黄色の花束
都市は死んだように静かだった。
すでに夜の帳は下り、人々は嘆き疲れて眠った頃だろう。
昼間には追悼式が行われた教会も、死者は何も語ることはないと無言を貫いている。
こんな夜更けにこの場所を訪れる者はいない。
普通であればそう思うところだが、この夜は違っていた。
闇に紛れるような黒い影が、教会の前で立ち尽くしていた。
その人物は、ゆっくりと焼け崩れた中央の建物を眺めた後、よどみのない足取りで敷地内に足を踏み入れた。そして、昼間に空の棺が埋められた場所まで来ると、そこに立てられた赤剣隊の隊旗の前で立ち止まる。隊旗の前には、色とりどりの花束がいくつも置かれていた。憂鬱な出来事を忘れさせるくらい、美しい色にあふれていた。見渡せば、ここだけでなく敷地内の至る所が花々に彩られている。
追悼式の参列者が死者に手向けたものだった。もしかしたら、昼間のあの少女の花束もここにあるのかもしれない。
そんなことを考えながら、自身の手元に視線を向ける。そこには黄色の花束があった。
「どんな花を用意すればいいか分からなかったから、あなたが大事にしていたのと同じ色を送るね」
隊旗に向けて声をかけたが返答はない。耳を澄ましても、わずかな風の音が聞こえるだけだ。
腕に抱えるようにしていた花束を、ゆっくりとその列に加えた。
「守れなくてごめん。それでも仇くらいはとるから」
上体を起こして、再び旗に語り掛ける。
今日は風が強いのか、ごうと一際大きく音が聞こえた。
影はその場を離れると、再び闇に紛れるように教会を後にしようとした。
これが最期と思えばこそ名残惜しさから歩みが遅くなるが、決別はもう済ませたと足を踏み出した時だった。
足音が聞こえてきた。自分のではなく。
「これから、どうするつもりだい」
夜にその声は良く響く。
聞こえなかったと無視することは出来なかった。
「何のこと?」
踏み出しかけていた足を止めて、アイティラは声の方を見た。
そこにあったのは、昼間に追悼式で見た時と同じ顔だった。
討伐隊、とラファイエットは口にした。
「すでに聞いているだろう。その話でここは持ちきりだからね。今日の追悼式だって、死者を悼むことだけじゃなく、皆の不安を一時でも忘れさせる意図があったほどだ」
まあ、昼間のあれを見れば失敗だったかもしれないが。
そう茶化すように言った後、彼はまじめな顔をした。
「聞いたところによれば、今回の討伐隊は騎士団二つが主力となっているらしい。向こうの戦力を考えれば、ほぼ全てを投入している。これまでも危機はあったが、今回は相手も本気で潰すつもりだろう」
そこまで言ったところで、アイティラにわずかたりとも揺らぎが見えないことで、ラファイエットは問いかけた。まさか、一人で向かうつもりか?
アイティラはすぐには答えを返さず、後ろを振り返った。
そこには、寂しげな教会があるのみだ。
「ここにいる人たちは、私が死なせた。いや、殺したの」
赤の瞳が、闇の中で鋭く細められた。
「私が中途半端に人としての生活を望んでいたから。人として受け入れられることと、誰も死なせないこと、欲張ってどっちも取ろうとしたせいで、どっちも失ったの。私のせいで」
だから、と。
アイティラは痛みをこらえるように、腕を強く握った。
「こんどは、そうさせない。私は一人で戦って、これを最後に人の世界から消える。ここは、化け物がいていい場所じゃないもの」
そう語るアイティラの姿は、ラファイエットには恐ろしいものには見えなかった。
だから、伝えるか迷っていた言葉を言う事にした。
「昼間のことなら、あなた一人の責任ではない」
怪訝そうな赤の瞳が向けられた。
「追悼式のあの騒動。壇上に居たぼくからも良く見えた。あの時の少女は、君が彼女の父親を、つまり戦って死んだ彼らを扇動して戦わせたと言っていた。それは確かにあっている。だが、間違ってもいる」
あの騒動の後、追悼式はにわかに混乱した。
多くの人が、言葉には出さずとも感じていたことだけに、あの少女の言葉が駆け巡るのも早かった。
言葉は波のように人々の口に乗せられ、扇動された、そそのかされたとの声が大きくなっていった。
だからその時、ラファイエットは声を大にしていった。
『確かにきっかけにはなったし、影響も受けたことだろう。それでも、戦うことを選んだのは僕たちだ。かつての抑圧されていた日々、抵抗しようにも歯向かえない歯がゆさ。それからの解放を願って、僕たちは武器を手に取った。それを選んだのは僕たちだ。たしかに、反乱が起きてから多くの死があった。苦しみがあった。だが同時に、かつての困難は解消された。それを誇ることはあっても、後悔することはない。それでは、死んでいった君たちの親族は報われない』
あくまで選んだのは僕らなのだ。
それは、あなたに強制された訳ではない。
彼らはあなたに殺されたのではなく、自らよりよいと思う方を選び、そして戦いの中死んだのだ。
「それは、あなたの責任ではないし、あなたが勝手に背負っていいものではない」
その言葉を、アイティラはどう受け取ったのだろうか。
わずかに目を開き、ラファイエットを凝視した後、ふいとそっぽを向くと答えた。
「それでも、やっぱり私が殺した」
見上げる先には、主人を失った城があった。
「これ以上、死なせることはできないの」
もはや言葉は通じそうにはなかった。
それだけ、アイティラもすでに決意を固めていた。
これ以上の言葉は不要とアイティラは思い、踏み出し損ねた一歩を進む。
「待て」
立ち止まる必要はないと進むアイティラに、ラファイエットは声をかける。
「討伐隊の居場所は分かるのか?」
「空から探せば、いつかは見つかる」
ラファイエットはわずかに逡巡したのちに、思い切って口にした。
「 . . . 案内役がいた方がいいだろ」
***
城主が居なくなった城で、金髪の若者が頭を抱え込んでいた。
目の下には色の濃い隈を浮かべ、連日の苦悩のためか輝く黄金の髪は心なしかくすんで見える。
しかし、現状を思えばこそ、それは仕方のないことでもあった。
城塞都市エブロストスの内情は、日に日に悪化の道をたどっていた。
アレクは思う。あの男の死と共に、この都市も死んだのだと。
伯爵の死を伝えた日、人々の内にあったわずかな希望が消えたのを感じた。
これまでにあった都市としての団結が消え、無気力さが支配した。人々は家から出て来ては、失った人々を嘆き悲しみ、そして無為に時間が過ぎるだけだ。
生き残った赤剣隊も名前だけは残しているが、今呼び集めたところでその半数、いや三分の一も集まるかさえ自信がなかった。すぐに集まってくれると信頼できるのは、伯爵に従っていた兵士達だけだろう。それでも、生き残りは五十にも満たないのだから戦力として頼るには心もとない。
なにより失敗したと感じるのは、伯爵の死を知らせるのを一週間ばかり遅らせたことだ。
すぐに知らせれば、今ある反乱軍という形はすぐに崩れてしまう。この都市には、そう思わせる危うさがあった。だからこそ、人々が落ち着いて受け入れる準備ができた時に明かすつもりであったが、それが裏目でた。人々はアレクに不信感を抱き、両者の間に溝ができてしまった。
さらに苦しい事に、王都から討伐隊と名付けられた軍勢が迫っていた。
白と黒の両騎士団。そう聞けば、今回の討伐隊の本気度がうかがえる。向こうは決着をつけるつもりだ。
選べる選択肢は二つ。戦うか、降伏か。
戦うなど論外だ。とても戦える戦力をこちらは持ち合わせていない。
ならば降伏か。
アレクが直々に出向き降伏を願い入れれば、もしかしたら受け入れられるかもしれない。
その場合は、アレクは殺されるだろうが、少なくともこの都市だけは守れるかもしれない。
しかし一方で、そんなことはないだろうとも思う。
初めから降伏が通るのならば、すでに勧告が来ているはずだ。いきなり、本気の戦力を送ってこない。
それに、先の戦いでアイティラは相手の人間を殺しすぎた。相手からしても到底受け入れられるものではないだろう。
おそらく許されない。そうなると新たな指導者まで失ったこの都市は . . . 。
アレクは焦りから頭をかきむしった。
「僕にどうしろって言うんだ!」
思い出されるのは伯爵が死んだあの夜に、衰弱した伯爵から伝えられた言葉だった。
『アレク殿下、この都市を、この国を、皆を頼みます』
僕には無理だ。
僕はあなたじゃない。
僕にはあなたような人望もなければ、この都市の人間を説得する手段も持ち合わせていない。
僕は第二王子といっても、これまで誰にも見向きされてこなかったんだ。
そんな僕が、どうやって、そんな僕に、いったい何をあなたは願ったんだ。
残された時間が減っていく焦りと、堂々巡りの思考にアレクは耐えきれずにとっさに口にしていた。
「なあ、シン。 どうしたらいい? お前なら何か . . . 」
振り返って見たところで、片目を隠した寡黙な従者はいなかった。
あっと、声を出したアレクは泣き出しそうな表情になると、奥歯を嚙みしめた。
また、頼りそうになった。
「ふん、何死んでるんだ。僕は許してないからな」
アレクは前を見据えると、これまでのことを全て忘れて頭の中をすっきりさせた。
そして心の中で呟いた。
ひとつだけ道はある。
アイティラだ。
あの時見せたあの力なら、討伐隊に勝つことは出来るかもしれない。
確かでない降伏よりも、よっぽど可能性のある話だった。
アイティラに頼んで戦ってもらう。それが、生き残るうえで一番いい選択肢のはずだ。
そのはずなのに、アレクは踏み切れずにいた。
今この都市は、先の戦い、いや、一方的な殺戮でアイティラを恐れている。
あの力が自分たちにも向けられるのではないかと、怪しんでいる。
もしここで、討伐隊をアイティラ一人で倒しでもすれば、その恐怖はなによりも増すだろう。
そうなった時、この都市の人間が、アイティラを受け入れることはできるのか。
アレクは長く細い息を吐くと、おもむろに大声を出した。
「ああ!もう僕ばかりが考えこんで! あいつも少しは頭を使え!」
誰のせいでここまで悩んでいるのかと、アレクは不意に怒りが湧いた。
そう思えば行動は早かった。
急いで部屋を飛び出すと、アイティラが使っている部屋へと向かい、その扉をゴンゴンと思いっきり叩いた。
「おい、いるんだろう? さっさと出てこい!」
アイティラは都市内で追悼式が行われた日から、ずっと部屋にこもりっぱなしだった。
アレクが声をかけても無視するので、怒鳴って帰ったのを最後に一度も声をかけずにいた。
だが、伯爵に仕えていた老執事のパラードが食事を運んでいたのは見たことがあるので、中にいるのは確実だった。
「また無視か? 追悼式でどんな酷い事を言われたのか知らないが、いい加減にしろ! でないとここを蹴破るぞ!」
勢いそのままにドアノブに触れると、力を込めずに扉が開いた。どうやら扉には隙間が開いていたらしい。緊張の面持ちで扉が開くに任せていると、真っ暗な部屋が現れた。
中を覗き込むと、人の気配はまったくない。アイティラの姿もなかった。
あいつはどこに行ったんだ。
「どうかされましたか?」
背後から声をかけられ、アレクは肩をはねさせた。
振り返ると、件の老執事がそこにいた。
「アイティラの姿が見えないが、どこに行った」
「お嬢様はここにはおりません」
「それは分かったから、どこに行ったのかを聞いてるんだ」
「それは私にも分かりません」
アレクは連日の睡眠不足のせいもあって、この問答に苛立ちが募ってきた。
「知らないはずがない。あいつは部屋に閉じこもっていたが、お前だけは部屋に入れてただろう。今朝だって、食事を運んで行ったと聞いたぞ」
問い詰めるようなアレクの口調に、老執事は悩んでいるようだった。
「答えてほしい。これは僕の問題でもあるんだ。さあ早く!」
「 . . . 本当に知らないのです」
執事の言葉にアレクはさらに厳しく問い詰めようとしたが、それより先に老執事が口を開いていた。
「追悼式があった夜、お嬢様に頼まれたのです。少しの間この場所を抜けるから、誰にもバレないように黙っててほしいと。どこへ行かれるのかとお聞きしましたが、それには答えていただけませんでした」
「追悼式の夜!?」
そうだとしたら、アレクが扉に向かって声をかけた時も、無視されたのではなくそもそも中にアイティラが居なかったことになる。ずいぶんと長い間、騙されていたようだ。
「しかし、あの時のお嬢様はずいぶんと決意のある表情をしておりました。 悪い結果になることはないでしょう」
アレクは恨みがましく老執事を睨みつけると、頭を押さえて俯いた。
一体、アイティラはどこに行ったんだ。
そんな時、城内がにわかに騒がしくなった。
引き留める声がいくつも聞こえ、それを無視するように足音が慌ただしく近づいてくる。
「な、なんだ?」
アレクが身構えるように廊下の先を見ていると、若い男が息を乱して駆けて来た。
その顔は蒼白で、今にも死にそうな感じだ。
驚きが抜けきると、アレクはその顔に見覚えがあるのを感じた。それは少し前、追悼式の許可を求めにこの城に来た男だったからだ。
男はアレクの前まで来ると何かを喋ろうとしたが、走りすぎだせいか言葉にならなかった。
一旦落ち着けとアレクが声をかけると、男は大きく息を吐き、聞き取りずらい声で言った。
「 . . . 負けた」
アレクは眉を寄せ、なんだってと聞き返した。
すると男はがばっと顔を上げ、鼓膜が破れるかと思うような声で叫んだ。
「あの少女が、討伐隊に負けたんだ!」
アレクは顔を引きつらせて固まった。




