5 妹
荷物を背負い家を出たロータスは最後に妹に会いに行くことにした。
その妹――――オリヴィアの娘ヴィクトリアとは、母には内緒で隠れて時折一緒に遊んでいた。ヴィクトリアはロータスのことを『にいに』と舌足らずな声で呼んで懐いてくれたとびきり可愛い子だった。ロータスはヴィクトリアの可憐な姿を見るだけで嫌なことは全部忘れて癒やされることができた。
腐臭にまみれるようになってからは嫌われるのが怖くて会いに行っていなかったが、もう会えなくなるのかと思ったら、最後に一目だけその姿を目に焼き付けておこうと思った。
オリヴィアの家に向かって里の中を歩いていると、人間たちが住む二階建ての集合住宅の中からけたたましい赤子の泣き声がすることに気付いた。
気になったロータスは集合住宅に近付いていく。空いている一階の窓から声が聞こえるので中を覗き込むと、赤ん坊は床に敷かれた布団の上で泣き続けていた。その赤子は少し前に産まれたばかりの異母妹のナディアだ。
オリヴィアの出産後、シドは狂ったように子種を方々に撒き散らしていたから、その年に生まれた弟妹は多い。
ナディアの母親である人間の女性が、近くの椅子に座っていたが、彼女は暗い表情をしながらただじっとナディアを見下ろしているだけで、世話をしようとする様子が全く見られない。
ナディアは変わらず可哀想なほどに泣き続けている。ロータスは玄関に回って扉を叩いてみたが、応答がない。
「あの、すみません」
声をかけてからまた扉を叩いたが女性は出て来ない。
ナディアの泣き声は止まない。あの女性は何故自分の娘の世話を放棄しているのだろう。
ロータスは窓側にもう一度回った。
「すみません、赤ちゃん、泣いてますよ」
窓から中の女性に声をかけると、彼女は虚ろな表情でこちらを向いてから、ロータスを視認して目を丸くする。
ひっ、と、喉の奥で悲鳴になりきらない声を上げた後に椅子から落ち、腰を強かに打ち付けたようで床に倒れたまま呻き声を上げている。
「だ、大丈夫ですか?」
ロータスは女性を助け起こすべく窓枠を飛び越えて部屋の中に入ったが、彼女は近付くロータスを見て顔を青褪めさせた。
「ち、近付かないで! 私に触らないで!」
女性は必死な様子でロータスの手を振り払った。ロータスは拒絶されて困惑する。
「あの、勝手に入ってしまってごめんなさい。でも赤ちゃんが泣いているので…… ナディアの世話をしなくていいんですか?」
「すみません! ごめんなさい! ちゃんと面倒は見ます! 見ますから!」
女性は怯えたように立ち上がると、ナディアを抱き上げた。
「ええと、とにかくオシメを……」
女性は汚れ物を取り替え始めた。
「……あの、まだ何か?」
その場に立ち尽くしたまま女性がナディアの世話をする様子をただ眺めているだけのロータスに向かって、女性が訝しんだ声を出す。
「いえ、特には……」
ロータスはただ単に、妹が生きていたらこんな光景がずっと見られていたんだろうなと寂しく思えてきて、つい母子の様子をじっと見つめてしまっていた。
「…………用がないなら、ここから出て行ってもらえますか? 私、獣人は嫌いなんです」