救いを求めて
ギィィィンーー
「くッ!」
重い金属音が教会の中に響き渡る。先ほどまであった静寂は、この音とともに消え去った。
アポーラは手に持った大剣から、ビリビリとした痺れを感じながら顔を上げる。
そこには五人の子供がいた。先ほどまで、どこからどうみても普通の子供だった。
「アポーラッ!大丈夫ですか!」
「大丈夫!」
だが、その子供たちは今、真っ黒な目に赤い瞳を浮かべてこちらを睨みつけている。
「ノランド、この子たちは......」
「おそらく話に出てきた悪魔が憑いた人間でしょうね。あまりにもひどい」
子供たちは、その顔をおぞましいまでに歪めている。その表情から伝わる悪意は、本来子供には到底不釣り合いなものだった。
アポーラは、目の前の子供たちの異形の姿に苦々しく顔を歪める。救えなかった後悔と、これから自分たちがすることへの罪悪感からだ。
ノランドもそれは感じていたが、隣で顔を歪めるアポーラにあえて厳しい口調で言った。
「アポーラ。変な気は起こさないでくださいね。あなたの甘さで死ぬことになるのは私たちなんですから」
「分かってるわよ。私だって、伊達にAランク冒険者名乗ってるわけじゃないんだからね!」
ここに来る前、前もって悪魔憑きのことは聞いていた。彼らも、もともとは人間だったということを。
ただ、元に戻す方法はない。唯一救える方法が殺すことだけなのだ。
アポーラは深く息を吸い込むと、大剣を地面に触れさせるほど深く身を沈めた。
「はあ!」
超重量の大剣が、空気をうねらせ悪魔憑きの子供に迫る。地面から勢いよく振り上げられた大剣は、その先にあるものを叩き潰し、即座に死に至らしめるほどのものだっだ。それが子供の一人に直撃し、教会の長椅子を破壊しながら後ろに吹き飛ばされていった。
どう見ても致命傷だった。身体を斜めに切り裂いた深い傷からは、おびただしい血が流れている。
しかし、吹き飛ばされた子供は、地面に手をついて立ち上がった。
「なっ、あれでまだ動けるの!?」
アポーラが驚いた声を出し、思わず吹き飛ばされた子供に注意が向く。その隙を見て取ったのか、まだ動いていなかった4人の子供たちが一斉にアポーラへと襲い掛かった。
「≪氷の盾≫」
アポーラの前に、大きな氷の盾が現れ子供たちの攻撃を防いだ。アポーラは、注意がそれていたことを反省し、この魔術を唱えてくれた仲間の女魔術師に向けて心の中で感謝した。
氷の盾はしっかりと機能しているらしく、子供ではありえないほどの力で殴りつけている悪魔憑きの攻撃をしっかりと防いでいた。
このまましばらく耐えられるだろうと思っていたその時、アポーラの耳に不吉な音が入ってきた。急いで上を見上げると、氷の壁越しに子供たちがその手から紫の何かを放出し、氷にぶつけているのが見えた。それと同時に氷の障壁に亀裂が入り、ついに氷は粉々に砕け散ってしまった。
「くっ、当たれ!」
砕けた氷とともに襲い掛かってくる子供たちに、アポーラは今一度身を深く沈め、大剣の大振りを見舞った。態勢を整える時間が得られたことで、その大剣の一撃は鋭く風を切り裂いた。
勢いがついていた初めの二人は、避けることもできぬまま大剣がその腹をたたき斬る。しかし、後に続いた二人は、その身をよじり研ぎ澄まされた斬撃を最小限の傷で避けた。致命傷を避けた二人の子供が、大振りによって無防備になっているアポーラの前に着地した。
アポーラはまずいと感じ背筋を凍らせるも、すでに避けられる距離ではない。
二人の子供はその顔を醜く歪め、アポーラに向けて手を掲げた。
「まずッ!」
二人の子供の手から怪しい光が漏れだそうとしている。アポーラは急いで大剣を戻そうとするも、このままでは間に合わない。焦燥だけがその胸に募っていく。
そんな手詰まりの状況に、小さな宝石のようなものが投げ込まれた。宝石は一瞬明滅したのち、まばゆい光をあたり一帯に放った。
「アポーラ!左に避けてください!」
「≪風の刃≫!」
アポーラはノランドの声に従い、即座に左に転がった。それと同時に、今さっきアポーラがいたところを不可視の風が通り抜け、その先にいた二人の子供に直撃する。
その刃は、真っすぐに子供の首を刈り取った。子供はその身が崩れ落ちる最後の瞬間まで、その手の怪しい光を消さなかった。
余りにも残酷な光景にアポーラは下唇をかむと、残りの子供たちに視線を巡らせた。
ノランドは最初に吹き飛ばした子供と一対一で戦っており、動ける子供は残り二人だ。
対してこちらは、後衛の二人は魔術の詠唱に入っているため、アポーラ一人で子供二人を相手にする必要がある。
アポーラは、額に浮かんだ汗を不快に思いながら必死に息を整えた。
汗で湿った大剣の柄をギリッと強く握りしめて、目の前の子供に一歩一歩と近づいていく。
血を流しながら立ち上がった二人の子供も、その不気味な目を歪めてアポーラの方へと近づいてくる。
アポーラは息を呑みこむと、再び姿勢を深く下げーーー
「大変そうだね」
不意に耳元で声が聞こえた。アポーラはぎょっとして横を見るも、そこには誰もいなかった。
そしてすぐ、敵の前で視線をそらせてしまったことに気づき、アポーラは慌てて前方へと視線を向ける。
「え?」
そこにいた二人の子供はすでに死んでいた。二つの死体の上には、真っ赤な剣から雫を滴らせて立っている小柄な少女がいた。アポーラがよく知っている少女だ。どうやら助けに来てくれたらしい。
そこまでは、よかったのだ。
だが、アポーラの目に映ったその少女は、白い歯をのぞかせて笑っているように見えた。
殺したことに対して一切の憐憫はなく、どこまでも残酷に笑みを浮かべた恐ろしい姿に見えたのだ。
アポーラは喉を引きつらせて瞬きをすると、そこにはいつもと変わらない様子のアイティラがいた。
「どうしたの?大丈夫?」
アイティラはいつの間にかアポーラの目の前に来ており、心配そうにアポーラを見上げている。綺麗な赤い瞳は可愛らしく、どこからどう見ても年頃の少女のようだった。
さっき見た恐ろしい表情は、きっと私の見間違いだ。そうに違いない。
「あーいや、なんでもないよアイティラちゃん。それよりも、けがはしてない?」
「うん。全然平気だよ」
その言葉通り、アイティラはけがなどしていない様子だった。ローブに血はついていたが、どうやら返り血のようだ。
それを確認するとアポーラは、最後の一人と戦っているはずのノランドの方を見たが、そちらにはシュペルがすでに駆けつけており、子供は倒れ伏せていた。
アポーラは、ひとまずの勝利に胸をなで下ろすとともに、殺してしまった子供たちの姿を見て唇を強く噛んだ。
「おい。こっちに出てこい」
シュペルの平坦な声が響いた。視線を向けると、隅に移動していた老司祭にシュペルが槍の穂先を突き付けていた。シュペルの青い瞳は冷たい光を宿したまま、老司祭へと向けられている。
だがしかし、老司祭は特におびえた様子も見せず、教会の中央へと歩いていき死体となった子供たちの前まで進み出た。
「どうして殺したのですか。彼らはまだ若かった」
老司祭はその白いローブが血で汚れるのも厭わずに、子供たちの前にひざまずいた。
その言葉に、シュペルの槍を持つ手に力が入った。
「どうして殺しただと?貴様たちが子供をこんな姿にしたんだろう。悪魔を宿らせるなどといった狂った考えのもとに。お前たちは、子供をなんだと思っている」
老司祭は、その言葉にゆっくりと顔を上げて言った。
「あなた方は、私たちをまるで悪者のように言いなさる。私たちはただ、貧しい人々を救いたかっただけなのに」
「人々を救いたいなどと、よくもその口から出てくるものだ」
「......知っていますか?今の王国の現状を。王国の各地で起こっている、貴族による領民への搾取を」
老司祭はその瞳を暗く濁らせながら、その骨ばった手を合わせ天を仰いだ。
その姿は図らずも、祭司の後ろで涙を流す女性の像と同じ格好だった。
「私たち教団は皆、そんな苦しい現状から逃げてきた者なのです」
「......」
「私は神に祈りました。どうか弱き我らを、邪悪なる貴族の手から救ってくださいと。しかし、ついに神は我々をお救いにならなかった。だから我々は、沈黙し続ける神に代わって、強大な力を持つ悪魔に救いを求めたのです」
シュペルはなぜか途端に口を閉じ、老司祭の語らせるままにした。荒れ果てた教会の中で、老人の声だけが小さく響く。
そんなところに、強い怒りのこもった声が届いた。
「だからって、子供を巻き込んでいいわけないでしょ!」
その声はアポーラだった。
「必要なことだったのです。この子たちの犠牲によってたくさんの人が救われるとすれば、この子たちもきっと喜んでくれるはずです」
「多くの人たちを救えれば、その子達の意思は関係ないってわけ!?」
アポーラは荒々しく足音を立てながら老神父に近づいていった。その姿を老神父は目を細めて見上げ、ローブの裾に手を入れた。シュペルは老司祭の怪しい動きを見止め、その槍を向け強い口調で言った。
「おい、何をやっている。隠したその手をすぐに出せ!」
「あなたたちは私たちのように弱くはない。強い者に弱者の気持ちなど分からないということです」
カチッ。
司祭の身に纏うローブの裾から小さな音がした瞬間、司祭の身体から力が抜けて、血だまりの中に倒れこんだ。白のローブはたちまち赤に染まっていき、それから老人はピクリとも動かなくなってしまった。
元々教会にいた人物全員が死に絶え、静寂が教会の中に広がった。
だからこそ、その音に気づいた。その小さな音は、意識していないと簡単に見失ってしまう小さな音。
「これは、......悲鳴?まさか、外でも騒ぎが起きているのですか!?」
ノランドが言い終わると同時に、シュペルは教会の外へと駆けだした。その手に持った槍が、白銀の軌跡だけを残す。
「私も先に行ってるね。早くいかないと、いっぱい死んじゃいそうだし」
「アイティラちゃん」
シュペルに続いて出て行こうとしたアイティラに、アポーラは咄嗟に声をかけた。なぜだかはよくわからなかった。だが、先ほどの子供を倒していた時に見え気がするあの顔を不意に思い出し、言いようのない不安が頭をよぎったのだ。
アイティラは振り返ると、アポーラをその赤い瞳でじっと見つめる。
そして初めて、アイティラは少女らしい小さな笑みをその顔に浮かべた。
「安心して?悪いやつらは全員私が殺してくるから」
少女が浮かべたその笑みは、どこまでも魅力的に見えたのだった。




