帰らねばならぬのです
定時を三十分程回った所で無事に今日の仕事は終わった。鞄に私物を放り込み、ログアウトして立ち上がる。
「お疲れ様でーす!」
挨拶しながら部屋を出る。
いつも遅くまで残業していた私が定時で帰る事に、皆が驚いた顔をする。
いやー、こんな早い時間に帰るの久しぶりだわ。
帰りの電車の中で、夕飯に何を作ったものかと料理サイトを見ては、これは私には無理だ、これはいけそうだと取捨選択をしていった。
駅前のスーパーで買い物はしてるけど、こんな人が賑わってる時間に来たのは何年ぶりだ?!
……いや、週末に来てたな。
カートにカゴをのせて、あ、これは便利かも知れない、これは美味しいだろう、なんてやっていたら恐ろしく買い込んでしまった……。
ファミリーだってこんなに買わんのでは?!
買ってしまったものはやむなし! と、手に食い込むビニールの重さに耐えながらマンションに帰る。買い物袋なんかないからね! 買ったよ!
ドアに鍵を差し込んで開けると、奥から足音がしてカオル青年が笑顔で出迎えてくれた。
「おかえりなさい、ハルさん」
「……ただいま」
……人がいる家に帰ったの、何年振りだろう……。
慣れ切って何も感じないと思っていたのに、全然そんな事なかった。
「ところで、なんで電気点けないの?」
重いビニール袋をカオル青年は軽々と持ち上げた。
「わっ、重い! 持って帰って来るの、大変だったのでは?」
そんな事を言いながら、重さを感じさせずにキッチンに運んで行く。
カオル青年は電気の点け方が分からないのではなく、一人暮らしをしている私の部屋の電気が点いて不審がられないかを心配してくれたようだ。
その良識は、もっと別の所で見せて欲しかったな……。
さして大きくない冷蔵庫に、冷蔵必須アイテムを詰め込んでいく。
うん、なんでこんなに買ってしまったんだろう。
夕飯を作ると言うと、僕も手伝いますと言ってカオル青年が隣に立った。
キャベツを千切りにして、お惣菜コーナーで買ってきた男爵イモのコロッケを並べる。メンチカツとクリームコロッケも並べる。
お昼食べてないだろうと思ってそれぞれ三個ずつ買ってきたんだけど、それを見て青年が、「ハルさんって、見かけによらず食べる方です?」と聞いてきたので、君の為だよ! とお昼の事も謝りつつ話すと、目尻を下げて笑った。
ほら、その顔ですよ。めっちゃグレートピレニーズ顔。
お米は今から炊いたら遅くなるからと諦めた。
山盛りキャベツと揚げ物を乗せたお皿をテーブルの真ん中に置いて、ついでにと買ってきたポテトサラダを盛ったお皿も置く。あと漬物。
いやぁ……もう、居酒屋で頼むメニューっぽくなってるわ。己の女子力のなさを再認識しました。
そして異世界人は漬物を食べられるのか?
「僕達の世界と、こっちの世界は実はそんなに差がないって祖母は言ってました」
サクサクと良い音をさせながらコロッケを口にするカオル青年。
コロッケにはたっぷり中濃ソースをかけたい派です。
揚げたてではないけど、スーパーの惣菜って結構美味しいよね。一人暮らしだと作ると逆に燃費悪いって言うか高くつくって言うか。
計画的に素材を消費しなくちゃいけないし、毎日遅くまで残業する私には土台無理なんで深夜までやってるスーパーは必須。
「そうなの?」
「祖母の感覚では、そうらしいです。
こっちでは電気を使いますけど、僕達の世界では魔石というものを代わりに使います」
魔力! 魔法が使えるって事?
美味しい美味しいと言いながらコロッケやらメンチカツやらを食べていく。ほら、買いすぎじゃないじゃん、余裕で食べ切りそう。
この勢いだと二つは食べたかったクリームコロッケを食べられてしまいそうなので、食い意地の張った私はクリームコロッケを自分の皿にのせる。そして食べちゃう。
うん、美味しい。
「魔力は僕達人間は使えないので、買います」
買う? と聞き返すと、青年は頷いた。
「僕達の世界には妖精という生き物がいるんです。でも彼らは自分達の住処である森を失ってしまって」
え、それは森林破壊的な奴?
って言うか今、妖精って言った?
「人と妖精は、分かれて暮らしていたようなんですが、妖精達の世界で大きな争いが起きて、大量の森を消失したんだとか」
メンチカツにたっぷりソースをかける青年。
揚げ物好きみたいだな。今度は魚フライ買ってこようかな。タルタルソースかけると美味しいよね。
「結果として妖精の多くが人の側に移住してきて、彼らは自分達の持つ魔力を石に変えて売る事で生計を立てていますが、あまり魔力の多くない妖精は人の家で働いたりもします。
僕の実家にもいますよ」
「カオル青年の世界には妖精がいるんだ」
空想上の生き物じゃなくって、見えるって事だよね?
なんか、本当に異世界だな。
はい、と青年は頷く。
「シルキーと呼ばれる妖精なんですが、家の事は大抵彼女がやってくれます」
「なんて便利な! 私も欲しい、シルキー!」
私の率直な感想に青年は笑う。
「契約していない家にはいませんけどね。だから僕が一人で暮らしていた家にはシルキーはいなかったので、自分でやっていました」
その言葉の通り、カオル青年は食べ終えた後の食器も慣れた様子で洗っていった。
「ハルさん、強引に転がり込んでおいてなんですが、改めてお願いします。僕がこちらの世界にもう少し慣れるまでここに置いてもらえないでしょうか? その代わり家事はやらせていただきますし、ご迷惑にならないようにしますので」
本当ならここでお断りします、と言うべきなのは分かってる。でも、久しぶりに人のいる家に帰って、嬉しかったのだ。ほっとして、あぁ、良いなぁ、って思ってしまった。
もしここに第三者がいれば絶対止めるし、私がその第三者だったら、やっぱり止める。
そこまで分かっていたけれど、良いよ、と私は答えた。
私はきっと、このまま一生一人暮らしだろう。
そんな私の人生に一時だけ、不思議な青年と交差する時があっても良いじゃないかと思ってしまったのだ。
もしかしたら新手の詐欺かも知れない。
そう言った可能性はどんどん頭に浮かんで来る。
それでも、私はこの青年にしばし付き合おうと思ったのだ。いや、私のような三十路のつまらないおばさんに、少しだけ付き合って欲しかった。
カオル青年は食べる事が好きらしく、作るのも大好きらしい。ただちょっと太りやすい体質だから、走ったり散歩をしていたとの事。
めっちゃ健康的じゃないの。
それで、惣菜のコロッケも美味しいけど、自分で色々作りたいと言われた。
つまり、私のシルキーに期間限定でなってくれるらしい。
こんなイケメンが家事やって家で待っててくれるなんて、生きてて良かったと言うべきなのかな。
まぁ、悪く言えばヒモだね!
青年用に歯ブラシなんかは適当に買って来たけど、ちゃんとした下着や洋服なんかはない。週末に買いに行かねばならないなぁ。勿論高いのは買ってあげられないしそのつもりもないけど。
「ハルさんって、世話好きですか?」
「好きではないけど……放っておけないタイプかも」
なんだかんだ、困ってる同僚や後輩につい声をかけてしまう。そう言えば足立さんはあの後根性見せただろうか?
「その優しさに付け込んだ僕が言うのも何ですけど、ほどほどが良いと思います」
「分かってるなら今すぐ家から出て行く?」
「それは許して下さい」と言って困ったように青年は笑う。
彼自身、自分のやってる事を自覚してるんだろう。だから心配してそんな事を言うのだろうな。




