再び少女は顔を隠す
「見つけたぞっ!お前が吸血鬼だな!」
目の前の女騎士が、蔑むような目をこちらに向ける。
悪意を含んだ大っ嫌いな目だ。
「まて、どういうことだ?」
シュペルがわずかに眉を寄せ胡乱な目をイグリスに向けるが、イグリスは取り合うこともなく馬上からアイティラを見下ろしている。
「言葉通りだ。こいつはダリエルの町を襲った化け物、吸血鬼だ!よって、我々がこいつを連れて行くっ!」
イグリスは確信を持っているかのように自信に満ちた声を発した。それによって、周囲に集まっていた冒険者も、兵士も、民衆もどういうことかと混乱する。
しかしアイティラは、ただただイグリスを見上げて微動だにしていない。
その様子を見たイグリスは口の端を上げると、ゆっくりとその手をアイティラの腕に伸ばした。
その甚振るような目には見覚えがある。その歪んだ口元には見覚えがある。
それはいつものことだった。
そこは薄暗い地下室だ。私の腕を強く引くのは、大っ嫌いな白衣の男。
その男はこういった。
「さあ、これから君を最強の兵士にしてあげよう。誰にも負けない、人間を超えた最強の兵士に」
それは事実だった。
大きな台に押さえつけられた私は、痛みに苦しみながら憎悪を叫ぶ。
だが、その声は届くことなく、私は人間じゃなくなった。
大事な妹とそっくりのきれいな赤い瞳は悍ましいまでに縦に裂け、その口には鋭い牙が生えていた。
背中には不格好な黒い翼が生えていて、人の血を啜れる化け物になってしまった。
私はただ、いつもと同じ牢屋の中で、虚ろな瞳で蹲る。
それからどれほどの時間が立っただろうか。
まだあの人は現れない。いつも私に優しく微笑んでくれるあの人は。
心の底には恐怖があった。私が人間じゃなくなったと知って、嫌われてしまったのではないかと。
そんなことを考えていると、どこからか変なにおいがした。焦げ臭いような、そんな匂いだ。
「エルシィ!」
声が聞こえた。よく知っている声だ。あの人の声。
牢屋のカギが開かれて、その人は膝を抱えている私に、その暖かい手を差し伸べた。
「早く!ここから逃げよう!」
ああ、よかった。嫌われてなかった。
あの人に手を引かれながら、冷たい通路を裸足で駆ける。
いくつかの部屋が燃えていた。通路には白い死体がたくさんあった。
全てが真っ赤に染まっていた。
「ごめんなさいエルシィ。所長のことを止められなくて。私が必ずここから逃がしてあげるからっ!」
あの人が辛そうな声でそう言った。
あなたが謝ることなんてないと言いたかったが、かすれた喉からは小さなうめき声すら出なかった。
やがて扉が見えてきた。光が見えてきた。自由が目の前にあった。
こういう時なんていうんだっけ。そうだった、ありがとうだ。
伝えなくちゃ。でも、言葉は出なかった。
手を引かれるがままに後をついていると、急にあの人が止まった。
どうしたんだろう。
「なんで...ここに陛下が...」
目の前には、馬に乗った三人の男。そのうちの一人は、きらきら光る金色と真っ赤な服をしていた。
あの人が怯えた声を出した。誰かわからないけど、この人たちは悪い人だ。
「所長に呼ばれてな。英雄が完成したから見てほしいとのことだ。」
その男は、嫌な目をしていた。
嘲る様な、見下すような、甚振る様な嫌な目だ。
その目が私とあの人に向けられる。
「なるほど。その子に同情したか、女よ?その一時のつまらぬ感情によってお前は死ぬのだ。殺せ」
その男の横にいた二人の鎧の男が近づいてくる。その手の持った剣を光らせて。
その剣を見て、私はあの人の前に出た。そして鎧の一人に飛びつくと、力任せに馬から引きずり下ろす。
ぎちぎちと鎧がひしゃげ、鎧の男が暴れる。そしてすぐに動かなくなった。
「ほう、なんという力だ。これは役に立つ」
派手な男は続けて言った。
「では、最初の命令だ。その裏切り者の女を拘束せよ」
男の口元が歪んだ。
私はその男を殺そうと飛び掛かろうとした。だけど、身体が全く動かない。
そして気づいたら、あの人を地面に押さえつけていた。
もう一人の鎧の男がこちらに近づき、あの人の前で剣を振り上げた。
動かない。体が動かない。なんで、なんで、なんで?
私に押さえつけられたあの人は、悲しそうな声でこう言った。
「エルシィ、ごめん。私じゃ助けられなかったみたい。」
血が舞った。あの人の血が私にかかった。血の味がした。
「あ、ああっ、ぁあああアア!!」
冷たかった。頭が静かになった。
「殺す!殺すっ!首を掻き斬って、殺してやるッ!」
あの人を殺した鎧の男が、気圧されたように一歩下がった。
だが、あの派手な男はその口元に笑みを浮かべながら近づいてきた。
そしてその男は、目を細め、尊大な口調で言ったんだ。
「我を知れ。私はこの帝国を治める皇帝だ。そして貴様に命令する。私の配下となり、私の命に従い、私の敵を殺せ」
それが、それこそが、私の喪失の始まりだった。
私の腕を掴もうと、目の前の女が手を伸ばす。
悪意をその目に宿し、ニタニタとこちらを眺めながら。
今すぐこいつを殺してやりたい。
「ッ!!」
こちらへ伸びた手は、弾かれたように戻っていった。
イグリスはその目を大きく見開き、馬が一歩後ずさった。
「な、なッ!」
イグリスは、気圧されていた。
先ほどまでは、ただの少女だったはずだ。今だって、ただの少女に変わりはない。
だが、こちらを睨んでくるその目には、恐ろしいまでの殺意が宿っていた。
「なんだその目はッ!」
だが、それも一瞬のこと。
この自分が、紅の騎士団長である自分が、こんなちっぽけな少女に一瞬でも気圧されたことが猛烈な怒りへと変わった。
そしてその憤怒に身を任せるままに、腰に差していた剣を引き抜き、少女めがけて振り下ろした。
「貴様ああああッ!!」
だが、その剣は白銀の槍によって防がれた。
「シュペル・クルーガー!その槍をどけろ!でないとお前も切り殺すぞッ!」
「理由もわからず、この子が傷つけられるのを見過ごすわけにはいかない」
イグリスはその目に焔を燃え上がらせ怒鳴った。
「黙れ!このッ、貴族の恥さらしが!」
シュペルはその言葉に、冷たい瞳をさらに凍えさせた。
だが、それにさえイグリスは気づかない。
「理由かッ!だったら教えてやる!そいつはダリエルの町を襲った化け物だ!だから今ここで殺す!」
「その吸血鬼について俺は聞いたことないが、なぜこの子だと決めつける」
イグリスはその言葉に奥歯を噛みしめ、はち切れんばかりに目を見開いた。
「蒼の騎士団の情報と、そいつの特徴は合致するッ。それにその吸血鬼という化け物がこの場にいるのは間違いない!」
「なぜそう言い切れる」
「それはお前の姉に聞けッ!お前の姉が予言したんだからな!」
「......」
イグリスは再び強く怒鳴ると、力の緩んだシュペルの槍を力強く跳ねのけた。
そして一歩馬を進め、その奥にいたアイティラを睨みつけた。
アイティラの赤い瞳と視線がぶつかる。
「......さっきから聞いてたけど、その...吸血鬼?はアイティラちゃんじゃないと思うよ」
しかし、アイティラの前に割り込んだ人物によってその視線は遮られた。
「誰だ。邪魔するなら切るぞッ」
「私はただの冒険者。そしてこの子の友達よ」
アポーラはそう言ってアイティラの前に立った。
イグリスはぐるりと視線をアポーラへと巡らせた。
その目に宿る憤怒はなおも燃え盛っていたが、アポーラは動じることなくイグリスを睨み返した。
「いきなり後からやってきて、アイティラちゃんを斬ろうとするなんて信じられない。アイティラちゃんはそんなことする子じゃないよ」
「黙れッ!関係ないやつは引っ込んでろ!」
「関係なくないよ。私は、いや、ここにいる人たちはアイティラちゃんに助けられたからね」
アポーラの言葉に、周りにいた人たちが頷いた。
冒険者も、伯爵の兵士も、カナンの住民も全員が。
「そうだっ、その子は悪魔からこの町を救ってくれたんだ!」
「なっ!」
ひとりの冒険者が大きな声を上げた。
それがきっかけとなり、堰を切ったように人々の声が爆発した。
「この子に俺は助けられた!この子が来てくれなきゃ俺も死んでいたぜ!」
「大体、騎士団は後から来ただけで何もしてないじゃない!」
「俺は遅れてきたあんたらよりも、カナンのために戦ってくれたこの子を信じるぞ!」
次々に人々は立ち上がり、アイティラを斬ろうとした紅の騎士団に非難の声を浴びせ始めた。
その様子にイグリスはプルプルと身体を震わせ、奥歯を強く噛みしめた。あまりにも屈辱だった。
今にも爆発しそうなイグリスに、近くから声がかけられる。見ればそれはハインリヒだった。
「イグリス様、ここは引きましょう」
「ハインリヒ!お前までそんなことを言うのか!ここであいつをーー」
ハインリヒはイグリスに近づき、口元を手で隠して話しかけた。
「このまま無理に殺そうとすれば、この町の住民があの少女を守ろうとするでしょう。我々はあくまで、この町を救いに来たのであり、この町の住民と争うために来たのではありません」
「そんなことは分かっているッ。だが、あの不遜な小娘を見逃しておけるかッ」
そしてイグリスは横目でこちらを睨んでいる少女を見た。
「あの小娘は、この私たちをコケにした。国に仕える私たち騎士団に、不敬にも睨みつけてきたッ。このまま放っておくのは私たちの誇りを汚すことだッ」
ハインリヒはそれに頷き、口元を歪めてささやきかけた。
「ええ。だからこう報告するのです。"カナンの町の住民は吸血鬼にたぶらかされており、吸血鬼をかばった。よって、吸血鬼と吸血鬼をかばう者たちの殲滅をお命じください"と」
「はは、なるほど。いい案だ、ハインリヒ」
イグリスは、いまだに声を上げている民衆を見下すように見た。
「貴様らの意思は受け取った!私たちに反抗したこと、後悔しながら過ごすといいッ!皆、王都へ戻るぞ、転進!」
それだけ言い残すと、紅の騎士団はカナンの町から消えて行った。
後には、荒れ果てたカナンの町と、高揚した民衆たち。
そんな中アイティラは、紅の騎士団が去っていった方を眺めながら、大切な人から貰った真っ赤なブローチをローブの上から握りしめる。
「......」
アイティラは、しばらく外したままだったフードを掴むと、顔を隠すように目深にかぶった。
***
こうして一連の悪魔騒動は幕を下ろした。
多くの人々が犠牲となったこの騒動は、二人の冒険者によって鎮められたと言われている。
特にそのうちの一人であるアイティラという少女は、今回の騒動でその実力が認められ、Bランク冒険者からSランク冒険者まで一気に昇格することになった。
そして、少女が悪魔を颯爽と倒したという風変わりした話は瞬く間に広まり、少女の姿を見た者も見ていないものも、その少女をカナンの町を救った英雄として持ち上げたのだった。
後日ギルドで行われた祝宴では、フードで顔を隠し、Sランクの冒険者プレートを首から下げた少女の姿があったという。
しかし、その日を最後に少女は冒険者ギルドから姿を消した。




