黄色い花の髪飾り
ガサゴソと、戸棚をあさる音が耳に入る。
あたしは今、どこにいるんだろう。
「うーん。何もないね」
遠くの方から誰かの声が聞こえた気がする。
誰かが身近にいることなんていつぶりだったっけ。
「あった。これは...パン...だよね?」
冷たい風が身体をなでる。
それに伴い体の感覚が戻ってきて、ざらざらとした感触があたしの身体を包みこむ。
この感触は良く知っている。ずった昔から使っているあたしの寝台。
つまりここは、私の家だ。
「カビが生えてる。でも食べられるかな?死ぬこともないだろうし」
なんだか頭が痛い。
さっきから聞こえてくる声は誰なんだろう。
私の家にいるのは、私とお父さんと...。
「やっぱり買ってこよう。お金は伯爵にもらってるもの」
あれ、お父...さん?
「お父さんッ!」
「!」
レイラは大きな声を出して、ベットの上で身体を起こした。
目に飛び込んできた光景は、窓から入ってくる茜色の光に照らし出された自分の家だ。
しかしそこにいたのは父親ではなく、黒のローブを纏った少女。
「あ、え?」
レイラは、意味のない言葉を上げながらあたりを見回してみると、部屋の隅に立てかけられた大きな布包みが目に入る。
その瞬間、胸が苦しくなるほどの寂しさが押し寄せ、レイラは服を強く握りしめた。
「ねえ」
「あっ」
声がかけられ、レイラはその声のもとに振り向いた。
この子は確か、この家の扉に貼り紙を貼ろうとしていた少女だ。
どうしてこの子がここにいるんだろう。記憶があいまいだ。
「さっきのこと。どうして私を助けようとしたの?」
その少女が、目を細めて疑うようにこちらを見てくる。
しかし、さっきのことと言われてもいったい何のことか分からない。
レイラは何も口にできずに、必死になって思い出そうとする。
「あ」
思い出した。
さっきこの子が兵士の人に連れて行かれそうになってたから、それを止めに行ったんだった。
確かそのあと、髪飾りと引き換えに助けてもらえることになって、そして...。
「答えられないの?」
「ひゃッ」
その声に現実に引き込まれると、少女の顔が目の前まで近づいていた。
レイラは驚きのあまり、奇妙な鳴き声を上げながらベットの上から落ちてしまった。
「いっ、たた...」
「あなた、名前は?」
ベットの上からこちらを見下ろしている少女は、脈絡もなくそんなことを聞いてくる。
「え、えっと。あたしは、レ、レイラ」
「そう。じゃあ、これはあなたに返す」
少女はそういうと、ローブの中に手を突っ込み何かを取り出した。
きらきらと輝くそれは、レイラの大事な髪飾りだ。
レイラが目を大きく見開いてかたまっていると、少女はレイラの手を掴んでその髪飾りを握らせた。
「それ、大事なものでしょ?」
「う、うん。大事なもの」
レイラは頷き、手の中に納まっている髪飾りを見た。
きらきらと輝くそれは間違いなくレイラのものだった。
レイラはその髪飾りを両手で優しく握りしめ、胸のところで祈るようにして俯いた。
そうしていると、レイラの前にいる少女が立ち上がる音が聞こえた。
レイラが顔を上げると、その少女は扉に手をかけているところだった。
「あ、待って」
レイラはとっさに手を伸ばす。
しかし少女はこちらを振り返ると、一度ためらうように口を開いてからまた扉の方へと向いてしまった。
「食べ物を買って来るだけだから。それまではまだ休んでて」
その声は、最初に会った時よりもどこか柔らかい物になっていたとレイラは感じた。
***
しばらくレイラが何もしないで待っていると、少女が帰ってきた。
レイラは少女を待っている間、先ほど起こったことをすべて思い出しわずかに混乱していた。
あの小さな少女が、鎧をまとった大きな兵士をその剣で突き刺していた光景がよみがえってきたからだ。
「あ、あの」
レイラの言葉がそこで途切れた。
レイラは記憶の中にうっすらと残っていた少女の名前を思い出して、恐る恐る言葉を続けた。
「アイティラ...さん」
少女の顔が上がり、その赤の瞳がこちらに向けられた。
その瞳に見つめられていると少し奇妙な感覚がして、レイラの声が自然と早くなっていく。
「さ、さっきの兵士の方ですけど、あの人はどうなったんですか?」
「なに?死体はそのままだけど」
レイラの顔が青くなった。
「もしかして、誰かに見られてませんか?」
「通りすがりの人に見られたくらいかな」
少女は手に持った大きな袋の中身を見ながら、ガサゴソと何か漁っている。
その様子に、レイラの焦りがどんどんと募ってくる。
「そ、その人たちはどんな人たちだったの?」
「どんな人?道の端からこっちを見ている人とか...あとあの通りのお店の人とかも見てたと思う」
その言葉に、レイラの心臓が嫌な音を立てて鼓動する。
まだ領主に敵意を抱いている人間だったら、報告はいかないかもしれない。
でも商人の中には領主と関係を持っている人もいる。もし目撃した人がそうであったなら、兵士を殺した情報は間違いなく伝わってしまうだろう。
あの通りにある店がどちらだったかは定かではない。
「ど、どうしよう。バレたら間違いなく殺される。だって今の領主様は...」
レイラは胸のあたりを強く握りしめて、俯きながらそう言った。
身を屈めて苦し気にうめいている様子は、まるで追い詰められた小動物のようだった。
しかしレイラにはそんなことに気を配る余裕もなく、ただ打ちのめされるだけだった。
頭の中はすでに考えが絡み合い、目の前には奈落があるように思える。
「早く逃げよう!ばれてからじゃ遅い。ど、どこか別の町へ」
レイラはとっさにそう口走っていた。
しかし、レイラは分かっている。この都市では、外から中に入ることは簡単だが、中から外に出ることは極めて難しいことを。都市の外に行けるのは、商人や一部の富裕層くらいだ。
敵を寄せ付けないための高い城壁はこの都市の住民を閉じ込める檻となり、住民を守るための兵士は、檻から逃げ出さないように見張る看守のようだ。
ただの住民の一人であるレイラが逃げ出すことは不可能だった。
だが、それ以外の手段は思いつかなかった。レイラ・レーゼには思いつかなかったのだ。
「逃げる必要がどこにあるの?」
「え?」
空からそんな声が聞こえてきた。冷たく透き通った少女の声だ。レイラが顔を上げて少女を見ると、少女はこちらを見つめていた。何処までも落ち着いていて、ゆるぎない視線とともに。
困惑するレイラの目の前に、アイティラは一枚の紙を掲げた。
『悪い領主をやっつけよう。武器を手に取り、立ち上がろう。自由を求める人たちは、赤き剣のもとに集まれ』
それはあの貼り紙だった。
「私は聞きたい。どうしてあなたたちは、そんなに怯えているの?この紙を見て立ち上がるどころか、破り捨てるのはどうして?」
不思議そうな顔で、まったく理解できないという顔で聞いてくるその少女に、レイラは初めて強い怒りが湧いてきた。
この無知な少女は、何も現実が分かっていない。こちらの苦しみなど、まったく理解していない。
それなのに、理解しないまま不思議そうに問いかけてくるその姿が、レイラの心を苛立たさせる。
「どうしてって?あなたには分からないの?」
沸々と音を立てて湧き上がるその怒りは、レイラの心を鼓動させ、レイラは思いのままに感情を吐き出した。
「あたしたちが、どうして反抗できないか分からないのッ?そんなことしたら、簡単に殺されるにきまってるからじゃん!?」
「だったら、勝てばいーーー」
「勝てばいい!?もしこの都市で勝てたとしても、領主への反逆は王様への反逆になるんだよ!そんなことになったらどうなるか理解できないの!?」
誰にも打ち明けられなかった苦しみは、止まらなかった。
「あたしたちだって、今のままでいいと思ってるわけじゃない!でも、他にどうしろって言うの?どうしようもないじゃん!どうしようも......」
そこまで言ったレイラは息を切らせながら、途端に俯いてしまった。
そして最後に小さな声で、泣きそうな声で呟いた。
「どうしようも......ないじゃん......」
しばらくレイラのすすり泣く声だけが響いた。
俯いているレイラには、目の前の少女の顔は見えない。
もしかして怒っているだろうか?それとも、急に怒鳴ったせいで怯えさせてしまったかもしれない。
それでも、取り繕うことはできなかった。あふれる涙は、自分の意思に関係なくあふれ出す。
ため息が聞こえた。
どうやらあきれられていたみたいだ。
レイラはぼんやりとそんなことを考えた。あきれられても仕方ない。
自分よりも小さな女の子の前で、みっともなく泣いてしまっているのだから。
そんな時、レイラの身体は突如として何かに包まれた。
血の通った、やわらかい暖かさだった。
「そっか。ごめんね。私は今のあなたたちを良く見てなかったみたい」
優しい声が聞こえる。
暖かく抱きしめられているのが、とても心地いい。
「でも、やっぱり私の意思は変わらない。だって、あなたたちの考えてるような結末にはならないもの」
やっぱり涙は止まらなかった。
でも、さっきまでの胸が張り裂かれるような辛さはなく、今はあふれ出さんばかりの感情が涙となって流れ出しているような不思議な感じだった。
「あなたが知ってるかどうか分からないけど、少し前までこの都市を治めていたコーラル伯爵が助けに来てくれるんだよ」
「コーラル...はくしゃくさまが?」
抱きしめられるぬくもりを感じながら、優しく頭をなでられた。
だんだんと、意識が薄くなってくる。でも、いやな感覚じゃない。
「それに、私も戦うから。おねえちゃんに任せなさい」
その優しく響く声を最後に、レイラは意識を手放した。
***
真っ暗な部屋の中、黒い影が窓から空を見上げて佇んでいた。
今日は月が隠れている。光が全く届かない夜は、普通の人間では歩くことすらできないだろう。
「......」
後ろからは静かな寝息が聞こえてくる。
少女の夜を見通す瞳が、ベットで横たわっている彼女の頬を流れる涙を見た。
「どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。あの子とは違うのに」
窓にもたれかかって座り込んだ。その目は眠っている彼女へ向けられている。
「私がやることは初めから変わらない。私が安心するために、その為に邪魔ものを殺すだけ。私は化け物なんだから」
アイティラの独白が小さく響く。
すると、アイティラのもとに消え入るような小さな声が聞こえてきて、アイティラは意識を傾けた。
「お父さん...はくしゃくさまは......見捨てられたわけじゃ...なかったよ...」
「......」
アイティラは壁によりかかったまま、ゆっくりとその目を閉じた。




