死の予言
部屋に入ってきた男に目を向けて、その女性は動揺ひとつ見せずに答えた。
「久しぶりに姿を見せましたね」
王国内で予言の聖女と呼ばれているその女性に声をかけられた宰相は、勝手知ったる様子で椅子を引くと腰を下ろした。
「忙しかったもので。ここしばらくは、次から次に手を打つ必要がありましたからな。しかし、それもあと少しと思えばこそ、楽しく思えるものです」
聖女は立ち上がり、すでに用意していたティーカップとポットを運んでくると、温かい紅茶を入れ始めた。まるで、宰相がここに訪れる時間を前もって知っていたかのように、温度は完璧だった。
聖女はその白い手で紅茶を淹れ終え席に着くと、一口含んでから言った。
「約束を破られましたね」
「おや、何のことですか?」
宰相はとぼけた声を出した。
「 . . . シュペルが、私の弟が死んでしまいました」
一言間があってから返答があった。
「ああ、向こうから襲ってきたので仕方なく。覚えてはいたのですが、咄嗟のことで生かす余裕などなかったのです」
「それだけではありません。先の戦いのこともです。多くの死者を出す方法はとらないと約束していただいたはずです」
先の戦いとは、コーラル伯爵の反乱軍を鎮圧するための親征だ。
親征軍は結果的に多くの町を陥落させ、エブロストス以外の殆どでその命が失われた。
そして、エブロストス攻囲では、親征軍の大半がたった一匹の化物によって壊滅した。
王は未だ帰らず、コーラル伯爵の生死も伝わってきていない。あまりにも混沌とした状況が今だった。
それだというのに宰相は、優雅に紅茶で口を潤しながらも、何でもないように言ってのけた。
「仰る通り、私も死者を出さないように最大限努めました。まあ、結果的に多少の犠牲は出たようですがね」
聖女は静かに目を閉じると、厳しい口調で言った。
「貴方が生き残るためには、私の予言が必要なことをお忘れなく」
その一言で、これまで余裕を表していた宰相の目の色が変わった。
「 . . . おかしなことを言う。まるで、自分が助けてやっているような言い方だ」
そのまま紅茶を置くと、数滴の紅茶が机の上を濡らした。
「お前が "予言の聖女" などと呼ばれるほどの影響力を与えてやったのは誰だ。誰もが疑うお前の言葉を聞いてやったのは誰だ。お前の見た最悪の未来を回避するために協力してやってるのは果たして誰だ!」
宰相は身を乗り出して話している自分の姿に気づき、驚いたように身を引いた。
そして、落ち着きを取り戻すように、いつもの口調へと戻った。
「 . . . どちらが相手を助けているというのではなく、私たちはあくまで対等。あなたは、いつかあなた自身を殺し、この国を滅ぼす吸血鬼を倒したい。そして私も、目的のためにその吸血鬼が邪魔になる。目指す先は同じなのですからな」
「 . . . . . . 」
聖女は口をつぐんだまま、内心まで見通すかのように澄んだ青い瞳で宰相を見ていたが、やがて目を閉じると言った。
「そろそろ戻られた方がよろしいかと思います」
「そうでしたな。長居しすぎるとあの王子が何をしでかすか分かったものじゃない。しかし、まだこの部屋に来た時の最初の問いに答えてもらってませんよ」
「次の予言についてでしたか」
聖女が再び瞼を上げると、そこに映っている何かを見つめるように言った。
「吸血鬼を封じる方策が見つかりました。 . . . いえ、殺す方法が見つかりました」
***
瞼の裏に映るのは、日々痩せ衰えていく母親の姿だった。
まだ大人には程遠い少年には、それを救う手立てなどなかった。
父親はその場にはいない。少年は会った事さえ一度もなかった。
少年の父親はその地の領主で、平民の女の生き死になど興味がないからだった。
やがて母は死んだ。
すべてを失った少年は、教会の新しい墓の前で立ち尽くしていた。
視線を少し横に向ければ、遠くには立派なお城が立っていた。
少年の父親が住んでいる城だった。
そこにはきっと、一つの生活があるのだろう。
一度も顔を合わせたことのない父親は、貴族出身の美しい妻を持ち、子供たちに良い食事とドレスを与えて日々を楽しんでいるのだと噂で聞いた。
父親が同じであるはずなのに、どうしてこうも違うのだろうか。
かたや墓石の前で途方に暮れ、これから生きていけるのかも分からないのに、向こうの子供たちは美しく着飾って、何の不安も覚えずに生きていくのだろう。
生まれがすべて。
そう言われたことはあったとしても、納得は出来なかった。
少年は空を睨みつけた。
もし、貴族に生まれた者だけが恵まれた生活ができ、そうでないものが母のように惨めに死んでいくのが理なのだとするならば、僕がそれを否定して見せる。
それがこの国につくられたルールなのだとしたら、僕が覆してやる。
たとえ、どんな手を使っても。
***
宰相が王城の玉座の間に戻ってくると、すでに大勢が集まっていた。
「遅いぞ、どこに行ってたんだ!」
いつもであれば王が座っているその席から、若々しい声がかけられた。
声にはいささか棘があるも、口元が緩んでいて機嫌がいいのは間違いない。
第一王子フィリップは、まるで自らが王になったかのように玉座の上から見下ろしていた。
いや、王になったかのようではなかった。
間違いなく今のフィリップは、王に相当する力を持っていた。
エブロストス攻囲から王の行方は分からず、未だ戻ってきていないためだ。
この決定に反対はなかった。すでにフィリップは、共同統治者になっていたため、過去の慣習に従って王の代理になったといえば、誰も口をはさめなかった。
「申し訳ありません。少々野暮用がありましてな」
宰相の言い訳には特に興味はないらしく、フィリップは急かすように言った。
「それよりも、早く始めようではないか! 皆も待ちくたびれただろう」
皆と呼びかけられたのは、玉座の間の左右に分かれるように立っている貴族たちだった。
その姿は一様に若い。先の親征で多くの貴族が亡くなったため、その子息が多くを占めている。
彼らの殆どは、いわゆるフィリップの "ご学友" だった。
彼らは皆熱意にあふれていた。これまで父親が独占していた大人たちの世界が、急に自分たちのものになったのだから。真新しい服に身を包み、いかにも慣れない様子で視線があたりにさまよっている。
それはフィリップも例外ではなく、初めて自分の言葉が重んじられる快感に身を浸すようにして、仰々しく言った。
「では、連れてこい!」
その声と同時に扉が開かれると、一人の男が二人の黒騎士に伴われて入ってきた。
後ろ手を縛られたその男は、荒々しい動作で地面に両膝をつけられると、フィリップを鋭い双眸で睨みつけた。
そこにいたのは、蒼の騎士団長のヘルギだった。
捕えられた蒼の騎士団長は居並ぶ若い貴族たちを見渡した後、玉座の上の王子に言った。
「フィリップ殿下、おふざけが過ぎます」
「お前に発言を許可した覚えはない。今日はお前の説教を聞く催しではなく、お前の罪を断罪する場だ。罪人はそれらしい態度を身に付けるべきだろう」
フィリップが片手を上げると、黒の騎士たちがヘルギを地面に押さえつけた。
「さて、それでは罪を裁く前に、その悪事から述べねばならないな。宰相、お前から言え」
「はい、殿下」と一歩進み出た宰相は、重々しい様子で言った。
「蒼の騎士団長ヘルギは、陛下に任された任務を放棄したあげく、陥落寸前となっていたカナンの攻囲を王の命令と騙り中止させた。よって、王命に逆らった罪、王の言葉を偽った罪、そして反乱軍に味方した罪がかけられている」
集まった貴族たちの視線が厳しくなった。
「聞いていたか皆。ヘルギ団長はこのような裏切りを働いた。これほどの大罪を単なる処罰で済ませてよいものか!」
「だめでしょう!」
王子の友人の一人が言った。
フィリップはもったいぶったように悩む動作をしたあとで、「ならばどんな処罰が適当か?」と聞くと、死刑と国外追放の二つの案が上げられた。
「そうか、そうか。だったら、本人の反省しだいで考えよう」
フィリップは組み伏せられたヘルギに向けて、王に相応しいと思う態度で語り掛けた。
「騎士団長ヘルギ。今まで父上に仕えてくれていたお前がどうしてこんな罪を犯したのか、弁明があるなら聞いてやろう」
ヘルギはフィリップを見上げた。
フィリップは、王冠もなければ王に受け継がれてきたマントも身に付けていなかった。
それらは行方知れずの王が持っているため、用意できなかったのだ。
その姿を見上げながらヘルギは、ゆっくりと息を吐いた。
「カナンの陥落を、いや、この戦い自体を、陛下は望んでいないと思ったからです」
フィリップはどんな言葉に対しても受け答えできるつもりでいたが、この返答には思わず呆けてしまった。
「父上が望んでいない? 何をおかしなことを。親征を決めたのは父上じゃないか」
「ええ、戦うことを決めたのは確かに陛下です。しかし、私の仕えている君主は、そのような争いを好まれないかただったはずです」
フィリップは混乱したように空を見上げていたが、やがて考えがまとまったのか再びヘルギに視線を向けた。
「父上の本心がどうだったかは分からない。だが、お前はあくまで父上が望んでいるだろうから、行動したというのだな?」
フィリップがちらりと横を見ると、すました顔の宰相が目に入った。
その顔を見たフィリップは、再び正面を向くと小さく口の端を上げた。
「ならば分かった。お前が犯した罪は本来であれば許されざるものだ。しかし、お前が父上のためにと考えた結果らなば、温情も与えるべきだろう。どうだ、俺に忠誠を誓ってくれるならお前を生かしてやろう」
宰相が顔色を変えた。
「殿下、それはいけません。罪を犯したら罰する、それが大事なのですぞ。許してしまえば、王としての威厳が . . . 」
「黙れ、俺はこいつに聞いているのだ! それで、答えは?」
フィリップを見上げるために顔を上げると、視界の端に今にも呪い殺さんばかりに睨みつける宰相の姿があった。若き王子は宰相を出し抜けるとでも思っているのか、早く答えを聞きたがっているように玉座から身を浮かせた。
しかし、ヘルギは首を振ると答えた。
「私はすでに陛下に忠誠を誓っております。これを破り、貴方に忠誠を誓うことは出来ません」
フィリップは何を言われたのかと一瞬呆けるも、理解すると同時に怒りが湧いて来た。
「裏切り者の分際で、よくも言えたな? もういい、温情を与えようと思ったのが間違いだった! さっさとこいつを牢屋にぶち込め! 処罰は死刑! 追って日程は指示する!」
フィリップは怒りのあまり叫んでいた。
後ろで宰相が得意な顔でもしているだろうと思えば、なお怒りは収まらない。
居並ぶ貴族たちもその決定に賛成したように頷いていた。
処罰が決まり、黒の騎士がヘルギを立ち上がらせようとしたときだ。
一人の黒騎士が入ってくると、人を避けながら宰相のもとまで駆けて行った。
そして、耳打ちされた宰相はにわかに目の色を変えた。
フィリップがその様子を見て何があったのかと問いかけると、宰相は皆にも聞こえる声で言った。
「 . . . 陛下がご帰還されたようです」
フィリップの顔は青ざめた。




