失いたくない
ダリエルの町を囲むように広がっているピリンの森。
その森の中には一つの大きな湖があった。
湖の近くには木が生えていない代わりに、地面に白い花が咲いている。
月の光が湖の水を美しく照らしてあげている様子はどこか幻想的だ。
ここはよくアイティラとハンスが戦いの訓練の場所として使っていた場所なのだが、今はそこに百人近くいるのではないかというほどに人が集まっていた。
そこにいる人間は皆正気ではなかった。うつろな目をして人形のようにその場に突っ立っているだけだ。
ただし一人を除いて。
「まったく忌々しい限りじゃのう。せっかく長い間進めてきた計画だったというのに。」
そうつぶやいた人物は老人だった。髪は白く染まっていて、全体的に痩せ気味だ。
しかし、それでもよく見てみるとその身体の筋肉は引き締まっており、雰囲気としては武人といった様子が似合っていた。
その老人は全身を白銀の鎧で固めており、手には黄金の槌と布で包まれた何かを持っていた。
そして何より不思議なことに、彼の周囲には「剣・槍・斧・盾」が空中で浮遊している。
そんな老人が見つめる先にいるのは、次々と集まってくるうつろな目をした人間たち。
彼らを見る老人の目には、少しの同情も宿ってはいない。
その様子を見るに、この老人こそが明らかに今回の騒動の首謀者だった。
「くだらん武器を作っては売り続け、ようやく知名度も出てきたころに騎士団が出張ってくるとは、なんとも間の悪いことじゃな。」
老人は、ダリエルの町の方を忌々し気に見ながらそう独り言ちる。
彼は長い間この地で武器を作って売っていた。そうして戦力を集めていたのだ。
大事な祖国に帰りたいと思いながらも、その祖国のためを思って任務を続けていた。
そして今まで順調に進んでいたというのに、なぜかここ数日のうちに計画が危険にさらされている。
「それにおかしな点は騎士団だけではない。あやつが支配していた魔物も冒険者に狩られたなどとは全く気味が悪い。」
騎士団がいることだけでもまずいと言うのに、もう一つ頭を悩ますのが魔物だ。今は少し離れたところでこちらを観察しているであろう仲間が支配していたバジリスクが一介の冒険者にやられたなどと意味が分からない。
本来ならば、そのバジリスクに町の方を襲わせるつもりだったというのに。
しかし、騎士団が来ているかぎりばれてからでは遅い。だからこそ計画を無理やりにでも遂行したのだ。
「まあ、よいか。どうせならこの機会に蒼の騎士団をつぶしておくのも悪くはない。」
確かに計画はうまくいってないものの、しかし老人には焦りはない。なぜならそのような些事をいともたやすく覆すことができるものがこちらにはあるのだから。
「ならばまずは操った者どもを集めて、騎士団を数で押し潰しーーー」
機嫌を取り戻した老人の独り言は、しかし不自然に途切れることになる。
なぜなら彼のすぐ横に浮いている盾が何かとぶつかり硬質な音を響かせたからだ。
「なんじゃ!?」
老人は驚き、音の正体に目を向ける。
「あははっ。みつけた。」
そこにいたのはローブを纏った人間だった。
背丈は小柄で子供ではないかと思わせるが、しかしその身のこなしからただの人間とは思えない。
「おぬし、何ものじゃ?」
老人が警戒しながらその人物に問いかける。
「わたし?わたしはね。あなたを殺しに来たの。」
その声は幼さの残る少女の声だった。
そのはずなのに、どこか空恐ろしく聞こえるのはなぜだろう。
老人は、無意識のうちにその手に持った黄金の槌を強く握る。
それを見とがめたのかは知らないが、少女の方もその手に持った剣を構えながら近づいてくる。
老人が無意識のうちに一歩後ずさった瞬間、少女は飛び掛かるような勢いで駆け出した。
「守れ!」
老人の大声に呼応して、周囲に浮遊していた四武器が少女と老人の射線に割り込む。
勢いづいていた少女の剣は、守るようにして現れた盾によってその攻撃を弾かれる。
攻撃がこちらに届かないことを確認した老人は、余裕を取り戻した様子で唇の端を持ち上げる。
「どうじゃ。儂が造り上げた武器は。帝国随一の鍛冶師であるこの儂の武器はさぞかし強かろう。」
少女の鋭い攻撃を盾が弾き、剣が攻撃し、斧が襲い掛かり、槍が隙を狙っている。
この武器たちは、老人の人生すべてを捧げて造り上げた最高傑作だ。
だからこそ、老人は自身の武器を信頼していて、その性能に絶対の自信を持っている。
「相手が悪かったということじゃ。その若さでここまでの強さを持つのは驚きじゃが、あいにくと運はなかったようじゃな。」
しかし、その老人の自信を打ち砕く出来事が起きた。
「は?」
少女の剣を受け続けた盾にひびが入ったのだ。
そのひびは攻撃を受けるごとにどんどんと大きくなってくる。
老人は信じられないとばかりに、その目を大きく見開いた。
「儂が作った盾にひびが入ったじゃと?馬鹿な。この儂が作った武器じゃぞ?」
もはや盾は壊れそうなまでになっている。
「待て、その盾を壊すな!それは儂が造り上げたーー」
老人が悲痛な叫びを上げるものの、その剣撃は止まらない。
「ーー盾...じゃぁ...」
ついにその盾は砕け散り、残骸が地に落ちる。
老人は目を大きく見開き、地に落ちた己の人生の結晶を見つめることしか出来ない。
「あはは、すぐにあなたも同じ姿にしてあげる。だからそこで待っててね。」
少女は残りの三種の武器も壊してやろうと進み出る。
放心していた老人は近づいてくる少女の足音を聞きながらも、別の複数の足音を聞いた。
それは操られている民間人たち。彼らが一斉に動き出し、少女を殺そうと駆け出した。
「あなたたちも操られてるんだね。殺したらハンスが悲しむだろうし殺さないでおいてあげる。」
少女に向かって殺到する人々、しかし少女はその剣を最小限の動きでいとも簡単によけ続ける。
「あなたを殺せば、ハンスもこの人たちも元に戻るんでしょう。だったら、狙うのはあなただけ。」
そして、人々の攻撃をよけながらも、老人の武器を攻撃していく。
まず初めに剣が壊され、次に斧が壊される。最後の仕上げとばかりに槍を壊そうとしたとき、呆然としていた老人が突然大きな声で叫びだした。
「儂の武器がそんな簡単に壊れるわけがない!分かったぞ!おぬしが持っているその剣は古代魔道具じゃな!」
老人の目は血走っていて、声には狂気が宿っていた。
「古代魔道具なら儂の武器を壊せるのも納得じゃ!おぬしが古代魔道具を使っているなら、こちらも使わせてもらうぞっ!」
尋常ならざる様子の老人は今まで持っていた布包みを取り外し、その中のものがあらわになる。
それを見た瞬間、今まで余裕を見せていた少女は途端に動きがぎこちなくなった。
「.....え?なんで、それが、ここにあるの?」
その包みの中から姿を現したのは、一本の剣であった。
その剣の刀身は不気味な紫色に輝いており、鍔の部分に赤い宝石が埋め込まれていた。
「古代魔道具の魔剣じゃ!我が祖国の宝にその身を貫かれて死ねること、光栄に思うといいっ!」
老人はそう叫んだ後、その魔剣を操られている人々の中に放り投げる。
地に転がった剣を、一人のうつろな人間が拾い上げた瞬間にそれは起こった。
その剣を拾い上げたのは、どこにでもいそうな中年の男だ。
だが魔剣を手にした瞬間、その立ち姿や剣の構えがまるで歴戦の戦士のように研ぎ澄まされたものになっていた。
「魔剣よ!そこの小娘を殺せ!儂の栄光を破壊した愚か者を殺すのじゃ!」
血走った眼で叫び続ける老人に呼応するように、魔剣を持った男はアイティラに向けて駆け抜ける。
そのスピードは、とても人間とは思えないほどの速さで、あっという間にアイティラに肉薄する。
空気を震わせる轟音を響かせながら、紅の剣と禍々しい紫の剣が交錯した。
その勢いは、どちらもまさしく人間では出せないような膂力から繰り出されていた。
「どうして、あなたたちが。」
その剣戦の中で、ぽつりと小さな声が零れ落ちた。
老人はその声を聞きとれずに、訝し気に眉を寄せて少女を見る。
「どうしてお前たちがそれを持っている。」
その声は、本当にこの少女が出している声なのか疑わしいほどの憎しみが込められていた。
深い深い奈落の底から、生者を地獄に引きずり込むような、聞くものの心臓を握りつぶすかのような恐ろしい声だった。
フード越しに視線を向けられた老人は、おぼつかない身体であとずさり、呼吸を忘れて思わず咽てしまう。
自身が目の前の少女を恐れていると悟った老人は、必死に自信に言い聞かせる。
優勢なのはこちらだ。こちらは国宝である魔剣まで使っているのだと。
対して相手は一人。たった一人なのだ。
それでも一度植え付けられた恐れは消えない。だから声が思わず上ずり、金切り声を上げて叫ぶのだ。
「早く!早くその子供を殺せえぇ!」
魔剣の所有者が少女に斬りかかる。
魔剣が支配した人間は、所持しているものの魔力や生命力といったものを急速に奪いながらその力を出している。だからこそ、その剣の威力はたとえ岩でも簡単に砕けるほどの力がある。そして、戦った経験はその剣に蓄積され、能力も技術も完成された戦士が出来上がるのだ。
だが、少女はその魔剣と打ち合えている。まともに剣をかわしているのだ。ありえない。こんなことはあり得ないのだ。
魔剣に支配された人間が、その生命力を奪われて見る見るうちに衰弱していく。全身がボロボロと崩れ落ち、人から人であったものへと変わっていく。そして支配した人間が朽ち果てるよりも早く、新たな持ち主を必要とする魔剣は、自らを支配した人間に投げさせる。
飛来してきた剣を見て、少女はその剣をつかみ取ろうと動く。自分が掴んで壊してしまえば、魔剣は新たな使用者を支配することができなくなるからだ。少女がその手を伸ばし、あと少しで剣に手が届く!
「させてたまるものかあああ!!」
「っ!」
少女の手が剣に触れようとした瞬間。その手が槍に貫かれる。
その槍は、少女が破壊しきれなかった老人の造り上げた槍であった。
少女は忌々し気に自身の手を貫いた槍に魔力を流して破壊すると、飛んで行った魔剣の方向に目を向けて硬直した。
「......どうして。どうしてなの。」
その声は、先ほどまでの恐ろしい声ではない。
むしろその声は弱弱しく震えていて、今にも壊れてしまいそうな様子だ。
「どうして、わたしから奪うの!」
少女は強い怒りをたたえながら、悲痛な声で不条理を嘆く。
その視線の先には魔剣に支配されたハンスの姿があった。




