馬車の旅
暗い暗い森の中を一人の少女が歩いていた。
少女は紺のローブに身を包み、森の中を慣れた足取りで進んでいく。
ローブの隙間から見える黒髪は、肩にかからないくらいの長さで切られている。
背丈は小さく、瘦せっぽちで、どこにでもいるような少女だった。
ただ少女の特徴的な赤い目が、見るものを惑わすような妖しい光を纏っている。
そんな少女アイティラは、深く考え込んでいた。
「自由に生きるって、どうしたらいいんだろう。」
少女は今より少し前、己の封印を解いて一緒に過ごしてくれた大事な人に、自由になっていいと告げられた。
だが、自由とはどういうものかが分からない。
自分に都合の悪いものを全部壊して自由にふるまえばいいのか、はたまた常に街を移動し続け、旅人のような自由を求めればいいのか分からない。
できれば自身の自由を願ってくれた人であるオスワルドに直接聞きに行きたいが、そういったこともできなくなってしまった。
ただ、一つだけ分かっていることもある。
オスワルドの血を吸って吸血鬼の姿になったときに、少しだけ記憶を思い出した。
その記憶では、自身は魔道具によって支配され、当時所属していた国によって戦争をさせられていた。
毎日毎日人を殺すために走り回り、つかの間の休息を得られたと思えば、敵国が攻めてきたとの報告が入る。
初めは人を殺すことは忌避していたはずなのに、殺しを重ねるうちに精神は摩耗し、いつしか人を殺すのを楽しんでいた。そんな記憶だ。
あの生活は自由とは真逆の位置にあった。
だとしたら、自由に生きるために何よりも避けるべきなのは、自分の行動を縛る首輪をつけられないようにするべきだ。
そんなことを考え込んでいたアイティラは、不意に前方に複数の人影を見つける。
どうやら向こうもこちらに気づいたようで、こちらを見て嫌な類の笑みを浮かべている。
そのうちの一人がこちらに近づいてきて言った。
「おー、おー、おー、こんな森の中で子供が一人でいるなんて不用心だな。
俺たちはこの先のダリエルに行くから一緒について来いよ。」
ダリエル?文脈から察するにおそらく町か何かの名前だろう。
少女は町への道のりが分からず、このままではしばらく森をさまよい続けることになっていたため、ちょうどいいと思った。
「それならよかった。わたしも人がいるところに行きたいと思っていたの。」
その言葉に、話しかけた男は鼻白み、ニヤニヤした笑みを引っ込める。
「そ..うか、なら早くこっちに来い。」
男はアイティラの腕を強引につかみ、仲間のもとへ向かう。
そうして男の指示のもと、アイティラはぼろい馬車に乗りこんでいった。
その様子を静かに眺めていた、男の仲間たちは面白いものを見たと話しこんでいる。
「おい、このガキほんとに俺たちが、町まで馬車に乗せてくれる親切な人だと思ってるぞ。」
「俺ならこんな身なりの恰好した男たちが森の中にいたら、すぐに盗賊か傭兵のたぐいだと疑うね。
こんなホイホイついてくるなんて、きっとまともな両親に育てられなかったんだろう。」
そんな仲間たちの様子を見ながら男は馬車の手綱を握りしめて言う。
「おい、いつまでも喋ってないで早く進むぞ!
このままだとダリエルにつくのは真夜中だ!」
そう言って男は馬車を進めた。
***
「ねえあなた、名前は?」
その声に馬車に乗っていた少年ハンスは顔を上げる。
初めは、馬車に乗っている、自分と同じく連れてこられた2人の友人のどちらかだろうと思っていた。
だが、目の前でこちらをのぞき込んでいるのは、自分と同い年くらいの赤い目の少女だ。
ハンスはどこかぼんやりした気分のまま少女を見る。
少女はこの場にはふさわしくない笑みを浮かべている。
その様子にハンスは、わずかな侮蔑と憐れみを抱いた目を向ける。
「何もわかってないんだな。」
その言葉を向けられても、少女は何もわかっていないような顔をしている。
ハンスは答える気力が尽きたとばかりに視線を下に向ける。
そんな静寂が支配する中、馬車の外側の会話がこちらまで届いてきた。
「まったく、無駄に抵抗しやがって。もうこんな時間になっちまったじゃねーか。」
「まったくだ、さっさと子供を引き渡してくれりゃ殺さずに見逃してやったのによー。」
何やら外が騒がしい。
どうやら外の男達が、とある話で盛り上がっているらしい。
ハンスはその話が、何のことについてなのか知っている。
「ハン、戦っても死ぬだけなのに、ガキのために命かけるたぁ馬鹿なやつだな。」
その言葉にハンスは強い怒りを抱いた。
だが、御者の男から視線をこちらに向けられて、途端に怒りは恐怖に変わる。
ハンスはこの近くにある村で生活をしていた村人だ。
毎日、日の出ともに起き、畑を手伝い、村の仲間たちと一緒に遊ぶどこにでもいる平凡な少年だ。
だが先ほど、その仲間たちと森の中を、冒険と称して探索していたところ、この男たちに捕まってしまったのだ。
当然自分たちも抵抗したが、男たちは大人でしかも7人いるのだ。
子供3人がどうにかできるようなものではない。
しかしそんなとき、ハンスの父親が子供たちを心配して森の中に入ってきたらしく、連れ去らわれそうになっているハンス達を見つけて助けに入った。
男たちは、その子供をこちらに引き渡せばお前の命は見逃すと、ハンスの父親に言ったのだが、ハンスの父親はなおもハンスらを助けるため抵抗し、最後は男たちによって殺された。
自身の目の前で、優しかった父親が血を流して倒れる姿が、今もハンスの脳裏に焼き付いている。
そして自身の父親を殺した男たちに、反抗的な態度をとれば自分も殺されてしまうのではないかとおびえている自分が、ハンスにはとても惨めに思えた。
ハンスが怒りとおびえによって俯いていると、御者の男がこちらに話しかけた。
「おいガキ、何がそんなに面白いんだ。」
ハンスの心臓が早鐘を打つ。
自分は何も面白がってなどいない。ならばこの問いは何なのか。
そう思っていたのもつかの間、その問いには目の前の少女が答える。
どうやら男はハンスにではなく、この少女に聞いたらしい。
少女はおびえも一切感じさせない声で、この状況に似合わない笑みを浮かべて答えた。
「わたし、馬車に乗るのは久しぶりなの。」
ハンスはこの少女が信じられなかった。
この人さらいの馬車に乗せられ、おそらくまともでないところに連れていかれるというのに、なぜそのように気楽な様子でいられるのか。
もしくはこの少女には、この見るからにならず者な男たちが、善意で馬車に乗せてくれたとでも見えるのだろうか。
そんなことを考えているハンスをよそに、少女は御者の男に向けてさらに言葉をつづけた。
「馬車に乗って移動する。絵本で見た旅人みたいでとっても素敵。」
そう答える少女の姿はなぜか、ハンスにはとても恐ろしいものに見えた。




