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自由を夢見た吸血鬼  作者: もみじ
いなくなった吸血鬼
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王の帰還

玉座の間に緊張がはしる中、大きく開かれた扉の先に人影が現れた。

雄々しい赤のマントに、煌めく王の冠、そして整えられた白髪交じりの頭髪。

そのような姿を、この場にいたすべての者は想像していたことだろう。

だが姿を見せたのは、彼らが一度だって目にしたことがないほどの酷い姿の王だった。

受け継がれてきたマントは破れ、泥に汚され、襤褸を纏っているようで、いつもは整えられていた頭髪は額に張り付いていた。栄光を示す王冠はなく、くすんだ衣装からは、すっかり乾いた泥の塊が動きに合わせて壮麗な床にぱらぱらと落ちた。もし、それが王であると先に伝えられてなければ、浮浪者が迷い込んできたものだと勘違いしたことだろう。


居並ぶ若い貴族たちが一様に呆然としている中、王はかまわず進んで行き、玉座の上で固まっているフィリップに気づいて眉を寄せた。


「フィリップ、なぜお前がそこに座っている? そこは余の席だ、すぐにどくがいい!」


第一王子はためらったが、王の瞳が徐々に険しくなっていくのを見て、慌てて玉座から滑り落ちた。

泥まみれの王はそれに嘆息すると、眼前に居並ぶ若い貴族たちの姿と、捕縛されたヘルギの姿を交互に見て、目をしばたたせた。


「これはいったい何の集まりだ? 余の居ぬ間に何があったのだ」


その時、玉座のすぐ横にいた宰相が堂々とした足取りで歩み寄ってきた。


「そこに居りますヘルギ騎士団長が、陛下を裏切ったのでございます。こ奴は陛下の名を騙り、カナン攻囲を邪魔しました。さらに、弁明の際にはこの戦いは陛下の望みではないとまで言い張ったのです。陛下が決めたこの親征そのものを、否定したのでございます」


「それは真か?」


黒の騎士二人に捕らえられたヘルギは、王の質問に頷くと「真であります」と答えた。

そのゆるぎない姿勢は、たとえ王が大きな怒りと共に処罰を下したとしても悔いはないとの覚悟からだった。

しかし王は、ヘルギの予想とは裏腹に、機嫌をそこなうことはなかった。

それどころか、安堵したように息をこぼしたのだ。そして、ヘルギから視線を外した後、そこに居並ぶすべての者に対して言った。


「余はこの争いを終わらせる」


一瞬の沈黙が流れた後、各人は驚きに目を見開いた。

「どういうことですか?」と険しい声で問いただしたのは宰相だった。


「余は知ったのだ。いや、思い出したというべきか。これまで反乱軍と呼んで来た彼らは、余の敵ではなかった」


ヘルギは口を開けて呆然とし、小さく陛下と口にした。


「あそこにいた者たちは、すべて余の国の民であった。彼らは余に助けを求めておっただけだ。ここ数日の間で、どれだけそのことに気づかされたことか」


ここ数日?そう訝しがりながら近づいていった宰相は、王の姿にあるものがないことに気づいた。


「陛下、身に付けられていた王冠は、それにあの首飾りは!?」


王は慌てる宰相に対して、余裕を持った一言を返した。


「若い娘にくれてやったわ」


宰相の眼鏡がピシャリと割れた音が聞こえた気がした。


「これからすぐに和解に入ろう。ヘルギ、お前も余と共に来い。戦いを望まぬお前ならば相手も安心できよう」


ヘルギは信じられないといったようにしばらく王を見上げていたが、やがて感極まったようにお供いたしますと口にした。


そなたたち、と呼びかけられた貴族たちは一様に動揺した。


「余の決定に異論のあるものはおるまいな? これより余と蒼の騎士団長はエブロストスに向かい、コーラル伯爵と話し合って争いを終わらせるつもりだ。もし同行したいものがいるなら申し出よ。幾人かなら連れて行ってやるぞ」


居並ぶ若い貴族たちは、明らかに戸惑っていた。

だが異論はでてこない。どうすべきか互いに探りあっているばかりだ。

しだいに彼らの顔色は、王に同調し始めてきた。それに反対するように、玉座の横で立っているフィリップは苦い顔を続けていた。


このままいけば王の意見が通るかと思われた時、鋭い一声がその一室に響いた。


「騙されてはいけませんぞ」


それは、宰相だった。いつのまにかその手には古びた本を持っていた。


「どういうことです?」


貴族の一人の疑問に答えるように、宰相は続けた。


「先の戦いで、反乱軍が生き残った理由をお忘れですか? 貴方がたの父君が、ご友人が、雇った兵たちが何者に殺されたかお忘れですか? 反乱軍には強大な怪物が味方している。 そのことは、あなた方もすでにご存じのはず」


「確かにその話は聞きました。何でも、吸血鬼と呼ばれる太古の化け物だとか」


「ええ、私はかの吸血鬼の存在を知ってすぐ、奴についての手掛かりを探しました。そして、一つの悍ましい手記を手に入れました」


宰相は手に持った一冊の古びた書物を掲げ持った。


「ここには吸血鬼についてのすべてが記されております。その中の一つにこうありました。吸血鬼は人を操る術を使える、と」


「まさか!」


「これまで反乱軍の討伐をあれほど望まれていた陛下が、途端に意見を翻した。これは明らかにおかしなことでしょう。しかも、陛下が行方不明になられてから今日までには多くの日が流れている。この間に、かの吸血鬼に何かされたと考えるのは不思議ではありますまい」


周囲の視線が宰相に向けられていることに気づき、王は何を馬鹿なことをと口にした。


「余が操られていると? おかしなことを言うでない! 和解は余の意思で決めたことだ。それに今日までの間の日々は、ただこの場所を目指して . . . 」


「陛下を拘束せよ!」


宰相の声に従い、黒の騎士たちが王の自由を奪った。


「な、何をする! 離せ、余の命令が聞けぬのか!? . . . そういえば、思い出したぞ! 黒の騎士団は余を置き去りにして一体どこに行っていたのか? ディアークをこの場に呼び出せ! すぐにでも言い訳を聞かせてもらおう!」


この場にいない黒の騎士団長を探すかのように視線を走らせながら抵抗する王に、宰相は驚いたような表情を作った。


「陛下、落ち着いてください! この取り乱しよう、やはり吸血鬼に操られているのですね?」


黒騎士に抗う王を尻目に、宰相はいかにも大げさにこの場にいる貴族たちに聞こえるように言った。

その場に居た貴族たちは、「なんと恐ろしい、これが噂の怪物の力か」と互いに囁きあった。


「さあ、殿下」


宰相が、これまで置物となって様子を見ているだけだったフィリップに向かって言った。


「どうか判断をお下しください。いまこの場でそれができるのは殿()()()()なのですぞ」


ハッと顔を上げたフィリップは、威勢を取り戻し大声で命じた。


「父上を捕らえよ! 今の父上は吸血鬼に操られており、正気ではない!」


「何を言っておるフィリップ! 今すぐこの冗談を止めぬようなら、決して許しはせぬぞ!」


父王の迫力に押されたのかフィリップは一瞬ためらうも、より大声でその躊躇いをかき消した。


「父上、お許しください! 必ず、父上を誑かした化け物と反乱軍を討ち、もとに戻して差し上げます」


「これ以上の争いは許さぬぞ、 フィリップ! いいから余を解放するのだ!」


宰相はすっかり動きを封じられた王の前に進み出ると、深く頭を下げて言った。


「ご安心ください陛下、次に陛下がここに戻ってくるころには、反乱軍どもはすべて死に絶え、吸血鬼もこの世から消滅していることでしょう」


眼鏡の奥に潜む暗い瞳が王を見据えた。


「未来はすでに決まっておりますので」


***


一時は騒がしかったものの、すっかり落ち着きを取り戻した王城であったが、それでも人々の囁きがもたらす騒々しさだけは残り続けた。

遠いことのように思われていた吸血鬼の存在が、実際に王が操られたとの知らせが広まり、にわかに恐怖が現実味を帯びていた。数千もの人が一夜で消えたエブロストスの悲劇も、それに拍車をかけているのだろう。

反乱軍と吸血鬼の討伐隊が組織されたと聞いたときでさえ、本当に勝てるのかと不安に思う声が消えることはなかった。


そんな不安に取りつかれていた城の人間たちだったが、王城の中を進む二組の姿を目にして思わずそんな不安も忘れてしまった。それほど、二人の容姿は美しかった。


一人はこの城に訪れたことのある人物なら一度は目にしたことがある。

短い銀髪で整った顔立ちをした男は、気品を宿し、美しい騎士そのものの印象を与えた。

この国一番と呼ばれるその強さは、ただならぬ威厳を与えていた。

その人物こそ、白の騎士団長ユリウスだった。


それに伴われているのは、美しき女性だった。

豊かな金の髪に透き通った白い肌。蒼の瞳はどこまでも澄んでいて、侵すことのできない純粋さを人々に抱かせた。

城に何度も訪れたことのある人物でも、その姿を見たことはこれまで一度もない。

一体あの美しい人は誰なのかと、誰もが視線を引き寄せられた。


あまりにも絵になると周囲に思われていた二人であったが、実際に二人の間には奇妙な沈黙が続いていた。


白の騎士団長ユリウスはちらと横目にその女性を見ると、不気味なものでも見るように目を細めた。

それは、少し前の出来事に起因していた。


吸血鬼に操られた王は、宰相の命令で王都の郊外にある宮殿に囚われることになった。

ユリウスは王を伴いその場所へ向かったのだが、その時に出会ったのがこの女だった。

この宮殿に先客がいることはすでに聞かされていた。幼いときに宰相に連れてこられ、この場所に閉じ込められていたというその女性の存在は。

その人物は未来を予言する異能があることで知られ、聖女の名で呼ばれていた。だが、それはおそらくこの人物への罪悪感のあらわれだったに違いない。


宮殿の敷地へ足を踏み入れて感じたものは、俗世と隔絶された空間に対する異様さだった。

庭園には美しい薔薇が咲き誇っていたが、すべてが真っ白で雪原のようだった。


聖女はこちらを見止めると、すっかり意気を失くした王の前に出て深く頭を下げた。


「お久しぶりでございます。陛下」


「ああ、そうか、お前はずっとここにいたのだな。すっかり大きくなった」


聖女は再び頭を下げると、王に近づき何事かを囁いた。

少し離れていたユリウスには分からなかったが、王がわずかに驚いていたことだけは分かった。

王が連れられていくのを見届けると、ユリウスはもう一つの役目である聖女を王城まで迎えに来たことを伝えようとすると、聖女はそれを止めて先に口を開いた。

ユリウスが言おうとしていることをあらかじめ知っているような対応だった。


「あなたはどうして、宰相様に協力しているのですか?」


ユリウスは王を裏切ったことを咎められたのだと思い、自身の考えを述べた。


「陛下の考える和解には賛同できない。吸血鬼と呼ばれる怪物と相対して感じたが、あれは決して生かしておいていいものではない。あの力がこの国に向けられれば、多くの悲劇を引き起こすことになる。それは、貴方が言い出したことでもあるはずだ」


「確かにそう言いました。しかし、それはあなたの本意ではないでしょう?」


「何が言いたい?」


聖女はあの青い瞳をユリウスに向けた。あまりにも純粋で、恐ろしいと思える瞳を。


「もし、貴方が宰相様に協力する理由が、自らの名誉欲の為であるならば引くべきです。でないと、貴方自身にとって悪い結果となるかもしれません」


「それは予言だろうか」


「いえ、願いです」


ユリウスは、あの言葉の真意を理解していない。

この女性の言葉は全てが的を射ているようにみえて、やはり定まらない。

だが、その言葉の内には何らかの芯があるように思える。この女性の目的は、真意はどこにあるのか。


そんなことを思い浮かべている内に、二人はある部屋の前に着いた。

役目を終えたユリウスがその場を離れようとすると、聖女が振り返った。


「もし、確定した悪い未来と、わずかばかりの希望はあれど最悪の結果となる可能性が高い未来があるとしたら、あなたはどちらを選びますか?」


「何の謎かけだ」


「特に深い意味はありませんよ」


ユリウスは背を向けて歩き出した。


「 . . . 自分の役割を果たせるほうだ」


去っていった白の騎士団長の姿が消えると、聖女は目の前の扉を軽く叩いてから中へ入った。

すると、そこには席について古びた本を手にした宰相の姿があった。


「吸血鬼は . . . 」


入室者に目を止めずに宰相はその本に目を走らせながら語った。


「その本性を神具と同じくしている。肉体は人のものではなく、人の理性を残した兵器と言うことができるだろう。肉体はすべて魔力の塊であり、それゆえ心臓も首も弱点になりえない。たとえ身体に大穴を開けたところで、吸血行為によって人から魔力を奪えばたちまちに傷はなくなるだろう」


「内容を全て読んだのですね」


宰相は顔を上げると、手に持った本を閉じて立ち上がった。


「魔術師ギルドに隠されていたこの手記の著者は、あの吸血鬼と深い因縁があるようです。ここに出てくる神具とは、我々が古代魔道具と呼んでいるものでしょう。そう考えれば、あの吸血鬼もこの手記の著者も、共にはるかな古い時代の産物といえますな。現存する古代魔道具を見れば、その時代の技術力がどれだけ強大であったか分かるものです」


現に、この手記自体にも何らかの術がかけられており、経年劣化がほとんどなければ、読み手によって文字すらその時代のものに変化するようです、と宰相は説明した。


「では、そのような古い時代に生きた吸血鬼が、現代にいるのはどうしてなのでしょう」


「その答えも簡単なこと。魔術師ギルドの研究馬鹿が知識欲ゆえにこの化け物の封印を解いたのでしょう。あそこの連中は、いつでも面倒な問題をもたらしてくれる」


宰相は聖女に歩み寄ると、その古い手記を預けた。


「しかし、どんな時代でも不死の存在を創ることはできなかったようですな。現に、あの化け物は一度敗れてこの時代に来てしまった訳ですから」


聖女はその誰かの手記を手にすると、静かに宰相を見上げた。


「ひとつ、よろしいでしょうか。これで止まるつもりはありませんか」


「止まる?いったい、なんのことでしょう」


「吸血鬼を倒したあとの話です。貴方の復讐は、もう終わっているはずです。貴方が見返したいと思っていた人たちはもうここにはおりません。貴方がこれ以上を望む必要はないはずです」


宰相はまじまじと聖女の顔を見た。


「見ることが出来るのは未来だけだと思っていたが、過去すら見えるとは。しかし、私の過去を見たならば、何と答えるかもすでに知っているはず。無意味な問答はよして、本題を話し合うべきでしょう」


宰相は暗い瞳をどこかに向けると、それを睨みつけながら言った。


「討伐隊は間もなく出発します。その前に、もう一度聞いておきたい。吸血鬼を本当に殺すことができるのですかな」


聖女は顔を伏せて答えた。


「ええ、可能です」

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