エブロストスの住民たち
アイティラはエブロストスの通りに降り立ち、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「え、なんで?」
目が覚めて通りを見たら、昨日アイティラがあんなにも頑張って貼った紙が、すべて無くなっていたのだ。
しかも、あたりには無残に引き裂かれた紙屑も落ちている。
アイティラはその光景を見て、呆然とした。
「もしかして、あの鎧の人たちが集めてるのかな?」
アイティラは、きっとそうだと思った。
なぜならこのエブロストスの住人は、あの鎧の人たちにひどい扱いをされているのだ。
だったら、この紙を剝がすだけでなく、わざわざ切り裂くようなことはしないはずだから。
アイティラはわずかな怒りを感じた。
あの紙はすべてアイティラが一枚ずつ手書きでかいたものだ。
それが引き裂かれて、地面の泥にまみれている姿を見ると、とても気分が悪い。
「......そうだ」
アイティラは、いい考えを思いついた。
またこの紙を貼ってまわって、再び紙を貼った場所に戻ってくるのだ。
そして剥がしている鎧の人間がいたら、こっそりと殺して回ろう。
あの貼り紙の近くに鎧の兵士が死んでいたら、あの貼り紙が悪ふざけじゃないことも分かってもらえて良い事づくめだ。
アイティラは笑みを浮かべると、石畳で舗装された地面を足音を鳴らしながら進んでいった。
***
「......まだかな?」
アイティラは、わずかな不機嫌さを滲ませた声で言った。
あれから残りの紙を貼ってまわって、ついに紙は残り十数枚になってしまった。
アイティラは再び道を戻ると、適当な民家の隅に身を潜め、貼り紙に近づく鎧の兵士を待っている。
しかし、今がまだ早朝ということもあってか道を歩く人は誰もいない。
アイティラはローブを羽織っていても感じる肌寒さと、わずかに感じる何かが腐った様な匂いに、だんだんと気が短くなってくる。
それでもアイティラが我慢していると、ついに誰かが貼り紙の傍に近づいて来た。
辺りをきょろきょろ見回しているその男は、薄汚れた衣服に身を包んでいる。どうやら鎧の兵士ではなく、このエブロストスの住民のようだ。
アイティラは、鎧の兵士が来なかったことに落胆したが、本来の目的は鎧の兵士を殺すことではなくエブロストスの住民の気持ちを奮い立たせることだと思い出し、様子をうかがった。
薄汚れた衣服の男が紙を手に取り、その紙に目を落としている。
アイティラは、先ほどまでの不快感もすっかりと頭から離れて、その男の動きを観察した。
すると男は、アイティラが思ってもいない行動をとった。
なんと男は、紙をびりびりに引き裂くと、そのまま地面に捨ててしまったのだ。
アイティラはその様子に大きく目を見開き、急いでフードで顔を隠すと男のもとまで駆けて行った。
「ねえ」
「!」
アイティラが男の背中に声をかけると、男は肩をはねさせて勢いよくこちらを振り向いた。
しかし、男は声をかけたのが背丈の小さい少女だと気づくと不思議そうな顔をした。
「なんだ?この俺に何か用か?」
男はしきりに首の後ろを擦ると、あたりに視線をさまよわせた。
「あなた、さっきどうしてあの紙を破いたの?あなた、この都市の人間でしょ?」
「ああ?いきなり何のことを言ってるんだ?用がないなら俺は行くぞ」
男は早くここから立ち去りたいのか、早口でそう言った。
そして男はアイティラを無視して、どこかへ歩いて行こうとする。
「これのこと。あなた、さっき破いてたでしょ」
しかしアイティラは男の前に回り込むと、手に持っていた紙を男の前に突き出した。
男の視線がその紙に動き、次いでアイティラの脇に抱えられた紙の束へと動いていった。
そこで男は目を剥いた。
「おい、それ!まさかあの貼り紙を貼ってたやつはお前だったのか!?」
「そうだよ。ねえ、なんで破いたの?」
男は顔を真っ赤にして、大声で怒鳴り散らした。
「ふざけるなっ。一体何を考えてるんだッ!」
「ここに書いてあるでしょ?今の領主に反抗するの。もしかして字が読めなかった?」
男は眉をぴくぴくと動かし、目を大きく見開いた。
「それがどういう意味を持ってるのか分かってるのか!」
「今の領主をやっつけて、あの鎧の兵士たちも追い出すの。あなたたちは、今の生活に不満を抱いてるはずでしょ?」
男はわずかに言いよどんだ。しかし強く歯を噛みしめると、再び怒鳴り声をあげた。
「あんただけが死ぬならいい。そんなに早死にしたいんだったら一人で死ね!だがだ、もしお前ひとりの行動で今より俺たちの扱いがひどくなったらどうしてくれるんだ!」
「だったら今のままでいいの?たとえ死ぬかもしれなくても、このまま支配されてるよりはずっといいと思うんだけど」
アイティラも男の言葉に言い返す。しかし男は怒り心頭といった様子で、まったく聞き入れてもらえそうにない。アイティラは、途方に暮れた。
どうすればこの男を説得できるのか、まったくわからない。アイティラには、暴力におびえて従属させられるよりも、立ち向かって死ぬ危険を冒してでも反抗する方がいいと思う。
しかし、どうやらこの男は違うようだ。理解しがたい事だが、今朝の貼り紙がことごとく破かれていた様子から、この都市の住人はこの男のような考えの人の方が多いのかもしれない。
顔を真っ赤にしている男は、なおも熱は冷めやらぬ様子で言い返そうと口を開いた。
しかし、二人の言い争いは突如現れた乱入者によって途切れてしまった。
「そこの二人!いったい何をやっている!」
そこには鎧を身にまとい、腰に剣をぶら下げた兵士が一人立っていた。
その男はこちらに声を投げかけると、歩いてこちらまで近づいてくる。
「ま、まずい」
男は近づいてくる兵士と、アイティラを交互に見た。
男の額には、おびただしいほどの汗が浮かんでいる。
「く、うぅ」
男はアイティラのことを見つめ、歯を食いしばって苦し気なうめき声をあげた。
そして、男は兵士が近づいてくる前に、ものすごい勢いで走って行ってしまった。
「待て、そこの奴!くそッ」
兵士は追いかけようとしたものの、男は建物の角をまがってしまったので兵士は歩みを止めて残ったアイティラの方を見た。
「ん?」
兵士が目にとめたのは、アイティラの脇に抱えられた紙束だ。
兵士はそれを凝視している。
「おい、それはなんだ?」
兵士の男は、その紙束を指さして聞く。
兵士に問いかけられたアイティラは、その真っ赤な目を細めて返答した。
「あなたには関係ないものだよ」
兵士の顔が歪んだ。眉を寄せてこちらを睨んでいるので、どうやら気に障ったようだ。
「なんだその態度は?そんな言い方をしていいと思ってるのか?」
兵士が手を伸ばし、アイティラの持つ紙束に手をかけた。
「いいからさっさと見せろ」
兵士は紙束を力任せに奪い取ると、その紙へと目を落とした。
そして、口元を歪めた。
「やっぱりか。昨日この貼り紙を貼ってまわってたやつはお前か?」
兵士は背の低いアイティラを上から下までゆっくりと眺めまわす。
「とりあえずついて来い。反逆は立派な大罪だ。ザビノス子爵様もお怒りになっている」
兵士はアイティラに手を伸ばした。
「処刑方法は子爵様が決めるだろう。分かったら大人しくついてこ......ん?なんだ」
兵士はアイティラを引っ張ろうと、片方の腕をつかんだ。
すると、掴んでない方の手のあたりに淡い光の粒な様なものが集まり始めたのだ。
その粒はだんだんと集まっていき、形を作っていった。その形はまるで剣のようであった。
兵士はその不思議な光景を、動きを止めたままじっと見つめた。不意に少女の方を見ると、フードがずれその真っ赤な瞳があらわになった。
少女の口元が動く。
さ...よ...う...な...。
「ま、待って。待ってくださいっ」
「「!!」」
兵士の男がそこまで口の動きを読み取ったところで、突然身体に何かが抱き着いてきた。
兵士の男は驚いて、抱き着いてきたものへと振り返った。
「その子はッ、待ってください」
そこには栗色の髪をした若い女がいた。
それがなぜか兵士の腰に抱き着いて、しきりに何かを喚いている。
「な、近づくなぁ!」
兵士は大声をだして、その女を蹴飛ばした。
女は石畳の地面に投げ出され、泥で汚れた。
「え?あなたは...」
連れて行こうとしていた少女が何か言葉を漏らしていたが、兵士はそんなことも気に留めずに、倒れた女の元へと近づいていく。
「お前は誰だ。何の用があって、ここにいる」
栗色の髪の女は身体を起こし、泥で汚れた顔を上げた。
「そ、その子を連れてくのは、待ってください!」
兵士は眉を寄せて女を見た。
「それはできない。こいつは領主様に反抗しようとした大罪人だ」
「ま、まだ子供...」
「子供だからなど言い訳は通用しないッ。謀反はそれほどの大罪なのだ」
「それでも!」
なおも言い募る女に、兵士は鋭い視線を向ける。
「なんだ、こいつを庇うのか?だとしたらお前も同罪となる」
兵士の鋭い視線に、栗色の髪の女は言葉を詰まらせた。そして彼女はあてもなく視線をさまよわせると、不思議そうな目で彼女を見ているローブ姿の少女と目が合い、彼女はぎゅっと口元を強く引き結んだ。
兵士の男は、倒れた女の様子を見ていると、不意に気付いたことがあった。
倒れた女の傍に、何か光っているものが落ちていた。兵士の視線に気づいた女は、その落ちていたものを急いで手で隠す。
「あ、こ、これは」
「見せてみろ。さもなくばお前も同罪として連れて行く」
女はためらうように出し渋っていたが、ついにその手の中のものを兵士に見せた。
そこには綺麗に輝く、黄色の花の形をした髪飾りがあった。平民が持っているようなものではなく、高価そうなものだ。
兵士はしばらく考え込むと、あたりを見渡した。
「分かった。今回だけは、こいつの罪を見逃そう」
「ほ、本当ですか!」
「ただし、それはもらっていくぞ。それと引き換えだ」
栗色の女は、手の中にある髪飾りに視線を落とした。
その手が小さく震えている。
「どうした?望み通りこいつを見逃してやると言っているんだ。本来ならありえない取引なんだぞ」
栗色の女は肩をはねさせ、髪飾りを胸に抱いた。
しかし、しばらくするとためらうように緩慢な動きでその手が胸から離されて行き、ついに跪いた姿のまま兵士の目の前で綺麗な髪飾りを掲げた。
「これを差し上げます。だから、その子を見逃してください」
「それでいい」
兵士が笑みを浮かべ、その髪飾りを取ろうとする。
栗色の女は、それを跪いて待ち続ける。
「ふざ...な...で」
兵士の後ろから、聞き取れないほど小さな声が聞こえた。
気になった兵士が振り返ろうとする前に、兵士のすぐ後ろから囁くような声が聞こえた。
「させると思ってるの?」
「ぐッ」
手を伸ばしていた兵士の身体が、突如後ろに引き倒された。
抗うことのできない圧倒的な力によって、兵士は仰向けで地面に倒された。
ザッ...
耳元で足音が聞こえたと同時に、兵士の腹に衝撃が走った。
兵士の口から空気が吐き出され、痛みが走る。
首だけを上げて腹を見てみると、そこには足が乗っていた。黒いローブで隠された足だ。
「ねえ、私の目の前でそんなもの見せないでよ。とっても不愉快」
上を見上げると、そこには先ほどの黒いローブの少女がいつの間にか赤い剣を手にして見下ろしていた。
「お、お前!こんなことして、どうなるか分かってんのかああ!?」
兵士は身体を動かそうとしたが、まったく動かない。お腹にかかった力が、どんどん強くなってくる。
見れば頑丈なはずの鎧が、キシキシという不気味な音を立ててゆっくりと歪んできていた。
「な、なんでだ。なんで動かない......ッ!」
もがくも全く逃れられず、兵士の男は焦りだす。するとそんな兵士の鼻先に、赤い剣が突き付けられた。
光の宿らない瞳で見下ろしてくるその姿に、兵士の脳裏に恐ろしい光景が浮かび上がり兵士はまるで狂ったように叫び声を上げた。
「や、やめろ!やめろっ!やめろおっ!」
「さようなら」
血しぶきが舞い、兵士の声が聞こえなくなった。
アイティラは赤い剣に血を滴らせながら、座り込んだままこちらを見上げる栗色の髪の女を振り返る。
女は口をパクパクさせて、何も言葉を発せずに目を見開いていた。
「......あなた、名前は?」
「あッ、え、ああッ」
「......」
アイティラは剣に付いた血を振り払い、その女に手を差し出した。
「私はアイティラ。とりあえずあなたの家まで連れて行くね」




