悲劇の幕開け
コーラル伯爵は馬上から、張り詰めた空気を漂わせる周囲を見渡して息を吐いた。
エブロストスから南東に少し離れたセントエルの町では、人々は落ち着きなく行き来し、町を歩く武装した兵士や赤剣隊を不安げに見上げている。
大きな声が一つ響いただけで緊張が走り、赤子の鳴き声が聞こえ始めると途端に周囲の視線が集まる。
その不安をかき消そうと赤剣隊が掲げた旗が、虚しく風に煽られていた。
王が反乱軍の鎮圧のための親征を決めたことは、すでに全員に知れ渡っていた。
コーラル伯爵が知ったのも、彼らの噂からだった。
いずれ全面対決になることは初めから分かっていた。
コーラル伯爵は噂が真実だと分かるやすぐに行動した。村々をめぐり、城壁のある付近の町へ避難させたのだ。もちろん抵抗はあった。これまで過ごしてきた村を離れることは、そこで生まれ育った村人からすれば納得できないだろう。だからこそ、その際には必ず伯爵自らが出向き、熱心に説得を繰り返した。危険性を説き、避難は一時的であることを伝えたこともそうだが、一番は伯爵が真摯に説得を繰り返したことが彼らの心を動かした。
いま町の城門から赤剣隊に護衛されて入ってきたのも、避難してきた村人であった。
赤剣隊の隊長レイラは、若いながらも寝る間も惜しんで活動し、避難も順調に進んできている。
全てを整えるにはもう少し時間が必要だったが、この調子でいけば終わりも見えてきそうだった。
周りから励まされている赤剣隊の女隊長の姿を眺めていると、その後方から馬を駆って進んでくる兵士の姿があった。人にぶつかりそうなほどの速さで向かって来るそれを見て、伯爵の心に冷たいものがよぎった。
兵士は伯爵の前まで来ると「伯爵様!」と声をあげたが、その後の言葉がつっかえたように続いてこなかった。伯爵が落ち着くように言ったのは、兵士の顔から血の気が消えていたからだ。
兵士はハッと意識を取り戻した。
「し、失礼しました。我々を討伐する軍が、ついに現れました」
周囲にいた人々も兵士に注目し、漏れ聞こえた言葉から互いに顔を見合わせあう。
「ついに来たか。それで、どれほどの規模の軍だった」
「それが、何と言ったらよいか。. . . 初めて目にするような大軍です。一つの町を呑みこむような大軍が集結しておりました。奴らはまずダリエルの町に向かったようで、それであの町は . . . 」
伯爵は喉が渇いていることを感じながら、問いかけた。
あの町は、どうなったんだ、と。
「ダリエルの町が陥落しました。人々は殺され、略奪され、もはや元の姿を残してはいません」
この兵士の言葉が、戦いの始まりを告げる鐘となった。
***
黒の騎士団長ディアークは、馬に乗ってゆっくりとダリエルの町に一歩踏み入れた。
しかし、彼に注目する視線は少ない。
それは、一歩遅れて到着したその人物がすべての視線を集めていたからだった。
白馬に跨った王は、赤いマントを羽織り、頭上には王冠を載せた姿で現れた。
光を失った人々の目が、虚ろに王に向けられた。
「陛下、少しここで待っていていただけますか。この町が安全かどうか、先に様子を見てきます」
「ああ、分かった。頼んだぞ」
王のもとに部下を数人残して、ディアークは一人で町中に進んで行く。
そこに広がっていたのは、まさに人が造り上げた地獄の様相だった。
窓と扉は破壊され、路上には元は何に使われていたか分からない木片や布切れが散乱している。
そして、家屋の外には恨みがましい目をしたこの町の住民が立たされており、土足で入り込み家の中を物色する兵士たちを黙って見過ごしている。もちろん、兵士どもが探しているのは金目の物であり、興味がないものは燃やされるか破壊されていた。
ある場所では、若い娘が家から引き出され、父親らしき男が兵士に懇願して縋りついていた。父親は容赦なく殺され、娘の方は裸に剥かれたあと暗がりに引っ張られて行った。
半日前までは普段通りの日常が営まれていたとは、信じられない光景だ。
ディアークはそれを見て、美しくないと思った。
略奪している兵士といっても、彼らは領主たちに引き連れられてきた農民だったり貧しい者たちに過ぎない。だから、防具などないに等しく武器も剣一本だけだ。
彼らは金銭を領主に奪われることを非道だと言うくせに、奪う側に回った途端にどこまでも残酷になれる。まるですべての勝者であるように欲を発散し、立場の同じような相手から奪っていく。
ただ、美しくないからと言って、嫌いではなかった。祭りのように騒がしい悲鳴と怒声は、ディアークの心をわずかとはいえ満たしてくれた。
やがて行きついた先は、以前訪れた際に目をつけていた商館だった。
見た限りこの町では一番大きな建物で、ここにいる商人がこの町の代表というところだろう。
商館の前に待機していた部下がディアークに気づいた。
「ディアーク団長、商人たちを捕縛しておきました。中に居りますのでお入りください」
「ああ、逃がしたやつはいないか」
「主要な者は全員そろっていると思います」
建物に入るとその一室で、後ろで手を縛られた男たちが黒の騎士に囲まれていた。
ディアークが声をかけて彼らの前に現れると、商人たちの視線が集まった。
「さて、俺が黒の騎士団の代表だ。話は俺が受け付けるぜ。まず、あんたたちが捕まっている理由は分かってるんだろうな」
商人の内、若い男が勢いよく声を上げた。
「分かるわけないでしょう、どうして我々を捕らえるんです!? 我々は別に反乱軍の人間とは通じておりませんよ」
「反乱軍に与している町にまで食料を運んでいただろう。これは立派な反逆行為じゃないのか?」
「そんな、ただで与えてるのではなく、商売として売っているだけです。値段も以前より下げているわけでもなく、むしろ上げてすらおります!」
「値段なんてどうでもいいんだ。その町々に売ってること自体が問題なのさ。それに、商売を通じて反乱軍と連絡を取り合っている可能性だってある」
「そんなことーー」
「ないとは言い切れないだろう?」
若い商人の言葉にかぶせるように言うと、相手は押し黙った。
ディアークが彼らの処分はどうしようかと考えていると、別の老いた商人が口を開いた。
「我々が反乱軍と関りがないと証明ができないことは分かった。だが、この町の人間は違うだろう」
「何が言いたいんだ」
「この町は反乱軍に味方しているわけではない。君たちの第一隊がこの町に来た際に、王の軍を受け入れると伝えたはずだ。それだというのに君たちは、この町を襲い始めた」
「 . . . さあ、それは知らんね。受け入れるって言ったって、裏切られて寝首を搔かれる可能性だってあったはずだ。だから、仕方がないんじゃないか」
「 . . . 裏切ることなど絶対になかった。この町に君たちの軍に抵抗する力などないことは、前もって分かっていたはずだ。裏切ることがこの町の死を意味していることなど、そちらの人間誰一人として気づかなかったことなどありえようはずがない」
「ふうん」
ディアークは目を細めて、肩を震わせて笑った。
その姿を不気味なものでも見るように、老いた商人は見つめていた。
「面白い話だったが、あいにくと俺には興味がないね。 . . . さて、あんたたちの処遇だが、この商館を捨ててどこかへ行ってくれるなら命は見逃してやろう」
「商館を? そしたら、俺たちはどこで生きていけばいいんだ」
「それはそっちが考えてくれ。ああ、もちろん、ここに保管されているものは全て置いて行ってもらうぞ。倉庫にあるものも全てな」
「そんな横暴ーー」
若い男がいきり立ち、ディアークに掴みかかろうとした。
しかし、隣にいた老いた商人がそれを制した。
どうして止めるんですか、そんな若い男の声に対し、生き残るためだと老いた商人は言った。
ディアークはもう役目は終わったと感じ、彼らを残して商館を後にした。
商館の前に止めていた馬を部下から受け取り、再び元来た道を戻る。
血の匂いが漂いはじめ、憎悪の視線が騎士団長に集中した。
王のもとにたどり着くと、二人の貴族も共にいた。
この親征の戦力は、黒の騎士団以外はすべてが各地の領主たちが率いてきた兵だった。
もちろん、彼ら二人もそんな兵を率いて来た貴族たちだった。
「いや、それにしても壮観でしたな。ラッパの音とともに王都から出発する軍隊は。まさに、陛下の呼びかけに集まった者がこれだけいることが、王国が陛下のもとに一つにまとまっている証といえましょう」
「私も陛下からお声をかけられた際には喜び勇んだものです。もう少し時間があればさらに多くの兵を集められましたが、すでにこれだけいれば心配ないでしょう。むしろ、戦う前からあの伯爵だった者のほうから地面に頭を擦りつけて降伏を願い出るのではありませんか」
「ふん、たとえ降伏を願い出たところで今更許す気にはなれん。むしろ、今後二度とこのようなことが起きないよう徹底的に叩き潰してやるつもりだ」
素晴らしいお考えです。そんな言葉が続いたところで、ディアークは王のそばまで近づいて報告した。
「陛下、今夜の泊まる場所を確保いたしました。王城とは比べられぬほど劣りますが、この町で一番大きな館ですので、そちらでお休みされてはいかがでしょう」
「ふむ、そうか。. . . ということだ、二人も見に行かないかね」
「ええ、移動で疲れましたからな。休みたいと思っていたところです」
王と貴族二人を案内するため、ディアークは商館へと向かう道を再び通った。
その間、彼ら高貴な三者の視線は、不幸に見舞われたこの町の人間には一度も向けられることはなかった。




