鐘の音は鳴り響く
ザビノス子爵が籠城してから三日が経った。その間、城壁の内側からは何も反応がない。
ここで反撃するのは危険と考えたのか、それとも何か考えがあるのかは分からないが、何も反撃して来ないザビノス子爵に対して民衆の行動はさらに熱を帯びて行った。
その結果はさまざまである。
初めはわずか百人にも満たなかった反乱者は、子爵が反乱の鎮圧に失敗した噂が広まることで急増し、この三日間で都市の住民のほとんどが反乱を支持している。それは、今までの兵士たちの横暴な振舞に反感を抱いていたものがそれだけいることの証左であった。
そして、その中でも特に反乱に熱心な者は赤剣隊と名乗る集団に加わり、そうでないものも、城壁の周りを取り囲んで、ザビノス子爵へと罵声を浴びせるのであった。
さらに、怒りの矛先はザビノス子爵に尻尾を振っていた一部の商人にまで向けられることになり、石で頭を打ちつけられた死体が都市の中に転がっている。
もはや一度燃え上がった炎は弱まることなく、勢いを増すのみだった。
そして、燃え上がる炎を率いているのが彼ら赤剣隊である。
赤剣隊は現在、内側の壁の城門前にて武装を整え集まっていた。
「うぅ、なんであたしが隊長に...。どうしよ、おなか痛くなってきた」
そして、赤剣隊の隊長レイラは端っこの方でお腹を抱えて縮こまっていた。
理由は明らかである。この場に集まっている彼らは、粗末なものだが剣や槍を手に持った大人の男ばかりである。体格もレイラより大きいし、年齢も上。そんな血気にはやった連中の隊長など、できるとは思えなかった。
副隊長を名乗るあの男も、なぜレイラが隊長になることに賛成したのか分からない。レイラは自分を隊長に指名したアイティラへと文句を言いたくなった。
そんなことを考えている間も、ちらちらとレイラに物珍し気な視線が向けられる。きっと、隊長がこんなにも頼りなさそうな女であることに落胆しているのだろう。レイラは視線を逃れるように、ますます身体を小さくした。
「どうした隊長。具合が悪いのか?」
そこに男の低い声がかけられて、レイラは身体をはねさせる。顔を上げると、皺のある顔をした男の姿が目に映った。そこにいたのは、槍を携えた副隊長だった。
副隊長は、心配そうな瞳でレイラのことを見下ろしている。
「い、いえ、具合は悪くないです。大丈夫、です」
「その割には、顔が真っ青だが...。休むなら、静かで涼しい場所まで案内しよう」
「そ、そこまでではないので大丈夫です。ただ、ちょっと、不安で...」
レイラは俯きがちにそう言った。
「不安か。まあ、分からなくもない。今は勢いに乗っているが、この反乱が成功するかは正直分からないからな。不安にもなる」
「あ、そ、それもありますけど...。今はそれよりも自分が赤剣隊の隊長として振舞える自信がなくて」
レイラは副隊長と目を合わせられず、落ち込んだ声で悩みを吐露する。顔を下げたことで、栗色の髪がレイラの表情を隠した。
「あたし、人前で話すの苦手だし、どもっちゃうし、何をやってもうまくできなくて...。きっと、みんなに迷惑かけちゃう」
そして、小さな声でその言葉を口にした。
「やっぱり、あたしには無理だったんだ」
レイラ・レーゼは自分に自信がなくなるとき、決まってあの日のことを思い出す。
それは、一生消えることはないであろう後悔と自責の念だ。
あの日、レイラはベットの下で息を殺していた。恐怖に震える身体を必死に抑えて、響き渡る怒鳴り声に耳を塞ぎながら。わずかな隙間から見えるのは、家の中に押し入ってきた鎧をまとった男たちと、それに押さえつけられている父の姿だ。
父は優しい人だった。そして勇敢でもあった。
今の領主に代わる前は、前の領主である伯爵様に仕えていて、食事の時にその話を何度も聞かされたことを覚えている。
そんな父が、レイラの目の前で取り押さえられているのだ。
なぜこうなったのか。それは、父が一人の少年を救ったからだ。新しい領主様の兵士に暴行されていた少年を、兵士の手から助け出したからだ。
その結果、父は兵士たちに殴られ血を流している。
今すぐにでも止めに行きたい。父親を助けたかった。
それでも、レイラは動けなかった。
レイラは、ただ見ていることしか出来なかったのだ。
どれだけの時間そうしていたのかは分からないが、その後兵士の人たちは父を連れて出て行った。
レイラは兵士の人が出て行った後も、ベットの下から出ることはできなかった。
ベットの下から出られたのは、次の日だった。レイラはそこで、父がいつも使っていた机の戸棚へ向かった。レイラをベットの下に隠す際に、父親が後で開けるように言っていたのだ。
そこにあったのは、優しい黄色をした花の髪飾りだった。
それは、レイラの誕生日が近づいていたため、用意しておいた父親からのプレゼントだった。
その時のレイラはその髪飾りを胸に抱いて、泣きながら謝罪の言葉を口にし続けることしか出来なかった。
それからレイラは、いつも思い出す。
誰かを助けられる父と違って、レイラは誰かを助けるために動くことなど出来はしない。
臆病で行動を起こせない自分は、何も成し遂げることはできない。
その思いだけが、レイラの心を占めていた。
だからレイラは、口にする。私には無理だと。
「あ、あたしが隊長になったら、きっと皆のこと危険にさらしちゃうし、もう隊長は...」
「...少し、ついてこい」
「え?」
レイラが顔を上げると、副隊長はすでに背を向けて歩き始めていた。レイラはどうしようか戸惑ったものの、急いで後を追いかけていく。
副隊長が向かったのは、赤剣隊の隊員が集まっている場所だ。彼らは地面に座り込んで、どうやら休憩しているらしい。
副隊長はその中にいた一人の少年に声をかけた。
「よお、坊主。なんだ、また金貨ながめてたのか」
副隊長が声をかけると、その少年はこちらを振り向いてーーーレイラはその姿に息を呑んだ。
なぜならその少年の顔にはいくつもの痣があり、ところどころ腫れていて、あまりにも痛々しい姿をしていたからだ。
少年は副隊長を視認すると、むっとした表情をして口を開いた。
「別にいいじゃないですか。これは僕にとってはお守りなんです。それで、何か用ですか?」
「なに、お前にも紹介してやろうと思ってな。こいつが俺たちの隊長だ」
「えっ、ちょっと」
レイラは咄嗟に声を上げるが、少年がその腫れあがった目を向けてきたので緊張して固まってしまった。
少年はしばらく眺めていたが、眺め終わるとどうでもよさそうにそっぽを向いて言った。
「へえ、そうなんですか。まあ、僕には関係ありませんね。隊長が誰であろうと、僕はここを離れるつもりはありませんので」
「お前なあ、もう少し言葉を選んだらどうだ?」
そっぽを向いてしまった少年に、副隊長は困った様な顔をする。そしてレイラに向き直ると、申し訳なさそうに眉を下げた。
「あー、年も近いだろし打ち解けられると思って連れてきたんだが...。悪いな」
「い、いえ」
レイラはわずかに視線を落として答えた。自分が落ち込んでいたせいで、どうやら副隊長に気を使わせてしまったようだ。レイラは申し訳なさを感じて、また俯くようにして顔を下げた。
すると、レイラの頭上から副隊長の躊躇うような声が聞こえてきた。
「あー、さっきの話だが、もしどうしても隊長が無理だと思うのなら言ってくれ。まあ、もしそうなったら俺たちの指導者殿は残念がるかもだけどな」
聞こえてきた予想外の言葉にレイラは顔を上げて、困惑したような声を出した。
「ア、アイティラさんが、ですか?」
レイラはアイティラのことを思い浮かべる。出会った時から、どこかつかみどころがないあの少女が本気で残念がる姿がレイラにはイメージできなかった。
それにレイラを隊長に指名したのに深い意味などないと思っていたので、レイラはその言葉を自然と疑ってしまっていた。
「ああ、あんたが一番隊長に向いてるって、あのお嬢さんは言ってたもんでな」
「え?」
そして、その意外な言葉を聞いてレイラの困惑はさらに深まった。
「ア、アイティラさんが、わ、私が隊長に向いてるって言ったんですか?」
信じられない言葉に、レイラは身を乗りだして質問する。副隊長はわずかに驚きながらも、頷いて続きを話し始めた。
「そうだ。なんでも、あのお嬢さんが兵士に連れて行かれそうになってるときに、あんたはたった一人で助けようとしたらしいじゃないか。だから、立ち向かう勇気を持ったあんたが隊長に相応しいって言ってたぞ」
「あっ」
レイラは思い出した。
少し前にアイティラが兵士に腕を掴まれてどこかに連れて行かれそうになっていたところに、飛び出していった時のことを。
あの時は、とにかくあの少女が連れていかれないように必死だった。
もちろん、自分も連れていかれるのではないかという恐怖もあったが、それよりも見捨てることが怖かったから飛び出したのだ。
確かにあの時は、立ち向かえていた。
「......」
「まあ、それでもだめそうなら仕方ない。この件はーーー」
「い、いえッ」
レイラはうわずった調子の声で、叫ぶように言った。突然の大声に副隊長は驚き、周りにいた赤剣隊の隊員たちの視線もレイラに集まった。
「あ、あたしッ、隊長ッ、やります!で、できます!」
レイラは、なぜこんなことを言ってしまったのか自分でもよく分かっていなかった。それでも、ここで言わなかったら、もう二度と立ち上がることが出来ないような気がして、咄嗟に口に出していたのだ。
副隊長は呆気に取られていたが、その顔が優しく笑みをつくると、周りに聞こえるような大きな声を出した。
「よし、その意気だ!お前たち、こいつが俺たちの隊長だ!よく覚えておけッ」
「え、あッ」
突然の副隊長の大声に、慌てるように左右を見ると赤剣隊の面々がこちらに注目していた。
それにより、レイラはどんな反応をされるのか分からなくて身体を強張らせる。隊長になると決めたのに、いざこうして注目されると恐怖が湧き上がってくる。
自分みたいな、まともに戦えそうもない女が隊長になる事に皆はどう思うだろうか。
しかし、それも杞憂だった。
「おー、あんたが隊長かー!」
「へぇ、若いのに立派じゃなぁ」
「あっ、指導者様と一緒にいた子じゃないか!だったら安心だ」
この反乱を起こしたアイティラは、レイラよりも幼い少女だ。そんな少女が先頭に立っていることにより、レイラの年齢や女であることへの抵抗が薄らいでいるようだった。
「まったく、そういうのは僕がいないところでしてくれよ」
「お前も少しは祝福したらどうだ」
「...まあ、別にいいと思う」
レイラの横で、少年と副隊長が何やら言い合っていたが、レイラはそのことに意識を割くことはできなかった。心臓は激しく鼓動し、今にも倒れてしまいそうだ。
それでも、この雰囲気は嫌なものではなかった。
レイラは口を引き結んで、震えを押さえて前を見据えた。
赤剣隊は結束し、民衆は反乱を声高に叫ぶ。
全てが順調。何も心配はいらないはずだった。
ゴォォォォン、ゴォォォォンーーー
「えっ?」
都市に鐘の音が響き渡った。




