前兆
ハンスは焦っていた。
周りを取り囲むのは二十体はいるのではないかというオークの群れだ。
オークは人間の大人ほどの大きさで、どちらかと言えば見た目も人間に近いようではあるが人間とは決して相いれない存在である。
特にその醜悪な顔と汚らしい身体、肥えている醜い姿は人間に嫌悪の感情をもたらす。
それらがその手に持った粗末なこん棒を構えながら、殺意をみなぎらせてハンスただ一人を狙っている。
ハンスはその光景に若干の恐怖を感じつつも鋭い視線で剣を構える。
(大丈夫だ。一体ずつを相手にするならそこまで強くないはず。それに時間さえ稼げば助けが来るはずだ。)
ハンスはゆっくりと姿勢を低くし今にも飛び出そうとする構えをとる。
それに呼応するかのように、オークの中でもひときわ大きい個体が前に進み出る。
(あのでかいのが群れのリーダーか?だったらそいつから殺せばッ!!)
ハンスは地面を強く蹴って大きなオークに向けて駆ける。
ハンスとオークの距離はどんどん縮まりハンスの剣先がオークに届きそうなまでに接近した。
オークは大きな体でこん棒を振り下ろしてくるが、オークと比べて小柄なハンスはその体を活かしてどうにか避ける。
そして振りかぶった態勢のまま一瞬無防備になったオークの首に向けて、ハンスは剣を振り抜く。
(首を切り落としてやる!)
しかしその剣はオークがとっさに腕で防ぐことにより届くことはなかった。
さらに運の悪いことに、剣はオークの腕に深く突き刺さっていたためなかなか抜けない。
「なッ、まずいッ!」
オークが力いっぱい腕を振るったことでハンスの剣は抜けたものの、ハンスの身体は吹き飛ばされる。
吹き飛ばされた先で急いで態勢を整えるが、そこには恐ろしい光景が広がっていた。
吹き飛ばされたのはオークの群れの中、周囲には汚らしいよだれを垂らしながら醜悪に顔を歪めているオーク共がいた。
ハンスは血の気が引く感覚を覚えながら一歩後ずさる。
しかしオーク共は周りを囲みながら、じりじりと一斉に物量で押しつぶそうとするかのように近づいてくる。ハンスは逃げ道がないか周囲を見渡すも、すでに逃げ道はオークの壁によって塞がれている。
退路が見えない状況でできるのは、どうにかこの囲いを剣で切り開くしかない。
ハンスは少しでも相手がひるんでくれるように願いながら力いっぱい声を出して突撃する。
「うおおおおお!」
オークたちはその声に気圧され一瞬動きを止めたものの、すぐさまこん棒で叩きのめそうとハンスに向けて駆けだす。
ーヒュン
その時、空気を切り裂くような鋭い音が聞こえると同時に、ハンスの近くにいたオークが倒れる。
「≪火球≫!」
ハンスに向けて襲い掛かっていたオークたちの中心に、大きな音を響かせながら火の玉が炸裂する。
吹き飛ぶオークにハンスは目を見開くも、驚きは一瞬だ。
突然の攻撃にうろたえ混乱しているオークたちに向けて剣を一閃する。
「ハアアッ!」
ハンスは勢いそのままに、混乱から統率の取れていないオークの頭を切り飛ばしていく。
一気に優勢に傾いたことによりハンスは次々にオークを屠っていった。
しかしその背後から、群れのリーダーである大きいオークがハンスを狙って突き進む。
突如接近してきた巨大オークにハンスは対応が遅れてしまった。
「しまったッ!」
しかしそのオークもハンスに近づいたところで、動きを止める。
「ガキが一人前にカッコつけんじゃねえ。」
オークの胸を貫いていた二本の剣が引き抜かれる。
崩れ落ちたオークの背後に立っていたのは、剣を振るってオークの血を落としているバルトであった。
呆気にとられているハンスにバルトは少し居心地悪そうにしながらも背を向けてから言葉をつづけた。
「だが、その、なんだ。今はガキでもそのうちすげえ冒険者になれるぜ。」
初めは何を言われたのかよくわからなかったが、理解するにつれつい嬉しく思ってしまった、そしてその気持ちをごまかすように慌ててこういうのであった。
「ハッ、何後ろ向いてカッコつけてるんだ。それとも恥ずかしかったのか。」
その言葉を聞いてバルトは足を止め、ハンスの方を振り返る。
その顔は怒りと羞恥で赤くなっていた。
「このガキが!少しは大人に対してまともな口をきけないのか!」
顔を赤くして怒るバルトと生意気な口を利くハンスは、またも口論を始めるのであった。
***
全ての魔物を倒し終えた後、バルトとハンスは先に集まっていた三人のところに近づいていった。
三人は何やら話し込んでいる。というよりアイティラに向けてほか二人が質問している感じだが。
「それにしてもすごいですね、あのバジリスクを一人で倒すとは。冒険者になる前はどこかの国の有名な
戦士だったりするのですか?」
「んー、どうなんだろう。有名かは分からないけどいっぱい戦ってたと思うよ。」
「気に障ったらすまないが、ローブで顔を隠すのには何か理由があるのか?」
「特にないけど、冒険者で有名になると面倒な人たちに目を付けられるかもしれないでしょ。だからなんとなくローブをかぶってるだけ。」
「なるほど、確かにその力を知ればどこぞの貴族が欲しがろうとするかもしれないしな。だが、そのローブずいぶんとボロボロじゃないか?さすがにその恰好は怪しまれるぞ。」
話し込んでいた三人だったが、ハンスとバルトの足音を聞いて一度話を中断する。
バルトは少し疲れたような雰囲気で口を開いた。
「オークどもは片付いた。あとは素材の回収と死体の処分だな。」
そう言ってバルトは、巨大なバジリスクと大量のオークの死体を見る。
「バジリスクのウロコ一枚だけ持って、後はギルドに回収してもらうとしよう。」
その言葉にハンスは疑問を呈する。
「なんでウロコ一枚だけ回収するんだ?」
その言葉にバルトは眉を寄せて何処か悩んだ風に言った。
「信じてもらうためだ。本当ならこんなところにバジリスクなんて居ないはずだからな。」
「ん?でも実際にはここにいたじゃないか。」
「だから不思議なんだ。バジリスクはこの森を抜けたずっと先にある山岳地帯にいるはずだ。いままでだって森で出たなんて聞いたことがない。それに不思議なのはオーク共もだ。」
「オーク?」
そう言って、バルトはあたりに散乱しているオークの死体を見る。
「普通バジリスクなんていたらオーク共も逃げるはずだ。さすがにオーク共もバジリスクに襲われたらひとたまりもないからな。だがこいつらは逃げるどころか、戦いに参加してきた。」
そう言って悩むバルトに、バルトの仲間である魔術師が語りかける。
「とりあえずその話はギルドに持ち帰った方がいいのではないですか?何か情報を持っているかもしれませんし。」
「...そうだな。ひとまずギルドに帰るとしよう。」
***
「え、バジリスク、ですか?」
そう困惑した声を出したのは、冒険者ギルドの受付嬢であるセレナである。
セレナはバルト達とアイティラ達が一緒に帰ってきたことにも驚いたが、何よりもバルトが言った言葉が信じられなくて困惑した声を出した。
「証拠ならある。これだ。」
そう言ってバルトが出した大きなウロコは確かに立派なものだった。
「え、ほ、本当にバジリスクが森に出たんですか!そのバジリスクは今どこに!?」
セレナはようやく状況を飲み込んで思わず大きな声を出してしまった。
セレナの切羽詰まった声に、ギルド内にいる冒険者らも驚いてカウンターの方に注目しだす。
「ああ、バジリスクならこっちのガキ...嬢ちゃんが倒した。」
話に注目していた冒険者らは一様に驚いた。バジリスクとは本来Aランク冒険者のパーティーが危険を冒して倒すような相手だ。
ここで言うパーティーとは、それぞれの役割にあった四人以上のパーティーのことを想定している。
そのような冒険者にとって恐ろしい相手を、いくら最近認められてきたとはいえ子供のようなアイティラが倒したと言われれば驚くのも無理はない。
セレナも信じられないとばかりに驚いたが、とりあえず話を進めるためにその話は後に置いておく。
「それで、そのバジリスクについてギルドが何か知っているのではないかと思われたのですね。」
「ああ、そうだ。」
「残念ですが、ギルドにも全く情報はありません。そのバジリスクについて何か変わった点はありましたか。」
そういわれてバルトは、アイティラとハンス、仲間の二人を順に見るが特に変に思った部分は出てこないようだ。
仕方なしに、最後の少し気になる点も報告しておく。
「それとバジリスクとの戦闘中にオークの群れも襲い掛かってきた。これについても何か知らないか。」
「オークの群れ...そちらはアイティラさん達が受けていた依頼ですね。そちらの方でも少し詳しく調べておきます。それとそのバジリスクを倒した場所や状況も奥の部屋で詳しく教えていただけますか。」
そうして五人は鬼気迫る様子のセレナに別室に連れていかれ、その日のアイティラとハンスは数時間ほどその部屋に拘束されるのであった。




