期待の新人
「ハァ、ハァ、くッ!」
少年はひどく息を乱していた。
剣を持つ手はわずかに震えており、頬には汗が一筋の線を作って流れ落ちる。
足は震え、疲労困憊と言った様子だが、それでもその目は鋭く前を見据えている。
ここはピリンの森を抜けた先に広がっている開けた土地だ。
周囲にある特徴的なものと言えば、大きくて深い湖が近くにある事だろうか。
また地面にはところどころに白く小さな花が咲いていて、自然の美しさを感じさせる場所だ。
だがそんな静かできれいな場所に、その場に似つかわしくない剣が交わる硬質な音が響いていた。
「ハァァァッ!」
大上段からの鋭い一撃。剣が空気を切り裂く音があたりに響く。
しかし剣が振り下ろされた場所には誰もいない。少年はそのことが分かっていたように後ろを振り向く。
すると目の前には深紅の剣を少年の眼前に突き付けてたたずんでいる少女がいた。
「はい、わたしの勝ち。」
少女はどこか楽しそうな声音で言う。
そう、今はハンスを強くするための訓練中なのだ。
アイティラはハンスの強くしてほしいという頼みを引き受けたが、訓練方法など実戦で身に付ける以外に知らないのでこうして模擬戦闘をしている。
ハンスは疲れた様子でその場に崩れ落ちる。
「ハァ、し、死ぬッ!」
「死なないよ?」
ハンスはゴブリン討伐の日から、毎日アイティラとこの場所に来て剣を合わせていた。
もちろん冒険者としての依頼もこなしながらだ。魔物の討伐依頼があったら優先的に引き受けて、ハンスがその魔物と戦い、ハンスが危なくなった時だけアイティラが助けに入ると言った感じで依頼をこなしていた。
そんな生活をあの日から一か月ほど続けていた。
「ハア、ふぅ、...全く勝てる気がしない。」
ハンスはそれによって、かなり戦えるようになってきた。
ゴブリンも今では何体かかってきても倒せるほどには強くなった。
それでもこの少女に勝てる未来が全く浮かばない。ここまでの強さを持った少女に戦い方を教えてもらえる好機に恵まれたことに感謝しつつも、ハンスは今までずっと気になってきたことを尋ねた。
「なあアイティラ、聞いていいか?」
「なに?」
「君はどうやってそこまでの強さを身に付けたんだ?」
その質問は、本当に単純な疑問だった。
自身と同じくらいの年齢なのに、どうしてそれほどまでに強くなれたのか興味があった。
しかしアイティラはその質問に答えを返さない。
なぜか答えないアイティラに、ハンスは自然と顔を上げアイティラの方を見る。
そしてハンスは驚いた。普段はどこか掴みどころがない様子をしているアイティラが、その目にわずかな黒い感情を宿していたからだ。
「ア、アイティラ?」
ハンスは思わず困惑した声を出す。アイティラはその声に気づいたからか、先ほどまであった黒い感情を一切感じさせないような微笑を浮かべ、ハンスの目を見返した。
「わたしが強くなれたのは元々の才能もあるけど、一番はたくさん戦ったからかな。」
ハンスは先ほどのアイティラが見せた表情に動揺しながらも、これ以上は踏み込まない方がいいと思い聞かないことにした。
「そ、うか。だったら僕もこのままいけばいつかAランク冒険者とかになれるかなぁ?」
その言葉は動揺を押し隠すための冗談だったが、それでもハンスはわずかに期待してもいることだった。
そんな言葉に、優しげなきれいな声が返ってくる。
「なれるよ。ハンスなら。」
アイティラはそんな少年の姿を目を細めて眺めていた。
***
アイティラとハンスが、訓練を終えてギルドに帰る途中にそれは現れた。
森の中、何か巨大なものが地面を踏みつけるような重い音が聞こえる。
草木が揺れ、その中にいた森の小さな獣たちが一斉に二人の側にかけてくる。
「...何かがこっちに向かってきてるな。それもかなり大きそうだ。」
木々が揺れ、地面の振動が大きくなりそれは姿を現した。
それは大きい熊だった。いや、熊というには外見が邪悪すぎる。
その巨躯は人間の大人の身長を優に超え、全身の筋肉は盛り上がり、その上を汚れた毛皮で覆い隠していた。
それはこちらを視認すると、空気を震わす咆哮を上げた。
「グオオオオォォ!!」
ハンスは肌が粟立ち、自身が目の前の巨体に恐怖していることを感じ取れた。
だがそれだけで、剣をゆっくりと構えて眼前の巨体を鋭く見据える。
「アイティラ。もし危なくなったら止めてくれ。」
「うん。分かった。」
ハンスは一度肺の中の空気をゆっくりと吐き出すと、一気に息を吸い込んで巨体に向かって飛び込んだ。
その巨体の存在は、自身よりも小さい人間が怯えることなくこちらに向かって駆けてくることにわずかに驚いたように一瞬動きを止めるも、すぐに向かってくる人間を自身の鋭い爪で切り裂こうとする。
しかしハンスはさらに駆ける速度を上げ、迫りくる腕をくぐり抜けてその頑丈な身体を切りつけた。
自身の身体に傷をつけられたそれは、怒りを含んだ暗いうなり声をあげハンスを叩き潰そうと腕を振りかざす。
その腕が振りかざされるごとに、草木は切り裂かれ地面が土煙を上げる。
しかしなぜだか、目の前の小さな身体には当たらない。それが振りかざす腕の位置が分かっているかのように避けていくのだ。
苛立ったそれは、こざかしい人間を体当たりで潰してやろうと考え身を屈めた。
今にも飛び掛からんばかりの態勢は、その巨体も相まって見るものに恐怖を感じさせる。
そしてその巨体をもってして恐ろしい速度で人間に向かって突進していく。
その迫りくる姿は、まさに進路上にいる生命に逃れられない死を見せるような迫力があった。
巨体がハンスのいた位置を巻き込んで周囲の全てを破壊していく。
その破壊に巻き込まれれば、脆弱な人間など簡単に殺せることだろう。
しかし勢いよく突進したそれはなぜか訪れない衝撃に疑問を覚える。そうして足を止め自身が破壊して作られた道を確認して気づいた。あの人間の姿がない。
唯一見えたのは、おそらくあの人間の伴侶だと思われる人間のメスが遠くにいるだけ。
先ほどまで戦っていた人間の姿を探そうと頭を上げたそれは、頭上から何かが落下してくる音を聞いた。
ザグッ。それは自身の首に猛烈な痛みを感じて、この世から意識を失った。
***
カランコロン。冒険者ギルドの扉が音を立てて開かれる。
ギルドの受付嬢の仕事をしているセレナは扉の方に視線を向けた。
「あ、お帰りなさい!ハンスさん、アイティラさん。」
その扉からギルドの中に入ってくるのは二人の小柄な人物だ。
ローブを纏ったアイティラとなぜかいつもボロボロの姿で帰ってくるハンスだ。
二人が冒険者登録をした日、セレナは二人がゴブリン討伐に出かけた後もずっとそわそわして心配していたのだが、その次の日に六つゴブリンの魔石を持って帰ってきた二人を見て胸をなでおろしていた。
そして二人は依頼達成と同時にまた討伐依頼を受けて出ていくのだった。
そうして依頼を次々と達成していく二人を見て、セレナも最近では過度な心配はしなくなってきた。
「ただいま、セレナ。今日も魔物の素材持ってきたよ。」
そうしてアイティラの方が明るく声をかけてくる。
ハンスが疲れた様子でセレナに近づいてくると、持ってきた素材をカウンターの上に広げた。
「はい、確かに依頼は完了していますね。確認しました。それとこちらは...」
そうしてセレナが目を向けたのは、依頼の魔物のものより少し大きめの魔石だ。
「ああそれ?途中で大きい熊に出会ったからハンスが倒したの。ちなみに魔石以外にも持ってきたよ。」
アイティラの言葉と同時にハンスは、大きい爪と牙をいくつか取り出して見せた。
セレナは大きく目を見開いて驚いた。
「熊って...おそらくそれはバグベアですね。Dランク冒険者パーティーでも苦戦するような魔物ですが、よくお二人で勝てましたね。」
「まあ、ハンス一人で倒したんだけどね。」
その信じられない言葉に、セレナも周りで様子をうかがっていた冒険者たちもハンスに視線を向ける。
そして、そのハンスのボロボロの恰好を見て、よほど熾烈な戦いをしたのだと周りのハンスを見る目が変わった。
ちなみにハンスがボロボロになっているのはアイティラと訓練した為である。
「分かりました。こちらのバグベアの素材は適正な価格で買い取らせていただきます。それと、今回の依頼を達成したことでポイントが溜まりましたのでお二人はDランクへ昇格となります。」
「やったねハンス。Dランクに上がれるって。」
「はは、それより早く宿で休みたいかな...」
疲労で立っているのも辛いといった様子のハンスにアイティラは楽しそうに声をかける。
そんなアイティラとハンスの様子を見ているギルドの冒険者たちも、今ではこの二人を子供だなどと侮ったりはしていなかった。
彼らも初めは子供二人で冒険者になったアイティラとハンスにいい感情は抱いていなかった。
自分たちが誇りを持っている冒険者という仕事を馬鹿にされたように感じて。
しかし今では、二人が魔物を倒せるだけの実力もあることが分かり、調子に乗って冒険者になった子供から冒険者ギルドの期待の新人に認識が変わっている。
多くの冒険者が二人に素直な賞賛を上げている中、かつて二人に絡んで言ったBランク冒険者のバルトだけは、眉を寄せてじっとアイティラだけを見ていた。




