交錯
燃え盛る教会、すでに動かなくなった男を腕に抱え、少女は立ち尽くしていた。
『化け物め、俺を殺すんだろう。俺の仲間たちと同じように、小石を蹴飛ばすみたいな感覚で殺すんだろう!ならばやれ、この略奪者!人間から奪い続ける、赤き血に濡れた怪物よ!』
すでにこと切れた死体の吐いた言葉。それでも、その言葉が未だ心を支配し続けるのは、それと同じ怒りをかつての自分も持っていたからだ。力を持った絶対者が、抗えない弱者を支配する。そんな構図を忌み嫌っていたはずなのに。
「. . . うるさい」
***
ダリエルで起きた一連の騒動は、一応の決着を見た。
ゼルフォンス率いる傭兵団は火を放ったり略奪したりと暴れたが、大部分は蒼の騎士団の活躍により捕えられ、残りは散り散りとなって逃れた。幸い、騎士団の動きが早かったおかげで、町の被害も時間が癒してくれるだろう。悔やまれるのは、傭兵団を指揮したゼルフォンスという男が、混乱に乗じていつの間にか姿を消していたことだった。
そして、アイティラにとっても喜ばしいことがあった。
「え、えと、ど、どうして私の服を、脱がそうとして . . . 」
「傷がついてないか見ないといけないから」
「け、けがはしてないです!き、聞いた限りだと、眠ってただけみたいですし、だ、大丈夫です!」
「じゃあ、どこも痛くない?」
「え、えと、頭が少しいたいかも . . . い、いえ!大丈夫です」
昏睡していた赤剣隊の隊長がついに目覚めたのだった。
レイラはベッドに上体を起こして、すぐ横で心配し続けるアイティラに困ったように眉を下げる。
本当は歩いても全然問題ないのだが、それを見たアイティラが不安になるので、ベッドの上から離れるわけにはいかなかった。そして今も、どこかに怪我をしていているのではないかと、アイティラはそばを離れようとしない。
「眠ってたってことは、その間のことは何も覚えてないの?」
「え、えと、そうです。すみません、何もお役に立てなくて。皆が大変な時に、わ、私だけ、眠ってて」
「. . . レイラが頑張りすぎたから、こんなことに巻き込まれたの。次からは、一人で危ないことしないで」
レイラはごまかすように下手な笑いを披露して、アイティラはそれに不満顔をした。
それでも、レイラは申し訳なさそうに、落ち着かなげに視線をさまよわせた。
「あッ!」
「どうしたの?」
「あ、いえ、ここで目覚めるよりも前の記憶を少し思い出して。よ、よく覚えてないんですけど、空に浮かんでいる誰かが、私を助けてくれたような気が . . . 」
「空に浮かんでる人? . . . 夢だと思うよ」
「いえ、でも」
「夢だよ」
小さな部屋で、二人だけの話を続けた。
その会話を、部屋の扉越しに黙して聞いていた男は、静かに目を伏せた。
「夢ではなかった」
扉から背を離すと、大剣の鞘と鎧がこすれて小さな音を立てた。
男は思い詰めたように扉を振り返りながら、扉の先の人物が本当に記憶にあるあの姿と同じ人物であるのか、信じられない気分だった。
そこに、軽い足音が男へ近づいて来た。
「すまない、待たせて。ん . . .? 扉を見て、何か気になる事でもあったか?」
「いえ、なんでもありません。アレク殿下」
金髪の青年は足を止めると、自身よりも頭一つ分大きい蒼の騎士団長を見上げた。
「今回は助かった。お前が居なければ、この町はもっと酷いことになっていただろうし、僕も . . . 死んでいたかもしれない」
「感謝を述べるのは私の方です。行方をくらませていた殿下が、まさかこちらにいらっしゃったとは驚きましたが、出会えて幸いです」
ヘルギにはアレクに対して嫌悪や軽蔑の色はなかった。反乱に加担しているというのに、そこに敵意はない。その事実に背を押され、アレクは緊張した面持ちでヘルギに言った。
「. . . 蒼の騎士団長、ヘルギ・セアリアス!父上ではなく、この僕に仕えてはくれないか!」
唐突な言葉にヘルギは目を丸くして、若い第二王子の姿を凝視した。
「僕はなにも、逃げ出すためだけにこの場所に来たわけじゃない。コーラル伯爵のもとにいるのにも、理由がある。お前も、今の父上が信用ならないことには気付いているだろう。貴族たちに過剰に力を寄せ、国が荒れるままにしていることだって、とっくに知っているだろう」
「それは . . . 」
「だからだ!父上ではなく、僕の方についてほしい。お前が味方になってくれれば、この反乱の成功に大きく近づく。何の力も持たない僕だが、どうか力を貸してはくれないか?」
ヘルギは口を閉じ、真剣に見上げてくるアレクの姿に眉を寄せた。
「貴方に仕えるということは、陛下を裏切ることになります。確かに、私も今の陛下のお考えに賛同できるわけではありませんが、一度陛下に忠誠を捧げた身としてそれは . . . 」
「それは分かっているつもりだ。だが、今回の機会を逃せば、二度とチャンスは訪れないだろう。コーラル伯爵も、僕も、共に居なくなった後、反乱の旗頭となる人物が再び現れるとは思えない。ここで決めなければ、二度目はないんだ。僕と父上、どちらに味方するかだけでも、ここで決めてほしい」
「 . . . . . . 」
アレクの言葉が、決意のほどを伺わせた。
ヘルギとて、この勧誘に心を揺さぶられなかったわけではない。
だが、ヘルギはこの第二王子のことをほとんど知らなかった。そもそも、アレクと親しい間柄の人物というものが、存在しなかったと言っていい。
父王に疎まれた青年は、王宮でも周囲から見放されていた。それに反発するように、アレク自身も人との関わりを避け、心の内を誰かに明かすことはなかった。
だから、アレクの人間性というものを、ヘルギはこれまで知らなかった。だが、この町で出会ってからの短い間でも、この金髪の青年が信用に足る人物であると、ヘルギに思わせていた。
「アレク殿下、返答を少しお待ちしていただいてもよろしいですか」
「いつまでだ?」
「一度、陛下を説得してみます。それでも駄目な場合は、アレク殿下に協力しましょう。ですが、殿下に仕えるわけではなく、あくまで協力するだけです」
「父上を説得できるとは思えないが . . . いや、分かった。それでは、そのようにしよう」
ヘルギの言葉に、あからさまな安堵を表に出している姿は、まだ"若い"と言えるのかもしれないが、それでもそれが欠点だとは思えなかった。
この青年が覚悟を示したように、自分も覚悟を決めるべきかとヘルギは考えた。
これで、ひとまず話は終わった。そこで、ヘルギは最後の不安の種であるあの話題について、いよいよ聞き出すことにした。
「アレク殿下、最後にお聞かせ願いたいことがあるのですが」
「ん、なんだ。何でも聞いていいぞ」
ヘルギを味方にできたことで上機嫌なアレクに対して、ヘルギは心を落ち着けるように一呼吸した。
「この扉の向こうにいる、あの少女についてーー」
***
与えられた執務室で、静かに筆を走らせる。
正式な手紙というのはどうしても神経を使う。
とくに、相手が高位貴族の面々だと、本当につまらない事でも文句を言って来るのだ。そんなつまらない矜持ばかりに執着するから、裏から回される手に気づかず破滅するのだと言ってやりたくなる。
それでも、この手紙たちはその面倒を補って余りあるほど大事なものなのだ。
無能貴族相手にへりくだるのもそろそろ終わりだと思えば、ペンだこの痛みなど些事に感じる。
集中して筆を走らせていると、扉がノックされた。
顔を上げて返事をすると、黒のサーコートを纏った男が機嫌よさそうに入ってくる。
「いやー、遅くなった、遅くなった。陛下の方にも報告する必要があるなんて。聞いたところで何が変わるわけでもねえのに」
そういえば、手紙に集中しすぎて忘れていた。
ダリエルの町へ行っていた蒼の騎士団と黒の騎士団が王都に戻ってきていたのだった。
目の前の男にはダリエルの町でとある調査を依頼していたから、その報告のために来たのだろう。
黒の騎士団長ディアークは、広げられた手紙に一瞬視線を向けたが、興味無さそうにすぐにそらされた。
「それで内容は?」
「まずは小さなことから報告するが、帝国の人間が入り込んでいた。反乱軍と繋がって、王国の力を削いでおきたいってところだろ。ちなみにこれは、その帝国の奴が持ってたやつだ。お土産として持って帰ってきた」
黒の騎士団長は円筒形をした道具を、宰相の執務机に乗せた。
「そこのレバーは引いちゃだめだぜ、机に穴が開いちまう」
言いながら黒の騎士団長はあたりを見回し、部屋の隅に置かれている椅子を見つけると、勢いよくそこに腰掛けた。
「. . . これは後で調べてもらうことにしましょう。それより、帝国のことではなく早く本題に入ってもらえませんかな?」
「本題ね、それなら見つかった。それはもうあっさりとな」
「やはりコーラル伯爵の勢力に与していたと?」
「そうだろうな。調べるように言われた時はびっくりしたぜ。まさか、ヘルギ団長が見たって言ってる"吸血鬼"を調べて来いだなんてよ。でも本当にいるんだから驚きもいっそう増すってものだ」
「そうですか、後で吸血鬼の特徴について教えてもらえますかな。他には報告は?」
宰相に眼鏡の奥の陰険な目つきを向けられながら、黒の騎士団長ディアークは考え込むように唸った。
「他には . . . ああそうだ、ヘルギ団長、もしかしたら寝返ってるかもしれねえぜ」




