冒涜者
古びた教会の扉が不気味な悲鳴を上げながら開かれる。
それと同時にカビ臭さを感じさせる冷たい風が、来訪者の横を通り抜けた。
「おや?これは珍しい。この教会を訪ねてくる者がいるとは」
教会に足を踏み入れた一行を出迎えたのは、しわがれた老人の声だった。
背の曲がっている老人は、くすんだ白のローブをその身にまとい、ゆっくりとした歩きでこちらに向かってくる。
「あなたがこの教会の司祭でいいのか?」
シュペルは目の前まで近づいてきた老人を、油断なく観察しながら告げた。
「ええ、私がこの教会の管理者です。本日は皆さまお揃いでどうされましたか?」
老司祭はシュペルの懐疑的な視線に気づいていないのか、シュペル達冒険者を優しく迎え入れてくれる。
警戒しながら入ってきた<夜明けの星>の面々も、この対応にとりあえずは張り詰めた空気を解いた。
アイティラは、この古びた教会の中を見渡した。
内部には、色あせた木製の長椅子が規則正しく並んでおり、灰色に曇った窓ガラスが頼りない光を運び入れている。正面には美しい女性をかたどった像が、手を合わせ天を仰いでいる。劣化によって、その閉じられた目は涙を流しているようにも見えた。
教会を見渡していたアイティラは隅の方へと視線をめぐらせ、そこにいた者たちと視線が合った。
「ああ、あの子たちですか。あの子たちは身寄りがなく、私が保護している子供たちです」
祭司はアイティラ視線の先にいる五人の子供を手招きしながら呼んだ。すると子供たちは恐る恐るといった様子で近づいてきて、アイティラ達と少し離れたところで止まった。
「どうやらめったにお客さんが来ないものですから、あなたたちを警戒しているみたいですね。」
祭司は優しい瞳で子供たちを見る。
「じゃあ、ここは私の出番だね。自慢じゃないけど、私って子供には結構人気あるからねー」
「やめてくださいアポーラ。今は仕事中です」
後ろの方から聞こえる声を無視しつつ、シュペルは祭司に向き直った。
「......。それよりもだ、俺たちがここに来た理由を話させてもらってもいいか」
「ええ、もちろんです。どうやら神への祈りを捧げに来た様子でもありませんな」
シュペルはその青く透き通った瞳で老司祭を見据えた。
「現在この教会には、悪魔を崇拝している者共の拠点となっている疑いがかけられてる。その為、冒険者ギルド主導でこの教会を調査させてもらう」
そこで祭司は、そのしわだらけの顔で驚いた表情を作って見せた。
「悪魔ですか?ここは教会ですよ。私には、あなたたちが何か勘違いをされているように思えます」
「調べて何もなかったら謝罪させてもらおう。なので、疑いが晴れるまでは怪しい動きはしないでいただきたい」
それだけ言うと、シュペル祭司の横をすり抜けて教会内部を調べ始めた。アイティラも後に続いてシュペルとは反対側から調べ始める。
困ったようにあたりを見渡している老祭司に、アポーラが安心させるような笑みを浮かべた。
「ごめんね祭司様。私たちもあなたの潔白を証明するために調べてるの。だから安心して」
アポーラは老祭司に言葉をかけると、今度は五人でかたまっている子供たちの方へと向き直った。
「君たちも、そんなに怖がらなくていいよ。調査はすぐに終わるからね」
アポーラが子供たちに笑いかけるも、子供たちの反応は薄い。五人の子供は、やはりアポーラとは少し離れたところで、お互いに寄り添っているままだ。
アポーラが眉を下げていると教会の奥から不安になる様な、何かを引きずる音が響いた。
「地下?」
見ればアイティラが朽ちた柱の裏にうずくまって、地面に付いた扉を持ち上げているところだった。それと同時に、扉の先に広がる暗闇もあらわになる。
アイティラの声を聞き、シュペルもアイティラの傍まで近づいていく。
「司祭、この先には何があるんだ?」
「その先は倉庫となっております。とはいえ、あまり使ってはおりませんが」
シュペルはアイティラが持ち上げていた扉を支え、その奥へと続いている真っ暗闇を見た。
下に伸びている階段は光が差し込まないため終点が見えない。どこまでも続いているようにさえ思われる闇が支配していた。
「俺たちはこの先を調べに行く。<夜明けの星>はここに残って、周囲を警戒しておいてくれ」
「ええ、了解しました」
<夜明けの星>の面々は、シュペルの言葉にうなずきで返した。
「じゃあ私が先に行くね」
「おい、まて。明かりがーー」
アイティラはするりとシュペルの横をすり抜け、地下への階段を下っていった。そのあまりにも迷いのない足取りは、まるで暗闇の中でもしっかりと見通せているようだ。そうこうしているうちに、アイティラが纏っている黒のローブが闇と同化し、少女の姿が見えなくなった。
シュペルは一つため息をついてから、少女の後を追って暗闇の中へと進んで行った。
***
「もう少し速度を落とせ、何段あるか分からないんだ。足を踏み外したら酷い事になる」
反響する声を聞いて、小さい方の足音が緩やかになっていく。
「そうだった。ここ暗いんだったね」
なんとも気の抜けた返答に、シュペルはもう一度ため息をついた。
「君は実力はあるようだが、ずいぶんと注意がおろそかに見える。この前の、自分をおとりに使った作戦もだ」
「そっちの方が早いからね。それに私を殺せる人なんて、そうそういないと思うし」
「それが自信過剰なのか本当のことなのか判断に困るな」
冷たく暗い空間に、二つの足音が響き渡る。
「一つ聞いてもいいか。その剣はどうやって身に付けた?」
「なんでそんなこと聞きたいの?」
「興味本位だ」
「......」
シュペルからは、背を向けたアイティラの表情をうかがうことはできない。もっとも、背を向けていなかったとしてもこの暗さでは姿を見失わないように気を付けることがやっとで、表情を見ることなどできなかっただろうが。
「あなたは何でこの依頼を受けたの?Sランク冒険者なら、報酬目当てじゃなさそうだし」
「なぜそんなことを聞く?」
「興味本位だよ」
「......」
アイティラの後ろから、金属のような何かが壁にぶつかる硬質な音が響いた。
「俺はどうやらこの町に愛着があるらしい。それにだ、力を持っているものは民のためにその力を使うべきだろう。間違っても、自分の利益のために使うべきではない」
シュペルの言葉は最後の部分に強い色が宿ったように感じた。それと同時に、足音の感覚が心なしか早くなった気もする。が、すぐに足音は安定を取り戻した。
「俺は答えたんだ。そちらも聞かせてもらいたいのだが」
「うん。私がどこで剣を学んだかだったよね」
奇妙な沈黙が流れた。その時間は2~3秒だったかもしれないが、嫌に長く感じられた。
「もちろん実践だよ。たくさん倒して、そして身に付けた剣。死体の上で磨き続けた剣」
シュペルはわずかに眉をひそめた。
「実践という割には、君はずいぶんと若いように思えるが」
「それだけのことがあったってことだよ。それしか、許されなかったもの」
「それはどういうーー」
不意に足音が一つになった。前を歩いていたアイティラが止まったのだ。
「どうやら着いたみたいだよ」
階段を下りた先、そこには一つの扉があった。左右は石の壁に挟まれているため、扉の先に進むしかない。
「俺の武器は槍だから、室内では扱いずらい。ここでは君の方が頼りだ」
アイティラはローブの陰で、赤い剣を用意した。
そして、片開きの扉をゆっくりと開いていく。扉の先からはわずかな光が差し込んできた。
「特に誰もいなーー」
そこまで言ってから、アイティラは剣を勢いよく振ろうとした。が、それよりも早く後ろから強い力で引き戻され、壁にその身を寄せることになった。
態勢を崩したアイティラの横をなにかがものすごい速さで通り抜ける。
「大丈夫か」
「うん。ありがとう」
階段に跳ね返って地面に落ちたものは矢だった。矢じりの部分には、何やらぬめりとしたものがついている。扉の奥を見ると、壁に石弓が一つ置かれていた。どうやら、扉が開かれたのに連動して打ち出されたようだ。
注意しながら二人で扉の中に入ると、そこには机の上に乗ったランプに、何の用途に使うのか分からない魔道具のようなものがいくつか置いてあった。そして、頼りないランプの光に照らし出された、不気味な恰好をしている偶像もだ。
「この偶像は、私たちが襲撃したところにもあったやつだよね。それじゃあ、この教会があいつらの拠点になってるってことでいいの?」
アイティラはそのへんてこな偶像を剣でつつきながら言った。しかし、返答は返ってこない。アイティラが振り向くと、シュペルはランプを観察していた。
「どうしたの?」
「このランプは魔術師ギルドが売っているランプだ。魔力を与えることで動くが、そこまで長時間明かりがついているわけではない。少なくとも、一日に一度は魔力を供給する必要があったはずだ」
「じゃあ、少なくとも一日以内にここに来た人がいるってこと?」
アイティラも、ランプに顔を近づけた。淡い光が、幼い少女の顔を照らし出す。
「それにだ。毒矢が仕込まれていたことも考えると、もしかしたらこちらの襲撃に気づいているのかもしれない」
シュペルの口調が早まった。
「だとするとまずいことになる。すぐに上に戻るぞ、ついて来い」
***
「ノランド。本当にここに悪魔がいるのでしょうか。祭司さんも悪い人には見えませんが」
「それはシュペルさんとアイティラさんが戻ってくるまで分からないことです。今は警戒しながら待っていることしか出来ないでしょう」
地下へと入っていった二人を待っている<夜明けの星>は、現在教会内部で待機状態にあった。
だがしかし、ここには老祭司と子供たちがいるだけで襲撃などは全くなかった。
「でもアポーラの奴はあんな様子だぞ」
男の魔術師が指さした方には、子供たちに話しかけているアポーラの姿があった。
ノランドはその姿を見て目頭を押さえて嘆息した。
「アポーラ、今は任務中ですよ。もう少し緊張感というものを持ってください」
「別にいいじゃん、ちょっとくらい。それに、不安がってる子供を安心させるのも冒険者の仕事だよー」
とは言ったものの、子供たちはまだ一言も喋っておらずアポーラが一方的に声をかけているだけだ。さすがのアポーラも、これには眉を下げてしまう。
困り果てたアポーラに、子供たちのうちの一人の男の子がその手を握ってアポーラの方に向けてきた。
「およ、なになにー?何持ってるか当てる遊び?」
男の子は何もしゃべらず、握った手を前に出したまま動かない。
そして、その手の中に魔力があふれ出してーー
「っ!武器を構えてッ!」
アポーラの鋭い声が響き渡る。それと同時に<夜明けの星>の面々は、急いで己の獲物を構えた。
後ろに飛びのいたアポーラの目は、その異常な様子を映し出していた。
「これは......」
そこにいた子供たちは、黒い目の中に赤い瞳を持った異質な姿をしていた。




