城塞都市エブロストス
城塞都市エブロストス。
この都市は王国の北端に位置し、帝国が王国に侵攻してきたときの防波堤としての役割を与えられている都市だ。この都市には二重の防壁があり、見るものを威圧する巨大な城壁が聳え立っている。
外側の城壁は深い堀によって囲まれ、有事の際には跳ね橋が上がり敵の侵入を防いでくれる。そして、その外側の城壁と内側の城壁に挟まれた区画には庶民の生活が広がっており、職人や商人によって賑わっているらしい。
内側の壁に囲まれた範囲は富裕層や、要塞としての機能を持つ施設が集まり、その中央には領主の城がすべてを見下ろすように立っているのだという。
いずれにしても、賑わっていて、人々の顔は明るく、庶民と兵士の間にも強い信頼が築かれている素晴らしい都市なのだと。
そうコーラル伯爵は言っていた。
アイティラは、足で石畳を鳴らしながらあたりの様子をうかがった。
道を歩く人の数はまばらで、しかもその人たちの顔は暗い。顔を俯けて足早に歩いていく様子は、まるで罪を犯した罪人のようだった。道の横にある小さな路地裏は薄暗く、時々気色の悪いうめき声のようなものも聞こえてくる。懐かしむような声音で話してくれた伯爵の言葉とは全く違う光景が、あたりには広がっていた。
「まあ、こっちの方がやりやすいから良いけど」
アイティラもフードを目深にかぶり、道行く人たちに紛れ込んで寂れた通りを進んでいった。アイティラにはやる事があるのだ。
「ここかな?」
しばらくして、アイティラは一つの店の前で足を止めた。あたりの家屋や店よりもひときわ大きい店の扉に手をかけると、アイティラはその中へと入っていった。
店の奥には一人の白髪の男がおり、おそらくこの店の店主なのだろうその男は、不愛想な顔をしたままアイティラのことを一瞥した。アイティラはその男へと近づいていく。
「何が欲しい」
白髪の男はしわがれた声でそう言うと、背の小さいアイティラに疑わしそうな視線を向けた。
しかしアイティラは構うことなく、フード越しに白髪の男を見上げながら言った。
「紙をあるだけ全部ちょうだい。羊皮紙でも何でもいいから、ここにある分すべて」
白髪の男の目が鋭く細まった。
「言っておくが、紙は貴重で高価なものだ。それをあるだけ全部となると、いくらになるか分かってんのか?」
男から見て目の前の人物はとても金を持っていそうには見えなかった。低い背丈に高い声、どこからどう見ても子供にしか見えない。だからその声は険のあるものになっていた。
しかしそれを聞いた目の前のローブの人物はおもむろに革袋を取り出すと、その中から金色に光るものを取り出し、男の前へと数枚落とした。
「早く用意してくれる?私、急がなきゃいけないの」
白髪の男は呆気に取られて、ぎこちない動きで頷いた。
***
「あの時私に首輪が無ければ、私も復讐したかった」
「今は首輪は無いけれど、復讐の相手ももういない」
静かな独白が、暗闇の中に紡がれる。
アイティラは暗い路地裏で、羊皮紙に文字を書き連ねていた。
「今の私には何があるんだろう?」
フードが外れ、アイティラの黒髪が小さく揺れる。
ローブの下にある赤いブローチが、何かを訴えている気がした。
「考えてもわからないし、難しいことは後で考えればいいや」
つたない文字が形作られ、真っ黒なインクが紙ににじむ。
そうして出来上がった紙を掲げ、アイティラはその出来栄えに喜んだ。
「できた」
これは種だ。小さな種。人々の心を動かすための、ほんの小さな火種なのだ。
アイティラはしばらくその紙を見て頷いていたが、しばらくすると掲げるのをやめた。
「どこか違う気がする」
確かに伝えたいことは書いてある。必要なことは書いたはずだ。
だがどこか物足りない。黒一色のこの紙には、何か欠けている感じがする。
どうすればいいのか悩むものの、まったく解決策は浮かばなかった。
「こっちだ!」
遠くの方から声が聞こえた。どこかで聞いた覚えもあるが、誰かは覚えていない。
続いてガチャガチャと、重たい金属の音も聞こえてきた。
「いたぞ!ここだ!」
そこには先ほど会った白髪の店主がいた。白髪の男は、どこかに向かってしきりに大声を出している。
続いて金属の音が続き、鎧をまとった二人の男が現れた。暗闇に光る赤い瞳が、二人の男に向けられる。
「あそこのガキが、ほんとに大金をもってんのかぁ?」
「間違いない。革袋から金貨を出したんだ。きっともっと持っているに違いない」
先ほど店で見た白髪の男は不愛想だったが、今はその顔に薄ら笑いが浮かんでいた。そして白髪の男と一緒にいる鎧の男たちは、暗闇からこちらを覗く少女の姿を目を凝らしてじっと見た。
黒のローブを纏ったその少女は、闇に溶け込むようにそこにいた。こちらに気づいているはずなのに、一切動かずこちらを見据えている様子に、鎧の男は無意識のうちに息を呑む。
「このわたしが情報をつたえたんだぞ。奪ったものの半分は私のものにしてくれないか」
白髪の男は、立ち止まった鎧の男二人にそんなことを言っている。それを聞いた鎧の男たちは、一瞬不満げな顔を浮かべたが、すぐに元の調子に戻った。
「ああ、いいぞ。ただし、このガキ自体は俺たちのものだ」
鎧の男のうち一人がそういうと、鎧の男たちは一歩一歩とアイティラのところに近づいてくる。
「こんな薄暗い路地裏に自分から入り込んでくれるとはな。まあ、たとえ誰かに見られたとしても問題はないが。」
アイティラは近づいてくる男たちの方を見ながら考えていた。そしてその手に持った、インクの滲んだ紙を見る。
紙の上にはインクの黒しか色がなく、どこか目立たない。だったらもっと鮮やかで、きれいな色も使えば目立つようになるだろう。
「どうせ逃げられねえんだ。大人しくしてろよ」
近づいてくる鎧の男と、その奥に佇む白髪の男を映す少女の瞳が、妖しい赤に変わっていく。
赤き剣が、薄暗い路地裏にきらめいた。
***
「パラード」
「いかがいたしましたか?」
コーラル伯爵は淹れたての紅茶を飲みながら、その紅茶をいれた執事に向けて声をかける。執事のパラードは穏やかな笑みを浮かべたまま、壁際に控えている。その様子に伯爵は、ため息をついた。
「最近のお前はずいぶんと機嫌がいいようだな」
「ばれてしまいましたか」
パラードはその顔にしわをつくって微笑んだ。
「あの少女が来てからだな。あの子がお前のことをじいやと呼んでいて驚いたぞ。それにお前も、あの子のことをお嬢様などど呼んでいるではないか」
「ええ、旦那様に協力してくれる方ですから。とてもいい子でしたよ」
伯爵は、突如現れた少女のことを思い浮かべる。あの夜、どこからともなく現れた少女は、悪魔騒動の時に伯爵の前で悪魔を両断して見せたSランク冒険者だった。
その少女は、悪魔騒動における情報をなぜか知っており、そのうえでこちらに協力すると言ってきた。
あの少女がどうして協力してくれるのかは分からない。だが少なくとも悪意といったものは感じない。
全く不思議な少女だった。
「確かにそうだな。お前の機嫌が良かったのはその為か」
「ええ、それと僭越ながら申し上げますと、もう一つ理由がございます」
その言葉に伯爵は、執事の方へと顔を向けた。執事の目が、心なしかいつもより優し気なものになっていた。
「あの子が旦那様の立ち直られる良いきっかけになればと思いました」
「......」
伯爵は口をつぐんだ。本当はもうとっくに立ち直っていると口に出すつもりだったが、何十年と仕えてきたパラードには簡単に見破られてしまうと知っているからだ。だから、伯爵は口を閉じ、難しい顔になる。
「お前は少し心配しすぎだ」
「申し訳ございません。年を取ると些細なことも気にしてしまうものなのです」
とても申し訳なさそうには思っていないような穏やかな微笑を浮かべながら、パラードは言った。
パラードは、長らく使用人として仕えてきたからこそ、多くのことを知っている。伯爵が戦場をかけていた時も、婚約者を迎え入れたときも、息子が生まれ、その子が処刑されたこともすべて共に見てきたのだ。
だからこそ、今ここにいる。たとえ王家に反逆したとしても、裏切ることなく付いて来てくれる信頼があるからここにいるのだ。
「パラード」
「なんでしょう?」
だからこそ、長らく付いてきてくれたこの老人には伝えておくべきだと伯爵は思った。
「この町で、私は罪なき子供を悪魔にささげた。私が守るべきもの達を、この私が殺したのだ」
「......」
「いずれこの罰は受けるだろう。だが、その罰を受けるのは、すべてを終わらせてからでも遅くはない」
伯爵は強く拳を握る。もはや、賽は投げられた。
「私は再び立ち上がろう。この王国へ謀反を起こし、すべてを終わらせその罪を被るとしよう」
そこまで言った伯爵は、最後に小さく苦笑すると、微笑を浮かべる己が従者へ問うた。
「私は間違った方向に進んでいると思うか?」
「いいえ、進んでおりません。全くもって、正しき道かと」
パラードは、万感の思いでそう言った。
「ならばまずは、兵士長のもとに行く。私が帰るまでに、準備の方を進めておいてくれ」
「かしこまりました。あの三人の方はすぐにでも使える状態ですので、ご安心くださいませ」
パラードは、心から捧げる深い忠義の礼をとっていた。
あの日から止まっていた時間が緩やかに流れ出したような気がした。




