歪んだ歯車はかみ合った
軽鎧に身を包んだ男が、白銀の槍を身に付けながら進んでいく。
彼が目指している場所はもうすぐだ。
彼の目先には、石の壁で囲われた建物と見張りをしている兵士の姿が映し出される。
「!」
その場所を守っている兵士が男に気づき驚いた顔をする。
男はそのままその兵士の元へと進んでいく。
「Sランク冒険者の雷光殿とお見受けします!ここは我々の兵舎ですが、いったい何用でしょうか!」
兵士が高らかな声を上げ、シュペルに向けて敬礼する。その目には純粋な敬意が現れていた。
しかしシュペルは、それに気づかないふりをすると周囲を気にしてからその兵士に話しかけた。
「少し聞きたいことがある。先日の悪魔襲撃が起こる前、そちらに悪魔崇拝をしていた三人の人間を引き渡したと思うが、覚えているか?」
「はい、シュペルさんと最近話題の新しいSランク冒険者の方が連れてきた三人ですよね。いまもこちらで捕えております」
「そうか、尋問して何か新しく分かったことはあるか?」
その言葉を聞いた瞬間、兵士の顔が苦く曇った。
シュペルはその様子に違和感を感じ怜悧な青い瞳を細め、言いよどむ兵士の言葉を待った。
やがて兵士は口を開き、ぽつりぽつりと話し出す。
「それが、全く話そうとしないんです」
「話さない?三人のうちの一人は、ずいぶんと情報を漏らしていただろう?」
「ええ、確かに連れてこられた直後はそうでした。しかし、お二人がいなくなった後、突如錯乱し始めたんです」
「錯乱だと?」
兵士はその時のことを思い出したのか、嫌なものを見たように顔をしかめた。
「「私は何もしゃべっていない。私は裏切ってなどいない。あの化け物に操られたんだ。」と気が狂ったように何度も何度も繰り返し始めたのです」
兵士はその顔を俯かせ、こう続けた。
「その姿は、そう、まるで......」
恐ろしい何かにおびえているようでした、と。
***
王都の王城前にて、彼らは指揮官の帰りを待ちわびていた。
重たい鎧を外し、疲れた愛馬を休めながら待っていた。
「皆!イグリス様が戻ってこられたぞ!敬礼ッ!」
彼らのもとまで歩いてくる赤髪の女騎士を見て、ハインリヒはよく響く声を上げた。
その声に従い、騎士たちは立ち上がり見事な敬礼をして見せる。
赤髪の女騎士はそれを見て、あきれたように笑った。
「わざわざ敬礼で出迎えなくてもいいといつも言っているだろう。休憩中くらい休め」
「いえ、これは私たちの意思でやっていることですので」
ハインリヒの言葉に、騎士たちも頷く。
自分たちを導く指導者にして、気高き指揮官。
そんなイグリスを敬愛しているからこそ、彼らは紅の騎士団を誇りに思うのだ。
「それよりもイグリス様、王城での話し合いはどうでしたか?」
一人の騎士がイグリスに問いかけた。休憩をしていた騎士たちも、興味深そうにイグリスに注目する。
イグリスはそんな彼らを見渡すと、にやりと口元を歪めて機嫌よさそうな声で言った。
「ああ、上手くいったさ。あの小娘の首を刎ねることも、それを庇うやつを誅殺することも許可された」
イグリスは寄り添うように近づいてきた己の愛馬を優しくなでる。
馬はイグリスに甘えるように頭を垂れた。
「不思議なことに、この話を聞いた宰相がやけに乗り気になったのだ。それどころか、あの男らしくなく陛下を説得してまで許可を出したのだ。」
「あの宰相がですか?」
「まったく不思議なこともあったものだ」
イグリスから見て宰相は、いつも陛下の後ろに控えている印象であった。それなのに、今回ばかりは悩む陛下を押し切って、いささか強引に許可を出させたように思う。
いつも目立たずにやり過ごすあの男らしくない。
「何はともあれ、すんなりと許可が出たことは喜ぶべきことです。」
ハインリヒは、喜ぶようにそう言った。話を聞いていた騎士たちも、その言葉に頷く。
しかし、それとは裏腹にイグリスの顔が顰められる。
「いや、すんなりとも言い難かった」
その言葉に、騎士たちが一斉にイグリスを見る。そして驚いた。
なぜならそこにいた彼らの団長は、先ほどまでの上機嫌が消え、その瞳に暗い炎が宿っていたからだ。
「あいつが......」
イグリスの口から、暗い激情があふれ出す。
「あの蒼の騎士団長が、またもやこの私の邪魔をしてきた。なんでも、その人物が本当に吸血鬼かは分からないだとか、関係ない民衆まで危害を加えるのはおかしいだとかッ!あの男め、私に手柄を立てられるのが嫌だからって、陛下に直訴までしたんだぞッ!!」
イグリスの語調がだんだんと高まってくる。
それに影響されるように、騎士たちの目は鋭くなり、蒼の騎士団に対する怒りが沸々と湧き上がってくる。
「さすがは、平民ばかりの蒼の騎士団といったところですね。卑しく、醜い」
ハインリヒも吐き捨てるように言った。その言葉に紅の騎士たちも同意とばかりに頷く。
「それで、その蒼の騎士団はどうなったのですか。まさかお咎めなしでは無いですよね?」
憎々し気なハインリヒの問いかけに、イグリスは先ほどまであった怒りを落ち着かせると、今度は一転して、口元を歪め嘲る様な顔になった。
「もちろんだ。あの後、陛下の決定に反対した罰として蒼の騎士団はしばらく謹慎だそうだ。まったく、馬鹿なやつだ!平民が分をわきまえないからこうなるッ!!」
「まったくです。やはり不出来な血を引いていると、生まれる子も不出来になるのでしょうな。」
話を聞いていた騎士たちも、その言葉に声を上げて笑った。
それに満足したイグリスは、愛馬へと飛び乗り声を張り上げた。
いつまでも話しているわけにはいかない。彼らには役目があるのだから。
「それではそろそろ出発するぞ!我々に反抗する生意気な小娘と、貴族を敬わない不敬な賤民共を処断しに!!」
「イグリス様、我々が討伐しに行くのは吸血鬼ですよ」
「おっと、そうだったな。それではッ!吸血鬼とそれを庇う反逆者共を討伐しに行くとしようッ!」
彼らは紅の騎士団。王国に四つ存在する騎士団の一角だ。
彼らの真っ赤なサーコートは燃え盛る炎のように煌めき、精緻さをもって刻まれた翼を広げた鳥の紋章は誇らしげに輝いている。
彼らはこの鳥の紋章が好きだ。鳥は地上のあらゆる生物の手に届くことなく空をかける高貴な存在。
これこそ、王国貴族の血を受け継ぐ紅の騎士に相応しい。
「立ち上がれ、誇り高き紅よッ!高貴さを理解できない下劣な連中に、教育を施してやるとしよう!!」
紅のサーコートに身を包んだ彼女たちは、その口元を歪め鋭い光をその目に宿した。
***
窓の外から入ってくるわずかな月明かりを頼りに、紙に筆を近づける。
しかしその手はそこで止まり、文字をつづることはない。真っ黒のインクがぽたりと落ちて、淡い白を闇に染めた。
「......どうしようもないな」
静寂の中に、疲れ果てた男のつぶやきが広がった。
もはやこの男にはもはや何も残っていなかった。
「......」
男は一人暗い部屋で、ただ虚空を眺めているしかできなかった。
「ふざけるな......」
ガタン
「!」
突如部屋の中に物音が響き渡り、男は勢いよく顔を上げた。
見れば部屋の窓が開いていて、冷たい夜風が入り込んでいる。
先ほどまで窓は開いていなかったはずだ。
「なんだ?」
男は窓へと近づいていき、外を眺めた。
夜の闇には月と星のみが浮かんでおり、外には誰もいない。
それもそのはずで、この部屋があるのは二階だ。
誰かが窓を開けることなどできはしない。
だからこそ、その声は本来聞こえてくるはずのないものであった。
「今日は月がきれいでしょう。とってもいい夜」
それは男の後ろ、部屋の中から聞こえてきた。
驚きに振り返ると、そこには先ほどまで自分が座っていた椅子に黒いローブを纏った小柄な人物が座っていた。
「こんばんは、伯爵」
それは幼さの残る、透き通る様な高い声だった。
まるで少女のような。
「君は一体......」
誰なんだと続けようとした伯爵は、その人物のフードの下で輝く赤い瞳を見て目を見開いた。
「私の名前はアイティラ。私がここに来たのはあなたに聞きたいことがあるからなの」
その人物は椅子から降りると、ゆっくりとした歩みでこちらへと近づいてくる。
フードで顔が隠れているため表情はよくわからない。
「あなた、悪魔の襲撃を起こした人たちに協力してたんだよね」
なんでもない事のように平然と放たれた言葉に、男の心臓は凍り付く。
「な、ぜ、そのことを......」
近づいてくる小柄な人物は、鋭い歯をむき出しにして口元に笑みを浮かべた。
「そんなことはどうでもいいでしょ。それで、悪魔を匿ってたことは本当なの?」
その人物は立ち止まり、男を見上げる形になる。
男と比べればあまりにも小さいはずなのに、男にはそこに巨大な化け物がいるかのように思われた。
男は急激に喉の渇きを感じて唾を飲み込むと、震える声で言った。
「そうだ。私が悪魔をこの町に招き入れた。」
「それはどうして?」
ローブの人物は、本当にただ知りたいだけのような声色だった。
だからこそ恐ろしい。その質問の意図が分からない。
「......復讐の...為だ。奪われたものを取り戻すための」
「誰に対しての復讐?」
その言葉に、男は腹の底から湧き上がってくる暗い激情が沸き上がった。
それにより、感じていた恐怖が薄れ、執念に心が支配される。
「全てだ。私から奪い、私の幸せを踏みにじった全てだ。無能な王も、腐った貴族も、それに従う騎士までも私の復讐相手だ」
そこまで言って男は心が満たされるのを感じた。今まで秘めてきたものを、誰かに知ってもらったことで。それだけで、満足だった。
「さあ、私は言ったぞ。それでどうする?復讐のために民を殺した、この私を殺すのか?」
男の顔は穏やかだった。先ほどまでの苦痛に歪んだ顔も、顰められた眉もすっかりなくなっていた。
ローブの小柄な人物は、それに気づいたのか笑みを浮かべて声を上げて笑った。
突然大きな声で笑いだした目の前の人物に、男はぎょっとする。
「あは、あははッ、アハハハ!復讐、うん。復讐できるのはとってもいい事。できずに終わるよりもずっと」
その人物は笑った。なにが可笑しいのか、しばらく笑い続けていた。
そうしてその人物は再びこちらを見上げ、その小さな手を差し出した。
「いいよ。協力する。これからよろしくね、伯爵」
この瞬間、二つの歪んだ歯車はともに回りだした。




