蒼の獅子
闇に染まった森の中を、大地を踏み鳴らしながら駆ける集団がいた。
彼らはその身にまとう重厚な鎧をものともせず、足場の悪い森を進んでいく。
鎧の上の青のサーコートには、獅子をかたどったエンブレムが精緻な意匠をもって入れられていた。
彼ら<蒼の騎士団>は、団長であるヘルギを先頭にわずか二十数名を率いて、森のある場所を目指していた。
険しい顔をしている団長のヘルギは、自らと並走している協力者に向けて口を開いた。
「目的地まではあとどれくらいなんだ。」
「もうすぐさ、あと5分もかからないうちに着くと思うぜ。」
団長ヘルギの声に答えたその人物は、背中に2本の剣を差している冒険者だ。
冒険者の証であるプレートを見る限り、冒険者ランクはBランクのようだ。
「......感謝する。ダリエルで今起こっている騒動を、これで収束させられるかもしれない。」
「いや、感謝するのは俺の方だぜ。ここは俺の大事な故郷だからな。」
なぜ彼ら蒼の騎士団とこの冒険者が共に行動しているのかというと、この冒険者が町での騒動の原因に思い当たることがあると言うからだ。
その言葉を信じたヘルギは、少数の部下たちとともに冒険者の案内に従って、こうして森の中を進んでいるのだ。
「それにしても、あんたがまともな騎士さんで助かったぜ。前に王都で会った騎士の奴らは、俺ら冒険者のことを馬鹿にしてきやがったからな。」
「なに、我ら蒼の騎士団は農村の出身が多いからな。小さな村だと、催促してもなかなか派遣されない騎士団よりも、冒険者に助けられることの方が多い。だから冒険者を馬鹿にすることなんてしないさ。」
会話を交わしている彼らだが、その目は常に前方へと向けられている。
ダリエルでここまで大きな騒動を巻き起こした主犯が、この先にいるかもしれないのだ。
警戒するに越したことはない。
「もうすぐだ。この先で俺は、操られている魔物に出会ったんだ。」
冒険者の声を拾ったヘルギは、前方を見据えたまま、後ろの騎士たちに向けて言葉を放つ。
「お前たち、剣を抜け。決して油断するな。予言通りなら、この先に<邪悪>と言われた奴がいるかもしれない。」
「「「はっ」」」
後に続く騎士たちの返事が重なる。
目的地は近いため声は抑えているものの、その声からは静かな熱情を感じさせる。
「...予言?」
冒険者の男が、ヘルギの放った言葉に疑問を覚えて復唱した。
その時だった。
「ん?この臭いは...」
冒険者である彼の鼻がわずかに漂うにおいを感じ取った。
「これは...血だ。血の臭いだ。それもかなり濃い。」
冒険者である彼が、横にいるヘルギの方を見るとヘルギも血の臭いをかぎ取ったのか、もともと険しい顔をさらに顰めている。
この血の臭いは尋常じゃない。
進めば進むほど血の臭いは濃くなっていき、血の臭いを嗅ぎなれている彼らにとっても耐えがたいほどの、むせかえる様な臭気が漂っている。
「この先に、何が。何があるというのだ。」
血の臭いが濃くなるごとに、周囲は木々の密度が急激に減っていき、ついに彼らは森から開けた場所に出た。
そこは地獄だった。
地獄と形容するほかにない、あまりにもひどい光景。
地面にはもともとは白かったであろう小さな花が、真っ赤に咲き誇っている。
そこから伸びる乱立した木々は、人間で作られた木だ。
槍に貫かれて宙に浮いている死体からは、今もなお新鮮な血が滴り大地を赤く染めていく。
そんな地獄の中心に、ボロボロのローブをその身にまとった化け物が、背を向けてたたずんでいる。
その背に生えた漆黒の翼が、その後ろ姿を隠している。
「ひッ」
「あ、ぁぁ」
ヘルギの後ろから、恐怖におびえた声がいくつも聞こえてくる。
ともに戦場を駆け抜けて、帝国の兵士と渡り合った精鋭たちが怯えている。
自身の何倍もの大きさを誇る、巨大な魔物へ勇猛果敢に飛び込んでいった自慢の部下が、子供のように情けなくうめいているのだ。
「貴様が...」
ヘルギはその地獄へ一歩を踏み出す。
「貴様が、ここにいる人間を、殺したのか?」
その声はわずかに震えている。
それが恐怖による震えか、怒りによる震えなのかは分からない。
だが、ヘルギだけがただ一人、恐ろしい化け物へと進んでいく。
その足取りは、あまりにも重い。
「そうだよ。」
「なっ!」
ヘルギは思わず声を漏らしてしまった。
なぜなら返ってきた声が、あまりにも予想外だったためだ。
その声は高く透き通っていて、どう聞いても少女の声だった。
間違ってもこの地獄を作り出した化け物の声などではない。
「私が殺した。それがどうしたの?」
その化け物は、何かをその腕に抱いている。
薄暗くて見えないが、大きさからして人の子供くらいの大きさはある。
それをギュっと、大切そうに抱きしめている。
「なぜだ、なぜ殺したっ!ここにいる人々が貴様に何かしたのか!?」
ヘルギは大声を出して、怒りに燃える。
その手に大剣を持ちながら、今にでも斬りかからんばかりの剣幕だ。
「どうして殺したって?あは、アハハハ!」
突如笑い出した化け物にヘルギはギョッとする。
その甲高い嗤い声は、濃厚な血の臭いも相まって、脳を揺さぶる様な不快感を感じさせる。
「なにが可笑しい!!」
「......あなたは、勘違いしているみたいだから教えてあげる。私は化け物よ。」
化け物がこちらを振り返る。
月の光に照らし出されたその顔は、しかし暗くてよく見えない。
ただし、その赤い目だけが妖しい光を放つように浮かび上がっていた。
その目を向けられたヘルギは、心臓を握りつぶされたかのような恐ろしさを感じた。
間違いない。こいつが、この化け物が!
「予言の<邪悪>とは貴様のことだったのか。」
ヘルギは目の前の化け物を恐ろしいと感じている。
しかし、だからといって引くわけにはいかないのだ。
町の住人を殺した目の前の化け物をこのまま野放しにしては、さらにこの国に厄災を振りまくだろう。
ならば、覚悟を決めるしかない。
「来い、化け物ッ!この俺が貴様をたたき斬ってくれるッ!!」
ヘルギはその大剣を構えて、戦う意思を見せている。
目の前の化け物がどんな攻撃をしてきたとしても、すぐに対処してやると眼光鋭く相手の出方をうかがっている。
化け物の翼が羽ばたいた。
そのまま空中へと上がっていく。
「残念だけど、今はあなたの相手をしている気分じゃないの。戦いが好きなら一人でやっててちょうだい?」
「まさか、逃げる気かッ!」
化け物は、もうヘルギの攻撃が届かない位置まで上がってしまっている。
「最後に一つ言っておきたいんだけど、予言の......そう<予言の聖女>に伝えてくれる?」
化け物は空中にとどまったまま、言葉を続ける。
化け物が纏う襤褸切れのようなローブの裾が、風に吹かれて大きく広がった。
「私のことは<吸血鬼>って呼んでほしいって。」
それを最後に、吸血鬼と名乗った化け物は森奥へと飛び去って行った。
***
化け物が飛び去った後、そこには人々の死体と団長のヘルギだけが残された。
「予言は、当たってしまったのか......」
ヘルギは化け物が消えた方向を呆然と眺めることしかできない。
あれは一体何なのだ。
剣を交えたわけでもない。戦いを見たわけでもない。
それなのに、対峙しているだけで背筋が凍りつき、本能が警鐘を鳴らしていた。
あれがこの国に牙を剥いたら......。
「ヘルギ団長!!」
「っ!」
声をかけられ意識が現実へと引き戻される。
見れば、団員である騎士たちが自分のもとへと駆けてきている。
「団長、申し訳ありません!私は、この光景におびえて、足がすくんでしまいました。」
「私もです。蒼の騎士団の一員としてふさわしくない振る舞いでした。」
彼らはそう言ってはいるものの、まだ顔色が悪い。
当たり前だ。
化け物が消えた後、人々を貫いていた血の槍は、跡形もなく消えてしまっていた。
しかし、周囲は臓物をまき散らした人々の死体が、今もなお残っている。
こんな状況でまともでいられるやつは、狂った奴か人ではない者のどちらかだろう。
「いや、お前たちは悪くない。実際俺も、恐ろしかったからな。」
そうだ。認めよう。
自分はあの化け物に恐怖した。
だが、そう。だがだ。
「だが、怯えているだけというわけにもいかない。王都に戻って報告をしたのち、引き続きあの化け物の捜索を続けるぞ!」
しかし、だから何だというのだ。
恐ろしいから何も行動しないなどど、そんなことが許されるはずがない。
無力な子供の時、いつも願っていた。
自分たちを襲う魔物や盗賊から、騎士が助けてくれることを。
だが、ついに最後まで助けは訪れなかった。
だからこそ、自分が民に寄り添い、民を守れる騎士になろうと誓ったのだ。
「この国を乱すことは許さんぞ。吸血鬼。」
***
そんな彼らを離れた場所から見ている男が一人いた。
彼らとともにここまで来た冒険者の男だ。
「本当に、嫌な気分だぜ。」
男は少女が飛び去った方向に視線を向ける。
「俺はガキがひどい目に合うのは大っ嫌いだっていうのによぉ。」




