止まった秒針
すでに夜は更けていた。
先ほどまで起きていた惨劇が嘘であったかのように、世界は静けさに包まれている。
アイティラの足取りは重かった。その場所にたどり着かなければ、目にしなければ、時間は永遠に止まってくれるのではないかと思っているかのように。
そんな彼女と道中にすれ違った人々は、一様に顔をこわばらせ、少女を遠巻きに眺めるのだった。彼らの目には、怯えと疑心がはっきりとあった。
やがて見えてきたのは、コーラル伯爵がいると伝えられた部屋だった。
部屋に近づいたとき、その扉がひとりでに開いた。もしかして、と思い身を強張らせていると、出てきたのは予想に反して金髪の青年だった。
アレクは思い詰めたように下を向いていたが、アイティラに気づき顔を上げると、無言のまま視線で扉の先を促した。促されるままに部屋に入ると、それを確認したかのように扉は閉められた。
部屋の中は不思議と整っていた。あの老執事が整えたのだろう。
窓は閉ざされ、薄暗い室内で本来であれば互いの顔もよく分からないほどだった。
それでもアイティラには良く見える。見えてしまう。
寝台の上で弱々しく寝そべっている姿が、片腕が無くなっていて、その苦痛に耐えているのか、または熱病に耐えているのか、額に汗をかき苦しげな表情のコーラル伯爵の姿が、はっきりと見えていた。
伯爵は音で気づいたのだろう。暗く見えていないとしてもアイティラの方に顔を向け、苦しいはずなのに、その表情を穏やかに緩めた。
「来てくれたのか。 情けない姿を見せてしまって、すまないな。 いま、身体を起こすから」
伯爵は身体を起こそうとしたものの、思うように力が入らなかったのか、途中まで起き上がったところで再び横になってしまった。アイティラはすぐに駆け寄って、無理しなくていいからと伝えると、伯爵は静かに虚空を見つめた。その虚空に映っているのが何であるのか、アイティラには分からなかった。
「一つ、君に謝りたいことがあったんだ。 聞いてくれるかい」
「 . . . 謝りたいこと?」
アイティラには、何のことか心当たりがなかった。
「私の目的に関するものだ。じつを言うと、私の望みはとうに果たされていた。かなり早い段階でね」
伯爵は言葉を続けた。
「 . . . 私の本来の望みは、王を倒すことでも、復讐を果たすことでもなかった。ましてや、自らが陛下に成り代わろうなんて、考えたこともなかった。私の本当の目的、望みは、この場所、この城に戻ってくることだった」
アイティラは頭を上げて、伯爵の様子を窺った。
伯爵は、本当に穏やかで懐かしむように、目元を和らげていた。
「この城の裏手に墓があるのを見たことがあるだろう。 そこに、私の妻と息子が眠っているのだ。私には、. . . 息子がいた。正義感が強く、とても純粋な子だった。それがいけなかったのだろう。気づいたときには、王宮で罪をかぶせられ処刑された後だった」
上げられた片腕が中空をさまよった。
「息子の遺体だけはどうにか帰ってきた。そこで、この城の裏手の墓に納めたのだ。しかし、王宮の要求によってそれすらも奪われた。私はこの都市を永遠に失い、二度と踏み入ることが出来なくなった。その後の私は、この城に、妻と息子のもとに戻る事だけを望んだ。 . . . 悪魔にだって頼りたくなるほどまでに」
アイティラは言葉を継げなかった。
その出来事は、アイティラにはないものだ。
伯爵とアイティラが出会う前の、物語。
アイティラが関わることのできない、"家族"の記憶だった。
だがそこで、虚空を見ていた伯爵の目が、初めてアイティラに向けられた。
「アイティラ嬢、君にはとても感謝している。君のおかげで、私はこの場所に帰ってくることができたのだ。そして、この場所に戻ってきたことで、ようやく私は執着から離れ、前を向くことができたのだよ」
優しい目がアイティラに向けられた。
「私はここに戻ってきて、初めて私を慕ってくれている者たちに目を向けることができた。君が居て、その後にアレク君とシン君が来て、私にもまだ役目があることに気づかされた。この場所に戻ってくることが終着点であったはずが、いつの間にかその先を望むようにもなっていた」
穏やかなに笑う伯爵は、その場を探すように視線を巡らせた。
「シン君もこのあと来てくれるのかな」
アイティラは表情を隠せなかったが、幸いなことに暗くて伯爵には気付かれなかった。
「どう、だろうね。 . . . 忙しそうにしてたから、難しいかもしれない」
「そうか、君たちには大きな負担を残してしまったな。すまない」
伯爵はその点を強く気にしているようだった。
「本当は、最後まで見届けたかったのだが . . . 。私にはまだ、取るべき責任というものが残っている」
伯爵の中空に伸ばされた手が、力なく落ちそうになった。
アイティラはその手を両手でつかんで、努めて明るく聞こえるように言った。
「治るよ。大丈夫」
「そうだな。そう言ってもらえるなら安心だ」
苦し気だった息が落ち着いて、伯爵は安心したように目を閉じた。
どうやら眠ってしまったようだ。
アイティラはすっかり静かになってしまった闇のなかで、伯爵の手を握り続けた。
静かになって初めて気づいた秒針の音に視線を向けると、窓辺には見覚えのある置時計があった。
以前はぽっかりと空いていた窪みには、緑色の石がはめ込まれていた。
カチ、カチ、カチ . . .
その規則正しい音につられるようにして、アイティラの意識も薄れて行った。
カチ、カチ、カチ . . .
. . . . . .
. . . . . . . . .
アイティラは額に柔らかな光が当たるのを感じて顔を上げた。
どうやら眠ってしまったようだ。
「伯爵 . . . ?」
時計の針はいつの間にか止まっていた。
***
見慣れた、というより変化の起きない止まった時の部屋で、いつものように目を開く。
頭の中には、つい先ほどまで見ていた光景が強く焼き付いていた。
それは、夢ではない。
だれかの記憶でもない。
それを言い表すとすれば、寓意であり、印象であり、形のない思念だ。
これから起こる出来事、もしくはすでに起こった出来事が、形を成さないままに頭の中に浮かんでくる。
そして、たった今見ていたその出来事が、あまりにも意外なものであったために、一人の部屋で呟いてしまう。
「今のは . . . まさか . . . 。 いえ、そんなはずは . . . 」
再びその光景の続きを見ようと目を閉じるも、もはやそれは叶わない。
生まれつき与えられた能力は、呪いは、本人の意思に関係なく光景をよみがえらせ、その真意すらはっきりさせないまま消えていく。
これまでだって、そうだった。
その時、部屋の扉がたたかれた。
部屋の主人は思索をやめ、扉の方に視線を向けると、主人の返答がないにもかかわらず扉を開けて入ってきた人物がいた。
「ここまでは全てうまくいっている」
開口一番そう答え、我が物顔で部屋に踏み入った男、宰相の役を与えられている男は言った。
「さあ、次の予言を聞かせてくれますかな」




