコートにぶつかった。
男が確認してみると、それは石だった。小さな小石だ。
しかし、その石は泥で汚れていて、それが男のサーコートを汚していた。
赤地に浮かぶ純白の鳥が、泥の黒に汚されていた。
男が視線を巡らせると、遠くの方に栗色の髪をした女が立っていた。腕には、小さい石をいくつも抱えてだ。女は男と視線が合うと、一目散に逃げて行った。
男は身体を震わせた。
「ついて来い!あの女は絶対に許すな!」
男は、赤子を抱いた母親のそばを馬を走らせて通り過ぎた。その後ろに、大勢の騎士たちが続いていく。
石を投げた女は、細い道を選んで角を曲がりながら走っている。追跡を逃れようとしているのだろう。しかし、騎士たちは馬に乗っているので速度の差は歴然だ。振り切ることは難しい。
女は息を切らせて必死になって逃げていくが、その後ろを馬の蹄の音が追いかける。捕まるのは時間の問題だ。
両者の距離が近づいてくると、不意に女がこちらを振り向いてから、角を曲がった。
騎士たちもそれを追いかけて角を曲がり、そして馬の速度を落とした。
「どうやらここまでのようだな」
そこは行き止まりになっていた。三方向を民家に遮られ、逃げられる場所はどこにも無い。
女は背を向けたまま、肩で息を切らせている。
「我らを侮辱したこと、後悔するといい」
男は剣を握りしめて、女の元へ馬を進める。
その時、女は勢いよく振り向いて、必死の表情で大声を上げた。
「今です!」
女の突然の行動に、男が不思議がっていると頭上の方で音が聞こえた。それと同時に、後ろの方から仲間の悲鳴までも。
「なに!?」
男が振り向くと、そこには蹲ってうめいている騎士や、苦痛の叫びを上げている騎士たちの姿があった。しかし、苦しんでいる仲間の姿以外の人影は存在しない。
「いったい何がッ」
上を見上げると、そこには民家の二階から顔を出している人間たちの姿があった。手には大きな石や、バケツ、中には弓を持っているものまでいる。
男が目を見開き見上げていると、バケツから放られた液体が男の顔にもかかった。
顔を刺すような痛みが走る。これは熱湯だ。
「き、貴様ぁ!この女が!はめやがったな!」
男は焼けるような痛みに顔を押さえながら、血走った眼でここまで誘導してきた女を見据える。女は怯えたような顔をみせ、一歩後ずさる。
男は剣を握りしめてその女を切り殺してやろうと進み出た。すると、今度は正面の民家の扉が蹴破られて、槍を手に持った男たちが中から飛び出してきた。
槍を持った男たちは、そのまま騎士の男に切っ先を向け突撃してくる。男は急いで態勢を立て直して長槍を剣で捌こうとしたが、いくつも向けられた切っ先を防ぐことはできずに身体を槍に貫かれた。
荒々しい足音と、雄たけびにも似た大声が世界を包み込む。
男はそのまま馬上から落ち、石畳の上に転げ落ちる。男が最後に見た光景は、自身と同じように槍で貫かれている仲間たちの姿だった。彼らが誇りに思っている、白い鳥が浮かび上がった紅のサーコートは赤一色に染まっていた。
「こんな、ことが...」
男は彼らに手を伸ばそうとして、その身体を刺し貫かれた。




