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自由を夢見た吸血鬼  作者: もみじ
赤き剣の反逆者
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火種

深い深いまどろみの中、少女は柔らかな感触に包まれていた。

僅かに感じる暖かさを求めるように、少女は身体をおしつけて安心する。

心は穏やかだった。


「ん...ぅ...」


淡い光が瞼を通して少女の目を開かせようと差し込んでくる。

少女は光から逃れるように顔を背け、またまどろみに入ろうとする。

しかし、再びまどろみにおちることはできず、仕方なしに少女はその目をわずかに開く。


「......」


少女はゆっくりと身体を起こすと、部屋の中を見渡した。

部屋の中は落ち着いた調度品がおかれており、少女は部屋の中心にあるベットの上で身を起こした。

先ほどまで感じていた柔らかさはこのベットのものであり、まぶしい光は窓から差し込む朝日だった。


少女は眠たい瞼を擦るとベットから降りて、そぐそばの台の上に置いてある真っ赤なブローチをすくいあげる。


「おはよう、ハンス」


少女は穏やかな笑みを浮かべた。


コンコン


ノックの音が部屋に響き、少女は急いでブローチを服に取り付けた。真っ赤なブローチが光を透かして、きらきらと明るく輝いた。


「入っていいよ」

「失礼いたします」


落ち着いた声とともに扉が開かれ一人の人物が部屋に入ってきた。燕尾服に身を包んだ老紳士だ。

白髪の老紳士は、そのしわのある顔に優しく笑みを浮かべると優雅に一礼して見せた。


「おはようございますお嬢様。旦那様より貴方様のことはお伺いしております」

「そう。だったら話は早いね。ちなみにあなた名前は?」


老紳士は扉の前で落ち着いた所作で佇んでいる。


「私はパラード・ドプナー。旦那様に仕える執事でございます」


執事は白い手袋に包まれた手を胸に当て、優しそうに微笑んだ。


「私のことはぜひ"じいや"とお呼びください」


***


コーラル伯爵。それは、このカナンの町を含む一帯を治める領主であり、王国の貴族である。

伯爵は民思いの領主として知られ、領民からの人気も高い。先日発生したカナンの町の悪魔騒動の際にも兵士を率いて参戦したことから、その勇敢さと善良さを多くのカナンの民が知るところとなった。

王国における貴族の腐敗が蔓延する中、民に寄り添い守ってくれる伯爵の姿は珍しく、だからこそ民にとっての希望ともいえる存在だった。


しかしアイティラは知っている。その悪魔騒動に伯爵が関わっていることを。

悪魔騒動を引き起こした悪魔信奉者たちをカナンに招き入れたのが、伯爵だということを。

そして昨日の夜にアイティラは伯爵の屋敷へと入り込み、そこで伯爵の復讐を聞いた。

アイティラにとって邪魔な聖女や、王国の騎士団に敵対しそうな伯爵はアイティラにとって都合がいい。だからこそアイティラは伯爵の復讐を手伝ってあげることにした。

今いるのは、その伯爵の屋敷であり、目の前の執事は伯爵に仕える従者のようだ。


アイティラは老執事の後をついていき、屋敷の広い廊下を歩く。

廊下の片方は窓があり、光が室内に入り込んでいる。もう片方には扉がいくつもついている。

この沢山ある扉の一つが、先ほどまでアイティラがいた部屋だ。


階段を下り、しばらく執事についていくと大きな部屋に出た。

部屋の中央にはテーブルがあり、そこには食事が並んでいる。


「どうぞおかけになってください」


椅子を引かれ、アイティラは背の高い椅子に座った。足が地面に付かないため、アイティラは足をぶらぶらさせた。


「朝食をご用意させていただきました。ご要望があればこの爺やにお申し付けください」


皿の上に乗っているのは、厚切りのパンにたくさんのお肉が入っているスープ。それと赤紫色をした瑞々しい果物だ。果実の断面は、オレンジ色にきらきらと輝いているようだった。

アイティラは早速パンを手に取ろうとして、気になったことを爺やに尋ねた。


「じいや」

「どうされましたかお嬢様」

「伯爵はどこにいるの?」


アイティラはきょろきょろとあたりを見渡すが、伯爵の姿はない。

伯爵とは昨日の夜に少し話をしただけで、アイティラはすぐに寝てしまったのだ。


「旦那様は現在出掛けておられます。悪魔襲撃の影響で、壊された建物や亡くなられた住民の対処に赴かれました」

「へえ」


アイティラに"じいや"と呼ばれた老執事は、ずいぶんと嬉しそうに答えた。

その様子はいかにも優しそうで、いい人そうに見える。アイティラはパンを一口齧った。


「伯爵がいないことは分かったけど、他の人はいないの?広いお屋敷だし、使用人がいっぱいいるのかと思ってた」


アイティラは、スープに浮かぶ四角いお肉をスプーンで掬って口に運ぶ。それなりにおいしい。


「現在の使用人はこの爺や一人です」


アイティラは不思議そうに爺やを見た。

傍で控える爺やは落ち着いたたたずまいのまま言った。


「少し前までは悪魔崇拝していたあの方たちが使用人として働いていたのですが、皆死んでしまいましたから。まあ、彼らと一緒に働くのは愉快ではありませんでしたので、居なくなってくれたことはありがたい限りなのですがね」

「そっか。それは良かったね」


アイティラは最後に瑞々しい果物に手を伸ばす。齧ってみると酸っぱかった。

しばらくして朝食を食べ終わったアイティラは、背の高い椅子から飛び降りてこれから何をしようかと考えた。伯爵とこれからのことについて話そうと思ったけど、伯爵はいま出かけてるしカナンの町に出ようかと思いつく。

アイティラは頭の後ろに手を伸ばして、そこにいつものフードの感触がなかったことで思い出した。


「じいや。私のローブはどこに行ったの?」

「だいぶ汚れていたようなので、洗濯して乾かしております」

「......」


やっぱり屋敷を見て回ろうとアイティラは考えた。


***


じいやは仕事があるそうなので、アイティラは屋敷の中をあてもなく歩いた。

書庫から本を引っ張り出したり、昨日伯爵と出会った執務室を見て回ったり、広い部屋に置いてあったふかふかのソファーに寝そべったりと粗方の部屋を見て回った。

そして廊下を歩いているとき、壁にかけられた一枚の絵画を見て足を止めた。


絵画には三人の人物が描かれていた。淡い茶髪で立派な髭をつけている背の高い男は、昨日見たコーラル伯だ。ただ絵画の方の伯爵は、ずいぶん若く気迫があった。昨日見た疲れ果てた様子の男とは全く違う。

もう一人は若い女だ。長い黒髪で、優しそうな垂れ目をして微笑んでいる。綺麗な緑の瞳が特徴的だ。

最後の一人は、小さな男の子。茶髪で緑の目をした、元気そうな男の子。二人に挟まれているその子は、顔いっぱいに花の咲くような笑顔を浮かべている。

その三人の姿からは、互いを思い慈しみ合う気持ちが伝わってくるようであり、そして何よりーーー


「幸せそう」


アイティラは寂しそうに目を細めた。


「...ええ、この頃はとても幸せでした」


いつの間にか爺やが傍まで来ていて、一緒になって絵画を眺めていた。

少しの沈黙が流れる。


「この絵が描かれたのはもう十年ほども前のことです。この頃は奥様もご存命で、坊ちゃまにとっても旦那様にとっても一番幸せな頃でした。」

「この後は、どうなっちゃうの?」


爺やの優しそうな顔が初めて、痛ましく感じるほど辛そうな顔になってしまった。


「このすぐ後に、奥様はご病気で亡くなられました。旦那様も坊ちゃまも、それはたいそうお嘆きになり、一時期はふさぎ込んでおられました。わたくしども使用人もどうすることもできず、ただただ時間が悲しみを和らげるのを待つことしかできませんでした。」


アイティラは目を伏せて、静かに話を聞いていた。

悲しみに暮れる老人の声は、どこまでも寂しく胸を締め付ける。

爺やは細いため息をつくと、少しだけ調子を戻した声を出した。


「しかし、その悲しみも乗り越え、お二方は前を向くようになりました。旦那様は生前に奥様が好きだと言っていたこの領地を、領民を守ることを誓われ、坊ちゃまは奥様に似て正義感の強い青年へと変わっていきました。」


そこまで話した老執事の声に希望があった。しかし希望は、暗い闇に覆われる。

それは少女もよく知っていることだった。


「問題は坊ちゃまがなくなられた時でした。坊ちゃまはーーー」


老執事は話した。伯爵の復讐、伯爵の苦悩、それを聞き少女は過去を思い出す。

もはや朧気で、顔も思い出せないほどなのに、あの子のきれいな赤い瞳は忘れられない。

親愛を宿していた愛おしい赤の瞳が、恐怖に歪んでこちらを見上げてくる姿が毒針のように記憶を蝕む。


「......」

「しかし、旦那様は領地も兵も半分以上奪われて、復讐する力がなかったのです。それで、悪魔に縋りついた」

「そして、それも失敗しちゃったんだね」


爺やは悲壮な表情をその顔に浮かべた。アイティラはそんな爺やが気になって、爺やの前に出てくると、淡い笑顔を作って微笑んだ。


「大丈夫だよ爺や。私が伯爵の復讐を手伝ってあげるから。」


アイティラの目が妖しい赤に輝いた。

老執事は驚いたような表情をして、少女の顔を凝視した。


「私は悪魔なんかよりも、よっぽど強いからね」


悪魔よりも邪悪で強大な吸血鬼はそう言った。


***


その日から二日後、アイティラは特別広く豪華な部屋のソファーに横になり、真っ赤なブローチを掲げて見ていた。ブローチの中心にある赤い宝石は、光を透かしてとてもきれいだ。

屋敷の中は見て回り、特にやることもないアイティラはここ最近このソファーの上にいた。

このソファーは沈むこむように柔らかく、フワフワしているので、ここをアイティラのお気に入りの場所にしようと思っている。


外で馬の嘶きが聞こえた。しばらくして玄関の扉が開く音も。

そして足音はアイティラがいる部屋へと近づいてきて、その人物は姿を現す。


「ずいぶんと待たせてしまいすまなかったな。」


アイティラはソファーの上に寝転がりながら、そう声をかけてきた男を見上げた。


「遅かったね、伯爵。もう仕事は終わった?」

「ひとまずは落ち着いた。これでやっと一息つけるというものだ」


淡い茶髪と立派な髭、そして貴族というよりも戦士と言った方が似合う男、コーラル伯爵はアイティラの対面へと腰を下ろした。

アイティラも起き上がり、伯爵の方へと向き直る。


「それでは話し合うとしよう。この国への反逆を」


すべてはここから始まった。

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