王都へ
エブロストスの正門に歓喜の熱狂が響き渡る。
兵士たちが駆け巡り伝えたのは、コーラル伯爵の出立の知らせだった。
「私は戦うことにした。この土地を見捨て、騎士の剣にて切り捨てようとしている王から、この地に住むすべての者を守るため、我々は死力を尽くして戦い抜く覚悟である」
それは、いよいよ王との対決が迫ったことを示していた。
怒りにより生まれた反乱、その決着ともいえる戦いがついにこれから始まるということ。
そう思えばこそ、それを望んでいたエブロストスの民衆は、その勝利を望み叫ぶのだ。
『伯爵様万歳、勝利を!』と。
その声は、恐怖の裏返しであったかもしれない。しかし、幾重にも重なり、あたかもこの城塞都市全体が蠢いているような大音声は、彼らの勇気を奮い立たせていた。
伯爵に付き従うのは、まずは五百の兵士だった。
長槍を手に鎧で武装した彼らは、長年伯爵に付き従い帝国との戦いを幾度か経験した手練れである。
それを率いる大柄な兵士長には、伯爵も深い信頼を置いている。
そして、それの四倍近くの赤剣隊が集まっていた。
かつてこのエブロストスを取り戻した際に組織された民兵隊は、確かに戦いなれていない素人集団ではある。しかし、何よりその人数と、自ら志願したことによる士気の高さはそれを補ってあまりあるものであった。この民兵隊の隊長であるレイラは、周囲に渦巻く熱気に酔ったのか顔を青くして吐きそうになっており、それを副隊長の男に支えてもらっていた。
準備は万全である。
あとはこの歓喜の中、エブロストスの門をくぐり、この城塞都市から離れて戦いに出るのみだ。
一つ息を吐き心を落ち着けると、帝国との戦の時に使ったのと同じ愛馬に近づいた。
もうかなりの歳になっているこの馬は、戦いの前でも常に落ち着いて主人を背中に乗せてくれる。しかし、この時は一体どうしたのか、伯爵が乗ろうとするとその身体を揺さぶり激しく抵抗したのだ。
おっとと、と伯爵は声に出した。
一体どうしたころだろう。こんなことは初めてだった。もしや、この熱気に興奮したのだろうか。
伯爵が愛馬を落ち着けるようになでてやると、しばらく抵抗を続けたのちに、悲し気に頭を垂れて大人しくなった。身体をなでてやると、わずかにあばら骨が浮き出ているのに気づいた。
「そうか、もうずいぶんと歳をとったのだな。お互い」
伯爵は感慨深げにつぶやくと、馬に跨り外へと続く門を見つめた。
すでに若者三人は、夜のうちにこっそりこの都市を後にしていた。あの三人の役目も大役ながら、伯爵たちの役目も重要なものだった。彼らが成功を掴むためにも、こちらの役目を十全に果たさなければ。
後ろを振り向けば、心強い味方がいる。
ならば、何を恐れる必要があるのだろう。
「準備はよいか!全てを終わらせ、再びこの地に戻ってこよう!勝利に彩られたるエブロストスの門を、皆で再びくぐるために!」
今一度大きな歓声が上がった。
***
大きな都をぐるりと囲む巨大な城壁。等間隔に並ぶ背の高い城塔。
そして、東西南北の門から真っすぐ伸びる大通りに、中央を突っ切るように流れる河川。
馬車が通りを走り、人々が行き交い、商人の声が響くこの場所が、この国の中心部だと言われると確かに納得できるものだ。
かつて誰にも見つからないよう細心の注意を払って脱出したこの王都に、今アレクはシンとアイティラという二人を連れて、再び戻ってきていた。
灰色の外套で姿を隠した二人に黒のローブの一人が、敵の根城とでもいうべきこの場所に来ているのは、ひとえにアレクの作戦によるものだった。
"王都から黒と白の騎士団を引き離して、その隙に王を取る"
あまりにも単純で、大胆にも思えるこれが、アレクが考える勝ち筋だった。
この黒と白の騎士団を王都から引き離すという部分は、コーラル伯爵に任せてある。たとえ、黒と白の両方を引き離せなかったとしても、片方でもいなくなるだけで十分勝機はあった。
そちらは任せるとして、もう一つの王を取るという部分を成し遂げるために、アレクたちは王都にいた。空っぽになった王都で、王を取れる位置にいる人物。蒼の騎士団を率いるヘルギのことだった。
アレクたちが王都に来ていることは、伝令役の騎士を通して前もってヘルギに伝えていた。
そしてその返答が、王都を流れる川に架けられた橋を目印とし、騎士の一人と落ち合うというものだった。いつ行動を起こすのか、王とその周辺に変わりはないか、それもこれもすべては王都の状況を知らなくては決められない。
「しかし、遅いな」
目立つことは避けたいのに、白昼堂々と人の往来の激しい場所で待ち続けるというのもなかなか神経をすり減らすものだ。
「もう直接会いに行った方がいいんじゃない?」
「直接って、何処にだ」
「王城に詰めてるんでしょ? だったらその周りで蒼の騎士団の人を探そうよ」
「. . . もうちょっと待とう」
普段であればまったく聞き入れないそんな提案でさえ、ここまで待たされればそれもありかと考えてしまう。すでに約束の時間から三時間が経過していた。
「もしや、騎士をこちらに寄越せないような不測の事態が起こったのではありませんか?」
控え目でいてしかし重大な意味を持つその言葉に、アレクは勢いよく片目の従者を振り向いた。
「不測の事態? まさか、蒼の騎士団の離反がばれたとでもいいたいのか?」
「そこまでではありませんが、警戒されいて不用意に動けない可能性も考えられるかと」
「っ!」
それはあまりにも嫌な展開だった。
もし蒼の騎士団が何らかの理由で封じられてしまえば、騎士団を王都から引き離したところで意味がなくなる。
いや、そんなことはない。
アレクはダリエルの町でも、ヘルギと直接会う時は人が少ない場所を選んでいた。何度か公衆の前で直接会った時はあったが、たとえ見られていてもアレクの正体を知る者はかなりの少数なのだ。ならば、そう簡単にアレクとヘルギのつながりがばれるはずがない。
いや、それとも見落としていることがあるのか?
考えれば考えるほどに、思考は悪い方へと傾いていく。
一旦疑い始めれば、何もかもが怪しく見え、自分の立てた作戦にすら自信が持てなくなってくる。
このままではまずいと思いながらも止まらない思考を遮ったのは、特に考えもせずに発したような少女の声だった。
「紋章が付いた馬車がさっきから良く通るけど、あれってなんの紋章?」
アレクが不意に顔を上げると、確かに目の前の橋を通り過ぎていく馬車が目に入った。
車体には言われた通りに紋章があり、アレクはそれが南方の一地方を治める公爵位を持つ貴族のものであることに気づいた。それは真っすぐと進んで行き、アレクたちの前から姿を消した。
「. . . どうして王都に? いや、待て。さっきからよく通るって、あれ以外にも紋章付きの馬車を見かけたのか?」
「目の前を通っていったじゃん。見てなかったの?」
「. . . 何台くらいだ?」
「えっと、四か五くらい」
おかしい。
たしかに、王都に屋敷を持つ貴族も多く、貴族を乗せた馬車が通ること自体はおかしい事ではない。
だが、これほどまでに通るとなると、別の何かがあると考える方が自然だった。そして、その馬車が向かっていった方向は王城のある場所だ。
「見に行って来る」
ぽつりと口にした言葉に、二つの視線が向けられる。
「見に行くって、じゃあここで待つのはどうするの?」
「これだけ待って来ないなら、もう来ないんだろう。別に少し見に行くくらい、問題ないじゃないか」
「しかし、一度入れ違いになれば、次に蒼の騎士団と連絡が取れる時がいつになるか分かりません。離れるのは良くないかと」
そんなことは分かっている。
だが、なにか不測の事態が起こっていて、アレクが立てた作戦がすでに破綻しているのではないかと悪い考えに陥れば、その答えを早く知りたかった。王城で何かがあり、そのせいで蒼の騎士団が動けないだけで、蒼の騎士団とのつながりがばれたわけではないと安心したかった。
アレクは悩みながら二つの顔を眺めると、ついに決断を下した。
「シン、悪いがここで待っててくれないか」
「. . . まさかアレク様、本当に向かわれるつもりですか?」
「そのつもりだ。向こうで何が起こっているのか知らずにいて、取り返しのつかない事態に陥ることは避けたいからな。それに、相手の騎士はお前の顔も知っているはずだ。もし連絡役がやってきても、お前さえいれば上手く落ち合えるだろう」
「それは分かりますが、やはり危険です!お一人ではーー」
「一人じゃない、護衛役も連れていく」
アレクに視線を向けられたアイティラは、目を丸くした。
「. . . 私のこと?」
「そうだ。それ以外に誰がいる」
この言葉に、シンは思わず硬直した。それは予想していなかった言葉に対する驚きだった。
表立って対立していたわけではないが、この二人の間には初めから溝があった。
アイティラは敵意、アレクは不信。だからこそ、シンはこの二人が近づくことで、二人の関係が険悪になり主人のアレクが危害を加えられることをずっと恐れていた。
ならば、やはりおかしい。ダリエルを出たあたりからその溝が少なからず埋まったというのか。自分の知らない間に、何かあったのだろうか。
今なお不安はある。何を考えているか分からない化け物に、主人を託すことへの抵抗もある。
しかし、それでもーー
「分かりました。お二人ともお気を付けて」
主人がそれを許しているのに、自分がその溝を再び広げるわけにはいかない。従者はそう考えた。
指定の場所にシンを残し、二人は紋章付きの馬車が向かった方へと進む。
進むにつれ、人の流れも二人と同じ方向へ流れていくようだった。人の波にながされていくと、その流れが途中から二つに分かれ、中央に道が現れた。その中心で黒のサーコートを身に付けた騎士が目を光らせ、道の両側に集まる民衆を監視している。
「何が起きてるんだ?」
まるでこれから、その道を名のある誰かが通るかのように整えられた場は、これから何かが起こることを予感させた。それでも、これは何の儀式であるか分からないアレクのつぶやきに答えたのは、近くに居たこの王都の住人と思われる男だった。
「なんだ、あんた知らずにここに来たのかい。三日前からお触れが出てたのに知らないなんて、さては遠くの町から来たんだな」
アレクはその声に肩をはねさせたが、相手はアレクの正体に全く気付いた様子はないようだ。外套をすっぽりかぶっているのもあるだろうが、そもそも顔を見られたところで、気づかれることはないだろう。アレクは安心して、情報を引き出すことにした。
「あ、ああ、そうなんだ。遠くからきて、今何が起きているのか知らなくてな。一体何が始まるんだ」
「お祝いだよ、お祝い」
「. . . 祝い?」
「第一王子のフィリップ殿下がいるだろう。それが、共同統治者になったらしいんだよ」
アレクはしばらく考え込み、ようやくその単語を頭の奥底から引っ張り出した。
共同統治者とは、次代の王となる者を早々に政務に携わらせるようにすることで、統治の仕方を事前に学ばせる仕組みとされている。だが、実質的な意味は統治を学ぶことではなく、言ってしまえばそれは次の王の指名としての役割がほとんどだった。王国初期の動乱期に多用され、安定した今ではすっかり過去のものとなっていたその仕組みを、今になって復活させる?
どういう意図か分からなかった。もしかして、アレクに王位が移る可能性を少しでも排除したいのだろうか。だが、こんなことをしなくても、王位継承権第一位は第一王子の兄なのである。
だったら、わざわざ共同統治者という過去の仕組みを引っ張り出す必要も、初めからないのではないだろうか。
すっかり深く考え込んでしまったそのとき、歓声が広がった。
広場の中心からアレクたちの所まで、波のように伝わってくる。
誰かが姿を現したことは間違いない。
アレクはその姿を見ようとしたが、眼前を人々の背に隠されてしまいその光景が見えない。
その先に、一体何があるのか。誰がいるのか。
その答えは、あまりにも遠いせいで、聞き逃してしまいそうな声によって届けられた。
「皆さま、お静かに。これよりフィリップ殿下がお目見えになります」




