魔術塔への訪問者
王都の西方にある小都市ウェザーン。
この都市を、他の都市と区別する時にその特徴を口にするとしたら、まず第一に中央に位置する石の塔が上がるだろう。ここは、王国における魔術研究の最先端を行く魔術師ギルド本部であり、 "魔術塔" と呼ばれている建物だった。
この建物には所属している魔術師以外に人が訪れることはめったにない。それは、ここが外部との関わりを拒絶し、魔術の探求にのみ生涯を捧げたいと願う者たちの集いでもあるからだ。
だがこの日は珍しくも、この魔術師ギルドに来訪がある日だった。
魔術師の一人ラケルは、この日は共同研究室の机で魔術書をいくつも広げて目を走らせていた。
彼の研究課題は詠唱や魔法陣などを使わずに魔術を発動させる、無詠唱魔法についてだった。
その技を一目見た時から羨み、嫉妬していた彼は、それを自身で再現することだけに残りの人生を捧げると決めていた。その結果が、二徹によるひどい目のクマだとしても、死ななければいいと割り切っていた。
そんな彼の肩を叩いたのは、灰ローブの若者だった。
「すみません、ラケルさん。少しいいですか?」
小声でささやくような声に視線を向けると、利発そうな生気のある顔に迎えられた。
「どうした? 今は少し忙しいから、急ぎでないなら後で . . . 」
「その、お客さんがお見えになっていて . . . 」
客? そう問い返しながら思い返してみるが、来客の予定などなかったはずだ。
だが、ここに来る人間は概して変わった連中が多いため、突然来ることもそれほど珍しい事ではない。
面倒だと思いながらも、ギルド長はここしばらく塔に戻ってきていないため、いずれにしろ誰かが対応しなくちゃいけない。頭の痛みに顔をしかめる。
「だったら、お前が対応してこい。 なに、難しい事じゃないんだ。 適応に相槌打ってやって、丁度いいところでさりげなく帰るよう誘導するんだ。 嫌だなんて言うなよ、何事も経験だ」
そう言って再び魔術書に目を落とすも、若者はまだ何か言いたいことがある様子だった。
「なんだ? まだ何かあるのか」
「いえ、お客と言いましたが、正確に言うとうちに加入希望の人でして、その . . . 」
「だったら、加入試験でもしてこい。確か試験項目を定めた紙がどこかに . . . 」
「それが少し特殊な方たちでしたので、来ていただきたいのです」
特殊だって?
その質問に返ってきたのは、目の前に示された白色のプレートのようなものだった。
「どうやら冒険者らしいです。それも、Sランクの . . .」
***
塔の内周に沿って半円を描く石階段を下りると、知らされていた通りに三人の人物が待っていた。
Sランク冒険者だと伝えられていたこともあり、深い知識を蓄えた賢者の様な人物を想像していたが、そこにいたのは意外にも若そうな見た目の者たちだった。
一人は表情の乏しい青年で、髪で隠れていない片目はずいぶんと鋭い。その横にいるのは、幼さを残すどこにでもいるような少女の姿だ。
そして、こちらが本命だろう。黒のローブを身に付けた人物がその二人の前に立っていた。
フードを深くかぶり顔を隠しているが、わずかに美しい金髪が見え隠れしている。その何か秘密を隠すような態度が、実力を測ることを困難にさせていた。
ラケルは背後にここまで呼びに来た若者を伴って、彼らの前に出て行った。
その疲れ切った顔でどこまで通用するか分からない、不器用な愛想を浮かべながら。
「 いやぁ、魔術師ギルドにようこそいらっしゃいました。 ええと、それでうちに加入したいとお聞きしたのですが . . . 」
「あ、ああ、そうだ。 僕を魔術師ギルドの一員にしてほしい」
返ってきた声に、やはり若いとラケルは内心穏やかではなかった。
冒険者におけるSランクがどれほどの能力からなれるものなのかは知らないが、最高位というからにはそれなりにすごいのだろう。それをその若さで成したのだと思うと嫉妬の気持ちが湧いてくる。
その事が表情に出てしまったのだろう。目の前の黒ローブの青年からも慌てた反応が返ってきた。
「ど、どうしたんだ。 そのプレートが怪しいと思うのなら調べてくれて構わないぞ。 偽物ではないことが分かるはずだ」
「 . . . い、いやいや! 実力を疑っているわけではないのですよ。 ただ、冒険者ギルドからどうして魔術師ギルドに移ろうと思ったのか気になったもので」
「な、なんだ、そういうことか」
咄嗟のごまかしがきいたのか、黒ローブは大きく胸をなでおろしていた。
そして、まるで何かを思い出すかのように顎に手を添えると、ぽつりぽつりと語りだした。
「確かに僕は今まで、その、冒険者ギルドで活躍していたわけだが . . . 。そこで活動している内に、あの場所にいても魔術についての腕が上がるわけじゃないことに気づいたんだ。 だから . . . だな . . . 」
青年は何かを考え込むように地面を向いた。表情は隠れていて見えずらいが、どこか必死な様子をラケルは感じ取った。
もしや、冒険者としての活動の中で、途轍もなく壮絶なことがあったのかもしれない。それを思い出しているために、言葉に詰まっているのではないか。この若さでその実力ならありうる。
そうラケルが考えていると、無表情の青年が傍により、何かを耳打ちし始めた。
うん、うん、と頷き終わると、黒ローブの青年は気を取り戻すように頭を上げた。
「すまない、続けさせてもらう。 実は冒険者として活動している内に、このままでは魔術の腕が上がらないと直感したんだ。 僕が求めるのは、魔術の . . . そう "真理" というべきものだ。 これは冒険者として魔物を退治するだけじゃ得られないことだ」
「真理 . . . ですか?」
「ああ、僕は純粋に魔術を極めたいんだ。 報酬や名誉の為ではなくね。 それは貴方たち魔術師ギルドにも当てはまるのではないかな。 魔術を極めることだけを目指し、熱情を持ち続け探求する姿こそ、僕が目指す者であり、尊敬する者なんです!」
その時、ちらりの覗いた深緑の瞳は真っすぐで美しいものだった。
そこにある光は、おそらく若者特有の熱情だ。そう直感すればこそ、ラケルはこの青年が本気で魔術の探求を望んでいるかに思われた。そして同時に、先ほどまで感じていた嫉妬がばかばかしく感じた。
「確かにそうだ、君の言うとおりだ!」
その興奮に浮かれて叫ぶと、黒ローブの青年は驚いたように肩をはねさせた。
「素晴らしい。 魔術を純粋に求めるもの、それこそがこの魔術師ギルドに必要な心得だ。 野蛮な冒険者からうちに移ろうという決断は、全く正しいものだ」
「. . . ということは、僕は受け入れられたのだろうか」
「もちろんだ。 魔術を求めるものを拒む理由はない」
この言葉を聞くと、黒ローブの青年だけでなく、後ろの二人も安堵したように緊張が和らいだ。
そのことに気づき視線を二人に向けると、途端に表情を強張らせた。
「ああ、この二人は、僕の使用人と言うか、助手の様なものだ。 この二人も魔術に興味があるから、一緒に入れてほしいんだが」
「ふむ、まあいいでしょう。 誰が怒るわけもないでしょうし」
ラケルは唯一口出ししてきそうなギルド長を思い浮かべてから、どうせ戻ってこないんだし別にいいだろうと思いなおした。そして、後ろで経緯を共に見ていた灰ローブの若者の肩に手を添えると、これまで取りつろっていた愛想が消えて、代わりに疲れ果てた声が出た。
「この建物の案内でもしておいてくれ。 しっかりしたものでなくていいから、使っていい設備の場所とかを教えてやるんだ。 終わったらいつもの場所に呼びに来るように」
灰ローブの若者は、めんどくさそうな表情を浮かべた。
建物の案内は簡単に進んで行った。
一階から階段を上がると、そこには多くの魔術師がいた。多くは壁際を埋め尽くすような背の高い本棚から本を手に取り、それを熱心に読み込んでいたり、錬金台のようなもので何かを作っていたり、何人かが集まって熱い議論をしていたりと様々だった。
案内していた灰ローブの若者も、初めとは違いだいぶ打ち解けた口調になっていた。
「ここが、基本的には作業場です。 他の人たちも、大体はこの場所で各々活動してます。 さっきのラケルさんもこの階を探せば見つかりますよ」
そんな風にして、二階全体を見て回り、三階も見て回った。
三階は魔術塔に泊まる場合に使う個室や、共有の施設があるだけだった。
若者の案内に従う三人は、終始そんな建物の内部を探るようにきょろきょろ視線を動かし続けていた。
「そんなに面白いですか?」
不意に飛んで来た質問に、三人は固まった。
「 . . . この建物の中がどうなってるか、初めてみるからな。. . . 気分を害しただろうか」
「いえ、別に珍しい構造をしているわけでもないので、そこまで真剣に見ているのが意外に感じただけです」
そうして、三階も見回った後、若者は一瞬上に視線を向けたが、すぐに三人を振り返って笑顔を見せた。
「これで案内は終わりました。そろそろラケルさんのもとに戻りましょう」
「ああ、ありがとう」
若者の背中を追いかけるように黒ローブの青年が一歩を踏み出したとき、不意に近くの少女が黒ローブの青年の耳元で囁いた。
「この建物、まだ上があるよ。外から見た高さだと、後二階分はありそう」
「それは僕も気づいてた。案内しなかったのはする必要がないからなのか、何か隠しているのか」
そして反対側からも、小声で無表情の青年が語り掛けてくる。
「それと、この塔は地下もあるようです。一階に下へ続く階段がありました」
「そうだったのか。いずれにせよ、今のところ受け入れられているのは幸いだ。どうにかして、その地下にも何があるのか調べないとな」
そうささやきあっていた三人に、灰ローブの若者は不思議そうに足を止めて振り返った。
「何か言いましたか?」
「我々三人でこの塔の良さを話し合っていただけだ。気にしないでほしい」
そうですか?と不思議そうに再び進みだした若者を視線で追いかけて、アレクは再び小声で二人に目標を伝えることにした。
「この塔のどこかに古代魔道具の"水晶球"があるはずだ。それを奪えさえすれば、親征も上手くはいかないだろう。怪しい場所を探して、必ず見つけ出す」
三人は心にそのことを隠したまま、そうとは知らないラケルのもとに到着した。
その紺色のローブの男は、他の魔術師と同じように、食い入るように魔術書に目を通しているところだった。
案内を終えた灰ローブの若者は彼に声をかけると、そのわずかに充血した目が向けられた。
「終わったか、存外早かったな。じゃあ、次はお待ちかねだな」
灰ローブの若者は何かを察し、興味を持った目でアレクを見つめた。
そして、周りで自分の研究に没頭していた魔術師たちも顔を上げ、この新人たちに注目を向けた。
この事態に、アレクは内心怯みながらも、実力ある魔術師としての姿をどうにか保とうとした。
「そ、それは一体なんのこと . . . 」
「決まっているじゃないか。 君の魔術を見せてもらいたいのだよ」
アレクは表情が隠れていることに感謝しながらも、引きつった顔で尊大な受け答えをした。




