真綿で首を絞められるように
ダリエルの町の商館の一室、質のいい椅子に腰かけた王が一人の貴族を相手に不機嫌そうに眉を寄せていた。相手の貴族は戦いに来たというのにこんなところでも華美な服装を纏うことは忘れていなかったが、その衣服も泥にまみれてしまっては無様という他ないなと、黒の騎士団長ディアークは思った。
「して、逃げて帰ってきたのか? 仮にも余の軍を名乗っておきながら、あの反逆者に背を向けたとほざくのか?」
王の声に明確な怒りが宿っているのに気づいたのか、ミヘーヌ包囲に失敗した老貴族は深く身を縮めている。王の背後で、この商館に泊まっていた二人の貴族が、この老貴族にあからさまに馬鹿にした視線を向けていた。
「 . . . 申し訳ありません」
老貴族は屈辱に身を震わせて答えた。
俯けられた顔はきっとものすごい形相をしているに違いないと、ディアークは思った。
しかし、王は老貴族の抑えたような声が臆病から来たものだと思ったらしい。
「何を怯えておる!? 次こそは討ち取って見せると意気込むこともできんのか! もうよい、余自らが出向いて反逆者を懲らしめてやる!」
この言葉に、王の背後で先ほどまで馬鹿にしていた二人の貴族の顔が青くなった。
王が出向くということは、自分たちも共に危険な場に出なくてはならないからだろう。
陛下御自らが出向く必要はありますまい、などと必死に止めようとしているが、王はなかなか翻意しない。このまま見ているのも面白かったが、万が一失敗でもしたら面倒なことになるので、ここでディアークは口をはさんだ。
「陛下、ここは私にお任せいただけませんか?」
「なんだ、お前まで余が出るべきではないというつもりか!」
「いえ、私も騎士でありますので、勝利を敬愛する主君に捧げたく思うのです。陛下に戦わせてしまった日には、騎士の名折れと責められることになりましょう」
王はしばらく悩んだ末に納得したようで、反乱軍の、ひいてはその首魁のコーラル伯爵の首を何としてでも取ってこいと厳命した。ディアークは必ずと言うと、その部屋を後にして部下たちが集まっている部屋に入り、開口一番言った。
「誰か地図を持っていないか? このあたりの主要な町と村の位置が分かるものなら何でもいい」
団長の言葉に反応して地図を探し始めた黒の騎士たちを眺めながら、ディアークはあの場では押さえていた本来の表情が現れてくるのを感じた。騎士の一人に地図を差し出された時には、ディアークは獲物を追いつめた獣のようににやりと酷薄な笑みを浮かべていた。
「悪いが、戦場はこっちで選ばせてもらうぜ」
手の中で地図をもてあそびながら、ここにはいない相手に向けて言った。
***
コーラル伯爵はミヘーヌの町を離れて、別の場所へと向かっていた。
目的地は、伯爵にとっても何年も過ごした思い入れのある町カナンだ。
この町が、現在包囲のただ中にあるとの報を掴んだのが、わずか二日前だった。
本格的に戦いが始まったことにより、村人の避難をさせていた赤剣隊たちも急ぎ呼び集められ、赤剣隊二千と兵士五百が縦列になって進んでいた。
兵士たちは体力があり、整備せれていない道であっても問題なく進めていたが、赤剣隊のほうは慣れない様子でどうしても遅れてしまい、それにあわせて全体の行軍は遅くなっていた。
カナンの町まであとわずかに迫った時、先行して偵察していた兵士が戻ってきた。
報告された数字を聞いて、伯爵は迷ったような声を出す。遅れて登場した兵士長が不思議に思って聞いた。
「何か悪い報告でもありましたか?」
伯爵は釈然としない様子で兵士長を振り向いた。
「いや、決して悪いものではない。むしろ、いい知らせといえるだろう。カナンの町を包囲している人数の報告を受けたのだ」
「少なかったので?」
「 . . . 五百だそうだ。包囲しているのはわずか五百。しかも、装備も粗末なものであったらしい」
兵士長も思わず眉を寄せてしまった。
五百、その数字は町の包囲としてはあまりにも少ないように感じられる。
特に、ミヘーヌの町で敗れた直後のことなのに、ミヘーヌの時の四分の一ほどの戦力しか置かないのは、不用心というより愚かとしか言いようがない。
「 . . . もしや、何らかの罠でしょうか?」
兵士長の言葉に驚く様子を見せないところを見ると、伯爵もすでにその考えには至っているらしい。
しかし、仮に罠だとしてどんな罠であるのかは分からなかった。それに、たとえ分かったとしても、取る道は変わらなかっただろう。
「罠だとしても、あの町を見捨てる選択肢などない。 私に取れる選択肢は、勝つまで戦い続けることだけだ」
「ええ、そうでしたね。とっくに引き返す段階など過ぎていました」
兵士長と伯爵は互いの顔を見合わせて、静かに笑いあった。
太陽がまだ上っている中で、カナンを包囲していた五百は矢が届かないギリギリのところで集まっていた。そして、散発的に城門に近づいては矢を放ち、すぐに引き返してはまた待機するということを繰り返していた。
カナンの防衛側も、繰り返される応酬に慣れては来たものの、常に警戒していなくてはいけない緊張に心身ともすり減らされていた。
そんなカナンを視界に収めた伯爵は、「進め!」と大きな一声を上げるとともに、馬に乗って一斉に駆け出した。伯爵の騎馬隊五百が怒涛の勢いで攻め上れば、その背後に壁のように大きく広がり進んでくる赤剣隊が現れる。そちらは騎馬ではないために歩みはおそくても、視界に訴えかける数の威圧感は尋常ではなかった。
包囲していた五百はそれを目にして、思わず悲鳴を上げた。
彼らは戦う選択肢など考えることもなく、一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
その様子は、明らかに戦いに慣れた者の姿ではない。
兵士長が追いますかと聞くと、伯爵はやはり追わないでいいと答えた。
カナンの町の防衛は、思わぬ出来事に驚いていたようだ。
しかし、助けに来たのがかつてのこの町の主人であると分かると、城門をあけ伯爵と赤剣隊を迎え入れた。この時はまだ、町の人々は伯爵たちの到着を喜び、いくつもの歓声が聞こえた。
その日は城壁に見張りを置いたが、再び敵が現れることはなく、この町は久しぶりに安心して眠ることが出来た。
動きがあったのは二日目のことだった。
伯爵は久しぶりに戻ってきたこの町の館の中を歩き、懐かしさを味わっていたところで、突然呼び出されたのだ。急いで城壁の上まで登ってみると、昨日伯爵たちが襲撃をかけたあたりの場所に、不吉な黒い集団が現れたのだ。彼らはカナンから離れた位置からこちらを覗き見るように止まり、町をめぐるように大きく旋回するように移動を始めた。決して近づいてくることはなく、襲う様子も見せないながら、どうしても恐ろしいと思いう気持ちが湧き上がってくるのを抑えきれなかった。
ふと、先頭を走っていた一騎が立ち止まり、伯爵と目が合ったような気がした。この距離では、その顔も判別できないはずなのだが、伯爵には妙な確信があった。
そして三日目、黒の集団が再び現れたがそれだけではなかった。
黒の騎士団と共に現れたのは、ミヘーヌの町やこの町を包囲していた連中のように、装備も粗末な集団だったがその数が問題だった。
おおざっぱに数えても千はいるように思える彼らは、町を見下ろせる位置に留まることになった。
カナンの人々はその軍を見て、口々にささやきあった。
この時であれば、もしかしたらまだ勝機は残っていたのかもしれない。
四日目、五日目になるにつれ、伯爵の目にも明らかなほど彼らは数を増していった。
いまや三千ばかりまで膨れ上がっている。彼らは決してカナンに近づいてくることはなく、カナンの町からも良く見える位置で威圧感を振りまき続けていた。
黒の集団も常に姿を現し、どんな意図があるのかゆっくりとカナンの周りを巡り始めた。
もし明日になったら、と。
目覚めてみたらさらに数と勢いを増している包囲軍を想像してぞっとした。
このまま手をこまねいて待っていれば、どれほどの数まで膨れ上がるのか想像もつかなかった。
そして、伯爵にはもう一つ大きな懸念があった。
それは今朝起きた小さな諍いである。
この町の一人が、赤剣隊の一人に言ったのだ。
「お前たちは戦いもしてないのに、いっちょ前に食料は持っていくんだな」と。
これを聞いて激高した赤剣隊の一人が、その男に掴みかかったのだ。
幸いにもすぐに駆け付けた赤剣隊の隊長が、町の住民にあやまりつつも、仲間なのだから火種を生み出す言動は慎んでほしいとどもりながらも説得した。
たしかに些細に思える出来事だが、赤剣隊と住民の関係が日に日に悪化しているのは明らかだった。
何より、その住民がそう口にしたい気持ちも伯爵には分かる。
包囲が長引いているせいで、この町の食糧は枯渇していた。外から入ってくる食糧は皆無で、この町にある食糧で賄わなければいけない。しかし、それにも限りはあるわけで、パン一つの値段がつり上がっていた。そんなところに、新たに二千五百人分の食糧を賄わなければならないとなれば、食糧不足を促進させるには十分すぎた。
大金を払って飢えをしのいでいる彼らからすれば、不満を持つのは当然のことだろう。
反対に、向こうはどうだ。
包囲している連中の食糧事情まで分からないが、未だ動かないということはどうにかなっているのだろう。その食糧がどこからやってくるのか、そんなことは容易に想像できる。このあたりにある町や村から奪ってくれば、その間は飢えることはない。
伯爵はゆらゆらと徘徊している黒の集団を睨みつけた。
「そちらから攻めるつもりはないということだな。時間はこちらの敵であり、何もせずとも勝手に滅んでくれると。嫌なことを思いつく奴もいたものだ」
黒の集団の先頭にいた男と、再び目があったような気がした。
「潮時か . . . 。どうか、これからの私の選択が誤りではないように」
伯爵はもう一度黒の集団を振り返ると、城壁の上から姿を消した。




