欠けた月
「入るよ?」
森の中にぽっかりと空いた洞窟に、幼い少女の声が響いた。
しかしその声に対する返答はない。
それでも少女は構わず続ける。
「さっきまで冒険者ギルドに行っててね。ほら、見てよこれ。」
少女はその手にある冒険者プレートを掲げて見せた。
少女の正面にはボロボロのローブをかけられた塊がある。
「あ、ごめん。そのままだと見れないよね。」
少女がそのローブをずらし、隠されていたものがあらわになる。
そこにあったのは、一人の少年の姿だった。その胸元には、青いブローチがついている。
少女は手に持った冒険者プレートを、少年の首にかけてあげた。
「うん、似合ってるよ。」
少女は少年の隣に座りこんだ。
そしてひんやりとした洞窟の天井を見上げながら、静かに息を吐く。
「ねえ、ハンス。私が人間じゃないって言わなかったこと、怒ってる?」
少女はおずおずといった様子で話し出す。
しかし、少年はなおも沈黙している。
「私だって、昨日までは自分が吸血鬼だって自覚が薄かった。だって、何も覚えてないんだもん。」
少女の視線はただただ無機質な冷たい天井を見上げる。
「でもね、私。やっと思い出したんだ。つらい思い出も、楽しい思い出も、悲しい思い出も全部。」
少女は過去を懐かしむように目を細めた。
その声は、どこか悲壮感を感じさせるが、大事なものだというように柔らかだった。
「あは、聞きたい?じゃあ少しだけ話してあげる。私のことを。」
***
少女は小さな村に生まれた。
少女には友人がいた。
「エルシィ!遊ぼうぜ!」
少女には父親がいた。
「ん?エルシィも弓に興味があるのか?そうだなぁ。もう少し大きくなったら教えてあげよう。」
少女には母親がいた。
「あまり遅くならないでね。夕飯までにはちゃんと帰ってくるのよ。」
少女には大切な妹がいた。
「おねえちゃん!えへへー」
少女は幸せだった。
「おい!エルシィ!外来てみろよ!鑑識官の人がきてるぜ!」
少女は鑑識官のもとで、魔力を調べられた。
「なっ、なんだこの数値は!こんなに高い魔力値は初めて見た!」
少女も驚いた。
「すげえなエルシィ!これから帝都に行くんだろ!そして魔術師になれるなんて!」
少女は嬉しかった。
「エルシィが魔術師になるなんて、お父さんも誇りに思うよ。手紙も毎月送るからな。」
「そうよ。たまには帰ってらっしゃいね。帰ってきたらお母さん、手料理いっぱい作るからね。」
少女は暖かな気持ちになった。
「おねえちゃん、どっか行っちゃうの?やだ!やだ!やだっ!」
「ミアちゃん。お姉さんを困らせてはいけないよ。それに、エルシィちゃんも休みの日にはこっちに戻ってこられるさ。」
少女は妹を抱きしめた。
少女は鑑識官の馬車に乗った。
「エルシィちゃんだっけ?僕も鑑識官として多くの子供を見てきたけど、君の魔力量は本当にすごい。もしかしたら、この国の魔術師のトップになれるんじゃないかな。はっはっは!」
少女は誇らしい気持ちになった。
「うん?この子を君が引き取るだって?」
「ええ、皇帝陛下がお許しになりました。こちらが書状です。」
「...たしかに本物だな。エルシィちゃん、僕もこんな事初めてだから戸惑ってるが、皇帝陛下がわざわざ書状を書いたんだ。これはいよいよ魔術師のトップが現実味を帯びてきたな。はっはっは!」
「ではお嬢さん。私についてきてください。君のお家に案内しますよ。」
少女は白衣の人についていった。
「やはり、君は素晴らしい!魔力の器があまりにも異常な大きさだ!欠損した部位がみるみる治っていく!」
「さあ、目の前の人間を殺して見なさい。ええ、その人間は殺してしまっていいですよ、新しいのはすぐ用意できますから。」
少女はつらかった。
「なっ、人体改造ですか!正気とは思えませんっ!この子をなんだと思っているのですか!」
「新入りの分際で、私たちの栄光を邪魔しないでいただきたい。これが成功したら、わが帝国は覇権を握れます。皇帝陛下も喜んでくださるでしょう。」
少女は痛かった。痛い。痛い。
少女は人ではなくなった。
「喜びなさい。あなたは完成しました。もはやあなたに敵うものはいないでしょう。」
少女は目の前の男を憎んだ。
「ごめんなさいエルシィ。所長のことを止められなくて。私が必ずここから逃がしてあげるからっ!」
少女は白衣の女性に手を引かれる。
「なんで...ここに陛下が...」
「所長に呼ばれてな。英雄が完成したから見てほしいとのことだ。」
少女は失った。
「ふむ、何をいつまでもブツブツ言っておるのだ。」
「そうか、村での生活がそんなに恋しいか。ならば貴様の初任務だ。お前の村の人間を皆殺しにしろ。」
少女は絶望した。
「エルシィ!やめてっ!どうしてみんなをッ!」
「た、助けて!助けてくれ!」
「お...ねえ...ちゃん」
少女は殺した。
少女は泣き叫んだ。
そしてこの日、少女は化け物になった。
***
「......」
アイティラは、虚空を眺めて息を吐く。
長い長い沈黙が支配した。
「あはは、少し長かったね。退屈しちゃった?」
アイティラはハンスに笑いかける。
「この話の続きはまた後で。私の気が向いたときにするよ。」
アイティラは立ち上がり、新品の黒いローブをかぶりなおした。
そしてアイティラはハンスを一度振り返ると、洞窟の出口に体を向ける。
「私もう行くね。バイバイ、ハンス。楽しい時間をありがとう。」
洞窟の外では、欠けた月が大地を冷たく照らしていた。




