職場での立ち位置
週が明け、出社した私を待っていたのは怒りの仁科だった。まぁ、予想通り。
「おまえ! いきなり帰るとか何考えてんだよ! 二人で食べるように結構頼んでたから食うの大変だったんだぞ!」
仁科の文句を右から左に聞き流しながら、机の上にスマホやら何やらを置く。
カオル青年がいるから残業せずに帰らないといけない。
仁科の相手をしている暇はない。さっさと仕事を終わらせなくては。
「あぁ、ごめんねー。いくら払えば良い?」
食べてないものにお金を払うのは嫌だけど、実際あれだけ食べたのは大変だったろう。あの時はあの発言に耐えられなくて、早くこの場を去りたい! って気持ちでいっぱいだった。
毎回サイフ扱いされてたんだし、いいだろうと思ってブチ切って帰ったけど、大人としては良くなかったなと思う程には頭も冷えている。
「いや、良いけどよ……。
とにかく、次からは予定あるなら先に言っとけよ!?」
……次?
思わず顔を上げて仁科を見てしまった。苛立ちを隠しもしない仁科が腕を組んで私を見下ろしていた。
「なんで?」
「なんでっておまえ、また途中で帰られたら困るからだろ? 当たり前の事聞くなよ」
「いや、そこじゃなくて、私の用事を仁科に伝える必要ないし、もう飲む事もないから大丈夫だよ」
この前のやりとりがなかったとしても、カオル青年が家にいるのに放って飲みには行けないし。
「はぁ?!」
月曜の朝から元気だな、コイツ。
こっちは訳分からない異世界人の対応で困ってるって言うのに。
とりあえずパソコンを預けて、こっちの世界の事はこれで学習しろ、アダルトサイトを見たら殺すとは言って来たし、キーボードの使い方は教えてきた。
日本語を祖母から学んでいたのは大変ありがたかった。
まず五十音からとか気が遠くなる。
そもそもなんで私があの異世界人の世話をしないとならんのだ……?
「おい、平坂! まさかお前、この前言った事怒ってんのか?」
それまで無関心だった周囲の意識がこっちに向いたのを感じる。気になる言い方だったもんね、今の。私も他人事だったら聞き耳たてるな、間違いなく。
「おまえの事を女として見てないって奴」
……あの時そこまで直球で言われてはいなかったけど、やっぱりそう言うつもりでしたか、そうですか。言った自覚もあったかー。つまり牽制だったのかなー?
何処かから、ぅわ〜という声が聞こえる。
それから後輩女子がクスッと笑ったのが分かった。聞こえてんぞ、おまえら覚えとけ。困ってても手伝ってやらんからな。
ちらっと視線を向けると目があった。ヤバっ! という顔をして慌てて俯くけど、もう遅いよね。
「うんうん、そうそう、女には見えんだろうね。我ながら草臥れてるなって週末に自覚したから飲んでないで休みたいんだよね」
失礼だと怒っても、泣いても、どう言い返したってみんなからしたら私は三十路のモテない女なのは変わらないからなぁ……。言われなくても分かってるよ。
痛いなぁ、本当。
分かってても、傷付くんだよ?
それに嘘は吐いてない。カオル青年を見てるとなんか己の肌のカサつきとか居た堪れなくってきた。
元々のもあるのは分かってるんだけど、私が青年と同じ年齢だった時、あんなにお肌キレイだったかな……。
「悪かったって、機嫌直せよ」
機嫌とかじゃなくてだな。って言うかなんでコイツこんなに食い下がるんだろう。
「いや、そう言う問題じゃなくて、無理だから」
「なんで」
なんでって、家にいるからね、異世界人が。
頭に浮かんだカオル青年はガタイこそしっかりしてるけど、言葉遣いが丁寧なのと、笑うと幼く見えて、大型犬に見えるって言うか。グレートピレニーズっぽいって言うか……。
「犬、だな……」
あれだ、ワンコ系なんだ、アイツは。
「犬?! おまえ、犬飼い始めたの?」
いや、犬じゃない。
それに飼う、って言うのはいささか語弊があるような気もするけど……。あながち間違えてもいない気も……。
「とにかく、飲み会は無理だから」
話をぶち切って立ち上がったPCにログインする。
「その年で犬なんて飼ったら恋愛に縁遠くなるんじゃねぇの?」
言って良い事と悪い事の区別もつかんのか!
「仁科と飲みに行ってる方が縁遠くなる」
頭に来て、ストレートに返す。なんでそんな傷付いた顔してんの。
どう考えても暴言吐き続けてたのそっちでしょ!
苛立ちが一瞬でピークに達する。
それでも席に戻ろうとしない仁科に流石にうんざり。
「仁科って、しつこいね。私さ、残業せずに帰りたいから邪魔しないで欲しいんだけど」
邪魔……と呟きながら仁科はフラフラと席に戻って行く。途中あちこちにぶつかりながら。
……なんなんだアレは。アレじゃまるで私が振ったみたいに見える。どっちかって言えばその気になりそうだった私の気持ちを叩き壊し、さっきの発言で木っ端微塵にしたのは仁科だろうに。
こんな公開処刑みたいな事までしてくれちゃって。
これでもし、本当は私の事を好きだったとか言われても嫌だな、と思ってしまう。
照れ隠しとかツンデレとかあるけど、真っ直ぐに想いを伝えたいし、伝えられたい。
大体この歳になって駆け引きとかも時間の無駄じゃないかと思ってるぐらいだ。
そんな考えだから可愛くないんだってのは分かってるんだけど、人間いつ死ぬか分からないんだから、そうそう、カオル青年の祖母のようにさ、いきなり神隠しに遭う可能性だってあるんだから、悔いのないように生きたい。
……どうせそう思ってたって、思うようになんて動けないんだからさ。
食堂でランチを口にしてから気付く。
……カオル青年に朝食こそ用意したけど、お昼用意してない!
キッチンにあるものは適当に食べて良いとは言ったけど、ズボラな私はまともに食材も買ってないし、あの身体が欲しがるような朝食でもなかったと今更ながらに思い至る。
飢えはしないだろうけど、絶対に足りないだろう、どう考えても!
定時で帰って食材買わなくては! あぁ、嫌いな食べ物とかアレルギーとかあるのかな?!
電話をかけようと思ったけど、絶対出るなと厳命してしまったよ!!
ランチ休憩を終えて席に戻った私に、後輩女子が近付いて来て甘え声を出す。
「あの、平坂さん、先日の件なんですけどぉ」
先日の件? あぁ、課長に頼まれていた奴か。
これも先輩としての務めだと思ってこれまで助けてたけど、この子全然成長しないんだよな。私もなんだか面倒くさくなって、ここの部分は私がやっておくよ、なんて言っちゃってたのが良くなかったな。
「課長案件だよね? 前から言ってるけど、私じゃなくて課長に聞いてやりなよ」
「でもぉ、課長はお忙しいですしぃ」
「私は忙しくないって事?」
とにかく早く帰りたいし、今朝の仁科とのやりとりを笑ってたのは忘れておらんぞ。目もバッチリ合ったし、そんなつもりはなかったとは言わせん。
勝手にとは言え助けていたつもりだったから、あんな風に意地悪い顔をして笑われたのは凹んだ。
「あっ、そう言う意味じゃなくてぇ、平坂さんなら、お仕事出来るから、助けて欲しいなぁって」
「足立さんさ、今何年目だっけ?」
私の質問に後輩──足立さんはぽかんとした顔をする。
ぽかんとしても可愛いのは流石だ。
「六年目です」
「後輩に教える立場だよね。そろそろ自立しようか」
給湯室で今年三年目の子に偉そうに説教してたの、知ってるからね。仕事は新人程度しか出来ないのに、態度は一人前だ、と言われているのだ、彼女は。
事実とは言え、そんな事を裏で言うくらいなら指導してやれよと苦々しく思い、助けていたつもりだったけど、なんかどうでも良くなってきた。
私の独り善がりだったな、ってよく分かったし。
「えっ、でも!」
「課長は言葉こそ厳しいけどちゃんと指導してくれる人だし、大丈夫だよ。いつまでも苦手意識持ってたら成長しないよー。
さ、席に戻って仕事続けてね」
さぁさぁ、と身体の向きを変えて背中をぽんと押す。
過去の自分のやった事が無意味に思えてきて、地味にしんどい。




