赤剣隊
重厚な石壁に囲まれた一室で、その男は息を切らして呻いていた。
「はぁ、はぁ、くそッ!なんだあれは!」
ザビノス子爵は、悲鳴のような声を上げて強く地面を踏みつける。
こうなっているのは言うまでもない、先ほど出会ったあの化け物のせいだ。
ザビノス子爵は、この都市で反乱を指導している人物を捕らえるために、兵を引き連れて彼らの集会に乗り込んだ。相手はただの民間人で、こちらは武装を整えた兵士たち。一方的な襲撃になるはずだった。
しかし、そうはならなかった。なぜなら、反乱を指導している奴は化け物だったからだ。
武勇?確かに驚異的だった。こちらの兵士を鎧の上から切り殺す様は、悪夢のようだった。だが、そんなことよりもあの姿を一目でも見れば、彼女が化け物であることは分かるだろう。
血に濡れた姿でこちらに微笑んだあの少女は、その瞳に割れたような赤が滲んでいたのだ。縦に裂けたその瞳孔からは、どこまでも続く闇と殺戮への衝動があふれ出ているかのようだった。
「こ、こちら、お水をご用意いたしました」
壁に手をかけて歯を食いしばっているザビノス子爵に、従者服に身を包んだ若い女が、グラスに入った水を差しだしてくる。その女の瞳は、ザビノス子爵を恐れているかのように揺れていた。
その様子にザビノス子爵は、ますます怒りを募らせてグラスを乗せた受け皿ごと片手ではじき飛ばした。
「話しかけるな!お前もこの私の姿を見て喜んでいるのだろう」
「いえ!そんなことは!」
「お前もこの都市の住人だからなぁ!私がお前の両親を殺して、私の従者にしたことを恨んでいるのだろう!貴様らのようなこの都市の住人は!」
激昂したザビノス子爵は、その女を突き飛ばした。割れたグラスの破片の上に、若い女が倒れこむ。
「兵の中から誰か一人を連れてこい!今すぐだッ」
「は、はい」
倒れた女は返事をして立ち上がり、逃げるようにして扉の外へと駆けていく。その様子を見ながら、ザビノス子爵は荒げた呼吸を整える。怒りを抑えようと思っても、無様に逃げ帰ってきたことに対する屈辱は消えることはなかった。
「失礼します!お呼びでしょうか!」
そして、入れ替わりで鎧を身に纏った兵士が入ってくる。額に汗をかいていて、走ってきたのだと思われる。ザビノス子爵は壁から手を離し、兵士の方へと振り替えった。
「来たか、早速お前に頼みたいことがある」
「はッ」
ザビノス子爵は声を荒げないように、ここから挽回する方法を口にする。
「お前に、王都まで行ってほしいのだ。そこで宰相閣下に救援を求めてもらいたい」
それは、外からの助けを借りることだった。正直なところ助けを求めるのは屈辱だったが、それ以外に方法はなかった。あの化け物の姿を見てしまった兵士たちは、皆一様に怯えてしまって戦力としては頼りない。ならば反乱の勢いが弱まることを願いたいが、一度勝利してしまった彼らの勢いが衰えるとも思えない。最後に残った選択肢として、王都に助けを求めるのが最善に思われた。
「な、お待ちください!外の様子をご覧になった上でのご命令ですか?!」
しかし、兵士はその命令に異を唱える。その理由もザビノス子爵は分かっている。
「今、城門の前には怒り狂った民衆が集まっているのですよ!この城壁の外に出ることなど自殺行為ッ、不可能です!」
反乱の鎮圧に失敗して逃げてきたザビノス子爵と兵士たちは、城を取り囲む城壁の中へと逃げ帰り、そこで籠城していた。そして、攻城兵器など持ち合わせていない民衆は、固く閉ざされた城門を突破することが出来ないため、取り囲むようにして集まってきているのだ。もし門を開こうものなら、民衆が雪崩のように攻め込んでくることだろう。
だが、ザビノス子爵には唯一知っていることがあった。
「この城には抜け道がある。地下を通って、城壁の外にある民家の一つに出る事が出来る抜け道がだ」
それは、この城に移ってきたザビノス子爵が偶然見つけた抜け穴だった。
「そこからこの城の外に出て、民衆に紛れて王都に助けを求めるのだ」
ザビノス子爵の言葉に、兵士が唾を飲み込む。兵士はわずかに葛藤したのち、敬礼しながら返事をした。
「分かりました!必ずや助けを呼んでまいります!」
「ああ、頼んだ」
ザビノス子爵は静かに拳を握りしめた。
***
城門の前でアイティラは、熱狂するエブロストスの住民たちを眺めていた。
城塞都市エブロストスの内側の城壁、それは領主の住む城や、武器庫、食糧庫などの重要な施設を取り囲んでいる。城壁は高く、はしごで登ることも出来そうにない。そのため、勝利に浮かれた民衆たちは閉ざされた城門の前で声高に叫んでいるのである。今までの鬱憤を晴らすかのように。
「ここにいたのか」
そして、そんな彼らを少し離れた場所から見ているアイティラに、槍を持った男が近づいて来た。鎧をまとった兵士たちの前に無謀にも出て行ったあの男だ。
「あれ、一緒にいた人たちはどこに行ったの?」
「ああ、あいつらには俺らが領主に勝ったことを吹聴してもらってるんだ。この流れなら、この都市の連中はきっと反乱に協力するだろうよ」
そういって男は槍を抱えたまま地面に座り込んだ。アイティラは、変わらず民衆の方を眺めている。
僅かな沈黙が流れたのち、男の方が先に口を開いた。
「そういえば俺らで話し合ったんだが、この反乱を主導する集団をつくるつもりは無いか?」
「反乱を主導する集団?」
「そうだ。反乱に加わるやつが増えたら、それを制御する奴らも必要になってくるだろ?」
そう言った男は、城門の前の彼らを険しい表情で見ている。見れば、城壁の中へと叫びながら何かを投げ込んでいる人々の姿が目に入った。その怒り狂った様子は、まるで頭の悪い獣のようだとアイティラは感じた。
「だから統率をとるためにも、戦える奴を中心とした集団を作りたいんだ。ちなみに名前はもう考えてきたんだが、『赤剣隊』ってのはどうだ?俺らの象徴は赤い剣なんだろ?」
アイティラは空を見上げて考えた。確かにこの男の言う通り、反乱を纏める集団があった方がいいかもしれない。これから人数も増えてくると、アイティラ一人では大変だ。
集団の名前に関しては特に不満もなかったので、アイティラは素直に頷いた。
「そこでお嬢さんは、その隊長になってもらってだなーーー」
「まって」
しかしそこで、男がそう続けたのでアイティラは男の言葉を止めた。そしてちらりと横を見る。
「隊長はレイラがいいと思う」
「ふぇ?」
今まで会話を聞いてるだけだったレイラが、肩をはねさせて素っ頓狂な声を出した。そして、会話の内容を理解すると、大慌てで手をバタバタさせた。
「む、無理、無理です!あたし、そういうの出来ないですから!」
「大丈夫だよ、この人も助けてくれるから」
「いや、でも」
言いよどんだレイラは、自信なさげな顔で男の方をうかがった。見るからに戦えそうなこの男なら、レイラが隊長になる事を止めてくれるだろうと思って。
すると目が合った男は、何かに気づいたようにして頷いた。その反応に、レイラはわずかな希望を感じた。
「じゃあ、俺ぁ副隊長ということでいいか。これからよろしく頼む、隊長」
槍持ちの男はそう言って、レイラに軽く頭を下げた。
狼狽していたレイラはこのままでは本当に隊長になってしまうと思い、とっさに声を上げようとしたが、それより早く男が立ち上がってしまった。
「それじゃあ、俺は戻るとするか。お嬢さんも...」
男はそこまで言葉を続け、振り返る。
そして、しばらく何か考え込んだのち再び口を開いた。
「指導者殿も隊長も、また後で会おう」
男はそれだけ言い残し、槍を携えて去って行った。
後には、青い顔で何かをブツブツと呟いているレイラと、男の背を静かに見つめるアイティラだけが残された。
「ねえ、レイラ...」
アイティラは、レイラに声をかけたが返事がなかった。
どうやらレイラは一人の世界に入っているようだったので、アイティラも気にしないでおいた。
そしてアイティラは、空を見上げて指導者殿と口に出してみた。
「まあ、いっか。やりたいことは大体できたし、このままいけばきっと大丈夫」
アイティラはそう声に出すと、この都市の出入り口のはるか先を振り返って目を細めた。
それは、カナンの町がある方向。コーラル伯爵の屋敷がある方向だ。
「こっちはひと段落着いたよ。後はそっちに任せたからね、伯爵」
アイティラは、最後に見た伯爵の顔を思い浮かべながら小さく笑って、城門の方へと歩を進めた。
「や、やっぱり今からでも無理って...。あっ、アイティラさん、待ってくださいッ」
***
「パラード、彼らの状態はどうだ」
「問題ありません。言葉もしっかり話せておりますし、狂気はだいぶ収まったかと」
「そうか、ならば始めるとしよう。アイティラ嬢も向こうで頑張ってくれているだろうし、こちらもそろそろ動かなくてはな。兵士長!」
「はッ!現在カナンの町にいる兵士約800、準備は整えてあります」
「ならば、この町にいるすべての民を、この町の中心に集めよ」
「はッ」
「これより、行動を起こすとしよう」




