大悪人
アイティラは、暗くなってきた夜の道を、ぼろい馬車の中から眺めていた。
その顔は馬車に乗ったばかりの機嫌の良さはどこに行ったのかと言わんばかりに、不機嫌な顔をしていた。
アイティラが大昔に読み聞かせてもらった絵本の旅人は、馬車の中にゆかいな仲間たちを乗せて旅をしていた。
だがしかし現実は、おんぼろの馬車に同乗者は陰鬱な様子の3人の子供。おまけに同行者は、明らかに盗賊か傭兵と言った悪人顔が7人である。
おまけに道も整備されていないため、馬車は常にガタゴトと大きく振動している。
「ねえあなた、いつになったらそのダリエルってところに着くの?」
暇になったアイティラは、御者の男に話しかける。
「ああ?もう少しだからおとなしく待ってろ。」
御者の男はそれだけ言って、すぐに前を向いてしまう。
次にアイティラは、馬車の中にいる3人の子供の内の、長い茶色の髪をした少女に話しかける。
「ねえ、あなたはどこから来たの?」
茶髪の少女はその言葉に反応を示すこともなく、ただ俯いているだけだ。
次にアイティラは、その少女の隣にいた、気の弱そうな顔をした少年に話しかける。
「あなたとっても顔色が悪いけど大丈夫?」
気の弱そうな少年は、俯き目を合わせてくれないものの、小さくうなずいている。
そんな様子を見ていた黒髪の少年ハンスが、アイティラに話しかけてきた。
「なぁ、あんた、あんたもこの人たちに捕まったんだろ。
ならなんでそんなに平気な顔をしていられる?」
アイティラはハンスのそばに行き、その目をまじまじと見つめる。
その様子にハンスはわずかに気圧されつつ、目をそらして言葉を続ける。
「こんな子供をさらうやつらが、俺たちをまともなところに送ってくれると思うのか?
よくて奴隷として生きられて、最悪、狂ったやつにもてあそばれて死ぬかもしれないんだぞ。」
アイティラはその言葉を聞いて、静かに疑問を投げかける。
「それが分かっているのに、なんであなたはここにいるの?」
ハンスはその言葉に強い怒りを覚えて怒鳴った。
「逃げられないからに決まっているじゃないか!
俺が好きでこんなところにいるとでも思っているのか!?」
「うるさいぞ!!」
御者の男がこちらをにらみつけて怒鳴った。
その声を聴いた瞬間ハンスは、おびえた顔をして黙り込む。
アイティラはその様子を見ながら口を開いた。
「ねえ、あなたは自由に生きるにはどうすればいいか知ってる?」
ハンスは不貞腐れながらも、アイティラの言葉に嫌味を返す。
「自由に生きる?夢を見るなら眠ってからにしてくれ。
もう捕まっている時点で、僕らに自由なんてないんだよ。」
ハンスはその言葉に、目の前の少女が顔を歪めて嫌そうな顔をするものだと思っていた。
だがしかし、ハンスの言葉を聞いた少女は、その赤い目を細めて大人びた微笑を浮かべた。
「だったらわたしがあなたを自由にしてあげる。」
ハンスはすぐさま「そんなことできるはずがない!」と言葉を続けようとすると、不意に馬車が動きを止めた。
なにが起きたのか気になったハンスは馬車の前方に視線を向ける。
そこには小奇麗な執事服に身を包んだ片眼鏡を付けた老人と、身長が2mは超えるのではないかという大男がいた。
そんな奇妙な組み合わせの二人に向けて、御者をやっていた男が頭を下げる。
「遅くなり申し訳ありません、ロラント様。
本日は4名の子供を連れてまいりました。」
ロラントと呼ばれた執事服の老人は穏やかな笑みを浮かべている。
その優しさを感じさせる笑顔は、どう見ても悪事を指示している男の顔には見えない。
「いえ、気に病む必要はありませんよ。
こちらの事情に踏み込むことなく、子供たちを連れてきてくれるあなたたちには感謝しているのです。
では、こちらは今回の報酬となります。お受け取りください。」
そう言ってロラントは、チャリチャリと硬貨がぶつかる音のする袋を御者の男に手渡す。
「それでは、子供たちの方を連れてきていただきますか?」
御者の男が了解を告げようとする前に、馬車から一人の少女が降りてくる。
「ねえあなた。あなたは悪い人なの?」
少女は優しく微笑んでいるロラントに向けて質問する。
御者の男はギョッとし、ロラントに失礼な口の利き方をする少女に怒鳴ろうとするが、それより早くロラントが言葉を返した。
「それは難しい質問ですね。
自身の幸せのために他人に不幸を強制することが悪なのだとしたら、私は悪人ですね。」
ロラントは特に気にしていないようだが、これ以上この少女がロラントに向けて失礼な口を利かないよう、馬車の周りにいた6人の男のうちの一人が少女に近づく。
だが、自身に近づいてくる男に全く視線を向けないまま、少女はロラントだけを見ている。
「ふーん、そっか、それなら私は大悪人だね。」
突如何かがものすごいスピードで振り下ろされる。
何が起こったのか、少女を見ていた男たちには分からない。
ただしかし、ロラントはわずかに顔を歪め、ロラントの横に並んでいる大男は少女をにらみつけている。
一拍遅れて、風切り音の正体が知らされる。
「あぁ、あああぁ!うっ、うでッ、腕がああああ!!」
少女の口を閉じさせようとしていた男の腕が、きれいに切り落とされている。
人さらいの男たちは、仲間の叫びを聞きながら、何が起こったのか必死に理解しようとした。
そして気づいた。目の前の平凡そうな少女が、いつの間に手に持っていたのか、その幼い姿に自身の身長ほどもある長剣を握りしめているのだ。
その剣は、禍々しい形状をしており、血のような赤色に漆黒の2色で表現されている。
剣先からは、新鮮できれいな血がぽたぽたと滴り落ちている。
そんな剣を持っている少女は、人ひとりの腕を切り飛ばしたことを感じさせないままの様子で言葉を続ける。
「でも、仕方ないよね。正直わたしは相手が悪人でも善人でもどっちでもいい。
ただ、わたしの前に立ちふさがるのなら殺すだけ。それが化け物というものでしょ。」
少女はそう言って、素早い動きで残りの人さらいたちを殺していく。
少女の動きはとてもきれいだった。いうなればそれは、多くの人間を殺してきたことで、相手を効率よく殺すための動きを理解している剣だ。
御者の男は、目の前で起こっている惨劇が信じられなかった。
あんなに小さな少女が、自身の仲間を一方的に殺していくのだ。
こんなのは悪夢以外の何ものでもない。
自分以外の仲間が全員、地に倒れ伏したころ、最後にとっておいたデザートだと言わんばかりに、少女は嬉しそうに御者の男を見た。
御者の男は、このままでは目の前にいる化け物に殺されると思い、恐怖した。
だがしかしこの化け物が自分だけ殺さずに残してくれたことに対し、わずかな希望を抱きそれに縋りつく。
「もっ、もうこんな悪いことはしない!
あんたにも本当にひどいことをしたと思っている!
だから、殺さないでくれ、いや、ください!!」
御者の男は、自身のプライドというものを投げ捨てて、必死に命乞いをする。
そんな男を見て化け物の少女は、愚かな人間に許しを与える女神のような、慈愛に満ちた目を向けた。
「ねえあなた、ここまで馬車に乗せてくれてありがとう。
とっても楽しい旅だった。」
その言葉を聞いた御者の男は、自身が生き残れる可能性が見えたことに、心から歓喜した。
だがその希望は続く少女の言葉によって絶望に変わる。
「でも、旅には出会いがあれば、必ず別れが来るものでしょう?
だからあなたとはここでお別れ。さようなら。」
そう言って、少女の慈愛に満ちた笑みは、悪魔が愚かな人間をあざ笑うような笑みに変わっていた。
死の間際に、御者の男は自身が盛大な勘違いをしていたことに気づく。
昔からよく言われていたではないか、悪魔は人に甘い夢を見せてから、その人間を絶望のそこに落とし込むと。
御者の男は、目の前にいる悪魔のような化け物に、信じて縋り付こうとした己を盛大にあざけりつつ、化け物に声をかけてしまった己の不運を呪ってその生命を終えた。




